「文学横浜の会」
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2019年 2月 9日
「20年後の世界」
どうしても長生きしたいとは思わないが、10年後、20年後、30年後の日本はどうなっているのか見てみたい、
と言う好奇心はある。日本がどうなるのか気になるが、世界がどうなるのかも気になる。
アメリカと中国との関係、中国の体制はこのまま続くのか、ロシアのプーチン後はどうなるのかも。
そんな事を考えるのは自分が年を取ったからに違いない。
歴史は繰り返すとは言うが、今の日本は過去の歴史上、どの時代に当たるのかも気になる。
どの時代かと比べるにしても物差しを何処にすえるのかにもよるが、過去に比べて現代の変化は格段に速い。
ちなみに僕が学生の頃は中国はまだまだ混乱した独裁国家だった。社会人になって間もなくケ小平がトップに立って、
所謂、改革開放政策に転じて先進国の技術を取り込み始めた。
それから30年程で、国の大きさもあって日本を抜いて世界2位のGDP、つまり国内生産力を持つようになった。
当然軍事力も比例して増大し、今や米国に挑む構図だ。
中国は一党独裁の国、つまり共産党の国だから本来なら資本主義とは無縁のように思うのだが、
憲法があり法律があり、株式会社もあるが、民主主義国家とは異なり、
それらは共産党のためにある。つまり人口の何パーセントが中国共産党党員だか知らないが、
自由にしろ人権にしろ、教育にしろ中国共産党の価値観の下にある。従って真の自由・人権・教育は無いと言っていい。
この中国が50年後、100年後、どんな国になっているのか見てみたいが僕には叶わない。
他面、多数決によって議員を決める民主主義国家の欠点もここにきて顕著になったように思える。
現在のようなメディアの多様化によって、個々の人間が接する情報に偏りが生じるようになった。
情報の偏りは正しい判断が出来なくなり、国情を混乱させる要因ともなる。
また情報の偏りは正しい判断をするための情報が全ての人に届いていないと言う問題でもある。
それに、言われている事ではあるが、正しい情報があっても判断ができない、
判断する能力がない人間がその度合いは別にして確かにいる。
能力のある人でも思想とか宗教とか、雰囲気とかそうした要因で判断する。そうした人が多数ではないだろうか。
それでもそれが民主主義だと言うのなら、確かにそうだろう。
つまりは民主主義とは元々やっかいなものなのだ。
民主主義の最先進国と言われるイギリスのEU 脱退を巡る混乱振りをみて、果たして直接民意を問うた事が、
正しかったのかどうか疑念も出てきた。
離脱との結果がでてからそれがどんな結果を齎すのか初めて知った、と言うような国民もいて、
今イギリスの国内は大揺れだ。ここ数年でイギリスがどの方向に進むのか判るが、
国内を二分した騒動はどちらしてもこれから長く尾を引くに違いない。
日本で国内を二分する問題と言えば、恐らく憲法、それも9条を変えるかどうかだろうが、
イギリスの混乱をみていると安易に国民投票に持ち込んではいけないと思う。
何れにしても民主主義は物事を決めるのに恐ろしく時間のかかるシステムだと心した方がいい。
それでも自由を維持するためにそれは必要な時間なのだ。
こんな事を考えていると猶更、50年後、100年後の世の中を見てみたいが、
せめて10年後、20年後はどうなっているのかと思う。ヨーロッパ諸国や米国での移民排斥の動き、
ポピュリズムの台頭。それらは貧富の格差から生じたに違いない。
そうした動きは必ず日本にも起こる。格差問題は世界共通の問題なのだ。
第一次世界大戦から第二次世界大戦が始まるまで、たったの20年だと思えば、
この先の10年、20年の世界の動きにも大いに注目しなければいけない。
<K.K>
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