ネコ和子の

過去の日記 平成12・13・14・15年分へ
平成19年1月3日(水)

長い間日記の更新ができないでいた。何を言っても弁解。でも、昨年の9月までは正直ジャズストリートに追われていて・・・。

『和泉の国ジャズストリート』の話しを聞いたのは、1昨年11月頃かなあ? 5年間「和泉市にジャズを!実行委員会」を2人で続けていたので、お手伝いしますよ、と言っていたものが主体的にやる羽目になってしまった。もともとこのように発展することを願ってはいたのだから文句も言えない。12月には和泉市制50周年記念助成金事業に申請、プレゼン。2月末に助成金が決定。そこから実行委員会を作りスタートしたのだった。議員だから表には出ないで裏方として事務局を飯恚c員と共に引き受け、まったく五里霧中のスタート。とりあえず走りながら考えよう、という得意の行動パターン。

そして9月16日の前夜祭。ミュージシャンは2ヶ所とも素晴らしかったが、府中駅は土曜のことで人影そこそこ。中央駅は黒山の人だかり。まずは成功。17日は悪天候だったものの、参加くださった方々からは「感動した」「来年もぜひ」との声が山のようにうねりのように・・・。

3000部作ったプログラムから察するに、前夜祭・本番併せて参加者3000人以上を数え、まずは大成功。内容的には、それぞれ極限まで頑張った実行委員・ボランティアの方々の熱意のおかげ。そして、ジャズのためにと手弁当で参加してくださったプロ・セミプロのミュージシャンの演奏スキルの高さのおかげ! 40組150人のミュージシャンの方々、ありがとおおお〜!

 

平成18年6月19日(月)

けなげな鯉! 自宅の小さな池に、もう7ヶ月寝たきりの錦鯉がいる。30年近く生きている鯉で老衰と思われるのだ。金色の錦鯉で7,80cmはある。昭和49年青葉台に来て最初の家で、プラスティックの心の字池をコーナンで買い、鯉の赤ちゃんを飼い始めた。その後現在の場所に家を建て狭い庭に池を掘った。頭の先に赤いしるしのある丹頂や紅白、三色、銀色、なかには真っ黒の真鯉も加わって20匹くらいが30年・・・・。昨年にかけて順々と老衰で亡くなり今は3匹。でも、貰ってと言われて飼い出した赤い金魚が18匹ほど、めちゃ大きくなってともに暮らしている。鯉も30年になると、池から取り出すと子犬くらいあって、以前亡くなって埋めたときは抱くとずしりと重く、その存在感に涙が出た。夫も長年、しょっちゅう池の大掃除に追われている。忙しいのに、と感心する。ポンプが止まった、池の水がなくなってる、水が濁ってる・・・・・トラブルが起こるたび大慌てして事なきを得てきた大切な鯉たち。雨戸を開けると、えさ頂戴、とみんな寄ってくる可愛い鯉たちだ。

金の鯉、去年11月ごろ池の底に横たわっていたから、死んだよ、と主人が庭に穴を掘ったがそのままなので、なんで埋めないの、と聞いたら、まだ生きてる、と。よく見ると大きな呼吸をしえらを動かしながら水底で必死に生きているのだ。鯉も寝たきりがあるのねぇ。でも水の中だからどうしてあげることもできない。

平成18年6月5日(月)

昨日、市役所の玄関前駐車場で第6回いずみワールドフェスティバルが開催された。国府小学校で親子まつり、コミセンでカラオケ大会があったりでその影響か、来場者がまた倍増の大盛況。主催者発表は1500人にしようかという話しだが、私はもっといたのではと感じる。多くの外国人が民族衣装を身に着けての参加。余計ワールドワイドな雰囲気が濃厚なフェスティバルになったし、15の舞台プログラム、18の世界の料理・各国物産ブースがにぎやかで楽しかった。

ICIXはブースではチラシ寿司を売り即刻完売。さらに、フェアトレードのインドネシアコーヒーのブース、中国工芸品販売のブース、周さんの焼餃子のブース、舞台プログラムでは趙さんたちの二胡演奏などのお世話をした。また当日たまたま舞台に穴が開いたため、コミセンでやっていたいずみ環境くらぶの「私にできること〜ハチドリの話〜」の紙芝居を、ICIX協力として日本語・英語・朝鮮語を混ぜて舞台でご披露でき、これは嬉しいハプニング!

私はワーフェスを始めた6年前から実行委員として関わってきた。今年は議員活動にも市民活動にも忙しくて、夜の実行委員会が重なって出席できないことがほとんど。しかし、このように市民のボランティア活動が活発でバラエティに富んでいるこの和泉市を、とても誇りに思っている。

平成18年5月30日(火)

市民ミュージカル劇団ドキドキの第3回公演「ウェストサイズ物語」を5月27日(土)、弥生の風ホールで上演した。420人ほどのお客様が観に来てくださった。毎年、7ヶ月かけて練習を続け5月の本番にこぎつける。熟年向けの社会的問題を面白おかしく、またペーソスと感動を呼ぶ劇に仕立ててあり、それを素人の私たちが一生懸命演じるのだ。この一生懸命さが唯一の魅力だと思っている。平成15年市主催の「コンビニダンスストアin和泉」、平成16年「花のクッキー売り娘」、平成17年「白くて丸くてでっかいもの」そして今回の「ウェストサイズ物語」と、思えばみんなよく頑張ってきたものだ。今年は団員が減って財政が苦しく、また自分たちの演技に自信が持てなくて直前まで精神的に追い詰められた状況だった。なんとかお見せできるものを、と1ヶ月前から随分自主練習を重ねた。指導の先生が、今年は皆さんとてもよく仕上がっている、とおっしゃればおっしゃるほど、みんなリップサービスかと更に練習に必死になった。

結果は○。辛口の批評をする友人や多くの知り合い、娘からも、一様にお褒めの言葉を貰って、ほんまかな?と多少信じれる気持ちが生まれてきた。思えば、数年のキャリアを重ねるうちに、それぞれの個性が役に生かされ、以前のように口移しで教えられなくとも、自ら役作り出来るようになってきている。まだまだだけど、そして勿論一生素人だけど、お客様に元気と楽しさを多少なりとも差し上げられる劇づくりを続けたい。

平成18年3月18日(土)

朝、突然の市外電話が入った。「岡山県備前市長の西岡です。」「まあ、お久しぶり! おめでとうございます。」「あんた、元気にしてる?」

さかのぼると中学3年生のとき。わたし、大阪十三にある市立新北野中学校で卓球部の選手を一応?していた。隣接している北野高校3年生の西岡憲康さんが練習のときよく来てくださり、丁寧に教えていただいた。西岡さんは立志伝中の人(と思っている)。高校3年生の夏休みはずっと横須賀の米軍基地で過ごし、京都大学に入ってすぐ通訳ガイドの国家試験に合格された。スゴイ!英語は梅田などで外人に話しかけては磨きをかけ、親しくなったアメリカ人に誘われてひと夏基地で過ごされたと伺っている。実は、お父さんを戦争でなくされ、決して裕福でないようなお口ぶりだった。その証拠に、(怒られるかな?)、卓球の練習のとき上はランニングの下着姿になられるのだが、穴が開いているのを見てしまい、お気の毒にという気持ちとそれにも関わらず何事にも卓越しておられるのがすごい!という気持ちが内混ざって複雑だったのを覚えている。そのころ、高校生ですでに家庭教師をしながら、(多分)家計を助けておられたのだ。法学部を出られて岡山県庁を経て33歳で県議会議員になられたのが政治家の始まり。以来ずっと政治に挑戦しておられ、平成17年3月、合併後初の備前市長になられたのだった。

年賀状のやり取りはずぅ〜っと。だから46年くらい!大学卒業しても何度か家にもお見えになり、母もよく存じ上げているが、それ以来電話はお互い数度あっても、お会いする機会はなかった。今回なぜ電話がかかってきたかというと、和泉市の消防署が備前市の消防の視察に行ったようで、そこで私の話が出たという。和泉市消防の方からも伺った。

私も人生の終わりに差し掛かっているのだが、このように不思議なご縁の方が何人もおられ、今でもまた違ったご縁を作りながら生きているんだろう。楽しいねえ!!

平成18年2月4日(土)

昨日、北信太駅近辺の方から留守電が入っていた。若い女性らしい。北信太駅前の狭さ、混雑、不法駐車や危険性などを深刻な声で嘆き訴えておられた。私の市政報告を読んで下さっているのだが、和泉中央の記事が中心で悲しい、ともおっしゃっておられた。すみません。私も鶴山台の方からも随分訴えをお聞きしている。あれだけ大きな、公団の住宅地がありながら、この駅と駅前はあまりにもお粗末。落差があって信じられない思いが以前からしている。タクシーに乗れない、ロータリーも無い昔ながらの小さな駅前・・・・。私も何とかしますと申しあげ約束した方もおられる。ホント言って、多少他の議員の地盤を侵す感じがして遠慮している部分もあるのだが、そうも言っておられないかも。ぜひ協同で改善したいと思う。

実は随分以前に一度北信太駅前の整備計画があったようだ。駅前の商店を移転させ駅前を広げた上、ロータリーを作ろうと。しかし駅前の商店が反対し、その計画はつぶれた。数年前に再度駅前再開発の計画をある人から聞いたことがある。同時に道路も計画的に張り付けていくという話しだったが、その後は全く聞かないなあ。

JRの社長が中高時代の近しい友人であることから、北信太駅の西口改札を再開したいという柏議員の強い思いをお手伝いしかけたのだが、それもあの福知山線の事故で頓挫してしまった。和泉市を調和の取れた住みやすいきれいな町にするために、‘阿倍晴明’イメージで売る北信太駅ではなく、きちんと和泉市の北の玄関口と位置づけて再生したいものだ。

平成17年12月25日(日)

2時からの今年の第九が終わった。今回はほとんど練習に行けなかったけれど、そよ風の会のメンバーが総勢10人出演、いずみ第九市民合唱団で共に歌えたことが本当に嬉しかった。のんちゃん、おばあちゃんも聴きに来てくれ、DEEJの名前で花束もありがとう。

第九、大好き。今年で3度目。あとの打ち上げで話させていただいたように、やはり聞くより歌うほうが幸せ。下手でも、歌うのが好きなんだなあ。昔12月30日にはフェスティバルホールで朝比奈隆さんの第九を何年か続けて聴きに行ってたことがあった。おせちを作る手を休め、1人で車を走らせる。朝日新聞社裏あたりに車を置き、 チケットを握りしめホールに駆け込む。和泉の第九は、他にピアノ協奏曲があったりするが、フェスのは第九だけ。でも最後に合唱団がペンライトを揺らしながら蛍の光を歌い、それをあとにしてまた家まで車を走らせる。暮れの風物詩・・・。

第九終了後打ち上げが終わってから、今度はふれあいコンサートの反省会に駆けつけた。12月10日に弥生の風ホールで開かれた南池田中学校区ふれあいコンサートでは、そよ風の会の合唱と菊紀美社中の9人のお琴、中学校の宮崎先生含めお二人の尺八の『花さき山』を合唱奏。私は語りをさせていただいた。斎藤隆介原作の文を読むのだが、演奏と細かく合わせながら進むので譜面と首っ引き。車の中でも随分練習した。結果、この合唱奏が良くて、あちらこちらから感動したとお褒めを受けて嬉しい。あとのビデオを見ても涙が出た。ビデオでは、緑ヶ丘小学校の子どもたちの言葉にも、新小学校へと半分別れる寂しさを思い涙が。また最後の乾実行委員長の挨拶で、子どもからお年寄りまで協力して地域で立派な子どもが育つように、という言葉に感動。和泉市政はいまとても大変だけれど、来年もできるだけ心を平常に保ち、人を信じながら頑張りたいと思う。

平成17年12月3日(土)

12・3和泉市民ピースウォーク実施!

