その日の夜半過ぎの風は黒かった。
 木々の間を通る風も、住宅街の隙間を縫うように吹き抜ける風も、黒かった。
 細い月は雲に隠れてしまい、幾多の星々の輝きも地に届かない。。
 アスファルトは冷え全てを拒絶していたし、丸裸の街路樹は月も星もない夜を助長していた。
 そんな今日も、久保悠太巡査長と柾木隆泰巡査は官給品の自転車を転がしていた。
 柾木巡査はこの春晴れて警察官になったばかりの新任で、ニキビだらけの顔が若々しさを与えていた。久保巡査長はと云うと、打って変わって後一二年で五十路に届くベテランだった。二人はコンビを組み始めて早半年と少し、此と云った手柄はないが、既に抜群のチームワークを同僚達に見せつけていた。
 巡回などの職務は普通二人で行う、その為、訓練においてもパートナーと組む事が多い。彼ら個人々々の成績はそれなりだったが、チームとしての成績は、署長曰く

「かなり」

 の物であった。
 そんな彼らの管轄は住宅街を外れた良く云えば閑散とした、悪く云えば寂れた工場群だった。尤も、それらの殆どは既に打ち捨てられ廃墟と化していた。
 彼らが巡回中に見つける物と云えば、夜行性の小動物や、酔って前後不覚に陥ったサラリーマンが殆どだった。動物好きな柾木巡査はわざわざポケットにパンを忍ばせて居たこともある程だった。
 今日も、そのハズだった。
 柾木巡査は道路の真ん中に倒れ込んだ酔っぱらいを見つけた。
 先輩の久保巡査長を振り返ると、同じ様に見つけただろう。またかと、肩を竦めて自転車を道脇に止めて、男性に歩み寄った。

「こんな所で寝ると風邪を引くぞ。」

 久保巡査長は柾木巡査から一二歩離れた所で立ち止まり、事の成り行きを見詰めようと、柾木の後を歩いて男性に歩み寄った。
 そして、盛大に転んだ。

「久保さん、どーしたんすか?」

 驚いた様に振り返る柾木巡査。

「痛たたた。」

 久保巡査長はどっこらせと立とうとして、地面に手を着いた。

「…………。」

 久保巡査長の顔が強張る。

「久保さん?」

 その様子を訪ねる。

「おい、起きろ。」

 久保巡査長は柾木巡査の質問を放って、地面に横たわる男性を揺すった。
 その時になって、柾木巡査は携帯していた懐中電灯を灯した。


 その日の朝早く、ジョギング中の老人は、いつものコースに「KEEP OUT」と書かれたテープが張り巡らされているのを見て、

「ああ。」

 と理解し、息子の嫁に持たされているプリペイド式の携帯で、茶飲み友達の松っちゃんに、安ちゃん、喜久ちゃんに素早く連絡を入れた。







第八話『奔る崩壊』



ぴぴっぴぴぴぴっぴぴぴっ

 暗い部屋。陽光は分厚いカーテンで遮られ、部屋を照らせない。つい先程までは物音一つ無かった部屋に、目覚まし時計が朝を告げる。彼がいつも学校に行く時間である。
 目覚ましの主はと云うと、ベッドで薄目を開けて微睡んでいた。

ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴっ

 目覚まし時計が堪りかねた様に、一層にその音を大きくする。しかし、彼は、起きない。鬱陶し気に瞳を顰めるが、耳を閉じようともしない。

「…………。」

 彼は鳴り続ける目覚まし時計を、眺め続ける。
 やがて、疲れ果てた様に、唐突に目覚まし時計が果てた。それから、彼はようやくにして起きた。
 暫く横になっていたとは云え、寝起きとは思えない機敏な動作で、枕元に置いてある腕時計を手にし、目覚まし機能をOFFにすると、ベッドに逆戻りした。
 眠たいワケではない。疲れが溜まっているワケでもない。ただ、やりたいことが何もないだけだった。
 ぼんやりとした浮遊感。言葉に表せばそういった物を求めて、ベッドに横たわる。要は暇つぶしの方法が思い付かないだけ。だから、目覚まし時計を無視していただけ。
 今日は土曜日だから。





 ほぼ同時刻。

「すーすー。」

 休日は用がなければ昼前まで寝ている千春は、その日も例に漏れなかった。
 可愛らしく薄いピンク色に調度された部屋では、目覚ましは昨晩の間に鳴らないようにセットされていたし、携帯電話もマナーモードに切り替えられていた。毛布と掛け布団に口元までを埋めて心地良く眠る。

