第三話「少年の影……二つ」


「客がいるようだな」

 呟くものの、杉村さんは大して興味がなさそうだった。

「みたいですねぇ」

 頭の上の杉村さんを見る――実際に見えるわけがないのだが――かのように視線を上げる千春。ついでに頭も後ろに動いたのだが、慣れたもので杉村さんがそれでバランスを崩す事はなかった。
 実際のところ、集金での訪問先が接客中ということは珍しい事ではない。しかし、この部屋の主である黒木康斗(くろき やすと)の元に来客がいたというケースは初めてのことである。

「はい」

 今度、ドアに近づく音と並んで聞こえてきた声は、間違いなく黒木のものだった。

「くろきさ〜ん。朱音で〜す。集金ですよ〜」

 先ほどとほぼ同じ口調で扉……正確には扉の向こうの黒木に話しかける。すると、返事の代わりの扉が開いた。

「あ、こんにちは〜」

「こんにちは」

 家賃滞納の常習犯から見れば、千春の笑顔は悪魔の笑みに見えるだろう。しかし、部屋の中にいるにも関わらず、Gジャンを羽織った細目の少年の表情から、それに対する感情を表すものを見つけることは出来なかった。

「あのあのっ。黒木さん、今月の……」

「家賃ですよね」

 先程と同じ内容の台詞を千春が言い始めると、早速黒木がそれを遮る。

「申し訳ありませんが、もう少しだけ待ってもらえますか? 今姉に仕送りを頼んでいるので、支払える状態になれば、こちらから朱音さんのところに行きます」

 淡々とした事務的な言い方だった。冷淡というには間違っているが、何の余計な感情も入っていないように思える。声に抑揚がないからだろう。
 少なくとも、目の前の140センチに満たない大学生や、その頭の上に乗っかる白い物体に興味がなさそうなのは間違いなかった。

「あうー、判りました」

 黒木の言葉にあっさり引き下がる千春。この男が家賃を滞納するのは良くある事なのだ。バイトの給料日が集金日より数日遅れているため、集金日はちょうど金欠になるらしい。ただ、金が集まり次第きちんと払ってくれるので、千春はそれを咎めたりはしなかった。

(……しかし相変わらずだな、この男は)

 そう思いながら、杉村さんは黒木の顔を見上げる。この男がこのアパートに居を据えるようになって3年近く経とうとしているが、反応はいつもこんな感じだった。自分から話しはしない。話しかけるときちんと受け答えはするのだが、その話し相手・内容に興味を示した様子がないので、話が続かないのだ。
 今までも何度か、千春は黒木に世間話を持ち掛けようとしている。しかし、その会話が長続きする事はほとんどない。
 だが、千春はその程度で懲りてはいなかった。早くに両親を亡くした彼女にとって、アパートの住民は頭の上の杉村さん同様、大切な話し相手だったのだ。そのため、誰彼構わず世間話を持ちかける癖がついており、その相手は黒木とて例外ではなかったのだ。
 だから、いつものように話のネタを探し出す。そして、早速玄関から見えているキッチンで、椅子に腰掛けこちらを見ていた少年に行きついた。

「あれ? 向こうにいるのは弟さんですぁかぁ? はじめまして〜」

 恐らく先ほどの、小学生のような高い声の主だろう。まったく癖のない綺麗な髪の少年は、自分の事を言われたのに初めて気づいたらしく、『え? 僕?』と言わんばかりに目を丸くし、自分を指差した。

(先輩と言っていたの聞いていなかったのか……)

 呆れて深く息をつく杉村さん。とはいえ、その吐息は千春の髪を一部分だけ、僅かに揺らすに過ぎなかった。

「いや、あれは後輩です」

 黒木がにべもない返事をする。
 ……と、呼ばれたと思ったのか、その少年がこちらへやってきた。

「初めまして、野々上有志(ののうえ ゆうし)っていいます」

 促された訳でもないのに、勝手に自己紹介を始める。やはり先程の声の主だったようで、声変わりしているのかどうか怪しい高い声はなかなかに元気だ。
 さすがに、少年のこの行動には黒木も眉を顰めていた。
 もっとも、初めから注目していなければわからないほどに僅かに……だが。

