世の中には、「厄日」という言葉がある。
意味も無く些細な不運が続く日を、人は主にそう言うことが多い。
それが2回でも、3回でも、同じ言葉が使われる。
人間をやっている限りには、必ず1日は遭遇するものだろう。
例えば、ある少年達の今日という日。
朝を告げる目覚し時計を止めたら時計が大破して手を切った。
朝食を食べようとしたら、パンが自分の嫌いなナッツ入りパンだった。
友人と遊びに行こうと電車に乗ったら、人身事故で電車が止まった。
ふと耳に届いた断末魔に気付いて足元を見たら、ゴキブリを踏んづけていた。
朝食を作ろうとしたら、思いきりパンを焦がして煙に巻かれた。
友人との約束を思い出したときは、約束の時間までもう残り10分だった。
ベッドから起き抜けたら、タンスの角に小指を思いきりぶつけた。
靴下を履こうとしたら、次から次へと穴が開いて使えるものが無くなった。
買いたいものがあったから、と外へ繰り出してみたら、遊びに出ていた少年達に捕まった。
少年達は、まだ、その言葉を使うまで気分を消沈させてはいなかった。
超ド級ゲーマーな友人の腕を盗むために、ゲーセンへ行こうと言い出さなければ。
それに快く同意しなければ。
逃げ出せば良かったものの、仕方なく引き摺られていってしまわなかったならば。
近道だから、とふと裏路地を通ろうとしなければ。
―――――その光景を、発見してしまわなければ。
第10章 『A Calamity Day』
「…。」「…。」「…。」
現在時刻、午前8時45分。
現在位置、裏通りの一角。
3人とも、言葉はなかった。
自分達が見つけてしまったものを目を見開いて凝視したまま、動きが止まる。
嫌が応にも間を流れる、寒く、異様な間。
長い長い沈黙を、1つの無駄に大きな声が打ち破る。
「有志!ひとっ走りしてでマッポ呼んでこい、マッポ!!!」
「う、うんっ!」
名を呼ばれて、3人のうちの一人、有志は弾かれたように逆方向へと走り出す。
ふぅ、と一息つく輝和の隣で、腕を組みながら眼下を見下ろしている康斗が口を開く。
「…高水。人が来るかどうか、少し辺りを見張っていてくれ。」
「…イエッサー。」
尋常ならざる雰囲気を少しでも崩そうとしたのか、ややふざけた返事を返しつつ、
輝和はそれ以上茶化すこともなく、その光景から背を向ける。
康斗は1歩、その光景を再度確認するように歩み寄った。
足元に倒れ伏す、屍達を踏み付けぬように。
そこに広がるのは、黒衣の男が作り上げた殺戮の宴の後。
その場に居合わせてしまった3人は、胸の内をほぼ同時に、誰とともなく呟いた。
―――今日は厄日だ。
その日も、彼女達にとってはいつもの日常だった。
深い深い闇から、再び現世へと戻ってきた綾芽と。
何も知らず、にこにこと笑いかけながら雑談を紡ぐ千春と。
同じく何も知らない、千春のバッグの中で惰眠を貪る杉村さん。
通り過ぎる雑踏も。傍らを忙しなく行き交う車達も。そして、隣り合って歩くことも
いつもと変わりなかった。ただ、綾芽の心が酷く苛まされ続けていることを除けば。
かつての異臭はほぼ消えていたが、記憶は消えない。
いっそ忘れることが出来たらどれほど楽だろうか…何度も綾芽はそう思う。
だが、忘れることが出来る筈も無く。それが許されることも無い。
ずっと。罪の意識に。苛まされなければいけない。
頭を過ぎった単語に、綾芽は思わず小さな溜息を漏らす。
その僅かな音に、千春は小首を傾げて綾芽を見上げた。
「綾ちゃん、どうかしましたか〜?溜息なんてついちゃって…。」
「え?…いえ、何でもないですよ。」
指摘に、綾芽は慌てて笑みを作ってそう返す。
ふぅん?と逆方向に首を傾げたが、それ以上は聞かずに千春はまた雑談を始めた。
気付かれてはならない。
決して、知られてはいけない。
綾芽が胸の内で、そう固く誓った刹那…
たたたたたっ
「で、で、でんわ、でんっ…って、うわぁあっ!?」
「はうわぁっ!?」
「きゃっ…!?」
突如、横道から2人の眼前に有志が飛び出してくる。
いきなりの出来事に、各々頓狂な叫び声を上げ…互いに顔を見合わせた。
「ゆ、有志君〜?どうしたの、こんなところで〜…。」
「え、あ、や、そ、その…いえ、説明すると長いんです!それより、電話、電話〜…!」
千春の問いに、呂律の回らない口で、一気に捲くし立てる有志。
きょとん、としている千春の横で、綾芽はハンドバッグから携帯電話を取り出して、
