「文学横浜の会」

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2018年10月 9日


「制度の歪み」

 社会の仕組みが大きく歪んでいる。 一つは民主主義の在り方であり、もう一つは資本主義の在り方だ。

 民主主義の在り方では、現在の代表民主主義の在り方でいいのか、と言うのが大きな争点だと思う。 つまり現在のように投票で代表者、所謂、代議士を択んで議会に送り込むのだが、 その択ばれた代議士が必ずしも択んだ国民の声を代弁していないのではないか。

一つには衆議院小選挙区制度によって、例えば投票者の30%の得票率でも、その選挙区で1位ならその選挙区の代表者だ。 これは選挙区制度の問題だが、より多くの民意を反映させようと思うなら、選挙制度を変えればいいだけの問題だが、 政党間利害が絡み合ってそう簡単ではない。

そもそも選挙制度を議員にしか変更できないのがおかしいのだが、制度を変えたにしてもまだまだ問題は残る。

現代のように様々な問題が山積している中で、議員択んで我々の代表者だとして国会に送り込む制度が、 果たして制度としていいのかと言う問題だ。ある問題では意見は一致するが、別の問題では全く異なる、 そうした事例はよくあるし、次々と新しい問題が起こる現代にあって、今のような代表民主主義でいいのか?

ならばどんな制度がより正しく民意を反映するかと聞かれれば、究極的には事案ごとに全選挙人の直接投票となるが、 実現するとなれば法改正、具体的手法とまだまだ乗り越えなければいけない問題がある。 でもインターネットの普及で、全くの「絵に描いた餅」と言う時代ではない。

 資本主義の在り方では、資本、つまりはお金が循環しない、と言う問題が大きくなった。 つまり国家が幾らお金を投じても、お金が一部の人、或いは会社に集まって、人々に回らなくなっている。 そんなに裕福ではない人でも、お金を使わなくなっているとも言う。

そんなに貯めこんでどうする、と思うのだが、企業は次の不況に備えるためと言い、個人は使い道がないと言うだろうし、 将来に備えてと言うだろう。

つまりはお金を本当に必要な人にお金が行っていないのであり、多くの人はこれ以上物を必要としていないのだ。 お金が回ってこその資本主義なのに、これは資本主義の危機と言うべきではないだろうか。

この傾向はAI技術の発達やビックデータの活用に代表される第4次産業革命の振興と共に、お金の偏りは増える傾向にある。 つまり富める者がより優れた技術を活用してより豊かになる、と言った構図なのだ。

それなら豊かな者・企業に課税を強化すればいいと思うが、 産業のグローバル化に伴い、税のより安い国に流れる傾向にあり、国としての対応も一国では覚束なくなっている。

ならば税制に見合う、と言うか、税の低い国からの輸入にはより大きな関税を掛けられる仕組みも考えるべきだ、 と考えるが一国だけで取り組める問題ではない。

何れにしても資本主義の危機である事に変わりはないが、 取り敢えずは裕福な者へ課税を強化し、それを子育て中の若い世代へ還元すればいい、と思うのだが。

<K.K>


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