「文学横浜の会」

 上村浬慧の旅行記「Bruges(ブルージュ)は中世の街」


@Time Trip したのはテロ事件の起きた日

2001年12月末


ABrussels … 中世と現代の共存する街

 一夜明けて…窓の外は今にも降り出しそうな空模様。 
雨が少ないと聞いていたベルギーの空が、テロ事件の惨劇を嘆くように重苦しい。

 夫の仕事は予定通りなのだろうかと心配だったが、それを口にするのも憚られる。夫の方がわたしより気になっているに違いないのだ。成り行きに任せるしかない。帰国するまで事件のことにはいっさい触れずにおこうと決めた。

 この朝は、前夜遅かったせいで大分寝過ごし、大慌てでG階へ向かう。これまで、海外のホテルではG階か1階が朝食の場所だった。今度もそうだろうとサーヴィス案内も見ずに勝手に思い込んでいた。ところがこのホテルは最上の9階が朝食ラウンジ。エレベーターで逆戻りしなければならなかった。

 ラウンジの大きな窓の外に、三角屋根の中世建築と四角い近代建築のビルが入り混じって連なっている。ところどころに煙突や教会の塔が飛び出してみえた。

 どんよりした空の下に連なる屋根の上を、カラスがゆっくり飛びかっている。レンガ色の三角屋根を、器用にスキップしながら仲間に合図を送っていた一羽のカラスが、窓際近くまで寄ってきた。左右に首を傾げラウンジの中を覗きこむ。黒々と光る羽に包まれたまん丸な目がとてもかわいい。

 最近、日本の都心部ではカラスの弊害が取り沙汰されるようになって久しい。それに対する策も、心痛むほど残虐に思えるものさえある。ここのカラスはそんなことには縁がなさそうだ。目が合ったカラスに にこっとしてみせると、彼は(?)頭をまっすぐにして、胸を大きく上下させ コクンとひとお辞儀、三角屋根の方に戻っていった。警戒心などない。のんびりと平和そうだ。チムチムリーのメロディーも、きっとこんな三角屋根とカラスと煙突のみえる眺めの中から生まれたのだろう。そして、それは そう遠くない過去…まだ人と野生の生き物が親しくかかわりあえていた頃のことだったのだろう。

 朝食の後、部屋に戻っても夫はTVの報道に釘付け。とにかく今日中にBruges に行かなければならない。行ってみるしかないのだが、Bruges には夕方まで着けばよかった。夫の浮かぬ顔色を覗いながら誘ってみる。    
「小便小僧をみに行きたいな」
「通りの角にあるだけだよ。注意してなきゃ気付かないくらい小さいのに、なぜみんな大騒ぎするのかわからないね」
 不機嫌そうな答え。
「でも、小便小僧はブリュッセルが本家だって…」
「そのとおりだよ。…このまま時間までホテルで過ごそうと思ったけれど、あなたがどうしても見たいと言うなら行ってもいい。まあ、小便小僧よりグランプラスの方が一見の価値があると思うけどね」

 ホラのってきた。Huu… これでOK。うじうじホテルにいるよりは外に出た方が息の詰まる時間から解放される。正直そう思っていた。

 夫の気が変わらないうちにホテルをチェックアウトして、フロントに荷物を預け通りに出る。大きなホテルの多いアドルフ・マックス通りは車の量が多く、豪奢なホテルの間に近代的な店が混じっている。日本とあまり変わらない。

アドルフ・マックス(ホテル)通り 58Kバイト

 Grand-Place(グランプラス)は12〜14世紀にかけて、ブラバン公爵の統治の下、商業都市として栄えたBrusselsの中心にある広場で、ヨーロッパの歴史を肌で感じることが出来る、と、夫が勧めるそこへ行ってみることにした。

 ホテルを出るとまもなく証券取引所の見事な柱が目についた。ロダンの彫刻が随所にあるらしいのだが、予約制で十人以上でないと中は見学できない。何本もある堂々とした柱を外から眺めるだけで左の小路へと曲がる。

 小路の左側には小さなプディックや土産物店が並び、人の通りも多い。あるプディックの前に、狭い通りを塞いで屋台風の券売車が出ていた。この券売車はうっかり利用しない方がいいらしい。ツアーガイドの斡旋や観光施設の入館券などを、かなり高い値段で買わされた人もいるとか。いわゆるダフ屋のようなものかもしれない。

 そんな通りを、証券取引所の建物が切れるところまで歩くと、四つ角の筋向いに小さな寺院があった。どっしりした証券取引所や通りの煩雑さとは対照的にそそとしたたずまい。こんな小さな寺院がなぜこんな街中に…と不思議に思いつつ、惹かれるように中に入ってしまった。

 聖ニコラス寺院という。この界隈では最も古いのだそうだ。通りの賑わいから隔離された堂内は荘厳なまでに静かで、木漏れ日を透すステンドグラスが体の奥底に沁みてくるような光りを放っている。ベルギー最初の日にこの寺院に魅せられたのが、なんだかとても嬉しかった。