「あ、あたしは、ここのアパートの管理人で、朱音っていいますー」

 千春が挨拶を返す間に、杉村さんは野々上という名の少年を観察していた。
 立ち上がるとよくわかるのだが、野々上の背はそんなに高くない。千春の頭に乗ったおこじょがの視線がやや上を向いているということは、160センチあるかないかというところだろう。横の黒木の顎ぐらいまでしかない。その身長で細身なので、小柄と表現するのが一番正しいように思える。
 そしてその顔。笑顔で千春を見るその表情は、あどけないという言葉がぴったりだった。黒木が後輩と呼ぶからには同じ高校の1年か2年なのだろうが、どう見ても中学の1、2年にしか見えなかった。

「管理人……ですか?」

 幾分トーンを落として――それでも高い――野々上が不思議そうに千春の顔をまじまじと見つめる。
 途端に、千春の表情が少し困ったようなものに変わった

「あのぅ……。あたし、一応22なんですけどぉ?」

「え?」

 言われた野々上は、瞬間その意味を理解する事が出来なかったらしい。一呼吸ほどの間が空いた後に出てきたのは、素っ頓狂な声だった。

「えええええーーーーっっっ!! 僕より年上ぇぇ?? って、わわっ!! ごめんなさい!!」

 途端に泣き出しそうになる千春を見、慌てて野々上は謝る。

「いぃですよぅ……。どうせあたしは子供っぽいですから」

 その千春の声は、明らかに拗ねていた。

「野々上、常識で考えろ。中学生の娘に、集金させる管理人がいると思うか?」

 頭の回らない後輩に呆れたのか、黒木が口を挟む。

「そういやそうですよね。本当にごめんなさい」

 ……と、今度は野々上の方が泣きそうになった。

「大丈夫ですよ〜。気にしてませんから」

 そう言って千春はパタパタと手を振る。見れば、先程のいじけた顔が演技だったかのように元に戻っている。それを見た野々上はほっとしたようで、胸を撫で下ろすような仕草をした。

「よかった……。ところで、朱音さん。その頭のはテンですか?」

(その!?)

 どう見ても好奇心旺盛と言った感じの野々上の興味は、黒木と違いやはり杉村さんに向いたようだった。
 しかし、『その頭の』呼ばわりである。

(イイズナと間違えるのならともかく、テンは冬毛は白くないだろうが!)

 憤慨し毛を逆立てる杉村さん。野々上はその様子に気付いていないらしく、「綺麗な毛並み〜。朱音さん、触ってもいいですか?」と近づいてきた。

「あ、多分駄目だと思いますよー」

 言うや否や。

「ふぎゃあっ!」

 杉村さんの見事なドロップキックが顔面に炸裂すると同時に、不思議な悲鳴を上げる野々上。

「あぅあぅっ、杉村さんやりすぎですよぉ!」

「そいつが悪いんだろうが」

 千春が差し出した手を土台に、肩まで駆け上がってきた杉村さんが早速、小声で文句を言う。

「うぅ〜、何でなんだよぉ」

 そう言う野々上の声は、半分泣き声になっていた。

「あのですねぇ、杉村さんはテンじゃなくておこじょなんですよー。それと、男の子なんで、男性に触られるのを嫌がるんです」

 キッ
 そうだと言わんばかりに、杉村さんが一声鳴く。
 ……が。

「そうなんだ、残念……。でもまあいいや。名前は杉村さんなんだよね? よろしくね」

 ドロップキック程度では懲りないらしく、野々上はそう言って右手を差し出した。
 ……おこじょに手を差し出してどうしろというのだろうか?
 それはともかく、杉村さんはそれを見るや否や、早速プイと横を向いてしまった。

「あれれ、嫌われた……」

 今度はさすがに落ち込んだ。

「駄目ですよ〜。野々上君に悪気はないんですから、そんなに毛嫌いしちゃあ」

 千春が杉村さんをたしなめる。おこじょは暫く不服そうな顔をしていたが、何も言わず定位置に戻ると、そのまま丸くなる。どうやら、テンの件は不問にするようだった。

「ところでですねぇ。野々上君は後輩なんですよね? 部活の後輩ですか〜」

 野々上という話のタネがいる現在、黒木に話しかける絶好のチャンスと言わんばかりに、千春は話を続けようとした。

「違いますよ。知ったのも今日が初めてです」

「はれ?」

 訳がわからないといった表情で小首をかしげる千春。しかし、杉村さんが頭に乗っていることを思い出したらしく、慌てて元の角度に首を戻した。
 どうも、今日知り合った二人が部屋の中でなにをやっていたのかが、千春には想像できない。
 すると。

