「文学横浜の会」
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2023年 4月14日
「北朝鮮の兵器開発に想う」
北朝鮮からの日本海に向けてのミサイル発射をうけて、北海道でJアラートが作動した。
「近くの壕に退避せよ」との知らせだとの事だが、そんな退避できる壕など近くにあるのだろうか。
ぼくの生活しているエリアでアラートが発動されても、何処に退避していいのか全く準備できていない。
それだけ平和な日々を送っているのだが、これからの将来が少し不安だ。
だからと言ってこのところの軍事力の強化といった流れにも大いに不安だ。
いくら軍事力を強化しても、それで安全かと言えば、けっしてそうではない。
相手の攻撃の抑止力にはなるのだろうが、軍事力の発動となれば、どちらの国も大変な被害を受ける。
それは世界一の軍事力を持つ米国といえども同じだ。
北朝鮮という小さな国があれほどの攻撃兵器の開発に血眼になるのは、米国を恐れているからに違いない。
核兵器だとか大陸弾道ミサイルだとか、たとえ一度でも他国に向けて発射すれば、北朝鮮は間違いなく滅びるだろう。
そんな事は判っているとは思うが、北朝鮮の指導者は「米国から攻撃される」との強迫観念に囚われているのに違いない。
だから身の丈を超えた攻撃兵器の開発によって、不安を取り除いているのだと思う。
だけど指導者が正常な精神状態ならいいけど、自分が殺されるという不安心理が異常に強くなると、
果たして正常な思考は保たれるだろうか。それが大いに懸念される。
権力者の精神構造は判らないが、権力者といえどもぼくらと変わらない一人の人間だ。
被害妄想に囚われてどんな行動にでるか…。権力者がそんな妄想に囚われたらもう国民には悲劇以外の何物でもいない。
民主主事国家ではそうした権力者の暴走を止めることは、専制主義国家より可能だと思うが、
一番怖いのは全体がそうした考えにそまってしまう事だ。
近い歴史をみてもナチ政権や日本の軍国主義者も結局は国民が選んだ結果なのだ。
つまりは国民が正しい選択ができないような国家になってしまったからだ。
国民が正しい選択をするには正しい情報を与えなければいけないが、情報があふれる現代において、
皮肉にも情報の信憑性を見極める能力も求められるようになった。
情報戦争という名のもとにわざと間違った情報や事実を捻じ曲げ拡散させる。そうした情報が瞬時に氾濫する時代だ。
そうした中で情報の真贋を判断しろと言うのは酷だが、せめてその情報を常に疑ってみる心構えは必要だ。
これからの世界は益々混沌としていくだろうが、はっきりしているいるのは北朝鮮が開発しているような兵器が実際に使用されたら、
ウクライナの例をみるまでもなく、平和な土地に爆弾が飛んでくる。
いくつかは撃ち落とす事は可能だろうが、実際に落ちて多くの国民が被害を受ける事態も想像できる。
そうした想像力を持たなけばいけない。そうなればこちらの攻撃力も堂々と行使できるが、
その後は考えたくもない。
今回の北朝鮮からの弾道ミサイルの発射をみて判るように、相手の動作を感知して、
その前にこちらからそれを阻止するためにミサイルを発射したら、こちらから戦争を仕掛けたに等しい。
国民を守るための軍事力といえども、抑止力に過ぎない。
明らかに日本が攻撃されたのがわかって、それから行使できる軍事力なのだ。そうした胆力を国民として持つべきだろう。
北朝鮮の指導者に「あなたの国を攻撃なんかしませんよ」と米国の大統領が説得できればいいが、
今の状況では難しいかな。例え米国の大統領がそう言ったとしても北朝鮮の指導者はそう安々と信用しないし、
国家間の疑心暗鬼はそう易々と解消できるものではない。
時間をかけて徐々に解決するしかないのだが…。 <K.K>
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