絵コンテ


作  上村浬慧

 【その4】


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不思議な世界

 きれいな色…。親指の周りに隙間を作ってぶかぶかと泳いでいる指輪の石を見つめて憧子は思った。この石は、今朝母さまが見せてくださった宝石箱の中でとりわけ光っていた。貸してとおねだりしたら、母さまはにっこり頷かれて憧子の指にはめてくださった。憧子の指はまだ細くどの指にも合わなかった。いちばん太い親指になんとかおさまった指輪である。

「エメラルドっていうのよ、。きれいでしょう。今日いちにち憧 子さんに貸してあげるわ。お日さまに向けてごらんなさい。不思議な世界が見つかるかもしれないわよ。」

母さまのおっしゃることはいつも憧子をどきどきする世界に連れて行ってくれる。今日もきっと何かが起きる。桜の並木に行ってみよう。そこでこの指輪をお日さまにかざしてみよう。憧子は川原に向かって走った。親指に当たる金属の固さが体中に伝わり、ぞくぞくしながら走った。

*

 土手に沿った桜並木は満開。山の端に向かう大輪の日が川面に長く光を伸ばし、辺り一帯は淡い紫桃色のかすみがかかって見える。憧子はかすみを切って射してくる光に向かってぐんと指を突き出した。グリーンの石はお日さまにかざすときらきら光った。夕陽の茜色と石の澄んだグリーンとがまじりあって見たことのない不思議な色を作り出している。朝よりも透き通って輝く石の中には薄桃色の桜。桜の花が一杯。グリーンに縁どられた数えきれない窓から桜の花が溢れてくる。白く、紅く、体を動かすとそれにつれて変化する色が面白い。世界中が桜の花で埋まってしまったみたい。指輪をちょっと動かすだけで次々に変わる石の中の世界。夕陽と石と桜。茜色とグリーンと薄桃色。母さまのおっしゃった不思議な世界ってこれなのね。憧子は夢中でグリーンの石を覗き続けた。

*

 スキップしながら帰る憧子の胸は弾んでいた。母さまに話したいことが山ほどあった。グリーンの石の中に見えた桜の花がすてきだったことをどう母さまに伝えたら良いのか、体中が熱く、吐く息が苦しかった。思いっきり踏むスキップは右に左に大きく揺れた。

「母さま! 母さま、どこ! お花がきれい! 石の中のお花が、  とっても、とってもきれいだったの! 母さまのおっしゃった 世界が見えたの! ほんとに見えたの!」

母さまの胸に飛びつき、差し出した憧子の指にグリーンの石がなかった。弾んでいた気持がいっぺんにどこかに吹き飛んでしまった。真っ青になって泣き出した憧子を抱きしめ、母さまは黙って憧子の髪を撫でた。母さまの手と胸がとても温かかった。母さまの胸の音がどっどどっどと伝わって来た。

「憧子さん、不思議な世界が見つかったの? 何が見えたの?  母さまに教えて。憧子さんが見つけた不思議な世界を母さまにお話して…。」

「でも、指輪が、指輪が、…母さまごめんなさい。」

「憧子さん、大きく息を吐いて…。そうしたら、母さまの言うことを良く聞いて! 憧子さんは指輪をなくそうと思ってなくしたわけじゃないのよね。母さまにはそれが良く分かるわ。だから良いのよ。これから一緒に探しに行きましょう。その前に憧子さんの見てきたことをお話してちょうだい。指輪を探しに行くのはその後にしましょう。ただひとつだけ、憧子さんにわかってほしいことがあるの。それはね、大切なものは気をつけていなければいけないということ。そのこと、きっとお勉強してね。」 

 透き通る深いグリーンの中に見た桜の花に包まれ、憧子は母さまの胸に体をうずめた。思いっきり吐き出した涙まじりの息が、母さまの胸の中に吸い込まれて行った。

(了)

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[「文学横浜」29号に掲載中]

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