法華経

saddharmapundariika-suutra、

妙法蓮華経
何よりも正しい白蓮のような教えであり、諸経の王といわれ鳩摩羅什の訳である。
釈迦が法華経を説いたのは仏滅前8年間と言われ記述(経典)されたのは、それから
500年後であり品の入れ替えや品の追加などがあり、形が整うまでには数十年から百年?かかっている。

その為か?法華経の中で法華経をいろいろと説明し説いている。ならば、真の法華経は?芯になる品は?
どこにあるのか?空を説いた(凝縮した)般若心経のように、諸経一切経の総まとめ的な経典とみて
1品だけを見ないで総体的に法華三部経10巻32品全体として考えた方が良いのかも?    私見




五時八教

インドで起こった仏教は、経典の内容や教義などが整理・体系化されないまま、中国に伝わった。
そこで中国では、どの経典がもっとも優れた教えなのかを判断する教相判釈が行われました。
五時八教の教判(五時八教説)とは、天台智顗(538年 - 597年)が、一切経を五時八教に分けたものである。
日本へは最澄が紹介し、日蓮が採用、法華経のみが独立して純粋な妙なる円教を説くとされ、法華は化儀と化法の八教を超越しているので「超八・醍醐」の教えという。法華経が最高の教えであるという根拠とした。

経典の内容、時間・時期的な記述、場所、等から、順序だてて分けたもので、必ずしも釈迦がその順番で説いたわけではない。



五味 五時 宗派 対告衆 経典 八教 期間 会座
乳酥 華厳時 華厳宗 法慧・功徳林・金剛幢
金剛蔵の四大菩薩
大乗根性の凡夫の機類
華厳経 十二部経
(大方廣仏華厳経)
別教

円教
頓教 擬宜の教 21日間
一説に31日間
菩提樹の下など、7処8会
酪酥 阿含時
(鹿苑時)
倶舎宗律宗
成実宗
阿若?陳如等の五比丘
十六大国に遊化
阿含経,修多羅
法句経等南伝大蔵経 
蔵教のみ 漸教
秘密不定教もあり
誘引の教 12年間 バラナシー国の鹿野苑
生酥 方等時 浄土宗
浄土真宗
真言宗
法相宗禅宗
小乗教に固執
する弟子たち
阿弥陀経、大日経
金光明経、維摩経
勝鬘経、解深密経
など権大乗経
蔵教
通教
別教
円教
漸教
秘密不定教もあり
恥小慕大
弾訶の教 16年間
一説に22年間
シュラバスティーの祇園精舎
、マガダ国の竹林精舎
、ヴェーサリー国のアンバーパリー園など
熟酥 般若時 三論宗 大乗を求める志
を持った弟子たち
大般若経勝天王般若
金剛般若経般若心経
等の『般若波羅蜜経』
円教に
円教を帯
ばしめて
説く
漸教
秘密不定教もあり
『中論』
淘汰の教 14年間
一説に22年間
マガダ国のラージャガハ附近の
霊鷲山など、
4処16会
醍醐 法華時 天台宗や日蓮宗 声聞緑覚菩薩の三乗の人々
教化に漏れ成仏できなかった人々
法華三部経 円教 頓教
秘密不定教なし
開会の教 8年間 マガダ国のラージャガハ附近の霊鷲山、2処3会
涅槃時 中国仏教の涅槃宗等 涅槃経 一日一夜 クシナガラのアジタパティー河辺の沙羅双樹の下


円教は、完全な教えであり、仏の究極の悟りである。これを基として、法華経には一念三千という法門が明かされています。
円教の理は華厳時・方等時・般若時にも説かれていますが、蔵・通・別の方便教と混合しているため、純粋な教えではない。
このためそれらは「爾前の円」といわれています。これに対して、法華経は純粋に円融円満の教義が明かされた教えであり、
これを「純円独妙」といいます。





八教とは


八教は、化義の四教と、化法の四教に分けられる。
化法の四教とは、釈迦の教えを天台大師が蔵教・通教・別教・円教の四つに分類したものです 化儀の四教とは、釈迦の教えを形式・方法を、天台大師が頓教・漸教・秘密教・不定教の四つに分類したものです。
蔵教 蔵教とは三蔵教の略称で小乗教ともいい、三蔵とは経(経典)・律(戒律)・論(解説)をいいます。
  蔵教は声聞・縁覚の二乗を正機とし、菩薩を傍機として説かれた教えです。声聞は四諦、縁覚は十二因縁、菩薩は六度を修行して見思惑という煩悩をなくし、涅槃を蔵教の悟りとしています。また、
煩悩をなくす為に、空理を悟るべきことを説くが、すべての実体をただ空の一辺のみと見るので「但空の理」という、また偏った真理なので「偏真の空理」ともいいます。
頓教 頓教の頓とは「ただちに」の意味で、仏が悟りを開いた直後、衆生の機根にかかわらず、大乗の教法をすみやかに説かれたことをいいます。
通教 通教とは、菩薩を正機とし、声聞・縁覚を傍機として説いた権大乗の教えです。菩薩に不但空の理を悟らせ、次の別教や円教の修行に進ませるところにある。 漸教 漸教の漸とは、次第に進むの意味で、仏が衆生の機根に応じて浅い教えから深い教えと次第し順序を追って衆生の機根に応じて説いた教え
別教 別教とは、前の蔵・通二教や後の円教とも隔別し、菩薩のみに説かれた教え。
 