有志に示してみせた。
「使いますか?有志さん。」
「え?…す、すみませんっ、使わせて貰いますっ!」
その携帯電話を引っ手繰るように手に取ると、有志は慌てて110番を入力する。
その様子を見ていた千春は、不意に有志が飛び出してきた横道の路地に視線を合わせた。
小首を傾げつつ、なかなか繋がらなくてイライラしている有志に尋ねる。
「有志君、何かあったの?」
「え?な、なにがあった、って…き、聞かないほうが〜…。」
あはははは、と至極渇いた笑みを零しながら、誤魔化すように言う有志。
「…あーうー?」
その妙な反応に妙な声を返す千春の横で、綾芽も横道を見ていた。
何か、ある。
自分に関わりある、何かがありそうな気がする。
「千春さん、有志さんと一緒にそこに居ていてくれませんか?」
常人を逸した勘が、綾芽にそう告げたのとほぼ同時に…綾芽は、横道へと入っていく。
「え?え?…あ、うん、分かりました〜。」
訳もわからず頷く千春と…それに一瞬遅れて響く、大声。
「え!?あ、ちょっと、綾芽さん!?い、いかない方が…って、あ、繋がった。もしもし…って、うわぁあ、どうしようー!!!?」
混乱しているのは簡単に聞いて取れる有志の声を背中に、綾芽は路地へと歩を進めた。
「有志のヤツ…おっせェなー…。」
そんなに気も長くない輝和が、たった4、5分経過しただけでそう漏らす。
「五月蝿いぞ、高水…少し、黙っていろ。」
康斗がそう切り捨てると、輝和は僅かに肩を落とした。
「あーあ…折角、今日は格ゲーが1プレイ50円で出来るのになぁ…。」
「………。」
こういう非日常かつ異常な状況に居合わせて、普通出る言葉ではない。
康斗は僅かに、輝和をその場に張り倒したくなった。
とりあえずはその衝動を抑え、康斗は屍達を品定めするように視線を巡らせる。
その、類稀なる観察眼が、屍一体一体を、臆することなく捉えていく。
そして、出た結論を…一言。
「…これは凄いな。」
「は?」
その呟きが聞こえた輝和が、頓狂な声を上げて康斗を訝しげに見る。
「凄いって、この仏さんの何が凄いんですかー?」
普通なら…あくまでも普通なら、誰もが目を逸らすような情景を、輝和も康斗と
同じように視線を巡らせつつ、尋ねる。
康斗は、それに答える代わり、一体の屍を指で示して見せた。
頭の上に疑問符を浮かべつつ…輝和は、その屍をまじまじと眺めてみて…
ふと、違和感に気付く。
「何か気付いたか?」
その様子を気取ったのか、尋ねてくる康斗に、輝和は眉を寄せた。
「…無駄に外傷がない?」
その呟きに、康斗は頷き…屍の、砕かれた顎、首を指し示す。
「どの死体も、ほぼ人体の急所を突かれている。余程の手練れということは見て取れるな。」
続けられた指摘に、なるほど、それは凄い…と頷きかけたが、輝和は
双眸を半眼させて、康斗をジロリと見やった。
「…確かに凄いですけど、まずそういう事に気付く貴方が俺は怖いッス。」
「俺は、この状況で遊びの心配をするお前の神経の方が怖い。」
痛いところを突かれてあいたー、と笑う輝和を尻目に、康斗が屍に視線を戻しかけた…次の瞬間。
「…康斗さん、輝和さん?」
背後から、突然女性の声が響いた。
「おおっ!?あ、綾芽さん、なんでこんなところに!?」
輝和が上げた驚愕の声に正体を気取った康斗が、ゆっくりと振り向く。
確かに、そこにいるのは綾芽だった。
だが康斗は、僅かに違和感を感じ取る。
何だ。
心の中の呟きに、誰も返事を返さない。返されることもない。
酷く曖昧で、それでいてはっきりと感じた違和感。
康斗と輝和の視線に捉えられた綾芽の姿が、ゆっくりと屍達に近付く。
真横に立った綾芽の顔を見やった刹那、康斗は自分の感じた違和感の正体に気付いた。
眼だ。
この状況にあるには、似つかわしくない眼。
目の前の現実を見ているはずなのに、何処か遠くを見た眼。
冷ややかに、それでいて悲しそうに屍達を眺める眼。
何故、そんな眼をするのだろう。今の康斗に、それを知り得ることは出来なかった。
「…。」
そんな真摯な雰囲気の中、
全く溶け込めずに、渇いた笑みを浮かべながら、輝和は頭を掻く。
(有志、早く帰って来い。これ以上は耐えられん。いやマジで。)
綾芽以上に場に似つかわしくない者がここで苦悩しているとは、興味の対象外であるとは言え、流石の康斗でも気付くことはなかった。
