俎板の上の恋


作  金田清志

 【その6】


戻る次ぎへ


 日出子から君枝と連絡が取れたと電話があったのは翌日の午後だった。六時半に約束したけどいいかしら、と言った。六時半に逢うには会社を六時前に出なければいけない。仕事が暇という訳ではないが、私は了解した。

 君枝と逢うのは初めてである。写真では一度見ているがどんな女なのかと興味が湧いてくる。日出子が逢わせたいと言うから逢うが、一体どんな話をしたらいいのかと気になる。

 プロポーズする前の日出子と逢う時は、それなりの話題を考えて出掛けたものだ。それが楽しくもあり他の事は何も考えていなかった。結婚が決まってからは逢う楽しみは少しづつなくなった。日出子が嫌いになったと言うのではなく、結婚式という避けて通れない儀式のために、私自身を殺していた結果なのかも知れない。意見を求められれば自分の考えを伝えてはいるが、日出子の考えと一致する事は稀で、それは当たり前なのだが、その度に私は日出子の思うようにさせている。自分の思い通りになったとしても、日出子の事を何も知らなかった頃のような、心のときめきはなくなっていただろう。それも当然な成り行きなのかも知れない。デートを重ねて、セックスもした今、私は日出子を知り尽くしたような気持でいる。

 五時近く、電話が掛かってきた。出ると木戸だった。三時頃に木戸の会社に電話をして、その時は外に出ていて留守だったのだ。

「悪い悪い、今戻ったんだ」と木戸は言った。

「忙しいの?」

「忙しい事は忙しいんだけど、全然儲からなくてね。いい話ねえか」

「そんな話があったらこっちがほしいくらいだ。処で、明日、時間取れないか」

「明日? えーと、大丈夫だと思う」

「それなら、田中や高橋にも連絡して、一度紹介したいんだ」

「誰を?」

「俺のあれだよ」と私はわざと声を殺して言った。

「あれって、あれか?」

「そう」

「よし、判った。お前、もう何はした?」

「何とはなんだ」

「あれに決ってるだろ」

 木戸は日出子ともうセックスしたかと訊いている。昔の仲間と話す時はそんな言い方になる。特に木戸は独身だから、そういう話題を言って、私をからかっている積もりなのだ。

「そんな事はどうでもいいだろ。ノーコメント。場所はいつもの処で、六時半でいいか」

「わかった」

「じゃあな」

 と言って電話を切った。

 日出子の友達と逢うために、会社を出る時間を気にしていると電話があった。仕事の電話で、それに対応して会社を出るのが少し遅れた。私は急いで駅に向かった。場所は二駅目のターミナルビル最上階の喫茶店だった。見晴らしがよく、私も日出子との待ち合せ場所に利用する。日出子も君枝との待ち合せに利用すると言う。

 待ち合せの時間に少し遅れて駅に着いた。ビルに続く改札口を出て、エレベータに乗り、最上階に出た。食事のできる店が何件かあって、目指す喫茶店は一番端にある。日出子の友達とは言え、初対面なので私は少し緊張していた。どんな女なのかと思いながら喫茶店に向かった。

 中に入って見ると、窓側に日出子がいるのが見えた。向い合って女が座っている。顔はよく見えないが君枝なのだろう。二人は話に夢中で私が近づいても気づかない。どう声を掛けようかとおそる恐る近づいた。ふと女が顔を上げて私を見た。私はためらい気味に軽く頭を下げた。日出子が振り向き、

「あら、丁度いい時間ね。すぐ会社から出て来れるか心配だったのよ」

 と言って、私を君枝に紹介した。

「山本君枝です。前沢さんとは学生時代からのお付き合いで、これからも宜しく」

「こっちこそ、宜しく」

 私はそれだけ言って、後はもう言葉がなかった。

「日出子、あなたには出来過ぎた人じゃない。羨ましい」

「何を言ってるの。あなたこそ良いつれあいがいるじゃない。そんな事をいうと罰が当るよ」

「準備の方は進んでるんでしょ。忙しいのよね。なんだかんだと。仲人は誰に頼んだの」

「会社の部長さんに頼んだの。他の人も考えたんだけど会社に勤めていると、結局そうなちゃうのよね」

「誰だっていいのよ。頼める人なら」

 君枝は日出子と話しているのだが、時折私の方にも顔を向ける。日出子の隣に座った私はコーヒーを頼んで深く腰掛け、ブスッとした顔をしている訳にもいかず、かと言ってにやけた表情をする訳にもいかない。前を見れば君枝がいるのだが、そちらばかりを見ている訳にもいかず、窓外ばかりを見ている訳にもいかず、何処を見ていいやら視線が定まらなかった。