少し前、イラク参戦から帰還したアメリカ兵をインタヴューしたTV番組を見た。爆弾を受けて大きな後遺症が残った兵隊は、志願した自らの行為を正当化するかのごとく、イラク戦争に意味を見出そうとしていたことが非常に痛々しく思えた。しかしそれよりも耳に残ったのは、別の帰還兵の言葉、「テロを根絶しようとしてイラクに行ったが、逆に自分たちが行くことでテロを産み出していると思う」。本当にそうなのだ。戦争により生み出される激しい憎悪は、消されることがない。親から子へ孫へと伝えられていき、民族間の軋轢となって残る。(日本がかつてアジア各地に出かけていって仕掛けた戦争もまさにこれだ。)戦争は悲惨。特に大国の利害のために引き起こされる戦争は悪以外の何ものでもない。

心から平和を願って行なった自衛隊イラク派遣延長反対のピースウォークは、好天に恵まれて約80名の参加を得た。午前10時から市役所前で30分の集会。‘The Non-Smokers’のイマジン演奏に始まり、市長メッセージ、参加者の一言メッセージ、小泉首相宛てのピースウォーク宣言を発表していよいよ市役所を出発。総合福祉会館、和泉市立病院を経て和泉府中駅まで約45分の道のりだった。「誰でも気軽に参加できる普通の和泉市民のピースウォーク」をアッピールするため、毎回ギターの伴奏で替え歌を歌ったり沿道の方々に花を配りながら、柔らかい雰囲気のなか、平和に対する想いを訴えている。シュプレヒコールの文言とピースウォーク宣言の内容は以下の通り。

1.私たちは和泉市民ピースウォークです。平和を願って一緒に歩きませんか?

2.自衛隊のイラク派兵延長に反対しよう!

3.自衛隊はイラクから撤退しよう!

4.イラクには軍隊を送るな!

5.イラクには人道支援を送ろう!

6.自衛隊員を劣化ウラン被害から守ろう!

7.自衛隊は今すぐ帰ってこ〜い!

8.イラク国民の手による復興を支援しよう!

9.無差別に命を奪う、テロも戦争も反対!

10.和泉の街から平和の声をあげよう!

12・3 自衛隊イラク派遣延長反対のピースウォーク宣言

私たちは「テロも戦争もいややなあ!」と、2001年のアメリカの同時多発テロに対するアフガニスタンへの報復反対のピースウォークを呼びかけたグループです。以来、アフガン難民へのカンパ活動や、米軍のイラク攻撃反対、自衛隊のイラク派遣反対などの取組みを続けてきました。自衛隊の派遣延長期限が14日に迫っています。政府はまたも延長しようとしていますが、サマワでの治安を担うオーストラリア軍、イギリス軍でさえ2006年4月ごろの撤退検討を表明しています。米軍を主とした多国籍軍への抵抗運動や、新政権と宗教にからむ部族間の争いが頻発している戦闘状態のイラクからはすぐに撤退すべきです。平和憲法のもと、戦闘状態のイラクへ自衛隊が派兵されてしまったということに強い危機感を持って抗議します。また、派遣された自衛隊員の劣化ウランによる健康被害も心配されます。帰国された自衛隊員の健康調査と対策をされるように強く希望します。「大量破壊兵器」も「フセイン政権からの解放」という大義もこじつけだったことが判明した今、あらためて充分な論議をすることなく派遣延長が決められることに強い危機感を持って抗議します。

* 私たちは自衛隊のイラク派遣に反対です。 * 私たちは自衛隊の派遣延長に反対です。 * 自衛隊はすぐに帰ってきてください。

イラクへの支援は、軍隊ではなく国連のもと、NGOなどの協力を得て、イラク国民の手による国づくりを支援していきたいと思います。

平成17年11月12日(金)

今日は朝10時から、和泉中央駅で「のぞみ野にパチンコ店はいらん!」対策協議会の街頭署名活動をした。場所は、和泉シティプラザとイズミヤの間の2階通路。マンションの若いお父さん・お母さんや、桃大の学生さんたち、のぞみ野の住民、中学校の先生、などなど20人くらいが一生懸命慣れないマイクを握って訴え、道行く人に署名をお願いした。日曜の午前中にもかかわらず、市民文化祭や桃大文化祭があったおかげで173名もの署名が集まり、やはり良い生活環境や教育環境を守るために、パチンコ店出店反対運動を頑張って続けなければと思ったことだった。

上代町に住んでいる友人が通りかかり、「パチンコ店の問題はぜんぜん知らなかった。和泉市中の町に同じ問題が起きる可能性があるんだから、市内全域の自治会に頼んで署名活動を広げるべきよ」と言ってくれたことや、中学校の先生が「市内全体に知らせて運動を広げるためには、新聞折込が有効」などアドバイスくださったのが、示唆的でもありとても心強かった。

パチンコが趣味だとか、ストレス解消に欠かせないとか思っておられる方が多いけれど、実際は、儲かるか損するかの瞬間のスリルにはまってしまっているんじゃないかな? それこそギャンブルの落とし穴?  抑制が利く人はまだしも、破滅に繋がってしまった人はどれほどいることだろうか。もっと真善美ともいうべき美しさや幸せ、生きる歓び、向上心が感じられ、しかも気軽に楽しめる趣味はないものだろうか。生涯学習の時代だもの、身近に音楽・陶芸・絵画・写真・手芸・スポーツ・ダンスなどなど可能性はいっぱいあって、一生かけても時間が足りない位。さらに多くの市民がそれらを見たり聴いたり接したりする機会を増やすために、和泉市の市政も市民を応援している。和泉市民文化、もっと広がれ! 

平成17年10月8日(土)

 ★いぶき野の藤和不動産マンション建設に係る請願の扱いについて・・・不採択にした理由

9月21日は産業建設委員会。提出議案以外に、6月から継続審議となっていた藤和不動産マンション建設についての請願の扱いはどうするか、という課題があった。

元々の請願項目は、要約すると、市議会議長あてに、1.藤和不動産に、いぶき野3丁目に計画しているマンションの計画見直しを行うよう、勧告してください。2、まちづくり政策部に、審査を厳正に行うよう、促してください。3.藤和不動産に、近隣住民の意向を尊重するよう指導してください。4.教育委員会に、教育環境が悪化しないよう、適切な処置をするよう促してください、の4項目。6月の委員会で1.3.を取り下げ、2.4.の項目だけが請願内容として残っている。これをどうするか?

「趣旨採択」という処理もありきだが、と数日前に委員長から提案あり。趣旨採択って?

趣旨採択(議会用語辞典より抜粋)

 請願に対する議会の意思決定は、理論的には採択か不採択の2種類しかない。しかし議会としては、請願の願意については十分に理解できるが、当該地方公共団体の財政事情等から当分の間は願意を実現することが不可能である場合等に、便宜的に「趣旨には賛成である」という意味の議決をすることがある。その趣旨のみ取り上げるというから「趣旨採択」と呼んでいるが、どちらかというと採択に近い。(中略) 

[注意点 1] 請願について、実務上「趣旨採択」という議決が行なわれるが、不採択とすることによって請願者等に与える影響を配慮してのことと考えられる。このような配慮は請願なるが故にでてくるもので、議案には考えられないことである。しかし、「趣旨採択」は、あくまで便宜的な処理方法であって、乱用してはならない。このようなあいまいな方法をとらないとするなら、採択または不採択とすればよい。

つまり、@請願者の気持ちは理解できるが、中味の実現はできない A採択に近い、と書いてあっても、実際は不採択にしたいが影響が大きいので言葉としては採択、というもの。いうなら、見せかけの採択というくらいに考えなければいけない処理方法である。だから、紹介議員の場合は、請願を実現すべく議会に紹介した責任上、趣旨採択には反対し、あくまでも採択を主張するのが本来の正しい態度。ついでに、請願についての説明や委員会の日時、傍聴に関しても紹介議員が責任を持つべき。

私は、趣旨採択はどうかと聞かれたとき、これはいけないと思った。他のホームページを見ても、趣旨採択になったとまるで採択されたように表現している勘違い文面がたまにあり、今回もそうなる恐れが多分にあると考えたからだ。この藤和不動産問題の請願は、6月議会当初に出された4項目中、2項目が市議会議長に‘民事の問題に勧告・指導して下さい’というような議長の権限の及ばない、的外れの請願だったため、不採択になるはずのものだった。それを、異例なのだがその場で2項目を取り下げることでなんとか継続に持ち込んだのだった。当然、請願者の想いを汲んでの異例の措置。その後、3ヶ月の間に業者も話し合いに応じ、3回もの設計変更をしている。これで終わりではないにしろ、ここで趣旨採択をすると、採択という言葉が独り歩きすることは目に見えている。まちづくり政策室や教育委員会に対する‘促してください’という文言も、実際は“願意は実現できない”となっているのに、住民にとっては採択と思ってその時点から不当に大きな力を得て、かえって住民運動の妥協点が見えなくなる可能性がある。趣旨採択に大きな期待を寄せられたとしたら、とんでもないことになりうる。

もちろん、趣旨採択より不採択を選択したのは私だけの考えではない。多くの産業建設委員の意見がまとまり、市のまちづくり政策室や教育委員会は当然これからもその職責を十分全うすることを条件に、私は不採択の立場で討論したのだった。議事録がでたら、ぜひ参照していただきたい。

アメリカでは、子どもに対してもしっかり自己主張し議論discussすることを学習させる。しかし、何らかの結論を出さなければいけない時は、自分の言い分だけを主張するのではなく、相手の立場も理解した上で、最後には妥協compromise、歩み寄りが大切、と教える。難しいのだけど、ときには振り上げた拳を下ろす勇気も必要ってこと。(もち、場合によりけり。)(私も思い当たったりして?)(こんなことを言うと、また誤解する人がいるのだろうなあ!)

平成17年9月11日(日)

10日、11日と大分県別府市で開かれた「第12回全国市民オンブズマン別府大会」に参加してきた。昨年、オンブズマン大阪がしている「包括外部監査の通信簿」に臨時に入らせてもらって、堺市の『指定管理者制度に関わる包括外部監査』のコメントを書かせてもらったのがきっかけ。この大会は10年の歴史を持っていて、昨年は北海道函館市で開かれたようだ。今年は全国のオンブズマンが約350人別府に集まり、全体会議・地域活動報告、各テーマでの分科会が開催された。今回は、『もっと広げよう、情報公開!〜あの手この手の公金横領・不正支出にストップを〜』とのスローガンで、さまざまな取り組みが紹介されている。このように書けば、非常にセンセーショナルなタイトルであるが、私自身は勉強のつもりで出席した。

初めて出たこの大会は、オンブズマンのみならず、市会議員や弁護士さんなど、政治の粛正に関心ある人々が集まっており、有名な大阪の松浦米子さんにも紹介していただいた。私は議員として、少しでも勉強して和泉市政の向上に役立てられないかと考えている。5年前、初の一般質問で福祉オンブズマンをと訴え、介護保険オンブズマンが誕生した。本来北欧では、行政自身が法律に基づいて作るのがオンブズマンであり、日本でもそのような自治体がこの節散見される。和泉市でもぜひ自らを律する目的で、設置してもらいたいものだ。

平成17年8月26日(金)

のぞみ野のパチンコ店開業に反対です!「パチンコ店をすべて否定するわけではないが、あの町にはそぐわない」という観点で反対しています。

私は、同じ校区の青葉台に昭和49年に引っ越してきました。のぞみ野(当時は万町でしたが)は、婦人子供服団地として一般住宅はまったくなく、住居としては唯一LCBコーポというマンションがあっただけと記憶しています。当然、当時あの場所は準工業地域として用途決定されていました。イフオックがあってスポーツ用品が安く買えたり、買い物には便利していました。でもその後工業団地構想が破綻し、住宅が建ち始め、当初看護系短大が来る計画が立ち消えになって桃山学院大学が移転して来、以前から頑張って営業してこられた商店が活気づきました。そして横川のケーキ屋さん開業で一挙におしゃれな町としてブレークしたと思っています。のぞみ野は、パチンコ店や風俗店など何でも建てられる準工業地域指定が現状に合わなくなっているのではないでしょうか。

パチンコ店出店問題は過去、市内外を問わず起こっており、訴訟に発展してもパチンコ店側が大体において勝訴しています。パチンコ店出店規制の条例を持つ宝塚市で、2002年7月最高裁まで行った裁判で、訴訟を却下されたのです。規制するという市条例よりも準工業地域に建てられるという法律が勝ってしまったのです。3年間建築を中断されたことで、逆に19億円の損害賠償を訴えられ、神戸地裁で市側が約3億2500万円の支払いを命じられました。これが現実です。(これでは、各自治体での町づくりができなくなる?) 

