「文学横浜の会」

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2021年 9月14日


「自民党、総裁選」

 政局というのは一寸先は闇、と言うのだそうだが一月前には思いもしなかったが、 菅政権が1年で終わる。

強気の姿勢で、人気は劣るが自民党の総裁選に出馬する、と公言していたのに、 あれよあれよという状況変化で、再選出馬を取りやめざるを得なくなった。 報道された内容から推測すると、どうやら二階幹事長を辞めさせる人事を公表してから状況が一気に変わったらしい。

菅首相の失敗は前の安部首相の政治姿勢を受け継いだからだと思っているが、 菅総理が出馬しないと表明してから、現在まで岸田文雄、高市早苗、河野太郎の3氏が出馬に名乗りをあげ、 他にも出馬を検討しているとか。

政治の世界だから主義主張を戦わせるのかと思いきや、どうやらそうでもないらしい。 従来からの自分の主張は脇において、兎に角選挙に勝たなければと、自民党の派閥グループ実力者の心象を良くし、 支持を得ようとするのが見え見えだ。

選挙時だけの発言だとしたら問題だが、当選しても自分の主義主張とは関係なく党の実力者の影響を受けるようだと、 日本の政治家とはなんだ、と言いたくなる。 結局はそういう人間を国会議員として当選させてしまう国民の政治意識が悪いということになるのだが、 日本の国民はそんなにも政治意識が低いのだろうか。

他国の国民に比べてもそんなに劣っているとは思わないのだが、 選挙の実態となると誰を選ぶか、結局は名の知れた人、或いはある問題についての利害関係者、 或いは知人友人からお願いされた人、というのが多いのが実態ではなかろうか。

残念ながら、と云うか当然のことだが、人間の考える事、思う事は人それぞれであり、 100人いれば全ての問題について同じであるという事はまずない。 現在のように、環境問題、防衛問題、財政問題。貧困問題等等、様々な問題があり、それらをたった一人に委ねるための選挙は、 現状に合う制度なのか、との疑問も残る。

本来なら個々の問題について賛否を取る方法がいいように思えるのだが、それも実現させるにはまだまだ時間がかかるだろう。 それが実現されたとしても。必ずしも多数が良い結果を齎すとは限らない。

人間の本性として「ある意見に酔ってしまう」という実例が過去の歴史をみれば多々ある。 最悪の例として挙げられるのはドイツにおける「ヒットラー政権」、日本にへる「軍事政権」、 そしてアメリカにおいては「対テロ作戦としてアフガニスタンへの侵攻等に見られる感情的な行動」、 これらは当時の多数派だった事は間違いない。

世の中には人間の思考によって生まれた事象が多くあり、それに対する異なる情報や見方の違いもあり、 何が本当の事なのかが曖昧になる。 一方の意見だけを聞いているとその世界に偏ってしまう。 偏った考えに取りつかれてしまうと、戦争だってお互いが正義の戦いだと標榜する。

人間社会とはそうした失敗を繰り返してきたとも言える。 ましてや真偽入り乱れる情報過多の世界になって、情報の偏りは致命的となる。 対立するグループがより先鋭化して纏めるのはより難しくもなった。

対立した歴史を繰り返し、そうした中から作られたのが民主主義という政治制度なのだが、 対立する事項がより複雑になって、世界を見渡すと、民主主義に代わる政治国家が台頭してきた。 政策決定に時間のかかる民主主義と対峙するように、一党強権国家が台頭し、 今回のコロナ騒ぎで更に顕著になった。

中国の台頭であり、ロシアや旧ソ連の友好国の一部がそうした国だ。

何れにしても、国をまとめる事、またその国々と調和を保つ事の難しさをひしひしと感じる。 それでも国の指導者になりたいと云う人が多くいるらしい。

何が正しいのか混沌とした中で、指導者には、 兎にも角にも、日本国内だけは混乱させてくれるな、他国と何があっても戦争だけはするな、と言いたい。

<K.K>


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