「文学横浜の会」

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2024年 1月16日


「自然エネルギー社会へ」

 毎年、今年はどんな年になるのか漠然と考えるのだが、明るい未来が見えないのがなんとも寂しい。

世界に目を向ければ相変わらず軍事力を用いた紛争は止まず、温暖化の影響は地球規模に及び、国連の機能は増々薄らぎ、 新しい秩序の有り方も見出せないでいる。国を守るには何より軍事力を高めるしかないとする国もある。 国を守るとは国民を守る事ではなく、国の体制を守る事だとする指導者もいる。 つまりは自分やそのグループ(或いはイデオロギー)を維持するために軍事力を増強しているのだ。

日本国内をみれば少子高齢化によって、国力の衰退は甚だしく、円高の影響があるにしても国民総生産は今や世界第4位、 このままだといづれインドにも抜かれ、5位になるのもそう遠くないらしい。 それなのに国の借金は増え続け、これから働き手が少なくなると言うのにどう借金を減らすのだろうか。 ひょっとして国は借金を減らす事はもう忘れ、インフレを起こして、 それで借金を清算しようと思っているのかも知れない。

少子高齢化は日本の人口分布を更に偏らす傾向も見せている。 国全体の人口は減っているのに、一部の都市だけが増えて、それだけ他の市町村では人口が急激に減っている。 都内でも地域によっては買い物難民問題も生じている。

このような現象は出生率をみればずっと前から判っていた事なのだが、 結果的になんの対策も立てられなかった政治にも責任の一端はある。 現在の閉塞感にしても、ただデフレからの脱却と、小手先だけの経済政策だったからに違いない。 その間、国の借金だけは巨大になり、株は上昇し貧富の格差を更に広げたが、結局目的は達成できなかった。 デフレからの脱却ができたのはコロナ以後だ。

日本の閉塞感のもう一つの原因としては、産業政策の間違い、そして新しい産業への意欲が減退したからに違いない。

例えば水素発電を国が率先して行う政策を進めれば、それだけで新しい産業が育つ。 日本には水流や海流があり、風力や太陽光もある。地方に行けば小川の流れが幾筋もあり、昔はそこで洗い事をしたり、 水車を回して脱穀などしていた。そこで水車のエネルギーを電気に変えて水素を発生させればいいのだ。 水の流れは24時間休みなく続く。海流も同様にエネルギーに変換できる。

確実に国が水素を購入するなら、技術を改良して、エネルギー効率を高める技術も向上するに違いない。 水素を蓄える技術も必要だろう。 水素エネルギー社会を世界に先駆けて率先して進める政策こそ、日本を活性化させる一つの手段だ。 元々、日本はそうした技術にたけていたのだ。

そうした装置さえあればどんな僻地でも、水素を作り、貯蔵し、必要な時に発電できる。何も電力会社に頼る必要はない。 停電時には水素エンジン車があれば、各家庭での発電も可能だ。 それには産業として成り立つまで国の援助は必要だ。 産業として成り立てば、自然エネルギー立国として装置を輸出できるだろう。

電力会社や組合は反対するだろうが、 そうした未来を描くのが政治なのではないか。

そして今、物価は上昇しているものの、賃金の上昇がそれに追いつけず、今春の賃上げがどうなるかと国民は見守っている。
年金生活者にしても現役世代の賃金が上がらなければ年金は増えない。



<K.K>


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