問題ののぞみ野のパチンコ店は、建築の部分で建築確認申請を許可され、営業の部分では府条例の保育園・学校・病院から「おおむね100m」という条項を充足しており、警察で認められれば開業できます。

ですから、運動の目的は3点。@パチンコ店開業を阻止する。Aどうしても止められない場合は、パチンコ店側との交渉により、教育的文化的な住環境を壊さないよう、町のイメージを損なわないよう、極力、店の外見や駐車場、警備員、その他について話し合う。 B今後、これが引き金となってさまざまな風俗店、性風俗店が出店して来ないよう、これからののぞみ野のまちづくりについて市と協議し、町づくり条例の制定や土地の用途変更について働きかける。

それにしても、パチンコ店の営業はそもそも違法でしょう。「そんなにパチンコという遊びが好きなら、市でパチンコ店を開業してもいいです。ただし、換金はできません。」となったら、皆さん来るのでしょうか? ギャンブルというのは、学習心理学の研究でも、行動の抑制や消去が非常に難しいことがわかっています。十分な生計が維持されるなら、陥ることも少ないと思われますが、このご時勢です。また、パチンコ自体も変わってきていて、数分で何万円も摩(す)る人がいます。このような人が仮に腹立たしいままお店を出てきたら、喧嘩も起こりかねません。夜8時には静まり返る落ち着いた町を、夜中近く11時過ぎまで車が行きかい、車のドアの閉める音、人声、車のライトであふれるような町にはしたくありませんね。

平成17年7月31日(日)

今朝お送りしたある方へのメールの返信。8月22日には、水道会計決算と病院会計決算のための決算審査特別委員会もあるし、今夏は特別忙しい年となった。

------------------------------------------------------------------

  毎日暑いですね。○○○さんも本当にお忙しそうですね。

私のこの 数日をお知らせしますと・・・先の木曜日は、朝8時集合でボランティアプラザ、 アイー・あいロビーの「ちびっ子探検隊」のイベントに行ってきました。  槇尾山青少年の家で4時ごろまでカレー作りや遊びのボランティアに、 その後市民さんを市役所にお連れして福祉の相談でした。  金曜日は、朝から劇団の脚本手直し、その後友人とフレッシュ 和泉の事務所の仕事、午後は青葉台自治会の方々と 夏祭りのお花のお願いまわり、5時から府中のデイサービスの  開所式でした。土曜は9時から和泉女性100人委員会の月田秀子 フェスタの準備と、昼からは人権文化センターでセンターとICIXの事業である「第4回韓国・朝鮮語暗唱コンテスト」の司会。  これは私が始めたもので、随分広がってきました。いつも泉大津にあります朝鮮初級学校の生徒さんたちの歌や踊りなどの発表もあります。今、韓国の 蓬莱(ポンレイ)小学校の子どもたちが来ていて、先生とともに 一部参加してくださいました。その後、エンパワーメント助成金 をもらうためのICIXのプレゼンのダンスの練習。ICIXのプレゼンは、他のグループが説明で終始するのに対し、いつも意表をついたパー フォーマンスをしています。今回は、くいだおれ人形、鳥追い、ミス・ ハワイ、セーラー服、ドラキュラなど、みんなが仮装をしたうえで、 なつかしの「ミネソタの玉子売り」のダンスをしようと計画しています。 先日の劇団ドキドキの公演で踊ったものです。この歌の歌手を ご存知ですか。ドキドキのメンバーはみんな笠置シズ子といいましたが 、違うのよ。私だけが知っている・・・(なつかしい!)。暁テル子です。  私は、和泉ちんどんファミリーのメンバーで、いつもミス・ハワイか  三度笠の旅人姿でギロを鳴らして「アイヤー!」とやっているので、 仮装はお手のものよ(?)。
  今日は、青葉台夏祭りのお手伝いと「和泉市第九演奏会」の練習。 合間を縫って、「第7回いずみ英語暗唱コンテスト」(これも私が始め たんですけど)の課題テープ作りなど、いろいろあって・・・。

  議会のほうでは・・・、8月3日に、副委員長をしております議会運営委員会 が開かれ、新たな市の特別職任命のための臨時議会が8月9日に持たれる 予定です。 また今般、議会でも「入札制度及び契約等に関する調査特別委員会」を設置する ことになり、委員長は共産党の原重樹議員、そして私が副委員長を おおせつかることになりました。初会合を8月19日に開きます。今回の 市の一連の不祥事に対し、議会として調査の結果をださなければなり ませんし、市政を浄化し改革するためにどのように進めていくか、その舵取りも 大変かと思います。でも、がんばります。勉強しなくっちゃ!

  暑い日がつづきます。お身体をお大切に。また、メールをお待ちしていますね。

  ☆。★°金児 和子 ☆。★°

平成17年7月22日(金)

  時間のたつのは早い!ついつい更新が遅れる。毎日忙しい、ということは書くことはいっぱいあるのだけれど・・・。

7月15日に市長選後初の議会が終わった。今回の私の一般質問は4点。「1.和泉市審議会要綱施行後の委員会構成について」「2.窓口サービスについて」「3.外国人登録」「4.観光政策について」。概略は和らぎ8月号に載せるつもり。

また、市の職員さんのほうでは、以前林助役がプレス発表したように、市の改革推進委員会が稼動し始めているが、議会のほうも、逮捕騒ぎが続々と起こった事実を受けて、今こそ和泉市政改革をしなければと、入札制度及び契約等調査特別委員会を作ることに決まった。各会派から総勢12名の議員が選ばれ、その中で21日委員長と副委員長が決まった。委員長は共産党の原重樹議員が、そして副委員長として私が選ばれてしまった。すごい重圧。調査委員会といっても、犯人探しをするのではなく、現状をしっかり捉えた上で今後に向けた体制作りをすることが目的。市のあらゆる部署において、公平・公正・透明な市政が実現できるよう、しっかり結果を出していきたい。

先だっての7月10日は、ICIXが第20回和泉国際交流パーティーを和泉シティプラザの多目的室で開催した。アトラクションになんとも美しくお若いトルコ人ご夫婦が来てくださり、ご主人が柳家小さんの弟子に習われた本格的な落語を一席。sこれは想像以上に本格的な江戸っ子弁の面白い落語だった。奥様のほうは(実はこれがメイン)、ベリーダンス。ベリーというのは横っ腹のこと。千夜一夜物語やアリババに出てくるような、おなかを震わせて踊るエキゾチックなダンス。ベリーダンスを生で目の前で見れるなんて、考えもしなかった。毎年2回、頑張って実施し続けてきたICIXの国際交流パーティーが20回を重ねる、というのも私にとっては感動!ICIXを組織したのが10年前、初めてのパーティーはコミセン4F視聴覚室で、ウガンダのムワンジェさんやスーダンのサイフ・アリムサさん、アメリカのモナリザさんなど沢山の方が参加してくださっていたっけ。

平成17年6月21日(火)

ある方からメールを頂いた。この度の選挙で無効票が多いのはなぜか。辻と辻本を間違えて書いた人もいる、という風聞もあり調べてはどうか、というご意見。私も無効票の中身を知りたかったので、選挙管理委員会に教えてもらった。詳細は以下のとおり。

 市長選・・・・無効票数 810票
    【内訳】 白紙 409票、 候補者氏名以外に他事記載 13票、
         2人以上の氏名記載 13票、 候補者以外の関係ない氏名
         記載  99票、 単純な記号・符号 276票

  市議補欠選・・・・無効票数 5609票
    【内訳】 白紙 3310票、 他事記載 19票、
         2人以上の氏名記載 28票、  候補者以外の関係ない氏名
         記載  208票、 単純な記号・符号 991票、
         雑事(候補者氏名がなく、関係ない事柄の記載) 1053票

  ≪候補者氏名以外に他事記載≫とは、氏名プラス「万歳」とか「がんばれ」とか余計なことを書いて無効になったもの。≪単純な記号・符号≫とは、◎とか×、△など。鉛筆が落ちて点になったようなものも≪単純な記号・符号≫ということになるとか。

  今回の市議補欠選の無効票の多さは、情報の無さに起因すると思う。時間が短くて、市長選・市議補欠選とも、候補者に接したり討論会を開いたり、といった余裕がなかった。なので、今回の選挙ほど「誰に入れてよいかわからないから教えて」というお尋ねが多かったのは初めて。選べなくて白紙が多くなったと思われる。結果として当選した方は、組織に所属した人ばかり。偶然か。それとも後ろ盾となる組織が有効だった?

平成17年6月18日(土)

投票日が明日に迫った。さあ、結果はどうだろうか?

市長候補者のお三人とも性格も存じ上げている。共産党は論外。仮に当選しても市政が混乱する。あとのお二人の戦いがヒートアップしているのだが・・・。

IさんとTさん、どちらも決して市長になれない、とんでもない、という方々ではなく、どちらもリーダーシップを持っておられる。だからこそみなさん迷われるのだろう。しかし、タイプが違うんです、と私は申しあげている。

【ある方からのメールに答えて】

今、和泉市の置かれている状況は、ただ単に市長や一部の 職員が個人的に犯罪を犯した、などというものではなく、かつて 営々と積み上げられてきた、古い土壌の和泉市行政を 根底から改革しなければならない、厳しい状況に来ています。 警察の手が入ったことで、逆に今しか大きな改革ができないと いう転換点に立っているのです。 市内の建築業界や同和行政にからむ‘しがらみ’といわれる所から 必死の反発が来るかもしれない中で、本当に改革をする覚悟と 手腕を持つ市長を選ばなければならないのです。 和泉市が変われるか否かの瀬戸際です。 そのため、私も一生懸命Tさんを応援しているのです。

私もしがらみのない議員として、市長にと言われたこともあるが、しがらみのない分、票もない。いろいろ相談したけれど、風を起こすだけの時間もない、ということであきらめた。市長選に落ちて議員でもなくなったら、手足をもがれてしまう。せめて議員の立場で、新しい市長を支え、時には議会で議論を戦わせながら、改革に努力したいと思っている。

市長になってもらうことがまず大前提。そしてその後は、決して業者に会わないことを貫いている阪南市の岩室市長のように、たとえ支援者であっても、たとえ親族であっても、たとえ党関係者であっても、他と差別したり、意見を左右されることなく、自らの信念を貫いていただきたい。決して、選挙の恩を感じることはない。いい市を作るために、いい市長を選ぶことでみんな頑張ってるのだから!

もし違(たが)えることがあれば、黙ってないよ!

平成17年5月29日(日)

2年前まで同じ会派だった元議員さんの事務所開きに出席してきた。ご案内を頂いたし、前回の市長選でもどちら様へも礼儀を欠かさないつもりで出席している。今回は現職議員の少なさに戸惑ったけれど、ステージへと強く肩を押され上がってしまった。市議選とは違い大勢の支持者が集まっておられたが、前回に比べ盛り上がりが未だしの感。あの不祥事逮捕騒動をもってしても多くの市民は市政変革をわが事と感じていないようでもあり、それを反映してか時間が短いせいか。

ここに至って、私には両陣営の支援者の顔が見えてきた。しかしそれを利用せねば、念願の市長にはなれないという葛藤もあるだろう。どの方がなられても、間違いなく和泉市を変えたい、変えなければならないという強い気持ちは持っておられると思う。ただ、表面的なものではなく、根っこから変えることができるかどうか。市民には見えにくいところにまで、しっかりメスを入れれるかどうかが問題。懐柔されず、傀儡でもなく、思う存分大ナタを振るって、かつてない新しい地域行政を創りあげてもらいたい。また、そうできるよう側面から応援したい。

私は、地域行政は地域経営(ローカル・マネージメント)だと思っている。行政(ガバナンス)と言えば、(支配する・統治する・管理する・取り締まる)など、意味合いとして上からの支配となってしまう。でも、誰が支配するの? 市? 実態は? と突き詰めるとそこは空洞で、最後は市民一人ひとりでしかない。要は、市民が税金を出し合い、おたがい平等に医療・福祉・教育などのサービスを受けようとするシステムなのだ。それを一部の市民が私物化するなんてとんでもないこと。

アメリカでは、市長以外にプロのシティ・マネージャーがいて行財政を監理する。私が聞いたところでは、彼らは地元民ではなく、ヘッドハントされながら市を渡り歩き、行財政を立て直してまわるそうだ。

確かに日本における現在の行財政は複雑多岐に亘り、多くの職員を擁してしか処理できないことが、さらに問題を重層化・不透明化させている。職員さんでさえ、隣の仕事が見えていない。自分の部署の予算・決算や、携わっている仕事の単価さえわかっていないことも多い。もっと基本に立ち返って、行財政をスリムにしたいものだ。

で、市長選だが、私はともに地域行政の勉強会に参加していた、先月まで同じ会派だった議員を応援しようと思う。政治学者が必ず良い市長になるとは限らないが、いま行財政転換の大きな節目に当たって、政策に長けておられ真面目に行政改革に取り組まれるであろう彼に期待したい。

平成17年5月13日(金)(13日の金曜日! でもうちは浄土真宗)

選挙の日程決まる。6日の稲田市長の辞表提出を受けて、50日以内に選挙実施、という公職選挙法の定めで、5月24日(火)立候補予定者説明会、6月12日(日)市長選告示、6月19日(日)市長選挙、という日程となった。

もうすでに5人ほどの立候補者の動きが見えている。泡沫候補も新人候補もいるが、それ以外で全くしがらみのない議員は?というと皆無。 これでは和泉市は何ら変わらない!