 聖ニコラス寺院でおだやかな朝を取り戻し、再び通りに出る。ほどなく細い道のつきあたりに石畳が広がっていた。まるで別世界。これが中世の市場の姿を今に残す広場なのか…と息を呑む。

 まず目に飛び込んできたのが市庁舎の建物。15世紀に造られたフランポワイヤン・ゴシック様式の建物で、唯一スペインの侵攻による破壊を免れ、建設当時のままで残っている建物。建築様式のことなどまったく分からないが、ただただ美しいと思う。壮麗な塔の頂上には大天使ミカエルが立っていた。この天使が、何世紀にも渡ってベルギーを守り続けているのだ。

 市庁舎の東側の筋向いに星の家(フランドル伯邸)があり、その入り口の壁にはセルクラエスの像(等身大より少し大きい)が横たわっている。1356年 Brusselsの平和のために、嵐の夜この家の屋根によじのぼり、王位を狙っていたフランドル一族の旗を、正当な王位継承者ブラバンの旗に取り替えるという偉業をなして、彼は劇的な勝利の立役者になったのだという。触れると幸福になれるという像の右腕は、幾人の手が触れたのであろうか、神秘なまでに深く光っていた。その腕に手を乗せた時、わたしは、倖せを願うというより、中世に造られた像に直かに触れているという感動で体が震えた。

セルクラエス像 44Kバイト

 縦110m 横70m の石畳を囲んで、市庁舎、ギルドハウス、ブラバン公爵邸(貴族の館)、王の家などが並んでいる。王の家といっても王が住んだことはなく、現在は市立博物館となっている。ユーゴーやコクトーが絶賛したというが、まさに広場を囲んでそそり立つゴシック建築の林。中世時代、ヨーロッパ交通の要衝として栄えた都市の姿が、そのままこのグランプラスに残っている。時間があれば、中世そのままのこの広場にたっぷり浸っていれるのに、と残念だった。

プラバン公爵邸 29Kバイト 王の家(市立博物館) 33Kバイト

 広場の中央に立っていると、17世紀 スペイン侵攻の際 ほとんどが破壊され、数年後には再建を果たしたというギルドの底力が地面の底から伝わってくる。天に向かってそびえるゴシックの建物群に、金縛りにあったように呆然と見とれてしまった。

 広場は、観光客だけではなく土地の人たちにとっても憩いの場になっているらしく、平日だというのに、市庁舎の前の石段に腰を下ろし、何をするでもなく時を過ごしている人たちがいた。仕事や対人関係にあくせくして、時間に追われて過ごしている日本人のことを思うと、まったく羨ましい光景だった。

広場で寛ぐ人々 42Kバイト

 広場の東側、17世紀にギルドハウスとして造られたブラバン公爵邸は、広場に面して入り口が沢山あり、まるで江戸時代の長屋をゴージャスにした感じだ。建物の正面はコロサルという建築様式。入り口にある金の装飾は重厚で、それぞれ、財布、丘、錫の壷、風車、財産、隠者、といった軒名を持っている。現在は銀行やレストラン、カフェ、ホテルなどになっていて、その前にテラスハウスがズラーっと並んでいた。だが、あいにくの小雨模様で、殆どの店は傘をたたんでいた。

 それでも、僅かに傘を広げたテラスハウスの椅子にかけコーヒーを飲んでいる人がいる。膝が濡れることなど一向に気にしていない寛いだ表情が印象的だった。

テラスハウス 42Kバイト

 まだ9月だというのに、陽の出ていない時のBrusselsの風は冷たい。中世の建築に圧倒されているせいもあるのだろうが、頬がぴりぴりしてくるようだった。そんな冷たい風の中で、石畳にキャンバスを並べ、デッサンしている絵描きがいた。日本の繁華街でも、路上にキャンバスを並べて売っている絵描きをよく目にする。しかしこの広場の絵描きには、日本のように客を呼び込むようすはまるでない。ただひたすら周りの建物をデッサンしている。しばらくそばでみていたが、彼はいちども振り向かなかった。

 有名な花市は月曜を除いて毎日開かれているというが、この時は僅かしか出ていなかった。それでも、その美しさは何ともいえない。

 隔年の夏、広場一帯が花で埋められ、フラワーカーペットが開催されるのそうだ。荘厳なゴシックの谷間に花の絨毯…、その時はさぞ見事なのだろう。   

石畳の花市 53Kバイト

 グランプラスからは四方に細い道が延びている。
広場で中世にタイムスリップした後、市庁舎とセルクラエスの像の間、ビール博物館の横の道を小便小僧(Petit Julien)へと向かう。

 この小便小僧、街角にある身長70cmの小さな像。1619年の作で、Brusselsの最高齢市民なのだそうだ。その起源にはいろいろな説があるらしい。8世紀 子どもの出来なかった司祭夫婦が神に祈って 男の子が授かったにもかかわらず不倫をしてしまった。そのため罰として、その子は永久におしっこをすることになった…とか。像の愛らしさのせいか何度も侵略者たちに持ち去られては返還されるというのを繰り返したという。本当に愛らしくチャーミングな幼児像で、ルイ15世の酔っ払い兵士が盗み出した時には市民のデモまで起きたとか。お詫びに王が豪奢な金の刺繍入り衣装を贈り、それで有名になったらしい。それ以来、世界各国から衣装がプレゼントされるようになって、今ではその衣装が650着余にもなるという。小さなジュリアンは世界一の衣装持ちだという話。普段はグラビアでみるように裸なのだけれど、様々な行事の時には贈られた衣装を身につけるんだとか。(もちろん、この時は何の行事もない時だったからスッポンポン、グラビアに出ているまんまだった)