「隔歴の三諦」空仮中の三諦を説くが、互いに融合せず各々が隔たる。一切の事物の差別のみが説かれて、融和を説いていない。「但中の理」中道諦も説くが、空・仮二諦を離れた単なる中道三惑(見思惑・塵沙惑・無明惑)を説き、これを断ずるために、菩薩の五十二位の修行段階を説く。十界の因果を説くも、各々の境界を別個に説くだけである。したがって別教は三諦円融や十界互具の義もない不完全な教えとされる。
秘密 秘密教とは秘密不定教ともいい、仏の説法を聴く衆生が、機根の違う衆生同士に説法の違いを知られず(秘密)に、同じ教えを聴きながらもそれぞれ聞き方を異にし(同聴異聞)、その得益が一定しない(不定)という化導法をいいます。
円教 円教とは、宇宙法界の一切が円満に融合し、不可思議な当体であることを明かした教えです。一諦即三諦・三諦即一諦の関係(円融の三諦)十界の互具が説かれています。空・化・中の三諦は孤立することなく、一諦の中にそれぞれ三諦をそなえている。 不定教 不定教とは顕露不定教ともいい仏の説法を聴く衆生が、機根の違う衆生同士でも説法の違いを知り(顕露)ながらも秘密教と同じ同聴異聞であったため、衆生の得益が不定であるという化導法をいいます。





法華経の成立


成立年代は?  釈尊 紀元前BC463-BC383年頃(BC566-BC486,BC624-BC544説
など有り)から約500年後の紀元50年~150年あたりとされるが、
これも諸説あり成立時期も3期説、4期説が有り、あとから追加されたらしき品や
第三期に成立した第三類は他訳の法華経と品の並び順が違っている。
どういう人が作ったのか? 既存の部派仏教や初期の大乗仏教に満足出来なかった
       一部の僧侶と在家の人たちだと言われている。
訳者は? 正法華経  添品妙法蓮華経 等が有るが鳩摩羅汁 訳の妙法蓮華経が一般的
証明は? 多宝如来 が説かれた法華経は真実であると証明する
仏滅後の弘教は? 上行 無辺行 浄行 安立行菩薩 などの地湧の菩薩に託す
法華経の行者の守護神は? 鬼子母神 二聖二天 十羅擦女  など




           

法華三部経 
不思議なのは法華経の中で法華経が語られていることである。が、舞台は壮大でドラマのような幕開けである。
法華七喩と言われるように、たとえ話がいろいろと出てくる
話の裏に込められた。おしえを読み取るのはむづかしいが
読む人の力量によって、浅深の受け取り方が有ると思う。
諸経の王と言われる法華経


妙荘厳王本事品第二十七にある通りこの法華経に出会えのは難しく
出会えただけでなく、読み、書き、唱えられるのはそれだけでも幸せである。
無量義経 妙法蓮華経 観普賢菩薩行法経について
一覧表にしてみました。
勉強中のため、記入違い、勘違いなど
有るかもしれませんが、参考程度にしてください




提婆達多品第十二は天台智顗ころに入ってきたらしい(追加)
嘱類品第二十二から普賢菩薩勧発品第二十八までは正法華経と添品妙法蓮華経とは順番(並び)が違い嘱類品第二十二で帰ったはずの多宝仏が観世音菩薩普門品第二十五まで多宝如来や多宝塔が登場し賢菩薩勧発品第二十八では触れていない、嘱類品と普賢菩薩勧発品の二品に最終章の可能性が有る
観世音菩薩普門品は単独のお経、観音経として他宗派でも用いられている。
成立時期としては方便品第二から授学無学人記品第九までが最初に作られ、合わせるように序品、第二類そして、三類が付け加えられたらしい。


漢訳法華経

正法華経 十巻

笠法護訳

妙法蓮華経 八巻 鳩摩羅什訳
添品法華経 七巻 闇那崛多 達磨笈多 共訳

現存しないもの

法華三昧経  薩芸芬陀利経  方等法華経   三車誘引火宅経

        




一代三段

釈尊が説かれた一切のお経のうち、法華三部経を正宗分として、
それ以前に説かれたお経すべてを序分、涅槃経を流通分としたものです。


序分

華厳経   阿含経(小乗仏教の経典)
方等経(浄土三部経,維摩経,大日経等大乗経典)般若経

正宗分

無量義経     法華経     普賢経

流通分

涅槃経


大正新脩大藏經テキストデータベース
大正新脩大藏經第1巻から第85巻まで
の全テキストをデータベース化しており検索可能です。


語句の意味などは順次
一緒に勉強しながらこのページを作っていきましょう。

古い落語(おせつ徳三郎)から
死の念仏 生の法華経
元気一杯 日蓮宗と言われるのも今を精一杯生きようという法華経だからでしょう。
小話をひとつ


大店の娘のおせつ と 店で働いていた徳三郎が恋仲になってしまい
今でも難しいのに昔ならなおさら一緒になることはできません。


この世で一緒になれないのなら心中しようと深川の木場の橋まで
やってきて(今は新木場だが)いよいよ//,,,,,,,,というとき

家代々の法華経を唱えた 
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
すると   徳三郎が

お嬢様、こういう時は、南無阿弥陀仏じゃないと感じが出ない 南無妙法蓮華経じゃ元気が出てきちゃ

仕方がないじゃないか家は代々法華なんだから、いいからお前も題目を唱えるのよ

二人は題目を唱えながら橋の上から飛び込んだ

おや!? 何故死ねないんだろう?!

ああ!! 今のお題目(材木)で助かった!!

木場のあたりだから下は一面筏だったのである。

死んだ先に浄土が有るのではなく、今を浄土にしなければならない
というのが法華経の精神であり、精一杯生きよという人生の応援歌である

自分も大切に、他人も大切に  今一番足りないものじゃないかな?

今を良くしないで、あの世で良くなろうとしても、だめだと思うよ



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