第十一話『凍結する世界』


『人とは何か?』

 人にそう問い掛けた哲学者がいた。自らも人であるのに。
 寝て食うだけなら獣と同じ、とも言っている。
 それは理性を持たぬ獣と理性ある人間を比較して出た言葉であると思う。
 人は理性を持って行動する、人はその欲望を理性で抑え込む、と。
 つまり人という存在は『理性』という存在一つであると言えるのではないか……
 外見がどうであろうと、『理性』というモノさえ持っていればそれは『人』という存在なのか……
 私には判らない。

『私は何者だ?』

 その哲学者は自ら書いた話の中で、ある人物にそう語らせている。
 老人になってそう漏らした人物は、その時既に『王』という立場ではなかった。
 年老いて、人間というモノより自分について考えるようになり発した言葉。
 王という立場から降り、ただの老人となったその人物はどういうつもりでその言葉を口にしたのだろうか。
 その老人に、そしてその作者に、本音の部分で聞いてみたい気もする。
 年老いて死を間近に感じられるようにならないと、その心理は理解できないのか。
 未だ大学生の私には絶対に理解できない事なのか。
 やはり私には判らない。



『何が判らない?』



 それは私が本当に人であるのかという事……
 欲望、衝動、それらに身を任せて生きるモノを獣と呼ぶのなら、私は一体何なのか。やはり獣であるのか。
 闇にのみ生きる獣。そんなフレーズに格好良さなど感じない。
 私は昔から暗闇に対して恐怖しか感じなかった。感じなかった筈……

『それは光ある場所でのみの感情だろう』

 そう。光が空を支配する時、私は人間でいられた。
 だが、暗闇が空を支配し始めるとどうなった……?
 闇の中での私は……人と呼べる存在だったのだろうか……それが判らない。
 いや、自分の中で既に答えは出ている。
 ただ、それを認めたくない。否定して欲しい。自分ではない誰かに。

 誰が否定してくれるというのか。

 誰に問い掛けても答えは一つしかない。
 それが判っているから今の姿を誰にも見せないのだろう。
 それが判っているから無理に人を装うのだろう。
 それでも……私は……










 輝和の言葉。
 その言葉を綾芽の頭が理解するのに数瞬の時を要した。
 今、彼は何と言った?

「――――――――――!」

 頭の中が白一色に染まった気がした。
 同時に周りの風景が全て掻き消える。
 今、綾芽の感覚の中には輝和しか存在していない。

「綾芽さん?」

「殺人……鬼?」

 なるべく平静を装って輝和に問い掛ける。
 普通に生活している女性には聞き慣れない言葉。
 故に多少言葉が震えていたとしても問題ない筈。
 だが、その時輝和は言葉では表現し辛い軽い違和感を覚えた。

(……なんだ?)

 この人は普通の女子大生だ。
 こういう反応が返ってくる事は予想できていた。
 そして予想通りの反応が返ってきた。にもかかわらず、輝和は小さく首をかしげた。
 それは無意識に刷り込まれた『印象』と呼べる物だったのだろう。
 彼女ならこのような話をしても軽く受け流すだろう、と。
 何の根拠もないが、輝和は綾芽をそういう人間だと印象付けていた。
 勿論それは無意識の行動であり、輝和本人は全く気付いていない事なのだが……

「いや……ちょっと、ね。さっきのおっさんがそんな事言ってたから」

「そうですか」

「――――――!」

 先程の震えていた言葉とは全く違う、落ち着き払った声で小さく答えた綾芽。
 既にいつもの雰囲気を取り戻しており、怯えや恐怖といったものは全く感じられなかった。

「さっきのも……その女性がやった可能性がある、と。簡単には想像できませんね……」

「そうですね……それはまだ判りませんけど」

 何処か釈然としない様子で言葉を返す輝和。それは先程から自分の心の中に湧き上がってくる違和感に対してか。
 先程までとは明らかに綾芽の態度が違う。極々自然な、彼女ならこのような状況下でもこんな風に自然に対応してくれると輝和が無意識に感じ取っていた事。
 だが、それがあまりにも当たり前のようで逆に心を騒がせる。

