「文学横浜の会」

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2021年 6月13日


「コロナ禍でのオリンピック」

 また暑い夏がやって来た。
 今年の夏は取り分け鬱陶しくなりそうだ。

コロナに加えてオリンピックがやって来るからだ。 前々から、なにもこんな暑い時期にスポーツなど…、と思っているぼくには取り分け鬱陶しい。 北海道にでも行っていようかな、と考えていた時期もあったが、まだコロナが続いていてはそれもままならない。

オリンピックの期間中はスポーツ一色になるんだろが、考えるだけでうんざりだ。 自分の好きなスポーツや関心のあるスポーツなら観る気持ちにもなろうが、 ルールも判らない、やったこともないスポーツなど観る気にもならない。 何しろ種目が多いし、テレビの画面には朝から晩まで、オリンピック一色だし…。

まぁ幸い、今の時代はテレビオンリーでもないからテレビのスイッチを入れなければいい事だが、 それにしてもオリンピックのあり方をもう一度見直してほしい。

ぼくの乏しい知識では何しろIOCの力が強すぎる。そんなIOCにへいこら頭を下げて、 決してスポーツに適した、いや日本ではスポーツには最悪の時期にスポーツの祭典を行わなければならないのかどうしても納得できない。 スポンサーへの配慮だと聞くが、それがもし本当なら、オリンピックそのものが、崇高な理念とは別に、 経済的な要素が多いのだ。

現在のオリンピックそのものが経済的な産物であるのは間違いない。 開催国の日本としては、初期の目的、つまり経済的な恩恵はとんだ胸算用になってしまったのだが、笑ってばかりはいられない。 旅行業界には大打撃だし、 外国人客をあてに施設を増改築した宿泊施設の中には廃業に追い込まれた業者もある。

このままオリンピックが続くとしたら、オリンピックはどんな風になるのだろう。 中国が益々経済力をつけて、国家主義的な中国の大企業が、アメリカの企業に負けじとスポンサー料を負担するようになったら、 IOCは中国企業のいいなりになるのだろうか。

そうなればオリンピックは益々国威発揚の場となるだろう。そんなオリンピックなど観たくもない。

それにしても日本という国は、一旦決めた事は必ずやらなければならない、という思考回路に捕らわれる民族のようだ。 先の大戦にしても終わらせ方を誤り、一度たてた作戦も失敗だと判っていてもそのまま突き進んだ例が多くあったそうだ。 成功する、うまく行く、とただそれのみしか考えない。 もしうまく行かなかったら、などと言おうものなら卑怯者、敗北主義等と言われて、そこで思考が停止してしまう。

どんなに周到に計画しても、どんな結果になるのかは判らないものだ。 時には撤退もあると、口にはしないまでもそんな腹積もりも必要なのだ。 その時点でどうすればより国の利益、国民のためになるかを考えるのが為政者の役目だ。

今回のオリンピックにしても実施されるのはほぼ間違いないようだが、 スムーズに実施され、国のメンツが立ったとしても、日本としては心から喜んではいられない。 オリンピックを実施して多くの借金が残るだけだから。

今は唯々、これ以上のコロナ犠牲者が増えない事を願うのみだ。

<K.K>


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