「文学横浜の会」

 上村浬慧の旅行記
「Bruges(ブルージュ)は中世の街」


ABrussels … 中世と現代の共存する街

2001年10月16日


@Time Trip したのはテロ事件の起きた日…

 日本時間10月8日真夜中、1時半、連休の娯楽番組放映中のTVに、「アメリカ、タリバンに向けて報復攻撃開始」のフラップが流れた。あの悲惨な事件からもうひと月、これ以外に解決の方法は本当になかったのだろうかと思う。そして、あの事件の起きた時、わたしは中世の街にtime tripしていたことを思うと、なんとも不思議な気持になった。

 ひと月前の9月11日、夫の仕事に同行し、London経由でBrussels(ブリュッセル)へ向かう予定だった。N.Y. -World Trade Center Build.がテロの襲撃を受けるなどとは思いもせず、大型台風襲来の予報に飛行機が飛ぶかどうかと気を揉みながら成田に向かったのだった。

 爆破事件のあったあの夜、わたしたちはBrussels(ブリュッセル)のホテルに着いた。TVのスウィッチをいれた途端、飛び込んできた画像に釘付けになった。それは、Belgium(ベルギー)に着くまで、乗り継ぎが異常だったことの謎が解けた瞬間でもあった。映像にみる悲惨さに旅の疲れなどどこかへ吹き飛んでしまった。いつもならホテルに着くとすぐにわたしは荷解きをする。夫は仮眠…というのが定番なのだが、この夜ばかりは着替えもせず、ふたりともそれぞれのベッドに背を持たせかけ、TVの画面に見入ってしまった。

 TVはチャンネルが30もあった。ところがどこを回しても言葉が分からない。Belgium はフランス語圏なのだ。国民の8割がフランス語で会話し、2割がオランダ語と地元の言葉を使って話すのだという。フランス語の分からないわたしには、CNNのライヴだけが少し内容の理解できる放送だった。

 爆破事件の生々しい映像を見ながら…不謹慎だったかもしれないが…次の日からの夫の仕事はどうなるのだろうと思ったのは確かだった。 

 6,000人以上もの犠牲者を出したテロ事件の悲惨さを憂うと同時に、それとはあまりにかけはなれた穏やかな数日の思い出に、心の潤いが戻ってくるのに戸惑いながら、現代と中世との狭間に引き込まれていくような複雑な気持にもなってくる。

 ハプニングのスタート・・台風15号と空路交通規制

 8日ごろから台風がダブル接近。太平洋沖から関東に向かってくる15号と、沖縄海域から本州に向かっている16号。どちらも930ヘクトパスカル以上もある大型台風だという。しかも進度が遅い上に関東地方上陸の恐れが大きいとの予報。9日に時速15キロだったものが10日には10キロに速度ダウンしたという。これでは出発の時刻はまさに台風と鉢合わせかな、と怖れていたとおりになってしまった。

 11日、明け方から雨は小降りになって、前の日に吹き荒れた風も少し収まっていた。むんむんする湿っ気を含んだ高い気温ではあるが、これくらいなら飛行機も飛ぶだろう、とa.m.7:26 横浜発の成田エクスプレスに乗るまでは順調だった。川崎辺りを通過する頃、突然車内アナンス。

「台風15号の影響で千葉県佐倉の付近で倒木。列車がそれにぶつかり、レールも破損。成田へ向かう方は、上野もしくは日暮里で京成線のライナーに乗り換えてください」

「あァァ、出だしからこれでは」と先が思い遣られた。大きなバッグをごろごろ引きながら、東京駅で山の手線に、さらに日暮里で京成線に乗り換えて佐倉まで辿りついた。そこからは後続の特急に乗り継いで、成田へ着いたのは予定を45分以上も過ぎていた。

 空港で搭乗手続きを済ませるともう10時10分。10時50分搭乗開始だというのだから、ベルギーフランに換金するのがやっとの時間しかない。国際線では、搭乗2時間前までに空港に着いている事。そして、速やかに搭乗手続きを済ませるというルールであるのもなぜか妙に納得できた。

 機内の整備や、遅れてくる搭乗客を待っていたりで、約40分遅れの12時ちょうどに飛行機は飛び立った。飛び立つとすぐに機内放送。なんと、乗った飛行機は、途中まで台風15号と一緒に雲の中を飛行して行くのだと言う。揺れがかなりあるので、トイレ等の用事以外はシートベルトを必ず着用していてくださいと言う。確かに機体の揺れは大きい。おまけに視界は雲に遮られて、出発を見送ってくれるはずの富士のお山もまったくみえなかった。その上、朝からのハプニングで気分はすっかり萎えていた。今回はビジネスクラスのゆったりシートに座れたせいか、席に着くとあっという間に睡魔の虜になってしまった。

 少しうとうとしていたのだろうか、機長のアナンスで目が覚めた。座席の前にあるモニターを見るとKhabarovsk(ハバロフスク)に向かってシベリア大陸を左に旋廻しているようす。

