「文学横浜の会」

 エッセー


INDEX 過去のエッセー

2021年 4月14日


「コロナ後の社会」

 マスクをして歩く事には慣れた。
尤も人のいないところでは外しているが、予備を含めて持ち歩く習慣もついた。
マスクのいらない世に早くなってほしいものだ。

元々徒党を組むのは苦手だから、何人かで飲食を共にしないのは苦痛ではない。 寧ろ飲食に付き合わなければならない、馬鹿げた因習から逃れられるのはコロナの利点か。 尤も不要不急の身になった今はそんな忖度付き合いは減ったが、現役サラリーマンの中には同じような考えの方もいるだろう。 日本の政治や官僚世界でも“忖度”がはびこっているというから、人間世界とは厄介なものだ。

コロナの感染拡大は様々な影響を日常社会に及ぼしているが、そんなに悪い影響ばかりではない。 多人数での飲食の制約もそうだが、出勤制限も大きい。 尤も日本の住宅事情を考えれば、自宅に仕事を持ち込むのは如何なものかとの意見もあるが、 働く形態を考えるきっかけになった事は間違いない。

他にも遠隔地の方々には便利な買い物代行や配達、食品等の宅配、学校での遠隔授業、 医療分野では遠隔診療な等の動きもある。 これらは従来から計画され、一部では普及が望まれていた事業でもあるが、日本では普及しなかった。 コロナ後も定着するかどうかは未知数だが根付いてほしい。

取り分け毎日出勤しなくてもいい業態が普及すれば日本の住宅事情も大きく変わるのではないか。 月に何度かの出勤でいいとなれば、何も職住近接しなくてもいいので、地価の安価な地方へ住む利点も多くなる。 毎日決まった時間に電車に乗らなくてもいいのなら、それだけでもストレス解消に繋がる。 全ての職業がそうなる、出来るとは限らないが、可能な職種はある。 そうした業態が日本社会に定着すればコロナ後の社会の風景は今とはだいぶ変わるだろう。

何れにしても今回のコロナ・パンデミックでは多くの事を考えさせられた。
一つは日本の医療体制である。
日本の感染者数は欧米諸国に比べると一桁少ないのに、医療現場は逼迫しているとのニュースに多く接した。 欧米並みの感染者が出たらどうなるのか考えると心配でならない。

医者の数も医療施設も欧米と比べても遜色ないのに、と考えると医療システムそのものに問題があると言わざるをえない。 今回のようなパンデミックを想定した、クラスターを追えないような感染症を想定して対処法を考えておく必要があるのもはっきりした。

それに新しいワクチンの開発・製造が外国頼りだと言うのも明らかになった。 今回のようにワクチン接種が唯一の解決策となる感染症がこれからも出てくる可能性はある。 このままでは国家防衛、国民を守ると言う観点からも、医療システムの再検討と共に国の方針を見直すべきだ。

この間、我々は想定外と言う言葉を多く聞いたが、それでは済まない事態も多々ある事を肝に銘じるべきだ。 政治家も官僚も、忖度ばかりでなく想像力を働かせなければいけない。そんな時代にきている。

今回のコロナ騒動も何れ収まるだろうが、その後の社会がどうなるのか大いに気になる。 政府も本格的にデジタル化に取り組む姿勢を見せている。10年後、いや5年後ぐらいで目に見える形ではっきりするだろう。

くれぐれも取り残される可能性の高い高齢者への配慮も忘れないように。

<K.K>


[「文学横浜の会」]

禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2000-2004 文学横浜