もうすでに水面下では選挙活動が始まっているようだ。が、親類、友人縁者、地元有力者、党有力者頼み、頭を下げて票を集めて、となれば旧弊なムラ型選挙以外の何物でもないのではないか。

新人であってもしがらみがないとは言えず、市政がわかっておられるのか、とも問いたいし、元議員となれば、任期中にどれだけ具体的な一般質問をし何を変えて来られたの?と聞きたい。

矛盾・・・・。こんな古臭い市政は変えたい、と思う新市民はあまり投票に行かない。親類縁者、地元大事の旧市民はしっかり投票に出向き、その結果和泉市は旧弊から脱せず何も変わらない。やがて、万年変わらぬ和泉市の体制が維持されるという寸法だ。

いずれにしろ、この度の市長選はどれだけ具体的なマニフェストが出てくるかが焦点となるだろう。検察の手が入って市行政も変わらざるを得ないこの機会に、将来を見据えた先進的で意欲的な取り組みこそが求められる。人の手ではなく、‘市長自身の手で’何をどのように変えるのか。親類縁者や支援者のしがらみさえも断ち切れるのか。選ぶ側の市民の賢明さと見識が問われている。

出世欲からではなく、地元のセクショナリズムにとらわれない、真に市政刷新のための市長を!

(私も、初の女性市長に、とあちこちから言われる。やりたいとも思うが、上記のごとくみすみす落ちる選挙を戦うのなら、議員として努力を続けるという選択もあり、悩んでいる状況。)

平i成17年4月21日(木)

朝の「緑のおばさん」(おばさん?)を終えてから門真市へ。近畿市民派議員交流学習会に久しぶりに参加した。府内外から45名の参加だった。

日程が合わなくて出席できないことが多いのだが、今回は「自治体の外部監査について」井上善雄弁護士の話だったのでぜひ聞きたかった。氏は全国市民オンブズマン連絡会議のメンバーで、全国自治体での内部監査、外部監査をつぶさに調査しておられる。私も昨年一年間監査委員をして、随分勉強にもなり考えるところもあった。今日の話は、本来監査についてであったが、話は監査を超えて市行政に対するチェックポイント、あるいは改善点について随分示唆が得られた。財産管理・施設管理・補助金・住宅事業・土地etc.etc. 今こそ‘here and now’、和泉市のために皆がしなければならないことがある、と思う。

さかのぼるが18日(月)、10時から議員の全体協議会が開かれた。林助役から経過説明があった。内容は、@4月16日以降、林助役が市長職務代行を果たす、 A5月の早い時期に、外部の有識者を交えて行政改革委員会を組織する、 B予定価格の公表を早期に実施すべく準備を進めている、C拘留は20日間なので、5月初めには事件の概要がはっきりするとの弁護士の話。またその折の起訴・不起訴が一つの区切りになる、D接見は弁護士が毎日している、 E現在市長は一切否認を続けている、など。議員の質問によるやりとりもあった。予算委員会で、改革委員会を作るという答弁をしていたようだが、まだ市長逮捕という事態には至らない時点での話であった、とのこと。

改革委員会について私は、1)改革委員会は議会からの提案も受けて実施するのだ、というスタンスを明確にしておくこと、 2)そのため、委員には市民はもちろん、議員も含めること、 2)証人喚問も当然あるだろうし、中身が微妙な部分にまで及ぶことから、公開にはしない。あくまで改革を絶対命題としてやり遂げてもらいたい。ただし、議事抄録は公開すること、 3)議会には適宜報告すること、を求めたい。

昨今の噂では、稲田市長の逮捕は地検の勇み足、という声も聞こえる。稲田市長はまだ否認を続けているが、随分疲労状態とも聞こえてくる。市政への意欲を失っておられないことを祈りたい。

平成17年4月14日(水)

昨13日、稲田市長が大阪地検特捜部に、任意同行の上、午後入札妨害の罪で逮捕された。やりきれない思いでいっぱい。本当に一生懸命和泉市のために頑張っておられたし、腰も低く、誰に対しても聞く耳を持っておられ、その一方で正義感も強かった。要請すれば、時間の許す限り小さな集会にも顔を出してくださり、挨拶することもためらわれない。文化活動や市民活動にも理解を示してくださる。厳しすぎるくらいの行政改革・早期退職による人件費削減を断行し、テクノステージを成功に近い形に導き、久保惣美術館や和泉シティプラザ、その他の施設を作り、和泉市のめざましい市民文化の発展に寄与されて、私は市長の功績は大きいと思っている。私もいろんな事業や計画の相談をさせて頂いたし、ご自身も和泉市の将来についてさまざまなビジョンを持っておられるようだったので、こんなところでついえるのはとてもとても残念! 信じて慕っている職員さんや市民も多いだけに、なんとか復帰していただけないものかと心から願っている。

和泉市の入札については、不完全な部分があることは多くの人が認識していただろう。きっと市長自身も正せるものなら正したかったに違いない。ただT容疑者が中心となって、長い間に市内の建設業者を全て巻き込み、ちょっとしたほころびもあっただろうに、暴動にも至らないで、綿々と現状維持で経過してきてしまったのだ。

発達心理学には、有名な《ハヴィガーストの発達課題》というのがある。人は、人生の各段階で固有の課題を持っていて、それを解決しながら発達を遂げる。もしその時期に達成できない場合は一生悪影響が残るというもの。その課題達成には3つの源泉が必要という。すなわち「1.成熟」「2.個人の動機づけ」「3.社会的圧力」。今回の事件でこれを思い出してしまった。和泉市の入札システムの改革を遂げられなかったのは、この3つの力がすべて弱かったからだ。

1.和泉市行政が身内で固めた村型の体制から脱しきれていなかった。2.職員さんも知っていながら、正義感よりは惰性に囚われてしまった。力を合わせて改革する意志と勇気が欠けていた。3.議会も市民も、それを指弾するだけの圧力となり得なかった。

私が、昨年の12月議会で入札結果をホームページにアップロードすべきと質問したのは、少しでも情報公開することで、より改善につながらないかとの思いからだった。他市では、随意契約の一件一件までもホームページで公開しているところもある。現課は「準備している」とおっしゃってはいるが、実際実現していないのは、なにか原因があるのかと邪推してしまう。

今回の不祥事・逮捕は和泉市初めての大激震。しかし、ぜひこれを契機に、スクラップ・アンド・ビルドくらいのつもりで、仕事の内容を一から客観的に見直し、職員さんのプライド・市のプライドをかけて重箱の隅まで?手をゆるめず、再発はあり得ないまでに改革し尽くしてもらいたいものと、切に願っている。


今日は、7時半〜8時交通整理、9時〜市役所で職員さんと話 10時〜12時あおば会館で子育ての会「あおばっ子」、1時半〜2時半弥生の風ホールで市連合婦人会総会、2時半〜3時生涯学習センターで話、3時半〜5時堺市役所で自治体議員勉強会、帰宅後いずみそれいゆライオンズクラブ一周年記念例会プログラム作成ほか。

平成17年4月7日(木)

 今日は緑ヶ丘小学校の入学式に出席。なんと1学年7クラスもあり、のぞみ野やはつが野など新しいマンションや住宅を区域に抱える、いわばマンモス校の面目躍如といったところ。

素晴らしかったのは、式典に先立って行われた2年生の歓迎のパーフォーマンス。緑ヶ丘オリジナル曲の「1年生やで〜。」「楽しいで〜。」「給食おいしいで〜。」てな調子の大阪弁の明るい歌に、手話付き合唱、歓迎のエール・・・。新入生は目を輝かせて聞き入っていた。2年生の演技の中で、何より感心したのは、足並みそろった行進と、美しいお辞儀の仕方。どちらも昨今めったに見られない代物だ。さすが緑ヶ丘の先生方の愛情こもった熱心なご指導の賜物と嬉しく見入ったことだった。

 しかし今児童数1000人を超す緑ヶ丘小も、来年18年4月には新しい(仮称)東部小学校に生徒を振り分けて、共に600人強の適正な生徒数になる予定。家族あわせて4000人規模の今年の運動会は見ものかも?

平成17年2月4日(金)

最後の授業が・・・・終わった。短大を辞めることにしたからだ。教室での2コマの授業は先週終わり、今日はホームヘルパー講座。25年間しゃべり続けた「心理学」、16年しゃべり続けた「老人心理学・障害者心理学」にピリオド! もう教えることがないと思うと、ほんとに淋しい。

教えるのが好きだった。自分がほんとに好きな英語や心理学を好きになってもらうために、楽しく役に立つ授業をと心がけてきた。教師は演技者だとも思っていた。笑ったり怒ったり、叱ったり褒めたり、手綱さばきがむずかしい。

以前は自分の授業に自信を持っていたのだけれど、議員になってからはもうダメ。同時に6箇所教えていたのを1箇所にしたが、それでも突然公務が入って休講が続く。昨年11月、とうとう決心した。迷惑はかけられないし、そこそこ年かなとも思って。

平成17年1月9日(日)

新年度もようやく落ち着いた。昨年は自分でもよく頑張ったなあ、と思える。

議員としての地域や議会活動に加えて、選挙活動、事務所開設、和泉市監査委員の仕事、新ライオンズクラブの初代会長として立ち上げ・4月結成式・6月認証式もろもろ、入院、そして30にも及ぶ市民活動、短大授業もあり・・・・それらが昨年1月から9月の選挙までの間に押し寄せたものだった。

もちろん一人でしたことではなく、本当に多くの方にお世話になって何とか再選を果たすことができた。このお返しはやはり議員活動でするしかないので、今年も人一倍ガンバル。

秘密をばらそうかなぁ。ご迷惑がかかってはいけないのだけど、偶然の不思議な出来事に8年前から気づいている。私の家は南向きの1軒家で、向かって右隣は上原という私の実家。つまり、向かって金児・上原と2軒ならんでいる。ところが8年前の選挙時に和泉市内のあるところを選挙カーで走っていたところ、この同じ字の金児というお宅を見つけた。珍しいなあと思っていたら、何と右隣が上原さんだった。つまり同じように金児・上原と2軒ならんでいるわけ。おまけにその上原さんは私の父と同姓同名だということがわかり、このスゴイ偶然にびっくり! これはウチだけのブーム?