数10分後、警察が到着し、捜査を開始し始めた頃。
いつもの5名+αは野次馬の人だかりの中に集まっていた。
「第一発見者がまず疑われるんだよなー、こういう状況って。」
呑気にそう漏らす輝和。
「………。」
固い表情を浮かべて、じっと人だかりを見つめる綾芽。
「ぼ、ぼぼぼぼ、僕、さっき、マトモにし、し、し………うえぇ………。」
自分が見たものを思い出して、涙目になる有志。
「…しかし、何の為に?動機は?何故この場所で?人通りは確かに少ないが…。」
顎に指をやり、自分の世界で自分の考えを展開する康斗。
「?、?、?…あーうー?人が死んでるんですかー?」
殆ど状況が飲み込めずに、ただ声を上げる千春。
「……騒がしい……。」
あまりの人の多さと騒がしさに、起こされてから終始不機嫌な杉村さん。
各々でそこに居合わせていたところに、一人の刑事が歩み寄ってくる。
某有名刑事物ドラマのように、スーツの上に使い古されたコートを着込んだ
見たところ、まだ20代後半にもならない若い男だった。
「貴方達が第一発見者ですか?よろしければ発見当時の様子を詳しく教えていただきたいのですが。」
「ああ、では俺から…。」
刑事の言葉に頷きを返すと、康斗は一歩踏み出してそう告げる。
それを見つつ、輝和は揃った面子の顔を一人一人確認しながら不意に漏らした。
「いやしかし…こういう状況であれ、約束もしてないのに顔を会わせるとは、一種運命みたいなもんを感じるなぁ。」
「そうですねぇ…何かあるんでしょうかね〜?」
呑気そうに笑う輝和に、そう同調して微笑む千春。
「…なんでそんなに呑気なのさぁ〜…。」
その様相に嘆く有志だったが、同意するものは一人としていない。
そんな中、綾芽は、無言のまま…じっと、人だかりを見つめ続けていた。
彼女は、自分に似た者の匂いを僅かに感じ取る。
忌まわしい記憶が、より鮮明に浮かび上がり…吐き気が沸き上がった。
反射的に口元を押さえて、汚物を吐き出すのは免れたものの、小さな、苦しげな嗚咽が漏れる。
僅かに首を振ると、綾芽は精一杯の微笑みを浮かべてその場の皆に告げた。
「あの…私、帰らなくてはいけないので…失礼しますね?」
「ふぇ?うんっ、またね、綾ちゃん。」
突然の宣告に驚いたような声を上げるものの、千春は微笑を返して手を振り返す。
有志や康斗、杉村さん、そして輝和…各々と挨拶を交わすと、綾芽は足早にその場から駆け出した。
「……………。」
不意に…小さくなっていくその背中を見送っていた輝和が、
僅かに、思案するような「ふぅむ」という息を漏らす。
そして、その様子に訝しげにしていた有志の肩を軽く叩いた。
「悪い有志、マッポには上手く誤魔化しといてくれ。」
「え?」
有志が答えるよりも先に、輝和は駆け出していく。
ちょ、ちょっと、何処行くのさー!という泣き出しそうな絶叫と。
輝和君も帰るんですかー?という呑気な声が、遠くから聞こえたような気がした。
無視した。
はっ……はっ……はっ……はっ……。
荒い息をつきながら、綾芽は駆け足で帰り道を急ぐ。
急いで帰らないと、また心が喰われてしまいそうになるから。
夜でもないのに。
血が昂ぶる、新月の日でもないのに。
あの場所の空気は…殺意の残り香は、凄まじかった。
あれ以上、あそこに留まることは出来なかった。
様々な思いが抑えながら、綾芽は曲がり角を曲がる。
―――心臓が高鳴った。
綾芽の前方に、黒衣を纏った男が立っている。
屍のように感情のない瞳。人形や仮面のように無機質な表情。
身も凍りつくような存在感が、綾芽の足を止めた。
黒衣の男が、前方の綾芽に気付いたらしく、
一歩、また一歩と歩みを進め…やがて、あと一歩半といった程度の間合いの所で立ち止まる。
相当の手練れだ。
纏った雰囲気で、綾芽にとっては簡単にそれを悟れた。
血が、沸き立つ。
黒衣の男の前方の曲がり角から、女が飛び出してきた。
自分と眼が…否、自分の姿を視界に認めた瞬間、女は足を止める。
何かに怯えるような表情。何処か、とても虚ろな瞳。
自分にとって、顔に見覚えはないが何か強い因縁を感じ取る。
男は、一歩、一歩と、ゆっくりとその女に歩み寄り、一歩半手前で立ち止まる。
何者だ。
黒衣の男は、渇いた心に現れた胸の痞えの正体を見極めんとした。
心が、軋み出す。
双方の足がじり、と地面を擦った…―――刹那。
