「文学横浜の会」
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2019年 3月 9日
「キャッチフレーズ社会」
先日、新聞の経済面でこんな記事を目にした。要約すると
ここからは推測だが、男が変化したのは男の矜持と言うか、従来の男が家族を養い支えるという従来の価値観に捕われ、
それに耐えられなくなったのではないか。無論こうした男ばかりではないが、確かにこうした価値観をもった男はいるだろう。
「女性参加社会」だとか「男女共生社会」「夫婦共稼ぎ社会」だとかのキャッチフレーズが政治家から発せられるが、
事はそんなキャッチフレーズだけでは何も進まない。女性の社会進出には、
1と2については会社や国市町村が本腰で取り組めば解決できる。
つまり人手不足の現状では、そうした政策を掲げなければ人が集まらないし、生産性の向上には女性の能力が欠かせない。
これは先進諸国の共通の問題だ。
やっかいなのは男女の意識改革だ。ぼくらは昔の人間から昔の価値観で育てられたから、男が外で稼いで女房は家庭を守る。
男子厨房に入るべからず。等と言う言葉がまかり通っていた。
そう言う価値観で育てられたから、そうした社会風潮の変化を感じてはいても知らず知らず、
子供もそんな昔風な価値観を引きずっているだろう。先の記事にあった夫婦もまさにその世代だと思う。
今はどうか知らないが、ぼくらは義務教育で家庭課の授業は女子だけだった。つまりその時から区別されていた。
基礎知識もないのに、さあこれからは家事も分担しましょう、と言われてもぼくらの出代の多くは途方に暮れるに違いない。
女性にしても男と同じように外で働く時代だ、といきなり言われても戸惑う方も多かろう。
家庭内で仕事をこなせばそれでよし、女は外でプルタイムで働くべきではない、
とそんな考えが身に染み付いた方もいるだろう。
こうして見るとキャッチフレーズだけで物事はなる、と言う事ではない。
意識の問題となれば義務教育の頃からそれなりの教育をしなければいけないし、
そうした教育が徹底されたとしても実際にそうした社会になるまでは何十年もかかる。
能力においては男女の格差などないのだから、見直すべき事は大いに見直すべきだが、
それを政治の側で毎年のようにキャッチフレーズが変わるようでは、国が目指す方向が見えなくなる。。
男でも女でも、肩肘張らずに生きればいいのだ。
<K.K>
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