「先輩、学校では調理部に所属しているんですよ」

 杉村さんだけでは飽き足らず、疑問符まで頭に乗せた千春に答え始めたのは野々上の方だった。喋り好きなのだろうか?

「もう引退したけどな」

 黒木が一言付け加えた。

「へぇ〜。男の子で調理部って珍しいですねえ。私の行っていた高校では確かいなかったと思いますよぉ」

「ええ、うちの学校も俺一人でした」

 つまり、今は誰もいないということである。

「どうせ自炊するなら、多少なりとも美味く出来た方がいいと思いましてね」

「あ、そうなんだ〜」

 確かに、料理が美味くなるには手っ取り早いかもしれないが、だからと言って調理部とはなかなか極端な選択と言えよう。

「それで、僕はその黒木先輩に教えを請いに押しかけて来たんです。今日は創立記念日で休みでしたから」

(なるほど、それでか)

 丸くなったまま、一人(?)納得する杉村さん。黒木はともかく、野々上のようないかにも素直そうな学生が学校をサボっているとは思えなかったのだが、少年の一言で謎は解けた。

(しかし、千春は知っていたのか?)

 ならば、先程の意味不明な彼女の自信も納得できる。
 ……と思いきや。

「あ、今日休みだったんだ〜」

 どうやら、ただ何も考えていないだけのようだった。

「あれ? ということは、野々上君も一人暮らしなんですかー?」

 千春がふと思った疑問を口にする。確かに、今の説明だと、そうと取れておかしくないだろう。
 だが……。

「え? 違いますよ。ちゃんと両親はいます。ちょっと帰ってくるのが遅いけど……」

 野々上は慌てて手を振りながら答える。そして、右手を首の後ろに回すと、少し恥ずかしそうに千春から視線を外しながら話し始めた。

「実はですね、この間うちの学校で学園祭があったんですよ。それで、僕のクラスはお好み焼きを出し物にしたんだけど、それがすこぶる評判が悪くて……。それで、もう一度挑戦してちゃんとしたものを作ろうということになったんですよ」

 さらに、野々上の話は続いた。その話によると、今クラス内でいろいろなお好み焼きの情報をつめており、お好み焼き屋を回っている子もいるらしい。
 そして、野々上は近所に住んでいる黒木を訪ねたということだった。

「男の黒木先輩のところだったら、僕でも行きやすいと思ったからね」

 なるほど、テーブルを見れば皿やら何やらが散らばっている。先ほどまでいろいろ練習していたようだった。

「そうなんだ〜。それで、美味しいのは作れたの?」

「はいっ! おかげさまで」

 千春の問い掛けに答えた野々上の声は弾んでいる。それは、黒木の元で上々の成果を上げたことを物語っていた。

「そう、よかったね〜」

 心底そう思っていないと作れない笑顔を千春は見せる。

「でも、こういうのって、一人で行動するのって珍しいですよね〜。あたしも高校の時は、いっつも香奈ちゃんと一緒に行動しましたよ〜」

(こいつらに香奈ちゃんって言ってもわからんだろうが……まったく)

 杉村さんが内心ぼやくのも当然だろう。香奈ちゃんというのは、千春が高校生の頃、なぜか3年間ずっと同じクラスだった彼女の親友のことなのだが、その名前が今の会話に意味をなさないことは、言った本人以外の誰もがわかる事だった。
 だが、誰にでもわかる事でも、聞いていなければ理解する事は不可能だ。