「綾芽さん、おっさん、そこで何やってんの?」
「「!?」」
突然、上方から雰囲気に合わぬ抜けた声が響き、両者は素早く上を…塀の上を見上げる。
そこには、相当の距離を走ってきたにも関わらず、息さえ切らしていない輝和の姿があった。
輝和にしか分からない。自らの身体に体力上昇の魔力を、両足に筋力上昇の魔力を与え、オリンピックでメダルくらいは余裕で取れるスピードで駆けてきた事実。
「よっと。」
ひょいっ、と塀を蹴って、輝和は2人の間に降り立つ。
そして、綾芽と男を、交互に見比べるように顔を動かした。
「綾芽さん、帰りましょう?送っていきますよ?」
「え?ちょ、ちょっと、輝和さんっ?」
返事に窮する綾芽を無視するように、輝和は綾芽の背後に回って、身体をずいずいと押していく。
困り顔なのをよそに、綾芽をある程度男から距離を取らせて輝和は、黒衣の男の方を振り向いた。
男はその姿を目で追っていたが、特に反応を示すこともなく目の前に立ちはだかる、何処か自信満々に腕を組む少年を見据える。
「何の真似だ?」
男の問いに、輝和は薄く笑みを浮かべた。
そして、何も言わずに男を睨みつける。
その表情は飄々としていて。
その瞳は恐れなど欠片も無くて。
その挑戦的な色に、男は訝しげに眉を寄せた。
「…何の真似だ。」
再度同じ問いを発すると、輝和は薄ら笑いを浮かべたまま、答える。
「…おっさん。いくらあの人が女で長身だからって、襲おうとしたら…。」
明確な殺意が
「縊り殺すぜ?」
唇から、言葉として漏れた。
男の背筋に、ぞくりと何かが走る。
目の前の少年から、少年本人のそれとは思えないような威圧感を感じ取った為に。
最近は妙な人間と妙な事柄が多い。
外見は高校生程度の…高校生とは思えないような気迫を持った少年達に、
立て続けにメンチを切られる破目になるとは。
思わず、口元から笑みが零れてしまう。
「………。」
だが、すぐにその笑みも消え…表面上は何も言わずに、男は去って行く。
それを見送ると、輝和と綾芽はほぼ同時に安堵したような溜息を漏らした。
それに、互いに顔を見合わせて、きょとん、として…小さく、含み笑いを零し合う。
ああ、久しぶりに普通に笑った気がする。やっと日常が戻ってきた。
だけれど…これでいいのだろうか?否、良いはずがない…。
複雑な想いが、綾芽の胸を去来する。
だが、それを知る術のない輝和は、先ほどとは打って変わった表情で。
いつもと変わらぬ、あっけらかんとした笑みを浮かべた。
「じゃ、綾芽さん、帰りましょうか。送りますよ?」
続いた言葉に、綾芽は思わず目を丸くする。
黒衣の男を追い払うための口実かと思っていたのに、本気だったとは。
康斗に出来なかったように、綾芽にも輝和の思考パターンを読み切ることは出来なかった。
「え、でも…。」
言葉を濁しかけるが、輝和は僅かに苦笑いを浮かべて、肩をすくめてみせる。
「女性の一人歩きは危険ですよ?ほら、殺人とかあったばっかですからね。うん、それがいい。」
人の話を聞いている様子は欠片も無く、輝和はどんどん話を展開させていく。
これは、断っても絶対ついてくるだろう。綾芽の勘は、それとなくその事実に気付いていた。
どうせ、家の中まで上がり込むことも上げることもないだろう…
そう判断した綾芽は、やや苦い笑みを浮かべて頷いた。
だが、その行動は綾芽の計算違いだった。
まさか、その問いが。
最も恐れていたその言葉が。
単なる、帰りの道中で。
何の関係もない、と思っていた輝和から放たれてしまったのだから。
「綾芽さん。」
「?…なんですか、輝和さん?」
「や、さっき会ったおっさんに聞いた話なんですけどね。」
ぽり、と頭を掻く動作。
いつものような明るい笑みを浮かべて。
「長髪、長身の女の殺人鬼について、って何か知ってます?」
輝和は、開いてはいけない扉を思い切りノックしてのけてしまった。
世の中には、「厄日」という言葉がある。
大抵、その言葉が使われる時は。
時既に遅し、後の祭りである。 続く
後書き?
ワ…ワケが分からん終わり方に…駄目だ、眠い…。
綾芽と黒衣の男の絡みが書きたかったんだが、描写力不足…。
バトルシーンも書きたいなぁ。(何)
輝和出張り過ぎ。
千春さん少なくてごめん。
杉村さんはもっとごめん。
………後書きじゃないよ、これ。
次の人に回しますー。
…というか、続け方限定されますよね、これ。