「…………。」

 枕の側で、杉村さんが寝返りを打つ。昨日の疲れが残っているのかどうかは定かではないが、無防備に腹を晒け出して眠っている。そこに野生動物としての誇りは全く見受けられなかった。
 彼女たちの惰眠は結局正午過ぎまで続いた。





 ほぼ同時刻。
 輝和の一日は、けたたましい音を響かせる一つの無機質な存在を殴って仕留める事から始まる。

「……相変わらず煩いよなぁ、この時計……。」

 自分でセットしておいて酷い言い方だが、寝ぼけ眼を擦り、毎朝同じ事を呟きながら殴り飛ばした時計を元の位置に立て掛け……ると、側面にヒビを見つけてしまった。毎朝々々殴り続ければ致仕方無い事なのかも知れない。
 輝和はふぅと息を吐いて掛け布団を引っぺがすと、やはりと云うべきか今日もブラコン姉が微睡んでいた。いつも通り姉を蹴り起こして、朝食を拵えて貰う。その間に自分は制服に着替えてしまう。姉が作って貰った朝食を摂り、歯を磨き、顔を洗い、髪にブラシを入れてコートを着込み、鞄を手にし、姉に「行って来ます!」と声を掛けて輝和は外へと飛び出した。

「輝、今日土曜日だけどガッコあんの?」

 と、云う焼きたての食パンを咥えた姉の寝ぼけた呟きを耳にする事無く。





 ほぼ同時刻。
 有志はテレビに釘付けになっていた。寝間着のままで布団の上に正座をして。
 地方の報道局は当然として、全国区の報道局でも取り上げられているニュースに耳を眼を傾けていた。
 『サラリーマン惨殺事件!!』
 多少の違いはあれ、殆どの報道局は明け方の惨事を報せていた。そこでは、四肢は切断されており――それでいて、四肢は離れておらず――、人目では生死が判らなかったらしい。

「この場所って結構近所だよな。怖いな。」

 報道されている場所は、有志の家からも、徒歩では辛いが自転車なら物の十分もあれば着く場所だった。昼間でも人通りのない倉庫街らしい。場所的には知っているが、行ったことはなかった。
 テレビの中で東海林何某が、息巻いて、「警察組織に対する犯行でしょうか、それとも怨恨でしょうか?」などと、物知り顔で、TVの前の主婦に語りかけていた。





チーン

 襖で仕切られた和室には小さな鐘の音と、線香の香りが立ちこめていた。
 仏壇の前で正座する影二つ。どちらも神妙な面持ちで掌を合わせ、誰かの冥福を祈る。どちらも宗教には疎いのか、念仏などは唱えずにただ合掌し、黙祷を送る。
 暫くすると、小さい方の影が、正座のままもう一方の影へと向き直り、居住まいを正し、

「雲霧のおばさん毎年有り難う御座います。」

 深々と頭を下げた。

「あら、千春ちゃん良いのよ。私も、うちの人も義美君にはお世話になったんだから。」

 千春の前で豪快に笑う婦人は雲霧瑞紀といって、千春の管理する借家の一つにもう四十年以上住んでいる最古参の人物である。

「いえ、こっちこそ、母や祖父の頃からお世話になりっぱなしで、」

 「あらあら」「あははは」と笑い声が重なる。
 雲霧婦人の前には湯飲みと、茶の入ったやかんが置かれており、彼女は話の最中に何度も茶を湯飲みに注いだ。彼女の茶好きは有名で、だからこそ彼女が来た時には千春はやかんごと茶を出す事でもてなす事にしていた。

「それで最近は、雲霧のおじさんはどうですか?」

 少し、辺りを窺う素振りを見せて――勿論千春の家に居るのだから、彼女ら以外は誰も居ないのだが、気分的な問題なのだろう――雲霧婦人に尋ねる。

「あの人もお陰様で頑張ってるみたいだよ。」

 横に大きな体をもじもじさせながら、のろける雲霧婦人。ある意味とても怖い。彼女の旦那は雲霧仁太郎といって、現代を生きる正当派盗賊として名を馳せていた。以前のサラリーマンの内ポケットから長財布を抜き取り、金銭を頂いた後に領収書を入れて返した件などは新聞を賑わせた事でも記憶に新しかった。正当派盗賊と呼ばれるのはそれだけが故ではなく、殺さず、犯さず、貧しきからは奪わずという、盗賊の戒律を犯さずに義賊であり続ける点でもあろう。

