セピア色の絵コンテ


作  上村浬慧

 【その3】


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紙芝居

 とっこちゃんの家は魚屋さん。小父さんも小母さんも威勢がいい。憧子が遊びに行くと、

「ようォ! きたな!」

 と、ゴツンと憧子の頭を叩く。憧子がどんな家の子かなんてまるで気にしない。いつも魚を扱う手は、生臭いのにとても温かい。とっこちゃんも学校にいる時とはまるで違った顔をしている。とっこちゃんは元気いっぱい。憧子の手をしっかり握って遊びに誘う。

 その日、いつものように憧子はとっこちゃんの家に遊びに行っていた。通りの向こうから太鼓の音がして、とっこちゃんが急に駆け出した。

「かあちゃん、紙芝居だよ。十円! 十円!」

 とっこちゃんが叫んだ。

「はいよ、ほれ!」

 と、小母さんが十円硬貨をとっこちゃんの手に握らせた。とっこちゃんはそれを握るやいなや、ものすごい勢いで駆け出した。何が起こっているのか分からないまま、憧子もとっこちゃんの後を追い走り出した。後ろで小母さんの叫ぶ声がする。

「憧子ちゃん、十円、十円!」

 憧子は、小母さんの言っていることの意味が分からなかったし、とっこちゃんを追うのに精一杯だった。だから小母さんを振り返ることもせずに必死で走った。

*

 とっこちゃんは半鐘櫓の所まで一気に駆けた。櫓の下に鉢巻をした小父さんがにこにこして立っていた。小父さんの傍に四角い箱を積んだ自転車があった。

「始めるよ。飴は十円だよ。いいかい。」

 小父さんは集まった子どもたちから、飴と交換で十円を受け取って行く。憧子の前に小父さんが来た。憧子の手には何もない。

「十円持ってないの?」

 憧子は俯いた。子どもがお金を持つなんて、大人のいない所でかってにおやつを買うなんて、憧子には経験のないことだった。

「まあいいさ。十円持ってないんなら一番後ろで見たらいい。いいよ、いいよ。」

 小父さんは憧子の頭をゴリゴリっと撫でた。子どもたちが好奇の目で憧子を見る。

「はい、始めるよ。さあて、可哀相な正ちゃんはどうなったかな。」

 小父さんが子どもたちの注目をそらすように、自転車に積んである箱の蓋を開けた。

 子どもたちは飴をほうばり、軽妙な小父さんの語り口に引き込まれていく。

 憧子の知らない世界だった。小父さんの語りは調子よく、興奮を誘った。画面の変わるのが待ち遠しかった。飴を貰えなかったことも、一番後ろでしか見れないことも、全然気にならなかった。紙芝居の世界は、絵本や少年少女文学全集を読んでいる時の世界とは違っていた。小父さんの声が、憧子の耳の後ろから、頭のてっぺんから、そして足元から、笑ったり、泣いたり、叫んだり、うめいたり、時には噛みつくような大きな声で憧子を襲った。憧子がはらはらする瞬間、決まってドドン! と太鼓の音が鳴った。

「どこの子。見かけない子だね。まあいいよ。明日もおいで。一週間はここに来るから。お金を持ってなくてもいいよ。お前は変な子だな。紙芝居は初めてなのかい。」

子どもたちが去った後、紙芝居の箱を見つめて、憧子がひとり残っていた。小父さんは、箱にヒモをかけながら、何度も憧子を振り向いた。

 

「しょうこちゃあん! はやくおいでよ。さっきのつづきやろうよう。」

 遠くで、とっこちゃんの声が風に揺れていた。

(続く)

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[「文学横浜」30号に掲載中]

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