「……あにゃ?」

 千春が不思議そうな声をあげる。それもそのはず、野々上は千春をじっと見つめたまま止まっていたのだから。

「え? あっ、ごめんなさい!」

 慌てて目をそらす。しかし、その顔は誰が見てもわかるほどに紅潮していた。

「?? あぅ……」

 戸惑う千春は、野々上が自分の笑顔に見とれて聞いていなかったとは、毛頭思っていない。

「野々上。朱音さんは、『クラスで集まってする事なのに、何で一人で行動しているのか』と訊いているんだ」

 先程からずっと黙って話を聞いていた黒木が、千春の台詞を言い直した。
 確かに、こういう学生の行事は、材料の買出しでも一つでも数人でというイメージがある。さすがに高校となると絶対とは言わないだろうが、先輩学生の家に突然押しかけて料理を教えて貰うのが一人というのも、何か変な話に思えた。

「え? ああ、今日はせっかくの休みだから、みんな誘うのちょっと気が引けたんだよ。それに」

 その次の言葉を続けた野々上の目が、なにか寂しげだった。

「僕、友達いないから……」

 そう言って目を伏せる。
 彼は本当の思いを胸にしまい込むには若すぎた。その目が、口調が、挙措が、『本当は友達が欲しい』と言っているのだ。

(あぅ〜、意外ですねぇ。野々上君って、いっぱい友達いそうなのに〜)

 千春がそう思うのも無理なかった。年相応とは言いがたい、どちらかといったら子供っぽい性格だが、友達がまったくいないような根暗な性格とは無縁といった感じだ。少なくとも、その穢れた事のなさそうな雰囲気は、年上の女性に人気があるだろう。
 そして、見た目・言動は小学生とはいえ、千春も一人で生活を営む立派な『女性』であった。

「だったら、あたしが友達になってあげますよぉ。家が近いって言ってたよね?」

 何気ない一言。彼女にとって、友達のいない子の友達になってあげるというのは当然の行動だった。
 それが彼女の優しさなのだ。
 が、しかし。その提案に野々上はなぜか慌てていた。

「え? ええ? あ、い、いいです。そんなの悪いから」

「はぅ? 悪い?」

 意味不明な答えに戸惑う千春。黒木も、「何言っているんだこいつは?」と言わんばかりに眉を寄せる。
 何故、千春が友達になるのが『悪い』のか? その答えがわからぬまま、

「あ。じゃあ、黒木先輩、僕はそろそろ帰ります。今日は色々ありがとうございました」

「え? あれ? 野々上君?? ののうえくーん……」

 そう言うと、野々上は素早く靴を履き千春の横を抜け、呼び止める彼女を見向きもせず逃げるようにして――実際逃げたのだろう――扉の向こうの世界へと去っていってしまった。

「慌しい奴だな」

 黒木が呟く。しかし、その表情に気分を害したといった様子は見うけられない。
 もちろん、楽しんでいるようにも見えない。敢えていうなら、どうとも思っていない。それが正解に見えた。