(何なんや……この奇妙な感覚は……)

 その時になってやっと輝和は自らの内に沸き上がっていた違和感に気付き始めた。
 偶然目にした三つの死体。そしてその直後妙な大人と対峙し、今殺人鬼の話を穏やかに聞いている。
 いくら彼女でもここまで穏やかに対応出来るものなのか?
 康斗にも驚かされるが、彼女のそれはまた別の何かがある……

(普通の……女子大生……)

 綾芽の姿を捉えながら、輝和は自らに言い聞かせるように心の中でそのフレーズを反芻した。
 だが、その言葉が彼女に一番似つかわしくない事に輝和はうっすらと気付いていた。
 そして、心の中で自らが知らぬうちに封印していた考えをちらっとよぎらせてしまう。

(細身で、長身で、長い黒髪……そして素手で人を殺す……女)

 もし目の前の女性がそんな存在だったとしたら。
 小説の人物に重ね合わせるような感覚で輝和はふと想像してみる。

「あ……」

「どうしました、輝和君?」

 いつもの引き寄せられるような微笑みを浮かべて輝和の顔を覗き込む綾芽。
 その瞬間、顔を赤く染めて輝和は大きく首を振った。

「い、いえ! 何でもありません!」

「そうですか? それでは私はこれで。一人でも大丈夫ですから」

「え……」

「輝和君もお気をつけて」



『何に……?』



「あ……はい……」

 輝和はそう答える事しか出来なかった。不意に心に浮かんだ問いに頭の中が真っ白になったからだ。
 そして魂が抜けたかのように、綾芽の姿が消えるまでその背中から目が離せなかった。
 その時、胸の中の違和感が綺麗さっぱり消えてしまっている事を輝和は無意識のうちに否定した。
 理由は彼自身にも判らなかった。





 とりあえず来た道を引き返す輝和。
 途中、曲がり角を曲がろうとしたところで康斗達とはち会った。

「高水……」

「あ、先輩。有志に千春さんも……」

 多少恨みのこもった視線を避けるように、輝和は康斗の後ろにいる有志と千春に視線を移した。
 事情聴取は無事に終わったようだ。
 となると康斗の視線の意味はやはり途中で抜けた自分に対するものなのだろう。

「すみません、途中で抜けてしまって。誤魔化せました?」

「ああ、一応な。おかげで多少長引いてしまったがな」

「は、は……申し訳無い」

 苦笑いしか浮かべる事の出来ない輝和は、真面目な口調で三人へ頭を下げた。
 ただ、康斗の迫力に圧されたのか腰は多少引け気味であったが。

「ところで霧生院さんはどうした?」

「あ、用事があるからって帰りましたよ?」

「……そうか」

「何か用でもあったんですか?」

「いや」

 輝和の問いを一言で否定する康斗。
 視線を逸らし、既に人通りの無い道路を見据える。
 その奥に消えていった人物を見ているかのように。
 そんな康斗の頬を、「気にするな」とでも言いたげに風が撫でていく。

(何が……ある?)

 自分自身に問い掛ける
 綾芽の態度に微かな違和感を抱いていたのは輝和だけではなかった。
 だが、それはあくまで違和感という域を出ておらず、何に対してなのかまでは判らない。

「先輩?」

「ん、ああ、すまん」

 輝和の言葉に現実に意識を引き戻す康斗。
 その横顔を訝しげな表情で輝和は見つめていた。

(先輩も何かに気付いてる……?)