小便小僧ジュリアン 57Kバイト

 ジュリアンの衣装を『王の家(市立博物館)』で見ることが出来るというので、再びグランプラスへ戻った。ところが王の家は改築中。駄目元でいいと受け付け嬢(小母さんだったけど)に訊ねてみると、運良くジュリアンの衣装を展示してあるフロアーだけは見学できるという。

 たかが小さな銅像の衣装だもの、とあまり期待しないで入館してみて驚いたの何のって、本当にものすごい数。ヨーロッパはもとより、アフリカ、アジア、アメリカと世界各国から贈られてきたという可愛いサイズの衣装がズラリ、2Fのフロアにところせましと並んでいた。日本からのものには、学生服や、桃太郎、金太郎の装束、裃(かみしも)、袴(はかま)、よろい兜まであった。贈り主は、各国の代表者や名士と呼ばれる人たち、つまり大統領や総理大臣、大企業の代表者など。サイン入りの手紙を添えて贈っている。それも一緒に展示されていた。現在、健在で活躍中の日本の名士といわれる方の名前もあった。大戦以前のものから大戦後のものまであって、ジュリアンは世界一の衣装持ちと豪語するのも納得。写真に撮りたかったけれど、博物館なのでそれは遠慮して、衣装を身に着けたジュリアンのトランプカードを買うだけで我慢した。

ジュリアン カード 37Kバイト

 このジュリアンの少女版があるのを知っている人は少ないと思う。ジャンネケ・ピス(Jeanneke Pis)というその像は、グランプラスを挟んでジュリアンとは反対の位置、中央駅から5分ほどの、ヨーロッパ最古のギャラリー・サンデュベールと呼ばれる150mにも及ぶ有名なショッピングアーケードの端にある。ガン・エイズ撲滅のための研究援助金を募る目的で立てられたということだが、小便小僧より写実的で、見る人はみな困惑した顔をする。だから写真はなし。時間のある人は行ってみるといい。

 Brussels にはゴシック調の建物が多い。しかし、第2次大戦の後、EEC(ヨーロッパ経済共同体)、NATO(北大西洋条約機構)、EU(欧州連合)などの主要機関が置かれて、近代建築が多く建てられたらしい。世界遺産として日本でもTV放映されていたアールヌーボーの近代建築は、ここBrusselsに初めて建てられたことでよく知られている。

 Brusselsは中世と現代とがあちこちにまじりあって感じられる街だ。それが最も際立っているのが、グランプラスから中央駅を挟んで反対側に広がっているのだという。そういった街を外観からだけでもみようと広場を出て中央駅へ向かう。

 中世へタイムスリップした気分の抜けきらないところへ、追い討ちをかけるように中世と近代の街並みが圧倒してくる。

街並み 65Kバイト

 そんな街並みにどっぷり浸って歩いていくと、小さな教会の彫刻が目についた。入り口にThe "Our Lady of Assistance" Church と出ている。中に入ると、ここもニコラス寺院と同じで、入り口の彫刻や、外の通りと隔離された堂内が、誰もがぬかずいてしまうような雰囲気を醸し出している。ステンドグラスを透した光りが幾世紀にもわたる歴史を感じさせる。息を潜めて堂内にゆっくりと目を向けた。

祭壇 50Kバイト

 再び外に出て、通りに面して並べられている果実のケースに、この街には、実際に生活している人がいるのだ、と変に感動をした。

店頭の果実 43Kバイト

 その一方で、古い建物沿いをごく自然な顔をして散歩しているご婦人方に、わたしは今、異国にいるのだなとしみじみ思いながら歩く。

 腕時計を見ると、広場を出てから15分がたっていた。グランプラスから5分で着くはずの中央駅がどこにも見えない。逆にどんどん遠くなっている気がする。ゆるやかにカーブした広い道が延々と続いているばかり。どこでどう間違えたのか、グランプラス界隈とはかなり違う雰囲気で、アラブ系の労働者風の人も増えてきた。どうもガイドブックに載っていた歓楽街の方へ向かっているらしい。とにかく地図に載っている目印になる広場を探して歩き続けた。

 Brusselsには広場が多いので、道に迷った時には助かる。ほどなく通りに面した小さな広場に辿りついた。やはり道を間違えていたのは確かだった。北駅の方向を示す標識もある。

通りに面した広場 34Kバイト

 辺りを見回して、スーツ姿の人が歩いて行く方向へ向かうことにした。みな北駅とは逆に向かって足早に歩いていく。彼らは、時間に追われている日本のビジネスマンと似ている。その人たちの後ろについて、ひとりでにこちらの足も速くなっていた。 

(Lie)


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