「しばらく揺れるのでシートベルトを確認してください」

との指示。トイレの使用もしばらく控えるようにと言う。機長みずからの指示だなんて、少し不安になってくる。約20分間、ぐらーり,グラーリ。胸の底をえぐられるみたいにむかむかする気分が続いた。眼下はまだ9月だというのにもう雪に覆われている。

 少し揺れが収まった頃、前菜と飲み物が配られた。赤ワインを頼む。有機栽培葡萄を使ったワインだという。日本の航空会社では始めてとのこと。甘酸っぱい味がした。

 機内食についていつも思うことがある。飛行機に乗った客は、長時間狭いシートだけがプライベートな場所で、家にいる時のように自由に動くことが出来ない。そんな乗客に対するサーヴィスなのだろうが、とにかく頻繁に食のサーヴィスがある。まるで運動らしい運動もしないのだからさほど空腹も覚えないのに、勧められるとつい食べたり飲んだりしてしまう。そうした後、なんだか食用に飼われている豚か牛になった気がしてくる。

 とはいえ機内食はやはり魅力がある。長時間、なにも口に入れずにいたら、疲れもきっと数倍だろうと思うからだ。

機内食 その120Kバイト その235Kバイト その327Kバイト

  

 今回のビジネスクラスの和食は、ちょっとしたもんだった。器も味も種類も、エコノミークラスとはかなり違うなとも思った。

 そんなばかなことをつらつらと思っていると、またシートベルト確認の指示。

 とにかく、間を置かずシートベルト着用といわれ、何とはなしにいつもより緊張する飛行だった。

 11時間25分の飛行予定時間を10分ほど遅れて、現地時間11日の15時55分、Londonのヒースロー空港に着いた。空港が近付いてくると、雲の切れ目にテームズ川やロンドン塔、ビッグベンが箱庭のようにみえてきた。思わずカメラのシャッターを切ると、スチュワーデスのひとりが飛んで来た。

「写真は撮らないでください」 とするどい声で言う。ビクッとして夫を見ると、彼も首を傾げた。

「変だな。こんなこと今までなかったな」

そうね、と大きく頷き、慌ててカメラをしまった。   

 ヒースロー空港からBritish Midland社の飛行機に乗り換えBrusselsへ行く予定だった。出発は18時20分。ところが待てど暮らせど出発の案内サインが出ない。

 霧と闇が迫ってくる空港は侘しい。ぼんやりと滑走路をみていると、飛び立って行く飛行機は殆どない。どの飛行機も、広い滑走路をゆっくり場所を変えているだけなのだ。

Airplane24Kバイト

  

この時はまだ、事件の起きたことなどわたしたちには分からなかった。

 出発時刻の18時20分になって出た表示が go to gate 14 「14番ゲートへ行け」だった。14番ゲートで搭乗手続きを済ませても、待たされることさらに40分。wait in lounge「ラウンジで待て」という表示が点いたままだった。夫が会員になっているstar arianceラウンジへ移る。温かい部屋、座りごこちのいいソファ、そして軽食バー。待たされているのでなかったら贅沢な気分になれたかもしれない。

 いつGoサインが出るかもしれないのだ。荷物を開けるわけにもいかず、何度も見上げたLoungeの電光掲示モニターにはde-laterが表示されているだけ。

「The flight will be delayed.
Wait in lounge.
Due to the traffic restriction, ……」

 Lounge でイラン人らしい人がしきりに携帯で話していた。大事な仕事に遅れそうなのかなと、その緊張した顔の彼に同情しながら、ソファーに体を沈めて待ち続けた。

 やっとGoサインが出て、待ち草臥れた乗客が慌しく搭乗したのに、また待たされ,1時間50分遅れでどうにか飛行機はヒースローを飛び立った。1時間の飛行時間を10分繰り上げ、50分の飛行時間でBrusselsに着いた。しかしブリュッセル時間で午後の8時に着く予定が、もう10時だった。電車に乗るのも嫌になっていたわたしたちは、高くつくけれどTaxiでホテルに向かうことにした。

 10分ほどで1,385 BF(ベルギーフラン)。日本円にすると5,000円くらい。わたしたちを乗せてくれたTaxi の運転手は20代そこそこの青年。Brusselsの繁華街には詳しくないようで、なんども首を傾げたり、渡した地図を確かめたり、落ち着きがなかった。そのくせ、客を乗せているにもかかわらず携帯会話でなんだか鼻の下を長くしている。きっと相手はガールフレンドなのだろう。日本だったらきっと白い目で見られるのかもしれないが、わたしには微笑ましく思えた。ホテルに着いて、彼が荷物をフロントまで運んでくれた。チップは必要がない国だと聞いてはいたのだが、深夜ではあるし、夫が、釣りは要らないと言うと最敬礼をして帰っていった。

 乗り継ぎに時間が掛かったわけが分かったのは宿に着いてから。

その日・9月11日 アメリカN.Y.でテロ集団による飛行機ハイジャック・世界貿易センタービル破壊事件が起きたのだった。そのせいで、空路も交通規制が発令されていたのだ。

 台風ではらはらし、乗り継ぎでさんざん待たされて、なんとも疲れるスタートだった。

(Lie)


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