 各々が思考の世界に入ってしまい、奇妙な沈黙がその場を包み込んだ。
 厳しい表情を浮かべている康斗と輝和を見て首を傾げている有志。
 三者の間に生まれた沈黙を破ったのは、その隣で俯いていた千春であった。

「綾ちゃん、大丈夫かなぁ……」

「……」

 その言葉に康斗と輝和は何も言う事が出来なかった。
 二人の目には「大丈夫ですよ」と千春を安心させようとする有志の姿が映っているが、今の自分達にはそれが出来そうもなかった。
 だが、彼女の優しい言葉で自分達の内にあった不可解なものが多少消えた気がする。
 そうだ。今は不可解なものに振り回されている場合じゃない。

(この街に何かが蠢いているのは確かだ……)

(それが何かは判らないけど……)

 とりあえず今日のところは全員帰宅する事にした。
 まだ日も早いが、こんな状況の中皆で遊びに行くわけにもいかない。
 千春は康斗が、有志は輝和がそれぞれ送っていく事になった。





「輝和君、今日はどうしたの?」

「あ、何が?」

「ほら、警察の人に質問された時だよ。用事で帰った綾芽さんを追っかけていったじゃない」

「ああ……」

 理由は自分でもよく判らない。
 未だに彼の心の中には不可解な謎が渦巻いているからだ。
 確証の無い事を口にして彼を不安がらせるわけにもいかない。

「別に。綾芽さんの用事ってのがちょっと気になっただけだよ」

「悪趣味だね」

 そう言って有志は「あはは」と輝和に笑いかけた。

「やかまし」

 そんな有志の後頭部を輝和は勢いよくはたく。
 有志は俯いたまま後頭部をさすっている。

「それが……本当の理由だったらね」

「あん?」

「輝和君が理由も無く他人の用事に干渉するような無粋な人間、とは僕は思ってないからね」

「……」

 俯いたまま話す有志の表情は輝和には見えない。
 それでもきっといつものような穏やかな笑みを浮かべているんだろう、と輝和は思った。

「何か気になる事があるんでしょ?」

「………お前ってよく判らん奴だなぁ〜」

「そうかな?」

「まぁ……気になる事はある。でも、自分でもそれが何なのかは判らないんだ」

「そうなんだ……」

 有志の聡さに思わず苦笑して、仕方ないとでも言いたげに自分の本心を明かす輝和。
 それに対し、有志は微妙に納得したような表情を浮かべていた。
 引っかかる部分がある。
 輝和は本心を明かしながら本心を明かしてはいない。
 彼が言った「気になる事がある」という言葉に嘘は無い。
 しかし、彼はそれが何に対してなのか、誰に対してなのかという事に関しては自分の想像すら口に出す事は無かった。
 その部分が有志には引っかかった。
 輝和が綾芽を追っていったという事は彼女に気になる部分があったからだろう。
 たとえ自分自身にすらその理由が判らなかったとしても。
 その部分を輝和は自分に話していない。

(もしかしたら綾芽さんに何かあると思っているのかな……それとも、綾芽さんに何かがあると無意識的に勘付いて、これまた無意識的に僕に話すのを避けた、か)

 それきり二人は一言も言葉を交わさないまま家路についた。





「………」

「………」

 千春と康斗の間に会話は無い。
 康斗は元々自分から話しかける方ではないし、千春は綾芽の事を心配してずっと俯いたままである。
 杉村さんだけが千春の首筋で眠そうに欠伸をしていた。

「杉村さん……」

「何を気にしてる?」

「ん……ほら綾ちゃんあの死体見てすぐ帰っちゃったから……気分悪くなっちゃったんじゃぁ……」

「それが心配か」

「……うん」

 俯いたまま杉村さんに答える千春。
 その瞳からはいつもの明るさが微塵も感じられない。
 そんな千春を見て、杉村さんは小さく溜め息をついた。

「すぐ人を心配するのはお前のいいところだが、自分のせいでそんなに落ち込まれたら今度は綾芽がそんな顔をする事になるぞ」

「……」

「そんなに心配だったら後で見舞いにでも行ってやれ。但し、その顔を何とかしてからな」

「うん」

 寡黙な杉村さんが自分を励まそうとしているのを見て、千春の方も少しずつ元気が出てきたようだった。
 それを見て隣にいる康斗が僅かに安堵の表情を見せる。
 態度には出さずとも落ち込んでいる千春の事を心配していたのだろう。
 だが、彼は落ち込んでいる女性を慰められるほど口が上手いわけでもない。
 結局のところ見守る事しか出来ない不器用な男であった。

