曲がり屋のある家


作  こいけ 志穂

 【その5】


戻る


 曲がり屋の家の解体工事が始まると、繭子は三カ月ぶりに滋賀に戻った。田辺に挨拶をし、工房の借り手をお願いして十日ほどで会津に戻った。その間、真彦からの連絡はなかった。これでいいのだと自分に言い聞かせながら、十五年いた滋賀に別れを告げた。

 工房が完成したのは、父が亡くなって、半年経った秋も終わりの頃だった。瓦礫の下から当時の生活を感じさせるものは、何も出てこなかった。それがかえって繭子を安心させた。数日後、繭子は檀家になっている寺を訪ね、墓の相談をした。住職は自ら立ち合い、墓を掘る作業も快く引き受けてくれた。

「しかしおかしいですな。分骨はしていないですよ。三十年も前のこととなると、前住職の時ですが、過去帳にも記載されていませんから、そのような事実はないですね。ただ形見の品だけでしたら、寺が立ち会わないでやれないこともないですが、お父さんはその方法を取られたのではないですか」

 住職の言葉に、繭子は我が耳を疑った。分骨はしていなかった。となると、墓の中にはいったい何が埋葬されてあるのか。幸恵が言うように憎しみに代わるもの、とてつもなく恐ろしいものなのか。姉妹にもそして叔父夫婦にも内緒で、父はどんな恐ろしいことを考えていたのだろう。繭子は抱え切れない恐怖に、すぐに幸恵に連絡をしたのだった。

 ゆきん子が舞い落ちる初冬の頃、住職の念仏を唱える声を聞きながら、姉妹は土を掘る鍬の先を見ていた。何が出てきても驚くまいと、無意識のうちに姉妹は手を取り合った。幸恵の蒼白なまでの顔。けれど微かに感じる手の温もり。腹の底まで凍りつくほど長く感じられた時間。けれどほんの数分のことだったのかも知れない。鍬の先端が鈍い音を出した。住職が取り出したのは、小さな木の箱であった。箱の表面は土で汚れてはいたが、形はしっかりしていた。住職が土を手で払いのけると、蓋の部分に村井と焼印が見え、箱は紐のようなもので結ばれてあった。

「やはり骨壺が入っているのでしょうか」

 幸恵の問いかけに、住職は首を横に振った。

「前住職にも確かめましたが、そういう事実はないのです。とにかく開けてみましょう」

 住職は箱を丁寧に土の上に置くと、固く結ばれた紐をといた。長い間結ばれていた紐は、とかれても元に戻らず、地面の上でどくろを巻いているようであった。蓋を取ると、鮮やかな紫のふくさが見えた。住職はそれを箱の上に置き、念仏を唱えながら広げていった。ふくさの中から姿を表わしたのは、意外にも抹茶椀だった。繭子は宝物でも拾うように、優しく茶碗を手にした。長い間、研究してきたものの出せなかった紅色が、こうして彼女の手の中にある。土の中に眠っていたとは思えないほど、深みのある紅色は、少しも色褪せてはいなかった。捜していたものが、やっと見つかった心境だった。ひんやりとした感触の底に、1960と記され、母の名が彫られてあった。

 母の亡くなった年に、村井が母を偲んで造ったのは間違いない。そして村井の死後、父は東京へ行き、村井の家族から形見として抹茶椀を受け取りここに埋葬した。しかし墓はもっと前からここにあったはずである。となると、父は母の何を葬ったのだろうか。その時だった。

「帯のようですね」

 住職は黒地に金の刺繍を施した布を手にしていた。先のほうの切れ端は土に還ってしまったのか、原形を留めてはいない。所々に黒い染みのようなものが見え、帯を包んでいた和紙のようである。住職が持ち上げると、それは枯れ葉のように地面に落ちた。

 繭子はまだ夢を見ているようだった。村井の死後二十年目に、村井と繭子の接点が、あの日、あの駅にあったのだった。父は、繭子を導き、故郷の駅に立たせた。村井のポスターに目を向けさせ、幸恵の声を借りて、墓を一つにしてほしいと言った。背中合わせの墓は、父なりの最大の愛情表現のように思える。そうでなければ、村井の形見の品を妻の墓に埋葬するであろうか。

 繭子の心に安堵の色が広がっていった。幸恵も同じだろうと思う。こうして掘り出されたものは、同じ場所に戻されたのだった。墓の文字は、その後住職によって書き替えられた。

 幸恵の援助を受けながら、父の一周忌を過ぎた頃から、本格的に作業を開始した。秋の日差しが、並んだ陶器に光と影を作っている。窓に寄り添うように、ざくろの実が垂れ下がっている。その先に家族の碑と書かれた墓が、ひっそりと佇んでいるのが見えた。風の囁きが時として、母と村井が曲がり屋の家で暮らしていた頃の、楽しかった思い出を語らっているように聞こえることがある。今日もたくさんの小菊が風に揺れている。

おわり

曲がり屋のある家( 戻る
[「文学横浜」30号に掲載中]

ご感想・ご意見など、E-mailはこちらへ。

禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2000 文学横浜