「文学横浜の会」

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2023年 7月15日


「軍事費増への流れ」

 一刻も早い停戦を望むが、ウクライナ・ロシア戦争は続くのだろうか。

日本は西側に与しているから、もたらされる情報は米国やイギリス、或いは欧州側の報道機関からのものが主だが、 ウクライナやロシアからの真偽こもごも、情報戦争といわれる渦中に置かれてもいる。 過去の例をみるまでもなく真実は何年後、何十年後に明らかになる。いや真相は藪の中で歴史に埋もれている事も多い。

何れにしても現状をみれば世界はウクライナ側、ロシア側に与する国、それにどちらにも与しない側に大別される。 と言ってもそれらに中でもそれぞれの対応はまちまちだ。

しかし言えることは世界の国々の軍事費増へれの流れは無視できない。 ウクライナ側に与する国々は、弾薬や兵器の形でウクライナ援助を続けて、 世界中の国々が軍事費増の流れの中にあるが、その先に何が待っているのか不気味でもある。 ロシアのウクライナへの武力侵略が早く終わって、何らかの決着がつけばいいのだが、長引けば軍事費増の流れも続くだろう。

それは西側諸国の軍事産業を潤すに違いない。 第二次世界大戦の終了後、長らく平和が続いて、一部の国を除いて、資本主義の世界では軍需産業は縮小傾向にあった。 その中でのロシアの侵略戦争は、資本主義諸国での軍事産業への関心を呼び起こした。 特に兵器はあっても砲弾の備蓄が不足していたり、「いざ必要」となっても急には増産できないという事実も明らかになった。

つまり資本主義の世界では必要がなければ、ニーズがなければ砲弾を作る会社そのものがなくなってしまう。 演習で使うだkれのニーズにあう生産体制になってしまうのは必然だ。 今回のウクライナでの事件はそれらを明らかにした。ウクライナへの砲弾支援で、各国から調達しているのが現状だ。

だけど考えてみればそれだけの砲弾を消費する戦争の下で、多くの人が亡くなり、国土が荒らされているのだ。 それでも戦争を仕掛けなければならなかった動機は一体なんなのか。恐らくそれなりの理由はあるのだろうが、 専制国家元首の思想やメンツだけなのかもしれない。それも理由には違いないが。

さいわい日本は憲法の制約により「殺傷能力のある兵器の援助は無論輸出もできない」との立場を貫いており、 各国もそうした事情は把握して、そうした援助を期待していないが、そうした立場も危うくなっている。 国民を交えた議論なしに、閣議決定とやらで、おかしな理由をつけて「そうした兵器の輸出も可能」との声も聞こえてくる。

閣議決定とやらで国民の意向も聞かず物事が決まっていくが、 先の戦争では軍部の中国大陸での勝手な振舞いで、日本を戦争の渦中に進めたが、その二の舞になりはしないか。 国が大きく動くと、良い方向に向かうのならいいが、一度動くとそれを止めるのは非常に難しい。 だからこそ動く前に国を挙げての検証が必要なのだ。

さてさて、各国での軍事費増はどんな結果になるのだろう。 軍需産業は潤うに違いないないし、ウクライナでの戦争が終結すれば、「よかったよかった」と元に戻るかもしれない。 しかし長引けば、軍需産業は益々設備を増強し、砲弾を作るに違いない。しかしウクライナでの戦争は何時かは収まる。 その後、残った砲弾はどうなる。ロシアのようにシリアやアフリカの紛争地で使われるのかも知れない。

大きな戦争もなく軍事費を割いて、予算を国民のために使う時代はも終わりなのだろうか。

<K.K>


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