平成16年9月26日(日)

1901票で何とか当選させて頂きました。多くの方々が大切な大切な1票を私に入れてくださって、皆様がたのおかげ、と心から感謝しております。今回ほど1票の重みを強く感じたことはありませんでした。ほんとにそれほど選挙は厳しく大変でした。

しかしながら、支援者の方々も私も、当選の喜びよりも、票を大幅に減らしたことに、一様にショックはかくせません。

口を開けば反省点。すべては私の4年間の活動と姿勢についての反省であり、私の不徳の致すところ、というほかなく、支持してくださった方々には申し訳なく思っております。皆さん、真剣に心配し考えてくださっているのに・・・。

具体的な公約を出さなかったことを指摘した方もあります。

男女共同参画条例の制定、和泉中央駅バスロータリーの改善、自然資料館の設立、小学校英語教育の充実など前任期中にやり残したことがたくさんあるのですが、それらを公約とするには、少しためらってしまいました。

また、福祉と教育に長年関わっていることから、学童保育・保育所の時間延長、子育て支援施策の充実、不登校児や障害児の教育問題など、市の福祉と教育の問題を掘り下げることも自分の仕事と思っております。ガンバリマス!

平成16年7月11日(日)

今日は参院選。私は明確な支持政党があるわけではなく、無所属なのだけれど、このお正月お会いした尾立さんがすでに当確が出ていて、本当に良かった。日本も本当に力のある2大政党で切磋琢磨するような状況になることが、政治にとって良いことだと思っている。

6月議会が終わり、やっと最近近所のあいさつ回りができる態勢になってきた。新たなフレッシュ和泉のリーフレットも出来上がり,それをもって後援会メンバーにお渡ししている。随分その種の活動が活発になっている事例も見受けられるので、自分もそろそろ頑張る。

今日はNPO法人となったICIXの第19回和泉国際交流パーティーの日。ICIXがトリヴェールの町開き駅開きと共に活動をはじめて(平成7年)、もう10年になるわけだ。私が声かけして作り、パーティーもはじめたのだけれど、10年とは隔世の感がある。今日もイギリスの方、アメリカの方、ジャマイカの方、台湾、韓国、中国、といつもに比べると国の数は多くないけれど、参加者の半分くらいは外国人と思えるくらい、人数は多かった。ジャマイカの方は、中古車の貿易に来ているとのこと。このような仕事をしにきている外国人は多いと聞いている。日本人はあまりに早くに車を手放しすぎる。あめりかなんかボロボロの20年以上たっているようなのも平気で走っている。日本のように車検制度がないし、整備不良は自分の責任。何か起こっても自分の責任となるのだ。そのためカンザス大学では、車が100ドルとか150ドルとかで売買されているし、ぼこぼこで一部ペンキ塗りで、時にはエンジンルームのふたが無く走っている車も見かけた。

平成16年2月8日(日)

『かねこ和子とフレッシュ和泉』事務所開き!! 前日の吹雪舞う酷寒日とは打って変わって、朝から明るく優しい陽射しのさす佳き日・・・・。

この日のために随分計画も練り、準備も掃除もしていただいたが、当日は早朝から緊張と忙しさでてんてこ舞いだった。皆様が多くの参加者にご連絡しお誘いして下さったし、接待・駐車・交通整理係りは引き受けてくださり前もっての流れも万端怠りない。マイクの届く限りのご近所にはご挨拶に行った。駐車場も借りた。警察と南海バスにも案内状持参でご挨拶に伺った。選挙管理委員会にも間違いがないか細かく確かめながら来た。各市長さんの所にも電話プラスご挨拶に伺った。何か漏れてないだろうか? 心配。でも、でも嬉しいことに10時開会の1時間くらい前からお寒い中お一人お一人とお集まりいただき、頭を下げているうちに、続々と市長さん、議員さん、ご来賓がご到着。狭い事務所にお通り頂く。

稲田順三和泉市長、吉道勇貝塚市長(9選、日本一)、阪口伸六高石市長、中川治衆議院議員、今井豊貝塚選出府議会議員、奥野学貝塚市議会議員、北谷育代泉佐野市議会議員、〆野久寿喜岸和田市議会議員、(北出寧啓阪南市議会議員は急遽ご欠席)。来れなくて電報を頂戴したのは、木原敬介堺市長、JR西日本社長垣内剛さん(中学・高校と同級生で机を並べた)、そしてわが五月会の優しい同僚議員さん(逢野博之・柏冨久蔵・辻宏康各議員)。各ご来賓の皆様はかつてつながりのある方々ばかりなので、本当に心打たれる暖かいご祝辞や励ましの言葉を頂き、忘れることが出来ない。主人と共にただ頭を下げて感謝するのみ。

キラ星のごときご来賓! 青葉台で共に生活する多くの友人知人、さまざまに遭遇したご縁ある方々、ICIXなど種々のグループの苦労を共にする釜飯仲間、劇団ドキドキの楽しく美しい女優陣! 参加者実に150名! うれしかった・・・。

余りにも身に過ぎた事務所開きだったかも知れないけど、今日をステップに更に頑張る!

平成16年2月3日(火)先勝/節分

『かねこ和子とフレッシュ和泉』事務所開きPart1を10時からさせていただいた。場所は、青葉台ショッピングセンター内。ヘルストロン店が12月で閉店すると聞きつけた支援者の方が、早々に話をまとめて下さり実現したもので、本当に本当に有難く思っている。準備は1月15日の掃除から始まり、連日多くの方が早朝から深夜に至るまで買出し・借り出し・不要物廃棄・案内等々ボランティアしていただいて、今日を迎えた次第。

本来の事務所開きは2月8日。日曜でないとネ。でも、3日は節分で縁起の良い日、絶対この日に事務所開き、という皆様の声に押された。うちうちの25人くらいの方々にお集まりいただき先ずはお祝い、かつ頑張れの大合唱。私も、心新たに地域のために更に努力することをお誓いして、真っさらの事務所が開店した! 雪が散らついたのは何時だったかな?

平成16年1月11日(日)

朝9時半から市民グラウンドで恒例の消防出初式があったが、15分ほど席を暖めただけで、すぐ緑ヶ丘小学校体育館に向かう。はつが野自治会を立ち上げるかどうかの住民集会が開かれることになっていた。1年以上前から民生委員さんからも聞いていたが、昨年12月初め、青葉台自治会長・市連合町会長の有里さんが「はつが野自治会を立ち上げねば」とおっしゃっていると間接的に聞き、知人がいることからお世話することになった。

ICIXのメンバーでもある知人は、自治会を作るべく1年ほど模索しながらもそれらしき活動を15人ほどの有志と共にしているとのこと。つまり清掃や情報提供など。また、かつてアンケートをしたところ、「そんな旧式な会はいらない」「会費を払うのはいや」「役をしたくない」「自由を求めてはつが野に来たのに」など否定的な意見が混じり、意欲を失っていたところだった。

彼女に言って励ました。@18年4月開校の仮称東部小学校の校区ははつが野と青葉台だけ。建設を目前に、両自治会が協力して新しい小学校区を創らなければ。A松風台は今夏はつが野3丁目に住居表示変更となる。今が立ち上げの好機。B65歳以上の住民が80人ほどおり、乳幼児も多い。自治会がなければそれらの人の地元での活動やサポートもなくなる。犠牲になると言ってもよい。C民生・児童委員もいまは青葉台の委員が兼任している。社会福祉協議会の地域ボランティア活動も自治会組織の上に成り立っている。自治会を作って福祉も充実。Dあった方が良い、と思う人も多いはず。すべての住民でなくても、まず一部から立ち上げて活動を始めたら? 代わりに、必ず逐一情報はお知らせすること。Eはつが野は1丁目からいずれ5丁目までになるが、まずは連合町会として立ち上げ、適当な時期に分かれればいいのでは?  Fまず住民集会をして、その中から準備委員会を組織、それを核にして段階的に作ったら?Gマンション『モンセーヌ』も自治会に入ってもらうこと。

そして暮れに有里会長、福祉ボランティア、はつが野側3人、私、が集まって協議した上、今日を迎えた。7,80人おられただろうか。やはり新しい町だけに若い方が多く、空気が違う。若さゆえ自治会を自ら体験しておられないので困惑しながらも、しっかりした質問を次々され、なんだかまぶしいような思いだった。今後が楽しみ。

平成16年1月3日(土)

12月議会で男女共同参画条例に関しての一般質問が出た。だが、ジェンダーフリーをまったく曲解して受け取り、それを極端に述べている。ジェンダー(gender)とは、ジーニアス英和辞典によれば、『(社会的・文化的役割としての)性』とあり、フリー(free)とは『(拘束されていない)が本義』として、意味は『自由な、解放された、自発的な、束縛の無い、負担の無い、免除された、(形式や規則に)とらわれない、固定していない』等々。つまり、ジェンダー・フリーとは、英語本来の意味からいえば、社会的に貼り付けられた“性”にはとらわれないで、同じ人間として考えようという概念。“社会”はどんどん変化しているし、“文化”もしかり。まったく流動的なものだ。かつての狩猟時代や戦争時代と違い(そんなものは終わらせねば!)、今はITの時代。頭で勝負!男も女もない。ひとりひとり!

しかし質問では、それを性の区別をなくし全く同等に扱おうとしているとして、究極的には「男女が同じ更衣室で着替えをさせられたり、また一緒に身体測定を受けさせられたり、修学旅行で一緒の部屋に寝かされたりする」とか「既にこのような事例は全国で多く(?)報告されて」いるように主張している。

私自身は成育してきた過程で、とりたてて「差別された」とか「男性の方が偉い」などと思ったことは無い。偉くない男性もいっぱい見たもん。勿論「女性のほうが偉い」とも思わない。実際、“女子と小人は養いがたし”ということを実感したことはあった。群れたがる女性や、嫉妬深い女性などとはあまり組みしたくないと思ってきた方。(そのような男性はもっとたちが悪いけど・・・。)むしろずっとマドンナ?で来たものだから?、男性といる方が心地よかったというのがほんとかも知れない。でも、生来が負けず嫌い。「女のくせに」というような言葉を聞けば、そりゃあ黙ってはいない。

現実は、まだまだ意味なく男性が主導権を渡さない社会。そうたやすくは行かないと思っているからこそ、女性でも全くハンディのない教職を選び、かつ家庭も子どもも持ち、人一倍頑張ってきた(つもり)。さあ、今年は男女共同参画条例実現のために、努力するぞ。

平成15年11月14日(金)

選挙が終わった。11月9日、衆議院選挙、市長選挙、市議補選。大変な選挙だった。衆議院は中川治さんを応援した。8月9日岸和田グランドホールにおける世話人総会で応援演説したのをはじめ、まどかホール、事務所開き、出陣式、スポット演説、青葉台でお世話して開催した個人演説会等、なんども出向いては折々マイクを握った。結果、少しの差で小選挙区は中山太郎さんに負けたものの、比例区で当選された。惜敗率が高かったからだ。バックにいくつかの組織があることが大きな力になったのだろうが、ご本人も憔悴して見えるほど、見えないところで努力されたと思う。本当に良かった。公共事業を引っ張ってくることを地元への貢献とする向きがあるのに対し、弱者の身になって考え、地元民のために何が出来るか、アイデア・マンの中川さんが国会の場で国、大阪、泉州、和泉のため何をして下さるか、これからが楽しみ。

そして、何より大変だったのは市長選。対立候補は同じ五月会の同僚井坂善行さん、という事で、当初どちらにつくか旗色鮮明にすることには非常に抵抗があった。しかし終盤、結局稲田現市長を応援することとし、カミング・アウト?したわけである。10月10日、議会が終わった時には稲田さんを応援することに既に決めていた。告知後の11月4日(和泉市民会館),5日(信太中学校),6日(和泉シティプラザ),7日(槙尾中学校)と4箇所開かれた稲田候補演説会にはすべて出席し、うち2回は自分の言葉で、1回は逢野議員の代読という形で、計3回応援演説をした。内容は次の通り。『稲田さんと井坂さんの両候補にお世話になっており、どちらも立派な方なので選択は難しかった。しかし中立を貫くことは許されないと知り、最後には自分の気持ちに素直になろうと決めた。稲田さんに決めたのは3つの理由からである。『1点目は、稲田さんが本気で和泉市のためにがんばっておられると思えること。』『2点目は、稲田さんは聞く耳を持っておられること。男女共同参画課の例など申しあげた。』『3点目は、実は自分自身の気持ちに忠実に振り返ると、市長が変わればよい、と考えたことは選挙前1度もなかった。稲田さんが、幅広く顔を売り和泉市をアッピールしておられるので、それを今ゼロに帰するのは勿体無い。また今、対立候補が市長になられた場合、市長未経験のゆえリスクが大きい。』。開票作業中、稲田事務所には大阪府副知事が3人とも顔を揃えて待機しておられたのも、驚きだった。

とはいえ、変わらないことにも変わることにもメリット・デメリットがある。続投を市民が選択したわけだが、当選のお祝いと共に市長さんには『変えるべきは変えて下さいね。』と申しあげたことだった。

私も監査委員として一年間、和泉市の財政・事業運営すべてを監査しながら、少しでも変えるべきは変える、また安定的でかつ活気のある和泉市の行財政の実現に努力したいと考えている。今はcritical point、大切な時・・・!