「今年は義美君の十四回忌だから帰れたら……って云ってたのにねぇ。残念だよ。」

「いえ、おばさんが来てくれただけで十分ですから。」

 ニッコリと笑いかける千春。

「さて、長居もなんだからそろそろ帰るわ。」

 そう云って近くにあった卓袱台に手を着いて立ち上がる雲霧婦人。彼女が帰ると云った時は絶対で引き留める事は失礼に当たる事を千春は知っている。やかんのお茶を飲み干したのだから。

「はいー。今日はどうもありがとうございました。兄も喜んでいると思います。」

 「それじゃまた来るわ」と男言葉で云って朱音宅を後にする雲霧婦人。
 雲霧婦人の帰った後の朱音宅はヤケに静かで、かと云って暗いワケではなかった。
 千春はいつもの様に鼻歌を歌いながら家の掃除をし、夕食の下拵えをし、借家などの貸し賃を点けたりをしていつも通りに過ごしていた。いつもと違ったのは杉村さんだった。

「杉村さ〜ん?」

 いつもなら千春から離れようとしない杉村さんが今日は離れない所か、近付こうともしない。離れた場所から見守ってはいるのだが。おもしろい形に襖の間だとか、テーブルの脚の影から見守っている姿は滑稽だった。

「杉村さんどうしたんですか?」

 千春が近付くと逃げてしまう。また直ぐに戻って来て見守りはするのだが、やはりどこかおかしい。

「毎年お兄ちゃんの命日になったら、拗ねちゃって。」

 あはははと笑って、杉村さんの頭を撫でようとして逃げられてムッとする千春。
 そんなことを何度か続けた後で、二人揃って夕食を摂り、千春はベッドに座って趣味の編み物を始める。勿論あげる相手は、自分か綾芽、友人――女性――なのだが。





 抹香の匂いの立ちこめる暗い部屋に独りで、後ろ足だけで立ち佇む杉村さん。
 そこは生前千春の兄である義美が使っていた部屋で、今は仏壇が置かれているが、殆ど生前のままにされている。机の上に並べられたビーチボーイズのレコードは時々磨かれていた為、僅かな埃を被っているだけで綺麗な物だったし、書籍の類もセピア色に風化はしている物の、埃は殆ど被っていなかった。杉村さんはそれらを懐かしむ様に、悲しそうに眺めていた。
 僅かに開いている仏壇から覗く、遺影をちらりと見ると、杉村さんはフィとそっぽを向き、部屋を後にする。敷居の辺りで立ち止まり、先程の「毎年お兄ちゃんの命日になったら、拗ねちゃって。」という千春の言葉を思い出し、

「自分の命日を喜ぶ奴が居るものか。」

 と呟いて行った。





 明るさという力を失った蛍光灯は惨めである。暗い中に佇むだけの存在であるからだ。
 しかし、明るさという力を持っている物の、灯されない蛍光灯はどうなのだろう。
 雨戸にカーテンを閉め切った暗い部屋。一切の光が無く暗いだけの部屋。そこに於いて蛍光灯は灯されなかった。

「はァはァはァ。」

 暗い室内で、荒い息を吐き続ける。鼻息とも取れる水っぽい荒い呼吸。
 恐怖に精神を躰を病み、何度も々々々嘔吐する。異物が無くなれば臓物が出るのではないかと疑う程に体液を吐き出す。が、彼女には動く力も残っていなければ、気力もなかった。
 自分の嘔吐物、排泄物らの池に沈みながら、ただ怯える様に震え続ける。
 部屋中の家具はまるで熊か何かの猛獣に薙ぎ倒されたかの様に粉砕されており、そこに生活臭は残っていなかった。
 雨戸とカーテンに遮られた部屋には陽の力は届かない。
 部屋の外では、既に何日も干されたままになっている洗濯物が静かに朝の光を受けてはためいていた。   続く


あとがき

はい〜どーも。
二度目の御陵です。
以前は多忙の為後書きが書けなかったのですが、今回は今回で多忙と、受験を控えた生徒が何人か居ると云う事で、夏休み前に順番を廻すことを目的として、早く上げてしまいました。
取り敢えず、他の人では書き難い辺りを書かせて頂いたつもりです。

時間に比例して内容が薄いです。
申し訳にない程内容が薄いです。
駄目駄目な程に内容が薄いです。
手遅れな程に内容が薄いのです。

本当はもっともっと書きたい事があったのですが、悔しいです。
時間のなさもですが、時間のなさを理由にしてしまう自分の力量が。

で、みるきぃさんにいぢめられるのよ。シクシク。
お願い納豆は止めて。エグエグ。

次回こそ挽回してやる! と思うも、時間があればネと思う自分に鬱。
かなりの悔しさを残して、次の方――次が誰か忘れた――にタッチです。