「あうぅ……。千春流のおいしいお好み焼きの作り方、教えてあげようと思ったのに……」

 反対に千春は落ち込んでいるのがありありとわかる。本気で友達になるつもりで言ったので、断られたショックは大きいようだった。

「訳の判らん奴は放っておいたらいいんですよ」

 素っ気無く言う黒木。その口調は、無駄な体力は使うなとでもいいたげだ。

「うーん……」

 何かいいたげな千春だったが、それを言うことなく、別の話に切り替えた。

「そう言えば、野々上君は一体いつからここにいたんです?」

 千春が来た時には料理教室は既に終わっていた。現在時刻は1時なので、午前中からいたことは想像に難い。

「ん? 確か、10時回った頃に来たと記憶していますが? そこから、材料の買い出しに行ったりして、結局この時間になりましたが」

「……ふぅん、黒木さんって優しいんですね〜」

 その答えを聞いた千春の返答はこの一言だった。それも、そのかわいい相貌に、少女趣味の男性諸君が卒倒しそうな笑みというおまけつきでだ。

「俺が?」

 さすがの黒木も、この一言には大きく片眉を跳ね上げた。黒木だけではない。千春の頭の上で丸くなり、頭を自分の腹にうずめていた杉村さんまでが、思わず頭を上げていた。

「だって、休みの朝間に唐突に来たのに、ちゃんと教えてあげたんだよね? 顔も知らない相手に。あたしは黒木さん、優しいと思いますよ〜」

 暫くの間千春を見つめたまま止まる黒木。次に少し困ったような表情を杉村さんに見せると、

「……別に、断る理由がなかったから教えた。それだけですよ」

 そう言いながら、玄関先の靴を並べ直し始めた。

「そっかあ。じゃあ、そういう事にしておきますね〜」

 まだ殺人的にかわいい笑顔を崩さない千春。しかし、彼女を良く知る者なら判る筈だ。その中に歳相応の、心優しき女性の微笑が隠れている事を。

「それじゃあ、黒木さん。家賃お願いしますね〜」

 ようやく黒木達との会話に満足したらしく、千春はドアのノブに手を掛ける。

「わかりました」

 その返事を確認すると、千春は笑顔で手を振り、外へと出た。





「失礼なやつだな、あの野々上って子供は」

 外に出るや否や杉村さんが、おこじょがこれだけ器用に感情を表情にして表せられるのかと感心するような仏頂面で呟いた。どうやら、ずっとそれを言うのを我慢していたらしい。

「テンと間違えた事ですか? 仕方がないですよ〜。おこじょだって、そんなにポピュラ〜じゃないですもん」

「違う。千春の好意をないがしろにした事だ」

 そもそも人間の言葉を使うためにできていない発声器官のはずなのに、憮然とした声も人間以上に見事だった。
 別段、杉村さんは野々上と千春が友達になって欲しかったわけではない。どちらかというと願い下げたいというところだが、千春が友達にというのならば、それをどうこういうつもりはなかったのだ。

「なにか理由があるんですよ〜。私、気になるなぁ」

 てってってっと、リズミカルにアパートの階段を下りながらも、視線は上の杉村さんの方に向けながら言う。

「足元を見ないと危ないぞ」

「大丈夫ですよ〜」

 言い返すと、千春は最後の2段を飛ばして一気に階下に下りた。

「しかし、何を根拠にそう思う? ただ一人を好む根暗かもしれないぞ」

「多分違うと思うよ」

 即座に杉村さんの言葉を否定し始める。

「野々上君、瞬間凄く嬉しそうな目をしたんですよ。杉村さんも見てたんじゃないですか?」

 そう、千春は見逃していなかった。困ったような顔を見せながら、有志がああ答えるその寸前、ほんの一瞬だけ、小学生の子供のような、不純物のない笑みを見せたのを。

「昔のことだ、忘れたな」

 忘れたのか見てなかったのか、知ってて惚けたのかはわからない。しかし、杉村さんは興味なさそうな口調で言うと、千春の頭から離れ、その首に巻きついた。

「また、会えるかなぁ」

「家が近いのだろう? だったら、会うこともあるだろうさ……。それよりも、今からの時間をどうする? 夜までにはまだ時間があるが」

 野々上の話には興味がないのか、杉村さんは別の話題に切り替えようとした。

「んーと、洋服買いに大急デパートに行こうかなって思ってますよ〜。……そうだ! 綾ちゃん誘っていこうかなー??」

「連絡してみるといいよ」

 ふと思いついた名案に、上機嫌な笑顔を見せた千春に、杉村さんは安心したように目を閉じた。





「……静かになったな」

 予告なしの来客達が去った後、康斗の住む部屋はまさに『嵐の後の静けさ』になっていた。

(さて、片付けるとするか)

 散らかったままのテーブル及び流し台に目をやり、僅かながらに嘆息する。突然やってきたやたらと子供じみた後輩は、理解力はあったが要領が悪く、そこら中に色々なものが散らばっていた。

(しかし、無償で教えて貰うんだったら、せめて片付けぐらいして帰って欲しかったものだ)

 何を慌てて帰る必要があったのか、康斗にはわからなかった。『友達になろう』と管理人が言った途端、その言葉から逃げるようにして去って行ったのだが……。

「まあ、俺には関係のない事だ」

 声にして呟く。
 そう、それは康斗の興味対象外の事に過ぎなかった。彼が何かに興味を持って、それに干渉する事は滅多にない。
 それが、黒木康斗と言う人間なのだ。

「ん?」

 片付けを始めてすぐに、康斗は椅子に置かれている物に気がついた。その白い、どこの球団の物かさっぱり見当つかない野球帽は、康斗の部屋に本来あるものではない。……というか、もとより帽子という物を彼は着用したりしない。
 ふと、康斗は野々上が尋ねてきた時、その帽子を片手に持っていたのを思い出した。