平成15年10月18日(土)

忙しくて、随分長く日記を休んでしまった。8月7日から何があったかなあ、というと、息子家族のいるアメリカピッツバーグ旅行。8月14日に行ったのだけど、乗り換えのデトロイトで、かのアメリカ大停電(BLACK OUT)に遭い、下の娘と一晩空港の椅子で寝る羽目になった。真っ暗ではないものの電気も空調も消え、電話も通じず、65くらいあるゲートのすべての飛行機がキャンセルで足止めだから、さぞ混乱がと思いきや、アメリカ人は飛行機が飛ばないことはトラブルに入らないので(過去何回も見た)、混乱は無し。その夜、我々はラマソーンというタイのピアニストと友達になり、結構楽しんだかも? 翌朝ピッツバーグ到着。4日後はフロリダ・ディズニーワールドへ。

帰国後も、『劇団ドキドキ』立ち上げ、『南中校区市民合唱団・そよ風の会』立ち上げ、『新屋英子一人芝居』公演、ピースウォーク冊子作成、英語暗唱コンテスト、第3回いずみワールド・フェスティバル実施、第3回議会、ニュージーランド交響楽団カルテット久保惣ホール公演、選挙関連活動、ブルーミントン代表団パーティー・観光通訳、ICIXイベント、“和らぎ”第23号作成・配布、和泉ちんどんファミリー、授業、その他もろもろで忙しい中、まだ息がつけない。

昨日は本来、朝から滋賀県大津市での第20回日本女性会議2003に女性たち22人と行くべきところ、大阪体大短大の授業休めず、夜7時半からはあおば会館での井坂善行さんの演説会に同じ五月会メンバーとして出席、終わって9時10分から大津へ車を飛ばし女性会議に合流した。10時20分着。今朝は午前のみ分科会に出席し、昼食後また車を飛ばして帰阪。3時から小一時間稲田市長事務所へ、夜は弥生の風ホールで「をぐり考」鑑賞、すばらしかった。

平成15年8月7日(木)

蜂に刺されたぁ! 生まれて初めて。 最悪!

この頃虫に好かれて困る。4日前、家の狭い裏庭でみょうがを取っていたら、突然ピピッと手の甲を2箇所刺され痛くて痛くて。トゲが刺さったかと取ろうと掻いていたら、そのうち手の甲、手首から肘にかけていっぱいの水ぶくれ、赤くはれて熱をもって。今はオロナイン軟膏を塗って手袋をしている。お見せした方々曰く、毛虫だろう、とのこと。

ところが、2日前突然娘から出先の携帯にメールが。曰く、ガレージに4つ蜂の巣ができている、と。帰って見てみると、半径10cm1つ、20cm3つの大きな蜂の巣に大勢の蜂が出たり入ったり。やっぱり恐い。慌てて生活環境課にお知らせして、防護服は予約が入っていたが、強力殺虫剤をお借りする。4mは飛ぶノズルつき。蜂は夕方からねぐらに帰るのでそれ以降、ということで今夜未明の格闘となった。丑三つ時の2時半、ガレージに出て車を出し、ライトをつけて大きいやつをひとつ、シューッ! そして恐くて車の中に逃げ込んだところ、なんということか座席に座った途端太ももをキーっと。痛い、何だ! あわててのいて見たら、座席でのたうちまわっていた蜂の上に座ったらしい。刺されたぁ! 急ぎ家に入りオロナインを。ドキドキ心臓が止まりそう。まあ、ひょっとしたら元気な蜂の上に座ってしまい、重みでのた打ち回っていたのかもしれない。

いずれにしろ蜂はいや! ミツバチハッチはあんなに感動的で可愛かったのになあ!

平成15年8月3日(日)

第2回韓国・朝鮮語暗唱コンテスト【主催:人権文化センター  運営:和泉国際交流会ICIX(アイシックス)】が、人権文化センター1階大会議室で1時から開かれた。私は言い出しっぺと言うことで司会を担当。課題は、《幼児・小学生の部》『雀たちのことば、雀たちの文字』  ・《中学生の部》、『日記』  ・《高校生の部》、『ハングル』  ・《一般の部》『人は花より美しい』

今回は私の努力不足で、参加者は昨年の60数名に比べてぐんと少なかった。しかし昨年より課題は長いのに、みなさんとても流暢になっておられて驚いた。また、大阪市内、岸和田・堺など他市からの参加者が増え、随分広がりを感じさせられたことだった。

審査員は、【審査委員長】:李 漢昊(イ・ハンギョン)先生(和泉市人権文化センター)  【審査員】金 春子 (キム・チュンジャ)先生(韓国民団泉大津支部)  【審査員】 金 順子 (キム・スンジャ)先生 (泉州朝鮮初級学校教諭)  【審査員】 李 秀子 (イ・スジャ)先生(和泉市幸青少年センター)

入賞者は次の方々(敬称略)。

《幼児・小学生の部》 第1位 趙裕奈 第2位 星山あいみ 第3位 荒木るり 特別賞金智麗(キムチリョ)

《中学生の部》 第1位 中野仁美   特別賞 金星麗(キムソンリョ) 

《高校生の部》 第1位吉岡亜由美  第2位宮下知美 第3位 原麻依子  特別賞胄聖香(チョソンヒャン)

《一般の部》 第1位 武内佳代子  第2位 高取功  第3位 平松重美

平成15年7月13日(日)

みんなが驚いた長崎市の中学1年男子生徒による男児誘拐殺人事件。これは単に、異常で特殊な殺人者による事件と片付けることはできません。警察白書によっても、性犯罪はますます増加・多様化・一般化してきています。

私は、このような犯罪を犯す原因として、@“発達期における多様な人間関係と充実した生活”の不足(受験教育に偏りすぎ社会性が育たない) A人格形成過程での親子のコミュニケーション不足(特に生命や生活、人生、道徳などを親子で話し合う機会の不足) Bテレビ・雑誌・レンタルビデオの規制なき性風俗の氾濫、が挙げられると考えます。

15年前、1年数ヶ月家族とともにアメリカで暮らしました。当時、スーパーの紙袋には、連日多くの行方不明児童(missing children)の顔が印刷されていました。それも赤ちゃんから10代まで、男女を問わず・・・。お金目当てでもなく何故子ども達を誘拐するのか、当時の私には理解できませんでした。日本にはそのような犯罪がなかったからです。今ならわかります。先日インターネットで調べると、アメリカでの18歳未満のmissing children総数は5万4千人にも達していました。15年前のアメリカは今の日本と同様、経済不況に突入し、連日失業率が新聞をにぎわしていた、まさにその頃。しかし、雑誌やテレビでの性の氾濫は、その頃の日本と比べても少なかったのに、です。

この事件に関して、鴻池祥肇青少年育成推進本部担当相が「加害者の親なんか市中引き回しの上、打ち首にすればいい」などと発言しました。責任を持って子どもを育ててきた親なら誰しも、今の社会で子どもを育てる難しさを知っており、こんな発言はできるものではありません。

私は、7月2日の議会で「小学校・中学校の女子制服にズボンの選択肢を」と訴えました。15年前アメリカでは、小学校・中学校・高校・大学を通して、女子の通学にスカートはほとんど見かけませんでした。機能性・犯罪予防・男女平等の視点からも、通学にふさわしいズボンを取り入れるべきだと考えています。逆にスカートでなければならない理由って何でしょうか。又さらに言うなら、軍服に由来する男子詰め襟学生服と女子セーラー服ももうやめたい。前者は1879年(明治の初め)、後者は1921年(大正時代)に日本で制服に採用されました。以来ずっと・・・。黒い、暗い、重いこれら制服は、発達途上の男女にそぐいません。子ども達ももうそれらへの憧れはないようです。できることなら私服に、とも考えます。これは、変革の努力のひとつです。先生は制服を変えられません。当事者である親と子どもが変えないと永遠に変わらないのです。

女性も社会に共同参画する時代。その中で子どもを安心して育てるためには、それに適合した社会をみんなで協働して作っていく必要があります。悪いのは家庭だ、学校だ、社会だ、と責任転嫁していても、現実その中で子ども達は日々育っています。待ったなし。・・・ですから、明日と言わず今日から、自分は何をすべきか・できるかを行動に移していきたいものと思います。

平成15年6月28日(土)

「友人同士の2人が砂漠を歩いていた。ある地点に来た時二人は議論を始め、一人がもう一人の顔を平手で殴ってしまった。殴られた方は怪我をしたが、何も言わずただ砂の上に次のように書いた。《今日、親友が私の顔を殴った。》 彼らは歩きつづけ、オアシスを見つけたのでそこで沐浴をすることにした。そうしたら、殴られた方が泥に足をとられ溺れかけた。しかしもう一人が彼を助けた。彼はすっかり回復したのち、石にこう書いた。《今日、親友が私の命を救ってくれた。》 彼を殴り命を救った友が、彼に尋ねた。“君を傷つけた時は砂の上に書いたのに、今度は石の上に書いた。なぜだ?” 友は答えた。“誰かに傷つけられた時は、許しの風が簡単に消せるように、砂の上に書くのがいい。しかし、誰かが親切にしてくれた時には、石の上にしっかりと彫り付けなければならない。どんな風が来ても消せないように。”」

 《傷ついた事は砂の上に書き、親切を受けた事はしっかり石に彫り付けよう。》

『特別な人を探すには1分あればよい、その人を理解するには1時間あればよい、その人を愛するには1日あればよい、しかしその人を忘れるには一生かかる。』といいます。このストーリーを、一生忘れられない人に送りなさい。これは、一生あなたを忘れません、ということを相手に知らせる短いメッセージです。もし誰にも送らないなら、あなたはとても急いでいるか友のことを忘れているかのどちらかです。生きるのを急いではなりません! 人生の中で、持つことができた“物”に価値をおくのではなく、持つことができた“人”にこそ価値をおくべきなのです。

--------------------------------------------------------------------

上記は、昨年まで府立産業技術総合研究所に来られていたユーゴスラヴィアの女性化学者、イヴァンカ・カラジッチ博士が昨日送ってくださったメールを、私が日本語に訳したものです。チェーンメールになるかも知れませんが、いいお話じゃありませんか? 私はこれを、HPを読んで下さる皆さんに贈ります。

平成15年6月19日(木)

午前は、ICIX大平さんと『故郷の家』を訪問。田内理事長にお礼に伺った。ご講演の謝礼を前もってお持ちしたら受け取られず、チケットで、とおっしゃってくださり、参加者が少なかったので本当に助かった。有り難いやら感激するやらで、再度お礼を申しあげ、様々な角度からまたお話をお聞きしてのち、ホームを後にした。

夜、6時から8時まで、ブルーミントン訪問団の高校生・大学生10人に向けたレクチャーをICIXが依頼され、コミセンにて大平・東さんと3人で講師を務める。講師も訪問団も全員英語で自己紹介したのち、私はアメリカでの英会話表現や行動などの諸注意、大平さんはホストファミリーからのホームステイのアドバイス、東さんは海外生活での心構えなど、三者三様のトピックであっと言う間に2時間がすぎた。今まで訪問団は何度も結成されたが、事前研修としてはかつてない試みだったようで、実体験者でないとできない話ばかりだったと、とても喜んでいただいた。近々NPOになろうというICIXとしては、これからの事業のひとつになるかも?