「日出子、あなたどうして会社を辞めたの。もったいないわよ」

「だって結婚してからも同じ会社に居るのってやじゃない。ねぇ」

 と私に相槌を求めた。私は頷いた。

「うちの会社では、社内結婚でそのまま残るのは難しいのよ。君枝だって社内結婚じゃないじゃない」

「そうね、そういう職場ってまだ多いのかもね」

「あなた、子供は?」と日出子。

「まだよ」

「もうそろそろ考えてもいいんじゃない」

「そうね、頑張ってみるわ」

「気合いが足りないんじゃない」

 二人はふふふと笑った。私が居なければどんな話になるのだろう。私は何か言葉をはさもうとして、また視線をあらぬ方向に向けた。

「福島さん、出身はどちらですか?」と君枝が訊いた。

「愛知の豊橋です」と私。

「豊川神社に行った事があるわ。お参りはそちらへ行くんですか」

「そうですね。でもちょっと離れてるからそんなに行きません」

「豊橋なら近いからいいわね。うちなんか九州よ。往復するだけでも大変」

「九州の何処ですか」と私。

「二人とも九州なのよ」と日出子が言った。

「旦那が宮崎で、私は福岡でしょ。同じ九州といっても移動するの大変よ。まだ子供がいないからいいけど、子供が出来たら行くの考えるだけで大変」と君枝が言った。

「それで子供を生まない訳じゃないでしょ」

「あなた何を言うの。子供は神様からの授かりものよ。日出子だって結婚すれば判るわ。そんなプレッシャーはお互いよそう」

「そんな風に思うのはまだ早いわよ。あなた結婚してまだ二年でしょ」

 二人の話は続いて、学生時代からの付き合いだから話題は尽きない。日出子は私に気を使うのか、話し中に時折相槌を求めたり私にもたれ掛かってくる。それを見て君枝が、

「私の前でそんなにいちゃいちゃしないでよ」と言う。

 私は照れ臭くなり苦笑いするが、日出子はそう言われる事に喜びを感じているようだ。私と二人でいる時とは別人のように、私に甘えるように躰を密着させてくる。それがいやな訳ではなく、むしろ心地よいのだが、私はただにこやかに、自分を殺して黙っていた。日出子は友人を意識してなのか、私との関係をわざと見せつけるような素振りをする。結婚式を目前にした女は皆そんな風になるのだろうか。私は不快に思っているのではなく、むしろ心地よく幸せな気分に浸れるのだが、なんとなくしっくりしない気持もある。

「日出子、あなた、いい人にめぐり会えたね」と君枝が言った。

「そうかしら」

 と一層私に躰を預けて日出子が応えた。私は嬉しいような照れ臭いような、なんとも恥ずかしい気持だった。この女の気をひかせるためにどんなに時間とお金を使ったか。それもこの為だったのかと思うと、違うように思う。これから毎日この女と一緒に生活すれば、ますます私との違いが出てくるだろう。この女と一緒にやっていけるだろうかと、ふと不安になる。この期に及んでなんとも情けないが、私の偽らざる心境だった。

 山本君枝の亭主が来たのは七時過ぎだった。私はそんな事は聞いていなかったので男が近づいてきて、いきなり君枝の隣に座った時は少し驚いた。

「ご免、遅くなって」と山本は言った。

「紹介するわ。私のつれあい、主人です」と君枝が言った。

「この方が日出子のフィアンセ、福島さん」

「どうも」と私。

「初めまして、」と山本。

 山本は君枝と同じ年齢だと聞いているから私より年下の筈だった。どんな仕事をしているのか知らないが、社交性のある男には思えない。女房に言われたから出てきたのに違いない。日出子は山本とは顔見知りで、お久し振りです、何時も君枝を連れ出して御免なさい、などと言った。

 女同士で話は弾んで、私と山本は時折話に加わる以外は黙って座っていた。不快な表情も出来ず、かと言って愛想笑いも不自然で、私はぎこちなく座っていた。これから四人で食事、なんていう事になったらやだなと思っていたら、案の定そう言う事になった。場所は二人の会話からこの近くの中華料理店に決まったようだ。山本も私もそこでいいかと訊かれて、何処でもいいと応えた。

 食事を終えて山本夫婦と別れたのは九時半過ぎだった。食事をしながら山本とも話しはしたが、別れた時はほっとした。日出子と一緒になればこれからもこういう機会は多くなるだろう。山本とも打ち解けた会話が出来るようになるだろうか。

(続く)

俎板の上の恋( 戻る次ぎへ
[「文学横浜」30号に掲載中]

ご感想・ご意見など、E-mailはこちらへ。

禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2000 文学横浜