「文学横浜の会」
エッセー
INDEX 過去のエッセー
2018年12月 7日
「本の整理」
年末だからと言う訳ではないが、家の中の要らない物を少しだけど整理した。
今まで、5回の引っ越しをしているから、それなりの整理はしてきた積もりだが、
改めて身の回りの不必要な物を調べると、あるある状態だ。特に本の処分は頭が痛い。
重いだけに、体力のあるうちにと思い立ち、処分する事にした。
最近は購入する事は少なく、読みたい本は近くの図書館で借りることにしているから、それ程ないと思っていたのだが、
調べると意外にある。
学生時代から一人暮らしをして、3度ばかり転居した。その度に本の整理をした記憶がある。
その頃は古本屋に持っていけば、それなりにお金に換えることもでき、
愛着のあつ本を除き転居の度に古本屋に持って行ったものだ。
だからそれ程の量はないのだが、だけど今の家に移って20数年、
処分できずに手元に置いてある本や高価な本を含めて、かなりある。
本棚には置けないで片隅に放置してある本をまず片づけようと、紐で括る作業だけで2日掛かった。
最もそればかりに一日を費やしていた訳ではないが。
本はまとめると重いし、作業も大変だ、と改めて実感した。
僕は子供はいないから、死んでしまえば誰かがこう言う作業をするのだろう。そのためにはお金も必要になる。
「終活」問題が言はれているのは、そんな事もあるのだと思う。
さて、本を纏めたが、それを捨てるのはなんとも忍びない。
お金に換えたいとはさすがに思わないが、大事な、貴重な、そして多分価値のある本をゴミのように扱うのが忍びないのだ。
誰かの役に立つのではないか、とも思う。
それで車に積んで近くの古本屋に行ってみた。僕としてはただでもいいから、
きっと誰か読む人がいるだろうと思って持って行ったのだ。
古本屋の旦那は「今の若い人は、もうそう言う本は読みませんから」とつれない言葉。
だいたい今の若い人はハード本など、教科書ぐらいしか知らないのだろう。
教科書だってタブレットを利用するシステムなら、紙の本と接する機会は極端に少ない。
結局古新聞と同じように古紙リサイクル用として処分するしかなかった。
嘆かわしい、とは思わないが世の移り変わりを実感した。
未来の日常を想像しようにも、きっと僕らのような人間には想像もできない日常になっているのだろう。
まだ健在の積りだが、少しづつでも、身の回りを整理するに限ると思うこの頃だ。
<K.K>
|
[「文学横浜の会」]
禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2000-2004 文学横浜