「文学横浜の会」

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2022年 3月18日


「ウクライナ問題とコロナの収束」

 ロシアのウクライナへの侵攻は暴挙以外の何物でもないが、絶対的な権力者による専制国家の危うさを目の当たりにして世界は今、 曲がり角にきている。欧州諸国ではロシアの暴挙に対して軍事費の増額の動きがあり、日本もその方向にある。

プーチン大統領の核戦力行使をちらつかせるような発言や、他国への侵略は前世紀に逆戻りしたような時代錯誤の行動であり、 ただ平和平和と叫ぶだけでは国は守れないとの危機意識を各国の首脳に植え付けた。 恐らくロシアが核のない単なる軍事大国なら、アメリカも欧州も軍事介入してウクライナを助けたかも知れないが、 今の時代、第3次世界大戦は双方に多大な害を及ぼし、安易に踏み込めない。

ロシアの暴挙はそれを見透かした行動だとしたら、猶更看過できない。 ウクライナには軍事物資の援助をし、ロシアに対しては経済的な圧力で応ずるしかないが、 ウクライナの国民の事を思えば何とか早く戦いを止めさせなければならない。

核の時代における国連のあり方も検討する時期なのかもしれない。 拒否権が認められている常任理事国についても再検討すべきだ。 だが、そうした議論についても常任理事国の拒否権が認められるとしたら、国連の機能は変えられない。 となれば新しい機構を作るしかないのだが…、可能だろうか。

今回の問題で改めて原発がクローズアップされている。 核戦力を行使しないまでも、原発への攻撃はそれと同じ打撃を与える。 かと言って各国とも、原発をすぐ廃止できる状況ではない。時間をかけて少なくし、廃止出来ればいいのだが、その方向に行くだろうか?

原発については使用済みの核燃料ゴミの問題もある。何万年も保管しなければならない危険なゴミだ。 そんな長い期間に、今回のような事や想像を超える自然環境の変化での事故、 或いは長い間には管理者の緩みによる人的事故が発生する確率は必ずのこる。
核に関する安全技術が確立できなければ何万年もの間に何回、何百回、いや何千回の核被害があるだろうか?
そんな危険なゴミを将来の世代に残していいのだろうか?

やはり人知を結集して自然エネルギーへの転換を促すべきだ。

 *

 政府はコロナの蔓延防止期間を21日で終了させる、との事である。

とは言えまだまだコロナが収束した訳ではなく、これからどうなるかは判らない。だが必ず収束する時期はくる。 その時、社会はどんな風景になっているのだろう。

過去の感染症では収束してその後の社会が大きく変わったと言う。
例えばペスト菌の流行に際しては、収束後、 当時の生産の元であった土地の集約化が進み生産性が向上したと言う。 スペイン風邪の収束に際しては、 工場のオートメーション化が進み大量生産の幕開けとなったと言う。

いずれの場合も収束後は社会の生産性が向上したとのことだが、今回のコロナ収束後にはどんな変化を社会に齎すだろう。 テレワークが定着して在宅勤務・在宅授業が通常になるのだろうか。 ならば何も都会に住む必要はなくなり、地方への人口移動が進むだろう。

もしそうなればコロナもそう悪くはない。が、果たして…。

<K.K>


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