「文学横浜の会」

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2021年 2月14日


「どうなる東京五輪」

 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森会長の女性蔑視発言で辞任し、大会そのものも揺れている。

 元々現在のオリンピックについては否定的な考えを持っているので、この問題について発言する資格はないかも知れないが、 禍々しく報道される内容をみていると、余りに日本的であるように思えて仕方ない。 騒動をみていると森会長が首相経験者と言うことで、蔑視発言からの流れは組織というもののあり方が、日本の首相の決め方にそっくりだ。 というか森さんが総理になって辞めざるを得なくなった流れと似ている。

森さんが首相を辞めたのは密室で決められたことが知られたからで、今回の森会長の辞任に際して、後任を指名し、 一時は後任が決まったかのような報道もあったが、その事も更に混乱に拍車をかけた。 つまりは組織の在り方が如何にも日本的なのが世界に明かされた。

日本の多くの組織には実力者がいて、組織そのものが形骸化した組織だということが世界に晒す結果ともなった。 女性蔑視発言の根源は今回の発言でクローズアップされたが、森さんに限らず多くの国民に根付いている。 ここで敢えて「男」と言わないのは。「女」の側にもそれを良しとする空気が一部にあるからだ。 無論、問題意識を持つ女性も多くいるが、やはり「男」に寄り添っていた方が、との意識を持った女性が多いように思う。

男女同権に関する裁判において、最終的な判断を下す最高裁判事の数にしても、 高齢な男が圧倒的に多い裁判官の評決では、おのずと結果は見えているようなものだ。

それに諸外国との違いは皇族の男性血族主義とでも言うか、男性血統の流れをよしとする考えが今もって続いていることだ。 男女平等、男女共同参画社会とは関係ないと思われるかも知れないが、根深いところで繋がっているかも知れない。 男の方がより親の血筋を受け継いでいると言うのが根拠なのかも知れないが、科学的にはなんの根拠もなく、 ただそれが伝統だと言うだけだ。

伝統を守る事がよくないとは思わないが、時代に合わせるのも伝統を守る事でもある。 前時代のように何人もの妾を抱えてもよしとする時代ではない。時代に合わせてこその伝統だ。

 話を戻すと、目前に迫った五輪開催である。大会組織委員会会長も早々に決められるだろうが、問題は五輪が開催されるのかどうか、 それが目下の大きな課題だ。 コロナウイルスの世界中の感染拡大は、ワクチンが供給され出したとは言え、世界中に届くまでに、まだまだ時間が掛かる。 取り分け低開発国と言われる国々へのワクチン提供が遅れている。 こんな状況下では公平な競技が行われるのかとの疑問もある。

海外からの観客受け入れ問題、いや国内の観客の受け入れ、無観客での競技等、様々な問題が言われている。 どれも早急に解決しなければいけない問題で、さてどうなるのか。関係者の表情を見ていると気の毒に思う。 その中での森会長の問題だから猶更だ。

今回の騒動で盛んにオリンピックの崇高な理念を言うが、理念は理念として、IOCそのものは経済の論理で動いている。 今回の辞任劇の背後にはスポンサーからの声が強かったと言うし、 開催時期や各競技の実施時刻を決めるのもスポンサーの意向によると聞く。 今のオリンピックに共感できない理由の一つだ。

 そもそも我が国が五輪を誘致したのも、経済活性化の目論みからと言うのが本音だろう。 そして開催に向けた箱物への投資は行われ、その面では経済の活性化に多少寄与したが、 外国からのインバウンド客が期待できなければ、開催されたとしても、 結果的には国の借金を膨らませただけとの懸念はぬぐえない。

 その意味ではこのコロナ禍は経済第一主義を考え直す契機とすべきだ。

<K.K>


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