俎板の上の恋


作  金田清志

 【その3】


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 日出子と付き合い始めたのは三年前だった。その頃は日出子には他にも付き合っている男がいて、別に私が本命という訳ではなかった。それは私も同じで友人の一人といった付き合いだった。その日出子をはっきり意識し始めたのは付き合い始めて一年ぐらい経った頃だった。よく聞く話で、結婚相手とは出会った直後からなんとなく違うと言うが、日出子との関係も後から思えばそんな感じがする。同じ社内にいたとは言え、それまでは話した事もなく、毎年新入社員が何十人もいれば日出子が入社した当時の事は全く判らないが、テニスの合宿に参加したのがきっかけだった。私はテニスなどした事はなかったが、同じ職場の同僚に誘われて、遊びのつもりで参加した。日出子もその合宿に参加していた。

 朝のランニングに始まって、準備運動、ラケットの素振り、と合宿らしいメニューの連続で、一日目で私はもううんざりだった。やっとボールを打たせてもらっても、何処に飛んでいくやら、上手な人を見ていると簡単に打っているのに、自分が打つとボールが何処へいくのか定まらない。一日目の練習で手に豆ができた事を理由に、私は二日目はもう練習はしないと宣言した。同僚はだらしがないと言ってけなし、初回にしては筋がいいからすぐ上手くなると言っておだてたが、もっぱら写真やビデオを撮る役目に徹した。若手の社員だったらそんなわがままは言っていられなかっただろう。ラケットを握っているよりビデオカメラを持っている方が楽しかった。後々その時のビデオに日出子が多く映っていると同僚は言ったが、私にはそんな意識はなかった。ただ賑やかでどんなボールを打ってもはしゃいでいる陽気な女だとの印象だった。誰が撮っても日出子が一番多く写っていただろう。

 その時は意識しているつもりはなかったが、日出子は印象に残る女だった。合宿の常連だと言うが決して上手ではなく、むしろ私と同じ初心者のグループで練習していた。私は途中で練習を放棄してもっぱらカメラを片手に、借りている二面のコートを行き来した。全員を同じように撮ろうと思うのだが、自然女性の多い初心者グループで撮る時間の方が多くなる。友香里も参加していたから、意識して撮った筈だった。むしろ私としては日出子より多く撮ったつもりだった。しかし映写会をした後日、

「日出ちゃんに気があるんでしょ」

 と成瀬友香里に言われた。

 日出子が多く映っていると言うのだ。

「成瀬さんも沢山撮ったじゃないか、」

 と反論したが、日出ちゃんの方が多く映っていたと言う。

 その頃は日出子に心が動いていて、なんとか付き合いたいと思っていた。同じ会社にいてもなんの接点もなかったが、テニスの合宿に参加した事で日出子との取っ掛かりはできた。合宿で特に親しくした訳ではなかったが顔見知りにもなった。

 日出子を意識するようになると不思議に情報が入ってくる。小さな噂も耳にするようになった。誰と歩いていたとか、ハイキングには前沢日出子も参加するとか、誰々は誘ったが振られたとか、真偽こもごも、そうした小さな噂を耳にするようになった。それは私が日出子を意識していたからで、意識していなければ気に掛ける事ではなかった。

 最初に誘ったのは無論私からだ。ひょっとするともう付き合っている男がいて断られるかも知れない、そうした恐れはあったが、いずれにしてもアタックしてみるに限る。休日のドライブに誘った。

 個人的に付き合うようになったのはそれからだ。他に付き合っている男がいるかどうか不安はあったが、それは余り考えなかった。私にしても付き合う女は日出子が初めてではなく、学生時代を含めても二人いた。

 学生時代に親しかった女とは卒業後も暫く連絡を取り合っていたが、だんだん疎遠になった。高島公子と言い、バイト先で知り合った。卒業後はこちらが忙しかったり、向うが忙しくなったりという事もあったが、結果的に縁がなかったのだ。と言えば余りに自分を韜晦するようだが、要するに会社勤めをするようになって多くの人と接するようになり、お互いの見方が変ってしまったのだと思う。在学中から公子は年賀状の代りにクリスマスカードなどを送ってきた。しかし私からは送った事はなかった。決まりきった文面だったが、私にはそういう事が億劫で不精を決めていたのだ。その代わりと言えば安易だが、届くとすぐ電話を掛けたものだ。卒業後もしばらくは届いていたが、いつしか来なくなり、もう今では音信不通。何年か前に結婚したとの噂を耳にした事がある。お祝いを言おうとして昔の電話番号に掛けたら、既にもう繋がらなくなっていた。

 会社勤めをするようになって付き合った女とはまだ年賀状の遣り取りはしているが、出会う事はあっても親密な付き合いはない。村田友紀といい友人の勤めている会社の社員で、飲みに行った時に紹介された。私と三つ違いだから日出子より二つ年上になる。紹介された当時はまだ短大を出たばかりで初々しさがあったが、もう三十近くになる。日出子との結婚が決まってまもなく、友紀から会社に電話が掛かってきた。友人にはまだ正式な招待状を出す前だった。

「お久し振り、お元気」

 名乗らなくとも声で友紀だと判った。

「誰かと思った。本当、暫く振りだね。元気だけど、そっちは」

「私、元気ないわ。福島さん、とっても幸せそうな声をしてるわね。何かいいことあるんでしょ」

「え! そんなことない」

 と言って、友紀が私の結婚の事を知っているのではないかと気付いた。

「嘘でしょ。声が弾んでるわ。いかにも幸せそうな声よ」

「とんでもない。村田さんには振られたし、もう墓場に一歩近づいた感じだな」

「嘘おっしゃい。幸せ一杯じゃないの」

「誰から聴いた」

「私、地獄耳よ。なんでも知ってるわ」

「高橋から聞いたんだろ」

「お目出とう。若い子なんですってね。今どんな気分なの。ただ幸せ、それだけ?」

「とんでもない。君より二つ下かな。今でも逃げ出したい気分だよ」

「どうして」

「色々、大変だから」

「いいわね。私もそういう大変な目に遭いたいわ」

 友紀と親密な関係だったのは付き合い始めて二年程で、その後は細い関係が暫く続いた。同じ会社にいたらそうはいかなかったと思う。何度か結婚の事を考えた事もある。友紀も私に気があるように感じていた。しかしその時の私はまだ真剣に結婚の事は考えていなかった。単なる異性友達としか思っていなかった。二年程親密な付き合いがあって、どちらからという事もなく逢う回数は減ってきた。仕事が忙しくなったり社内にも親しい女友達もできたりして、友紀との間はだんだん遠くなった。友紀にも他に男友達ができたようで二人で逢うことは無くなった。友紀からの電話は本当に久し振りだった。

(続く)

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[「文学横浜」30号に掲載中]

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