「文学横浜の会」

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2019年10月15日


「自然災害を目の当たりにして」

 台風19号による水害の怖さがニュース画面から伝わってくる。

先の15号による暴風被害の恐ろしさを知り、 今回の水害の怖さと合わせて巨大台風による災害の甚大さを目の当たりにした。 これからの住宅地について、将来を見据えた再検討の必要性を感じる。

つまり地球温暖化による自然災害はこれからもより大きくなると考え、住宅地の再検討をすべきだ。 化石燃料が、例え今から使用禁止(そんな事は不可能)になったとしても、 これまでの蓄積があり、地球温暖化を止めることはできない。 だとすればこれからも50年に一度クラスの災害が発生する確率は増える、と考えた方がいい。

となれば災害に強い町を作る、と言う事になるのだが、従来通りの住民分布で安心安全な町を作るとなると、 莫大な費用が掛かる。少子高齢化が進む我が国で、そうした予算を捻出するのは難しい。 現在は災害にあった家庭に災害給付金なるお見舞いを出す程度だろう。 それでもないよりはまし、と考える方もいるだろうが、それでは根本的な解決にはならない。

災害に遭った各家庭で余裕のある家庭は個人持ち出しで再建するのだろうが、そんな余裕のある個人は限られるだろう。 高齢化が進めば益々個人での再建は難しくなる。それが現状だと思う。

となれば各市町村で、災害に強い地域を指定して、そこに集まるようにする。 つまり安全安心を考慮したスマートシティの構築だ。

無論、どうしてもそんな所には行きたくない、と言う方もいるだろうし、 先祖伝来の、或いは愛着のある場所でどうしても離れられないと言う方もいるだろう。 そう言う方にはどんなリスクがあるのかを明示して、各自の判断に任せるほかあるまい。

問題は各市町村に、安全安心なエリアがあるかと言う事だ。 日本における自然災害は、台風による暴風被害と水害、そして地震、火山噴火が考えられる。 暴風や水害については予め想定して、それに対応した建物を構築すればいいし、地震に耐える建物を作ればいいのだが、 何れも費用は掛かるし、一朝一夕には不可能。計画し完成までには長い年月を要する。 火山噴火となれば、噴火の規模を見極め何処へ逃れるかを予め決めておくしかない。

しかし災害に強い安心安全な町作りを計画し、長い年月を掛けて対処策を講じたとしても、 それで完璧と言う事ではない。 復旧がよりスムーズに行われる、と言うに過ぎないだろう。

考えてみれば現在ある地球の動植物は、幾たびかの地球のドラマチックな変動を乗り越えて生き延びてきた。 そうした変動が自然災害と言うなら、地球上の動植物はそれらの災害を乗り越えてきたとも言える。 その生き残りの中で、人類が最も現在の地球上でのさばっている生き物なのではないか。

そして現在の地球温暖化は人類の営み、 つまり化石燃料を使用する事によって発生した二酸化炭素等の異常排出によって齎されたと考えられるが、 即禁止とならないのが現状だ。 禁止とならない最も大きな理由は経済的な事だろう。つまり電気を作る為の最も安価な資源なのだ。

自然エネルギーを電気に変える技術は進んで実用化されてはいるが、コストの面で全てを自然エネルギーで、 と言うまでにはまだまだ時間がかかる。地球温暖化は益々進むと考えた方がいい。 となれば人類が生き残るためには何をなすべきか考える必要がある。

幾度かの地球変動から人類が生き延びてこられたのは、団結し共同して対処する能力が他の生命体よりあったからだ、 と言う説がある。私はそれを信じる。

自然の脅威は個人の力や英知ではどにもならない事もある。 我々のが生きる道は、我々の祖先がそうであつたように、助け合い協力して難局に当たる以外にないのだ。
個人や国であっても。

<K.K>


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