「文学横浜の会」

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2021年 3月14日


「2011年3月11日の午後」

 10年前の3月11日の午後、ぼくが何をしていたか覚えている。

5年前の3月11日、いや去年の3月11日の午後、自分は何をしていたかは全く覚えていないが、10年前のあの日の事は、 多くの方がそうであるように、自分が何を感じていたかも含めて心に焼き付いている。

当日、私は市の図書館にいた。二階の閲覧テーブルで本を読んでいた。その時グラッと揺れた。余り経験した事のない揺れで、 思わず館内を見廻した。その時の心中は、大きな揺れではあったが左程の事とは思わず、 更に大きな揺れがあってこれまで経験した事のない地震だと感じた。 それでもしばらくすればやむだろうとの思いでいたのは確かだ。

最初の揺れで前のテーブルにいた学生と思われる女性が慌ててテーブルの下に身を入れる姿を目撃して、大げさだなと思った。 学校ではそんな指導を受けているのだろう。それが正しい行動だとしてもそんな大事にはならないだろうと、 楽観的に思っていたのは確かだ。 多分周りにいた多くの方も同じような感じではなかったかと思う。

大きな揺れには違いないが棚の本が落ちるとかはなく、それでも揺れは続いて、 館内に「大きな地震がありました」とかの放送があった。 放送内容ははっきり覚えていないが何人かが館内を出ていく姿を目にしてぼくも館内をでた。

感覚としては外がどうなっているのかとの興味もあった。 図書館そのものは頑丈な建物で潰れる筈はないが、やはり多くの人が出ていけば無視はできない。

外は何事もない風景だった。電信柱の電線が揺れているのが目に入る。音はなく、電線の揺れているのだけが不気味だった。 高台にあるそこは実に静かだった。

暫くして揺れも収まり、外に出ていた人も館内に戻る者や、そのまま去る者に別れた。 ぼくは荷物がまだテーブルに置いたままなので、取り敢えず館内に入った。読みかけの本を手にしたが、どうも落ち着かない。 自宅は大丈夫なのか、と心配になった。そんなに古い家ではないから、今までどんな地震にもびくともしなかったから、 と心配を払拭しようとするがやっぱり気になった。ぼくは自宅に戻った。

地震発生から、その日はなんとなく不気味に静かだった。普段の日常と同じなのに記憶の中に残るその日は雑音がなく、 不気味に静かなのだ。

自宅に戻って何事もなかったことを確認して、ぼくの心配は幾分やわらいだが、テレビのニュース画面を観て愕然とした。 地震の発生源は東北で、大きな被害が出ており、全容はまだ判らないとの内容だった。

発生源が東北沖の海上で、その地震が遠くの関東にまであんな大きな揺れを齎したのなら、と漠然とした驚きに変わった。 ぼくはテレビニュースにくぎ付けになった。

その後の津波災害、原爆災害と益々被害の実態が明らかになるにつれ、日本全体が沈んだ空気につつまれていくのを実感した。 当日の都心からの帰宅困難者で混乱する都心、関東地域を含めた計画停電と、 東北の災害地には及びもしないが、ぼくの生活地域にも大きな影響を及ぼした。

ぼくがここで言いたいのはそんな事ではない。 地震の直後に感じたテーブルの下に身を隠そうとした女学生を「大げさな」と感じた自分であり、 地震直後の町はどんなだろうとの好奇心にかられた自分だ。

地震直後の津波で多くの方が命を亡くしたが、その中にはぼくと同じよに感じた方もいたのではないかと思う。 そして逃げ遅れて命を亡くした方もいるに違いない。

性格にもよるのだろうが、 人は多くの事を楽観的に考え思ってしまう癖があり、危険な事から逃げるより、より好奇心の方に傾いてしまう。 つまり平和ボケと言うか、安全に慣れ切っているのだ。

ぼくが震災時に現場にいたら、多分亡くなっていただろう。
そういう事を改めて考える日でもある。

<K.K>


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