(まったく、しょうがない奴だな。明日学校に持っていってやるとするか)

 クラスはわからないが、1年の誰かに渡せばいいだろう……そう思い、鞄の中にしまおうと拾い上げた時、ひさしの裏に書いてあった名前に目が行った。

「野々上有志。……野々上か。否応なしに思い出す名前だ」

 暫くそれを見つめた後、そう独白する。そして、何気に窓の外を見やれば、雪がちらついていた。

「あの時も、雪が降っていたな」

 帽子を手に持ったまま、窓に近づきそれらが地に落ちるさまを暫くの間、じっと康斗は見つめる。
 この様子では、積もったりする事はないだろう。まだ冬の初め、積もるほどの雪が降るには早すぎた。

(ん? 何やっているんだあいつは……)

 康斗が訝しげな表情を見せる。ふと、視線をずらせば、そこにてっきり帰ったものだと思っていた野々上の姿があったのだ。結構距離があるのではっきりとは判別できないが、服装の色彩や背格好から考えてまず間違いないだろう。
 どうやら、民家の塀の向こう側にいる誰かと話しているらしい。しかし、上から見ているにも関わらず、その相手の姿は見えない。瞬間、犬がいるのかとも思ったのだが、康斗の記憶の中にあの家に犬が居たというものはなかった。
 が、しかし。

(どうでもいい事だな)

 そこで康斗の興味が尽きた。帽子は何も今から追いかけなくても、明日返せばいいだろう。ひょっとすると、思い出して戻ってくるかもしれない。
 そう結論を出すと、康斗は片付けを再開していた。





 そして有志は、康斗に見られていたとも知らず、それと話していた。

「寒そうだねえ、いつからそこにいるの?」

 康斗には塀の向こうの誰かと話しているように見えたらしい。しかし、実際には有志の視線は塀の上辺りにあった。

「4日間もいたんだ。でも、これからまだまだ寒くなるよ。そんな風通しのいいところに居たら凍えちゃうんじゃないかな?」

 有志の視線は、塀の向こうに植わっている庭木に注がれていた。
 葉がだいぶ枯れて、かなり禿げ掛かっている木。しかしながら、そこに何かいるようには見えない。

「風の当たらないところは、日当たりが悪いって? うーん、そうだよなぁ。でも、今日はもう日が照りそうにないよ。……ほら、雪が降ってきた」

 何かと話しているのは間違いないが、その姿はどこにも見当たらない。端から見れば、その植木と話しているようにしか見えなかっただろう。
 だが、もし木と話しているとすれば、辻褄が合わない会話だった。

「うーん……。そうだ、今から一緒に暖かい所を探そうよ。僕手伝うから。ほら、ここに止まって」

 そう言って、有志は右手を高く差し出す。
 すると、1枚の枯葉がその手の平に落ちてきた。
 ……いや、違う。枯葉と思っていたその裏面は、鮮やかなオレンジ色の斑紋があった。
 正確にはそっちが表面……それは、テングチョウという名の、蝶の一種だった。越冬するタイプの蝶で、冬場はこうやって羽を閉じてじっとしているのだが、羽を閉じると枯葉にしか見えないので、プロでもなかなか見つけることが出来ない。だが、それを有志はあっさり見つけていたのだ。
 しかし、それを有志に言わせると「いや、『風が冷たいよ〜』と言う声が聞こえてきたからね」となるのだ。
 これが、野々上有志が生まれつき持っていた不思議な能力だった。蝶だけではない。昆虫と呼べる類の全てと、彼は意思の疎通を取る事ができるのだ。
 それは、間違いなく超能力と呼べる代物だろう。しかし、彼はその秀でた能力を見せびらかしたりはしなかった。