同時に開かれていたワールドフェスティバル実行委員会は、レクチャー後駆けつけたけれど終わってしまっていた。

平成15年6月7日(土)

朝9時集合。今日はICIXのイベント、弥生の風ホールにおける『愛の国際交流〜日韓朝〜』田内基氏講演会と大阪朝鮮歌舞団公演の日。いっちゃなんだが、前売り1000円という安価で、これだけのイベントを身近なホールで見れる滅多にない機会! とはいえ、なかなかイメージだけでは切符は満足に売れず、案じていたとおり観客席は閑散・・・。

でも! 出席された方からは一様に「良かった。感動した。」とのお言葉を頂き、主催者側としては、それだけで満足している。韓国・朝鮮人高齢者の方々の老人ホーム「故郷の家」堺を作られた田内さんのお話は、日韓朝、国境を越えて愛を寄せるヒューマニティに満ちていて素晴らしかった。質問タイムには2番手に私が話させて頂いたら、質問者なのに拍手が来てしまった。質問というか要望になったが、内容は「遺伝子レベルで日本人を調べると純粋日本人は数パーセントという。みんなのルーツを調べるとどこから来ているのかわかりはしないし、つきつめればみんな人間というところにいく。和泉市は外国の方々が多く、そのため人権意識が他市より発達している。これからも田内さんは和泉市民として、ますます和泉市の人権都市としての発展にご協力いただきたい」といっただけ。

大阪朝鮮歌舞団は、11人の若く美しいお嬢さんが、歌い踊り演奏し、すべて華やかなチマ・チョゴリ姿で、この上ないカラフルで本格的な舞台を現出し、いまだにまぶたの裏にちらついて離れない。また見たい、という声がしきり・・・。

夜は、信太山青少年センターでの「障害者キャンプ」に参加した。明日は、9時から和気小学校で「子ども会リーダー運動会」、11時から咲花病院新館竣工式典『産婦人科と放射線科が増科』、1時から、弥生の風ホールで、アイ・あいロビー主催『山田パンダ公演』、遅れていくつもりだが1時から夜7時まで堺じばしんで『自治体議員勉強会・意見交換会・交流会』。いつものことながら忙しい。

平成15年5月27日(火)

昨夜は、2年前に退任した調停協会の総会がホテル・リーガロイヤル堺であり、特別会員として参加させていただいたが、今夜は大阪天満にある大阪弁護士会館で映画『裁判員制度』の特別試写会があり参加した。

いままでの裁判では、裁判官が判決を申し渡すというシステムだったが、数年後にはアメリカや欧米に多い陪審員制度(日本では裁判員という)に変わろうとしている。詳細は未定だが、裁判の場に無作為で選ばれた一般市民が数名裁判員として裁判官と同席をし、評議の上、被告の有罪・無罪、量刑などを評決することになるのだ。

映画はまったく、私の大好きな映画のひとつ『12人の怒れる男達 Twelve Angry Men』のほとんどリメイクそのものだった。『12人・・・』とは12人の陪審員のことで、アメリカでは裁判の結果は12人の陪審員の全員一致によって有罪・無罪が決まる。映画では移民の少年が老人を部屋の中で殺したのではないか、その法廷場面から始まる。映画を見ている私たち観客も、証人の証言その他から、どう見ても少年が犯人としか思えず、陪審員が別室で評議を始めた時も、全員が『有罪、有罪、有罪・・・』と一致しかけたところだった。が、ただ一人ヘンリー・フォンダが『わからない』といってストップをかける。理由はないのだが疑問を持ったことで評議が終結せず、早く帰りたい周囲はいらいらする。映画は、ほとんどその1部屋のみで進む。少しずつ見えてくるのは、それら12人みんなが、自らの環境や性格、感情の違いから、少年や事件に対する先入観や偏見を持っており、それらをぶっつけあいながら、冷静なヘンリー・フォンダを中心として少しずつ事件を解きほぐし、最後にはなんと、全員が『無罪、無罪、無罪・・・』と全員一致で、少年は無罪と決するものがたり。素晴らしい心理劇になっている。

映画上映後にも、手を挙げて感想を述べたが、『12人の怒れる男達』では、ヘンリー・フォンダが疑問を持たなかったら、被告の少年は即死刑になっていたところだった。だから、陪審員制度の恐さと危うさはずっと感じていたのだが、まさか日本でもこの制度が導入されることになろうとは思いもしなかった。裁判官にもバイアス(偏見)はありうるのか。(もちろんあるが、職業上訓練されていると思うが)。しかし、裁判官や弁護士さんたちは、今の制度に非常な閉塞感を感じており、裁判員制度がそれを打ち破るだろう、導入は決定しているのだからより良いものにすることが大切、というご意見だった。

アメリカにいた時、実は1年ほど住んだところで、陪審員にという葉書が裁判所から舞い込んだことがあった。ちょうどハワイに移り住もうとしていたところだったので、行ける日にちでもなくそのままになったが、“ほんとに無作為に誰にでも来るんだなあ”ととても感心したことを覚えている。ソーシャル・セキュリティ・ナンバー(社会保障番号)も持たない旅行者のような外国人にも陪審員の要請が来るのだ。さあ、日本では裁判員になるためにどのような要件が求められるだろうか。

平成15年5月26日(月)

前回の日記から、あっという間に1ヶ月が経ってしまった。この一月、連日夜に至るまで4つ5つ(土日には時々7つ程!)の会合に出席しながら、ニューズレター『和らぎ』を作成・印刷・配布、そして19日・20日は岡山の男女共同参画社会推進センターと広島市役所での行政評価の先進的な取り組みを議会の総務文教常任委員会で視察、そしてそして、何よりこの8ヶ月間忙しい中練習で大変だった『市民創作ミュージカル“コンビニダンスストア・イン和泉”』公演が25日に本番を迎えた! 

市民募集のこのミュージカルは、和泉シティプラザオープニング事業の一環で、シティプラザ運営を市から受託している和泉市公共施設管理公社主催、NPO発起塾指導。私は募集記事は知らなかったが、お誘いに応じて参加した。

25日朝。前夜エクセルで作成した参加者名簿を40人分コピーし、8時半に弥生の風ホールに入る。私はコンビニの奥さん役なので、衣装は簡単。白のポロシャツと黒のズボンの上から、借り物の帽子とエプロンをつければ終わり。メイクをして朝から一度舞台で通し稽古。ここで、私はあがってせりふを3、4人分飛ばしてしまった。その後昼食を終えて3時本番まで、そこここで声を合わせて掛け声の練習やステップの練習。みんなで、頑張ろう、大声だそう、オーバーアクションで、などと励ましあっていよいよ本番。幕が開く前から、影アナウンスで客席から笑いが聞こえ、何だか味方がいっぱいいるようで嬉しい気持ちになる。自分の芝居は最初あがってセリフがしどろもどろであせったけれど、その内いつもの雰囲気を取り戻し落ち着いてきた。客席からの熱い声援や拍手でどれほど励まされたか。元気いっぱい芝居し歌い踊って、感動のうちに幕が下りた。すぐみんな、お客様にお礼を言いにロビーに走る。なつかしい顔が余計なつかしく思える。ほんとに来てくれてありがとう!ありがとう!

終わってから楽屋の廊下で簡単に打ち上げ。代表で先生方にお礼を言わせて頂いたが感極まってしまった。その後はみんなで大騒ぎ。伊藤君のサックスの演奏も、写真の取り合いも、芝居が終わった感激と達成感で盛り上がったこと! 忙しくて、セリフを覚えるのも車の中でしかできなかったけれど、参加してホントに良かった。一生の思い出、かも?

平成15年4月28日(月)

昨27日、「谷山池ものがたり」から帰ってテレビを見る。統一地方選挙。事務所開きや出陣式に呼ばれて、マイクを握らせてもらった方々は、皆さん上位でご当選。とても嬉しい。特に2度大勢の支援者の前で「生まれ故郷は高師浜・・・・小さくてもキラキラキラキラ光る高石市を!」と訴えた阪口さんのことは心配で。応援した責任もあり11時から事務所に向かう。テレビカメラやジャーナリズム、多数の支援者がごった返す事務所のまさにまん前に「議員が通ります」と入れてもらう。間もなく当確が出て、阪口伸六新市長の登場。たいしてお手伝いもしていないけど、感激。ご夫婦に握手をして、長谷川事務所に向かう。12時半頃だったろうか。とっくに当確が出ていて、そろそろ人もまばらに。お祝いを言って家路に向かった。長谷川さんも2位当選。事務所開きで応援演説した岸和田市〆野久寿喜さんはトップ当選。貝塚の奥野学氏も8位ながらご当選。ああ、羨ましいなあ。来年はどうなることやら!

平成15年4月27日(日)

昨26日、待ちに待った『和泉シティプラザ』の開館記念式典が午前10時より執り行なわれた。筝曲「六段の調べ」にあわせて水仙を持った創作日舞で幕を開けた式典は、途中和泉市と桃山学院大学との「生涯学習連携事業に関する協定書調印式」も織り込みながら、最後は皷聖泉の太鼓演奏で閉め、のちレセプションホールでの祝賀会へと会場を移した。本当にピッカピカの素晴らしい施設で、いかに箱物行政と言われようと、嬉しくてならない。特に男女共同参画センターの場合、みんなが集える拠点ができたのだもの! いくつかの祝辞にあったように、みんなが有効利用して初めて生きた施設になるわけだから、これからも頑張って生活や文化を高めるために活用しなければ・・・。

今日は朝から最高の春日和。普段なら恥ずかしくてつけられない大きなイヤリングをつけ、うきうきと10時からの男女共同参画センターオープニングパーティーに出かける。参加費大枚500円のパーティーだが、50人が詰め掛け、どの顔も幸せいっぱい、ニコニコ。グループ紹介やカルタ作りで盛り上がる。途中ちんどんファミリーに行きそびれてしまう。1時過ぎからは、ICIX「愛の国際交流〜日韓朝〜」のプレゼンテーションのため、真っ赤なチャイナドレスを身にまとい、しばしマダム・楊(ヤン)に。シアトル・カフェでみんなでお茶をしながら、南池田中学校区ふれあいコンサートのプレゼンも拍手で応援。3時半からは6時半からの「いずみなる谷山池ものがたり」入場のため並ぶ。このミュージカルは、和泉市混声合唱団が素晴らしいのに加え、バレエ、日舞、民踊等々文化協会総力挙げての舞台で、素人とも思えない作品に仕上がっており、感激! 私達「コンビにダンスストアin和泉」も頑張らなくっちゃ!!!

平成15年4月3日(木)

3月20日、イラク攻撃の始まるかも知れなかった日、そして3月議会の一般質問の初日。私が質問の一番目に当たっていたので、次のように前置きをさせて頂いた。

おはようございます。17番金児でございます。質問の前に、一言申しあげます。

この第1回定例会初日の2月27日、和泉市議会では全会一致で『イラク問題の平和的解決を求める決議』を採択いたしました。稲田市長も議員の要請を受け止めてくださり、急遽挨拶の中に平和的解決を求める旨、表明していただきました。さらに和泉市民も、2月15日、3月15日と、2度にわたるピースウォークを実施し、戦争反対を強く訴えました。しかしながら事態は最悪の状況へと向かっています。ブッシュ大統領は、国連も国連憲章をも無視して戦争に突入しようとしています。大量破壊兵器の査察に十分応じないと言って、大量の爆弾を一方的に相手国に打ち込む、こんなことが許されるのでしょうか。人類は21世紀になっても、なお、その英知をもって武力戦争・宗教戦争を克服することはできないのでしょうか。

サダム・フセインに対する最後通告の期限は日本時間20日10時、まさに今です。世界中が固唾を呑んで見守っていることでしょう。私は、自分に向かって爆弾が飛んでくるのを待ち構えなければならないイラク国民に心から同情し、一人一人かけがえのない大切な命が失われることのないよう、ひたすらお祈り申しあげます。--------------------------------------------------------------

そして、3月24日(月)議会終了後再度女性議員が集まり、26日(水)の夕方6時から7時半まで、ロウソクを灯しての『3・26和泉市民ピースウォーク集会』の実施を決めた。また案内を打ってメールで送ったり、警察に連絡したり、電話を掛けまくったりと忙しい2日だった。会場は和泉府中駅前三井住友銀行裏の空き地を、再開発課からある方のお口添えもあって借りられることになった。私がカギを預かっていたので5時半に行ったが、誰もいない。そのうち高田さんが来てくれて、もう一人の女性と3人きり。心細かった。しかし、時間が迫るにつれ、結局45人ほど来てくださり、静かだが、平和を願う良い集会となった。

