「文学横浜の会」
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2020年 7月16日
「コロナと共に生きるために」
まだ当分の間、コロナ騒ぎは続くだろう。
新薬の開発が進んでいると、時に報道されるが、新薬として出回るまでにはまだまだだ。
それまではマスクは手放せず、感染しても重症化しない事を願うしかない。
いくらマスクをしていても100%安全という性質のものではない。
コロナ騒動以来、政府は経済の再開と感染防止のジレンマに立たされているが、
難しい選択、或いは両立の決断をしなければいけないが、結論ははっきりしている。
新薬が開発されようがされまいが、新型コロナが世界中に蔓延した以上、完全に除去するのは不可能。
ならば共存以外にあり得ない。
ならばこの際、従来の経済至上主義を捨てたらどうだろう。
このコロナ騒ぎで各国は大きな財政出動をしいられている。その中には経済の回復という大きな命題が含まれている。
しかし日本政府が行ったコロナ以前の経済策はオリンピックの開催、外国からの観光客誘致、IR関連事業等であるが、
それが今や風前の灯だ。
つまり国の行っている経済政策、突き詰めればいずれも外国からの観光客を当てにしたものだ。
それが全て悪いとは言わないが、もっと政策に根差した、将来に希望の持てる政策に転換できないものか。
例えば、地球温暖化に真っ向に取り組む経済政策を立てたとしよう。
化石燃料を一切使用しない社会に取り組むべく、資金も、人材もつぎ込む。
世界に先駆けて自然エネルギーから水素を作り、化石燃料を一切使用しない社会構造を作る目標を掲げる。
それには技術開発を促進し、安価なエネルギーにするためには日本中で普及させる必要がある。
技術が確立できれば、諸外国へも輸出・供給する事も可能で、
地球温暖化防止にも大いに貢献できる。
幾ら性能の良い石炭火力発電所と言ってもガス発電よりも多くのCO2を発生させるようでは世界に受け入れられない。
実現には更なる新技術開発と、化石燃料業界の旧来型勢力側からの抵抗をはねのけなければならない。
それに日本の農業、過疎化問題、自然災害対策だ。
我々は野菜を購入する際にどうしても値段を見るが、
自分で作ることを考える消費者は、居るかもしれないが、まずいないと思う。
購入する際は安いに越したことはないが、日本の地方の過疎化を知ればそんなに安穏としてはいられない。
このコロナ騒ぎで、テレワークが定着し、都会を離れる若者が増えればいいが、喉元過ぎれば、と言う事もある。
だからこの際、国はテレワークを進めて、地方在住者を増やし、
副業として農業へ関心を持つ人材を増やす絶好の機会とすべきだ。
家庭菜園で土いじりをしているだけで気分転換になるし、自然の中にいればマスクも不要だ。
それに少しでも植物や野菜を育てる体験をすれば、如何に大変だか実感できる。
天候に左右され、一旦自然災害が起きれば、収穫はゼロ、そんな事さえあるのだ。
日本の食料自給率を考えれば、例え家庭菜園にしろ、自分でも供給できる人が増えた方がいい。
これからの人口減少化に備えて人口の分散化を進めるために、地方に住むメリットを高める政策も必要だ。
何も都会で高額な住居費を払う必要はない。都会では難しい家庭菜園も、地方では可能な筈だ。
温暖化による自然災害に対処した安全で便利な場所に、
つまり全国各地にスマートシティを構築する必要もある。
自然災害の復旧では、くれぐれも現状復帰だけをすべきでない。 <K.K>
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