「霧生院さんはきっと大丈夫ですよ」

「え?」

「きっと」

「うんっ」

 諭すように千春に言葉をかけた康斗。
 その表情は相変わらず無表情ではあったが、彼なりに心配してくれていた事を感じ取り、千春は笑顔でそれに応えた。
 嬉しさで少し早足になる千春。
 幸か不幸か、そのせいで彼女は何かを射るかのような康斗の視線に気付く事は無かった。
 不機嫌なようでどこか人間味のあるいつもの瞳ではない。
 何かに注意を払うように、何かを警戒しているように、何かを捉えようとしているかのような瞳であった。
 そしてその瞳は一瞬で元の輝きに戻される。康斗の意識的な行動によって。一瞬とはいえ暗闇の感覚に陥りそうになった自分を意志の力で引き戻したようにも見える。
 ただ、先程より軽い足取りで前を歩く千春はそれに気付く事はなく、ただ首に巻きついている白いマフラーもどきが一度ぴくっと反応したのみであった。

(…………ふむ)

「………」










 夜。
 暗闇が支配する世界がまた訪れる。闇の力に生かされている者達が蠢き始める。
 いや、暗闇は太陽と対極の位置にいるに過ぎない。
 どちらが正か負か、それを勝手に決めたのはその彼らに生かされている人間であり、彼らは遥か昔から等しく存在した。
 太陽は人を動かす活力として、暗闇は人を休める魔力として。
 だが、稀にその魔力を活力としてその中を歩く者もいる。

「夜……ですか」

 彼女もまた……
 完全に光が消えた気配を敏感に察知して、彼女は気だるそうにその身を起こした。
 壁にもたれかかって眠っていた為か多少体が重い。
 だが、そんな気だるさもすぐに消える。少し体を動かすと活動可能状態に切り替わった。
 体に染み付けられた殺人鬼としての性質。

「あれは挑発でしょうか……それとも呑まれただけ………いえ、会えば……判る事ですね」

 唇の端に小さく微笑みを浮かべ、彼女は窓を開ける。
 そこに広がっているのは暗闇の世界。人間の生み出す光など歯牙にも掛けぬ暗闇の世界であった。
 朝に見かけた三つの肉塊をその暗闇に映写する。あれはわざと残したものなのだろうか……

「会う事があれば……」

(いえ、必ずいる)

 彼女は確信していた。もう一人の殺人鬼に必ず逢えると。
 そしてその思いが心に響く度、自然と闇色の笑みがその美しい表情に浮かんだ。
 気付いていたからだ。そのモノに逢ったなら、その次は無いという未来に繋がっている事を。

「………くすっ」

 黒い衣服に身を包んだ殺人鬼。
 その表情に浮かぶは微笑か、それとも冷笑だったのか……
 暗闇は彼女の味方したのか、その表情を隠し、ただその吐息を空気に乗せただけであった。





「……来るか」



 そして…



「出かけなな……そんな気がしようわ……」



 同じ場所に足を踏み込む者達。



「ピアノの音が違うな。あまりにも静か過ぎるからか……俺の周囲を乱すなと忠告した筈なんだがな……」



 今夜は四人だけの舞踏会。観客は舞台を取り巻く暗闇一人。
 語り掛けない、答えない、歓声も無い静かな静かな舞踏会。
 それを演出出来るのは舞台に上がった彼女、彼ら四人のみ。





「んん……元気…出してね・・…綾ちゃん〜……」


「むにゃ……無茶は駄目だよ〜……輝和……くん」


 癒す者達は未だ出番待ち。
 舞台の袖で小さな寝息を立てていた……   続く


あとがき

書いてる間に一周年は過ぎ去ってました(笑)
なんかイマイチ判り辛い内容になった感じがするし(;^_^A
出せる範囲で考えてる事書いてたら勝手にこんな感じになってました……
何気にぼかした表現使ってたらぼかし過ぎたって感じに!(オイ)
現在の綾芽はどういう状態? 千春と有志はいつ登場? そして最後の場面で姿の無かった杉村さんは?
そのへんの謎を残したままみるきぃさんに交代〜(笑)

廃帝サマ