「文学横浜の会」
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2021年 7月15日
「経済再生相による酒類提供対策、発言」
日本は本当に民主主義の国なのだろうか。
所謂日本における民主主義は敗戦によってアメリカから齎されたものである。
つまり上から与えられたもので、国民が権力者から勝ち取ったものではない。
だから制度的にはアメリカに真似て形づくられてはいるが、アメリカから齎されるニュース等をみていると、
民主主義の内容そのものは随分と異なる。
それは日本には絶対的な存在として天皇が存在し、つまり象徴的な、なんの権限も持たない元首がいて、
アメリカの政治制度とは根本的に異なるからだが、そうした違いを考慮してもアメリカにおける民主主義とは随分と異なる。
民主的な政治と言えば、中華人民共和国の政府も「我が国は民主的な国である」というような事をいい、
アメリカの混乱振りを指して、アメリカの政治制度は良くないと、自国民に喧伝している。
そんなニュースを聞くと噴飯ものだと苦笑いするしかないが、そもそも民主主義とは、と思わざるを得ない。
民主主義の一つの基準として「発言の自由」というのがある。
日本ではなんでも言えて自由な国だ、と政府は言い国民もそう思っている。
しかし日本のそうした自由度は意外に低い、と先進諸国からは見られている。
手元に資料がないから正確に何位だとは言えないが、自由度は低いとみなされているのが現実だ。
無論北朝鮮や中国などより断然に上だが…。
そう言われるとなんとなくそうかも知れないな、と思わざるを得ない事が多々浮かんでくる。
一つは許認可権限によるものであり、つまりはマスコミの有り様もその一つである。
テレビやラジオ、それにスマホ等で使用する電波の周波数割り当ては全て政府が行っている。
つまりはもう使わせない、と政府から言われればその企業は潰れるに等しい。
そんなあからさま遣り方でなくとも、権限をちらつかせて様々な圧力をかけるようなこともあるらしい。
実際、そうとられても仕方のない事象が多々ある。
そうなると企業の方も自ずと自粛という名の忖度をしてしまうものだ。
世はお笑い芸人全盛の時代だといわれる。
多くのお笑い芸人が演芸の柵を超えて多くの番組に出ている。
世の中の諸問題を扱う番組のコメンテーターとしても、当たり障りのない巧みな話術で間を持たせてもいる。
それを非難するつもりは毛頭ない。
だが昔のお笑い芸の一つに時の政府、或いは政権を揶揄して笑わせる芸人がいた。
巧みな話術で庶民の鬱憤を晴らしてくれたものだ。
しかし今はそうした芸人は全く見なくなった。
そうした芸人が突然いなくなった訳ではないだろう。
しかしテレビやラジオにそうした芸人が出られなくなればだんだんいなくなる。
政権側は体質的に陰湿だから、政権を揶揄するような芸人は出すな、とは言わない。
遠回しに、或いは担当者が忖度せざるを得ないようにしむける。
許認可権限とはそういうものなのだ。
今回の西村・経済再生相による「酒類提供対策」発言についても多くの許認可が絡んでいる。
そうした許認可はそれぞれの法律に則って運用されるものだが、法律の解釈は運用によって変わるケースが多々ある。
法律の運用には国民(国会)が監視しなければいけないのだが、それが崩れると民主主義も怪しくなる。
日本の民主主義は勝ち取った民主主義ではないから、国民の側にそうした意識が低いのは間違いない。
政権への忖度が多い社会は中国の政治制度を笑へない!
そもそも一つの政党が永く政権についている事が忖度を生む土壌になるのは間違いない。
野党がだらしないと言ってしまえばそれまでだが、国民に政権をになう政党を育てようとの意識がないのも良くない。
つまりは国民の意識が未熟なのだ。
民主主義とは政権を担う政党が絶えず切磋琢磨して、少なくとも同じような政権が長くいつまでも続く政治ではない。
いつまでも同じような政権が続くようでは、それでは共産党一党支配の中国を批判できない。
<K.K>
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