「一日中暖かいところ……街の方に行けばいいかな?」

 そう言うと、なるべく風が当たらないようにと両手の平で蝶を優しく包み、そのままの姿勢で歩き始めた。

「さっきね、かわいいお姉さんに会ったんだよ。……え? ううん、綺麗じゃなくて、かわいいって言ったほうが正しいと思うな。かわいくて……優しそうだったよ」

 千春の事だろう。その話をしている時の有志の顔は、とても楽しそうだ。
 だが。

「そのお姉さん、「友達になってあげる」って言ってくれたんだよ。嬉しかったなあ……」

 『嬉しかった』といった時には、その言葉に矛盾して、楽しげなものが消えていた。

「わっ、なっ、何言うんだよっ!? そんなことしてないよ!!」

 唐突に、有志は顔を真っ赤にした。頬に当たった雪が、一瞬で蒸発しそうだ。

「それに、僕は断ったんだよっ だから、そんなことしてないってば!!」

 慌てて一気に幕しててる。
 暫く間が空いた。

「うん、断ったんだ……。僕は変な子だからね」

 その時有志が見せた笑顔は、誰が見ても寂しげだった。
 ……そう、この有志のもつ人外の能力は、他の子供たちには気味悪いだけの代物に過ぎなかったのだ。
 有志以外の人間に、虫の言葉は聞こえない。しかし、有志の声は聞こえる。だから、傍目には笑顔で独り言を繰り返しているようにしか見えないのだ。
 初めは物珍しいと思って近寄ってた子供達も、やがては『変な奴』と思い離れていき、気がつけば誰もいなくなっていた。
 気味悪がったのは子供たちだけではない。両親ですら、息子の能力を理解できずに困っていたのだ。いつも一人でいる息子を何とかしてあげたいのに、共働きで接する時間がない。時間があっても、普通ではない息子の友達関係をどう扱っていいのかわからないまま、時だけが過ぎていく。
 だから、父親の転勤で中学卒業と同時にこの街に来た時、いいきっかけになればと両親は願っていたのだが、その期待も虚しく、高校生活の半年以上が過ぎた現在も有志は一人だった。

「きっとあの人も、本当の僕を知ればいなくなると思うから……」

 そう、有志は臆病になっていた。いくら友達を作ったところで、本当の自分が知られたら、またみんないなくなる。その時の悲しみをまた味わうぐらいなら、初めから友達はいないほうがいい……そう考えるようになっていたのだ。
 だから、クラスでは「大人しく目立たない子」を演じていた。千春や康斗の前で本当の姿を見せていたのは、その場限りの相手だと思っていたからに過ぎなかった。
 もし、有志に彼のことを理解できる友達がいれば、こうはならなかっただろう。本当の自分を知られても、一人になることはないという保証があれば、彼は本来の自分が表に出せるのだ。
 だが、不幸な事に有志には今まで、その後ろ盾に会う事が出来なかった。だから、有志は真実の姿を殻の中に閉じ込め続ける。
 しかしながら、有志は気付いていなかっただけなのだ。本当の自分を知ってなおかつ、親友でいてくれる存在が、伸ばせば手の届く範囲にいた事を。
 その少年は、自分のクラス、それも自分の前の席にいたのだから。

「そうだね、きっと会えるよね。本当の友達に……」

 蝶に慰められたのだろう。再び明るい声に戻り、歩を進める有志の転機は、もう目の前に来ていた。 続く


あとがき

どうも。ここのチャットの常連のみるきぃと言います。
実はこのリレー小説の企画、私がけしかけた者でした。
私としては『多分みんなあまり乗り気にならないだろうな』程度の発言だったのですが、なんと4人が参加に名乗りをあげ、企画進行の運びとなったのです。
特に、積極的に活動してくれたリレー小説経験者御陵さんのお陰で、現在のところの進行状況は良好と思われます。御陵さんにはこの場を借りてお礼申し上げます。
……さて、私の書いた第三話「少年の影……二つ」はどうでしたか?
私自身、このメンバーの中では最年長ですが、物書きとしては一番の経験不足と思われます。
ので、いきなりレベルを下げてないか心配なのですが……。(汗)
今回はやはり自キャラを中心に書かせてもらいました。はじめという事なので、ご容赦ください。2回目以降は出来ればいろんなキャラを動かしたいですね。
さて、私の駄文はこの辺にして、四話の筆者emp.さんにバトンタッチです。

みるきぃ