「文学横浜の会」

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2021年11月16日


「セイフティーネット」

 うっかり、ぼんやりしていたらもう月半ば。
 耄碌している実感はないが、それにしても世の中の動きはめまぐるしい。

ちょっと前に総選挙があり、その前には確か菅政権で自民党は大変だ、であった。 でも、今は前とちっとも変っていない。 世の中もコロナ禍がまだま尾を引いていてそんな事さえ忘れて目の前の事々で手一杯、てな具合だ。

第二次岸田政権では与党を組む公明党の公約を尊重して18歳以下を対象に給付金を交付すると決まったようだ。 バラマキ批判をかわすために親の年収を考慮するとの事だが、いずれにしても国の財政支出を考慮すれば、 給付を受ける方も本来なら安穏とはしていられない状況なのだが。

でもでもこのコロナ禍で、年齢、性別に関係なく生活に窮している国民はいる。 そうした人達に等しく給付が受けられるようなシステムはできないものだろうか。

例えば親の年収を考慮したとは言え、年収が百万にも満たない国民はいるに違いない。 そうした人々に限って蓄えはなく、つまり蓄える余裕もなく日々を過ごしていた人々なのだ。 つまり消費税以外は収めたことがない人々だ。

そうした人々を助けるのが本来のセイフティーネットの役割だと思うのだが、そうした人々の声は小さい。 選挙の際にもそうした人々の声は小さい。政党はより大きなバラマキを吹聴して支持者集めに奔走する。 選挙が終われば、特に連立政権では、政党間のメンツが先行して、財政規律は何処へ行ったらやらだ。

が3百万、4百万の方、家族数によっては確かに生活は苦しいだろうが、それ以上に苦しんでいる人もいるのだ。 そういう人々に援助が届かないのが問題なのだ。

とまぁ、言うのは易しいが実践するとなると大変だが、兎も角、そうしたシステムを作る事が先決だ。 生活が苦しい方が、遠慮なく駆け込める部署を市町村に設置すべきだと思う。 資金も国が援助する。これはコロナ禍だからではなく、どんな時でもそうしたシステムが作動する事が大事なのだ。

病気によってそうした事態に陥った者は兎も角、健康な人には再生・再起に必要な教育・訓練も施す。 そうしたシステムを全国あまねく構築すべきだと思う。

給付金などと、その場限りの政策は将来に何も残さない。

<K.K>


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