「文学横浜の会」

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2019年 8月17日


「オリンピック考」

 来年、この時期にオリンピックが開催される。

こんな時期に何故オリンピックなのか、どうして同じ時期に全ての競技を行うのか、 とかねて疑問に思っているが、 オリンピックを目指しているアスリートもおられるのは事実なので、これ以上の事は言うまい。

でも諸外国から人が来日するのは確からしいので、そうでなくとも外人旅行客も多くなっていて、 ぴょいと国内旅行に出かけても宿が取れないこともある。 来年、この時期の国内旅行は避けるのは無論で、好きなスポーツでも、こんな暑い中をわざわざ観戦に出掛ける気もない。

それなのにと言うか、オリンピックの観戦チケットが中々取れない、とニュースで知った。 オリンピックは四年に一度の行事で、生存中、次に日本で開催されるか判らないから、 多くの人達はこの際、思い出にしようと考えたのだろう。 僕は自宅でのテレビ観戦と決めている。

パラリンピックについても、障害者が目的を持って競技に取り組む姿に拍手を送りたい。 スポーツが障害者の生きがいに繋がるのなら、大いに応援したいが、 関心の度合いはやはり健常者の競技とは比べようもない。 メディアではさかんに健常者の関心を引こうと色々策を講じているが、やはり今一つ、と言うのが実態だろう。

それに障害の度合いによる組み分けでも、その運用の難しさが判る。 知的障害者と言われても、見た目は健常者となんら変わらないし、身体能力が抜群に良ければ、 健常者のオリンピックに出てもいいわけだ。 健常者のオリンピック選手の中にも、実は障害者手帳を持っている選手もいるかも知れない。

つまり精神障害者はパラリンピックに出られるのだろうか?

それに身に着ける補助機器によって、健常者の記録と遜色ない記録も出せる。 つまりは補助機器の性能の競い合いになってしまう可能性もある訳だ。

色々疑問はあるが、こんな暑い時期に競技するのは障害者には負担にならないだろうかと心配だ。 障害の程度にもよるのだろうが、観戦者を含めて、大きな犠牲者が出ないように願うばかりだ。

 今のオリンピックは余りに商業じみて問題点が多々あるように思う。 ぼくが考えるオリンピックの在り方は、以下の通りだ。、

1、オリンピックは開催国が決まった、開催時期は開催国に任せる。
  つまり、開催国を決める前に予め期間を設定しておく。

2、開催期日は競技毎に決める。
  或いは、3つぐらいのグループに別ける。

3、表彰式の際に国歌、国旗の掲揚は行わない。
  国歌の歌詞の中には、平和の祭典にはふさわしくない歌詞もあるのだ。
  それに代わるものを知恵を出して考えればよい。

4、団体競技については国の人口数によるクラス別けを行う。
  例えば人口300万人以下クラス、1億人以上クラス、その間クラス。
  つまり個人競技における体重別のようなもの。

 多分難しいだろうな。特に3については…。

<K.K>


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