平成15年2月22日(土)

午前10時市役所集合。『いずみ環境くらぶ』貝塚市自然遊学館自然生態園、関空交流館を見学した。自然生態園は今朝毎日新聞『2002年度毎日・地方自治大賞』最優秀賞を獲得したという報道があり、メンバーのお一人が記事を持ってきてくださった。生態園は、延べ2000人の市民がまったくの手造りで3年がかりで作った一大ビオトープ。埋立地に出来た「市民の森」の中に「トンボの池」「どんぐりの森」「バッタの広場」「海辺の植物ブロック」の4つのゾーンを持つ。すでにトンボ園では20〜30種のトンボが生息しているのだそう。隣接の自然遊学館は蝶やトンボなどあまたの昆虫標本に加えて、貝塚の海から山の上までの自然環境を、魚・昆虫や植生など市域をさかのぼって再現したもの。小中学生を始め市民がここに来て、貝塚を知るとともに自然や環境を学習することができる。ぜひ和泉の子どもたちにも、和泉の自然を探り教えてくれる自然資料館を作りたい!午後の岸和田市自然資料館、だんじり会館、郷土資料館はICIX国際交流セミナーでの通訳があり欠席した。

ICIX国際交流セミナー#40「第2弾:神秘の国インドの現在」 講師は大阪府立大学博士課程留学生のジャナカライアン・ラムクマールさん。午後2時から和泉市コミュニティセンター2F創作室で開かれ、私が通訳をさせていただいた。雨のそぼ降る小寒い午後なので、少々参加の数が心配されたが、思いのほか大勢来て下さって嬉しかった。机も大きくて数が気にならず、またインドへの旅行経験のおありの方も来られ、身近なお話しがいろいろ聞けてよかった。

インドは世界で2番目の人口、7番目の広さを持ち、25の県に分かれているが、その25の県がすべて言葉も文字も違い、文化・風習や食べ物も違う。衣装やお祭りも違うという。ラムクマールさんは27歳で6つしかない国立大学の学生。超エリート学生。でも、隣の県へ行くと言葉が通じないとか。共通語はヒンディー語。学校は公立は現地の言葉で私立は英語で教育を受け、大学はすべて英語で教育される。

シリコンバレーで席巻しているのは、いまや中国人とインド人と聞いていたので、そのヒミツを聞くと、彼は2つの原因があるという。ひとつはインド人は数学に秀でているということ。5歳で15×15の日本でいう九九を全部いえるという。計算が速いと頭の回転が速く、パソコンのプログラムも素早く理解できるようになるという。2つ目は、インドは総体的に貧乏なので、パソコン教育に向いているのだそう。先生も何もなくてもパソコンひとつで勉強できるし、パソコン一台で10人でも15人でも共同で勉強できる。なんといっても5000年の歴史を持ち、数学も昔から進んでいるし哲学の国でもあるし元から頭がいいのだ。でも、ノーベル賞取得者も6人ほどいて、ロケットやミサイル、核爆弾もあるほど工学の進んだ国だが、発明したものを商品化して販売することには遅れているといっていた。

カースト制度も歴史を追って説明してくださった。まだ存在しているらしい。参加者のお話だが、インドの非常にお金持ちのクラブで、すごい豪華な服を着た人たちが低い層の人を動物のように扱っていて信じられない思いをなさったとか。

最もくせが強くてわかりにくいと言われるインド英語を早口で話され、通訳するのも途中で疲れて大変だった。でも、ちょっと歌ってもらって踊ってもらって、ハンサムでにこやかで知的な彼のレクチャーを思いっきり楽しみました。

平成15年2月15日(土)

『2・15和泉市民ピースウォーク』の日。快晴、しかも春を思わせるうららかなすてきな日になった。

昨日はプラカード作ったり、パソコン打ったり、印刷したりと忙しい夕・夜を過ごした。きっといろんな方々が同じように、今日に備えて準備に大忙しだったことだろう。一夜明けて、市役所前9時集合。薄紫スイートピー、オレンジ色ガーベラ、黄色のチューリップ、白のストックなど華やか春の花130本の差し入れあり。数々の横断幕、プラカード、ギターひきのアメリカ人や若者など、伝え聞いて戦争を憂える人たちが三々五々集まった。毎日新聞、朝日新聞、その他機関紙、ミニコミ紙などジャーナリズムの方々も(お願いしたのだが)何人も来られ、取材して下さった。朝日新聞の記事では70人という数字が出ていたが、実際は120人の平和主義者が集まり(警察も100人以上とおっしゃってる)、イラクの人たち・子ども達の上に爆弾や生物兵器・化学兵器などが落ちてこないことを心から願いながら、みんなで歌いシュプレヒコールを繰り返した。「平和的解決/必ず道はある」と書いたのは私。『常に可能性はある』というのは私の信条だから。それを信じて訴えていきたいと思う。


ピースウォークに対し稲田市長さんにメッセージをお願いしたところ、素晴らしい言葉を贈って下さった。集会で市職員さんに代読、ご披露頂いたがここにも掲載したいと思う。

和泉市民ピースウォークにご参加の皆様方、本日はたいへんご苦労様でございます。一人ひとりの平和への願いを和泉の街から発信する皆様方の熱心な平和運動に対しまして、心から敬意と謝意を表したいと存じます。

さて、21世紀を迎えました今日、戦争撲滅と恒久平和は人類共通の願いであり、平和な社会を築き上げることは、現代に生きる私たちに課せられた後世に残すべき最も大切なものであり、一日も早く事態が収拾を迎えますことを強く望んでいます。

結びになりますが、皆様方のピースウォークが恒久平和の実現につながりますことを心からご期待申し上げ、メッセージといたします。

平成15年2月15日                和泉市長  稲 田 順 三


また、みんなで作った替え歌を、歌って歩いた。

『明日があるさ』 1.明日はないさ明日はない イラク攻撃やめさせよう  イラクだってアメリカだって友だちになれるよ 明日がある明日がある 戦争はやめようよ  2.アメリカもイラクも同じ星 命のだいじさわかってよ あきらめないで信じあって みんなで歩こうよ 明日がある明日がある 攻撃やめさせよう  3.笑顔がかがやく子どもたち 傷つけないで殺さないで 海を越えて風になって 世界に伝えよう 明日がある明日がある 平和が大好きさ

『上を向いて歩こう』 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように みんなで歩く イラク攻撃反対! 上を向いて歩こう にじんだ星を数えて 平和を世界に イラク攻撃反対!  「幸せはイラクの上に 幸せはみんなの上に」 上を向いて歩こう あなたもこころを合わせて 手をつなぎ歌おう 『和泉市民ピースウォーク』

これ以上絶対、子どもたちの心と身体を傷つけ憎悪を植え付けないために、戦争を阻止したい。『明日があるさ』の3番、《笑顔がかがやく子どもたち 傷つけないで殺さないで》、ここがもっとも心に響く部分だった!

平成15年2月11日(火・建国記念日)

2月2日のことだが、和泉市主催『第7回防災とボランティア・市民の集い』に出席。朝日新聞編集委員泊次郎氏の講演を聴いた。泊さんは東大卒でかつて地震の研究をしておられたとか。おまけに20年程前?堺の記者クラブに所属していて、和泉市のこともよくご存知。5枚にわたるレジメを作ってこられ、笑いとかはまったくないものの専門的なお話しが非常に危機感をかき立てるものだった。

(講演から)@阪神大震災時、直後の死者5500人のうち約9割が建物倒壊による圧死であった。A倒壊した建物の9割以上は1981年(昭和56年)以前の耐震基準が強化される以前の建物だった。B和泉市では、全市6万棟のうち、65%が81年以前の建物である。

40年前は地震の原因はわからなかった。地震の原因はプレートの運動であり、プレートテクトニクスで説明できる。地球は、厚さ100kmの10数枚のプレートでジグソーパズルのように被われており、日本は太平洋プレートとフィリッピン海プレートがぶつかった所にある。地震の種類は大別すると2種類−−@プレート境界型地震 A内陸部の浅いところで起きる活断層地震(直下型地震)

上記@に相当する南海地震、東南海地震は1498年から大体周期を持って繰り返し起こっており、今後10年以内に起こる確率は10%、30年以内50%、50年以内80〜90%で起こることがわかっている。現在毎年?4mずつプレートが動いているので、その確率は確率だけの問題ではなく根拠がある、とおっしゃる。

そして、その南海地震では和泉市は震度6くらいで振動が5分続くと覚悟しなければならない、とか。阪神大震災では和泉市は震度4で40秒だったのに比べると、すごい大地震になると思われる。ということで、自分の家の耐震性をチェックすること、学校等公共施設の診断をすること、家の中では家具を固定し寝る場所の空間を確保すること、などを訴えておられた。和泉市でも耐震改修促進実施計画を策定するとの事なので、これにも注目したいと思っている。

阪神大震災では、直前に兵庫県猪名川町で数え切れないほどの群発地震が発生していたのを覚えている。最近(今日も)福井や近辺で地震が頻繁に発生しているようで、とても悪い予感がする!

平成15年2月9日(日)

(ピースウォーク実行委員会呼びかけ文)なぜ、イラクが米軍に攻撃されなければならないのか? 世界中でイラク攻撃反対の声があがっています。ワシントンで50万人、ロサンゼルスで20万人、フィレンツェで100万人・・・。日本の世論も、6割以上が反対を唱えています。国連で慎重に査察をかさね、対話で解決していこうとの世界中の願いをつなぐために、2月15日に地球上で1000万人の国際反戦行動が呼びかけられています。日本はやっと地雷を廃棄し、小さな軍縮の努力を始めました。

・ イラクの人々や子どもの命を無差別に奪う戦争は、やめよう!

・ お互いの国の兵士たちの命を奪う戦争、油田地帯の争奪と破壊で地球環境までボロボロにする戦争は、やめよう

・ 日本がこの戦争に加担するのはやめよう!

・ 国境を越えて、小さな小さな平和への願いをつらねて行進しよう!

一人の平和への願いを束ねて和泉の街を歩きながら、この地球上で戦争によってひとつの命も消えないよう、こころを込めてアピールしていきましょう。集会・行進の参加スタイルは自由です。自分の気持ちを書いたプラカードを持ったり、カスタネットやギターで気持ちを表したり、一輪の花や風船を持ったり・・・。もちろん何も持たないで行進に参加するのも大歓迎です。お友達にも呼びかけて、ご一緒にご参加ください。

日 時:2月15日(土)午前10時 ★雨天決行(雨模様の場合は、しっかりと雨具を)

集合場所:和泉市役所玄関前  【10時〜10時半】市役所前集会 【10時半〜11時半】行進(和泉市役所→国府小学校前→図書館・総合福祉会館→和泉市立病院→小栗街道→泉井上神社→JR和泉府中駅前で解散)

平成15年2月1日(土)

午後1時半より和泉市コミセン・多目的ホールで、和泉市老人クラブ連合会主催の『第3回笑いと健康』早川一光(かずてる)氏講演があった。場内超満員。多目的ホールで400人も入った会って初めて聞いた。ご親切にわざわざお手紙で入場券を送ってくださった方があり、行かせて頂いた。早川先生は、京都堀川病院院長を長年務められ、わらじ医者として多数の著書・講演で名高いお医者さん。私も授業に何か役立つかと、新書版を一冊買ったことがある。

特に老年医学の専門家というわけではおられないので専門的な小難しい話ではなく、自ら多くの患者さんを診察された中での経験的お話だったが、その笑わせ方は中途半端ではなかった! 何しろ1時間半、3秒と空けず大笑いの連続で、その呼吸はまさに漫才。実際、「おさむちゃん!」と言って笑わせる漫才師にそっくりの間合い。でもいかなる漫才師でも、1人で1時間半は笑わせつづけられないだろう。

その中でも、いくつかキラリと光った言葉があった。「年取って歯が抜けることは、消化器すべてがやわらかいものを望んでいるのよ」「ここで大笑いしている人はボケない。すなわち感動する力があるから」「和泉市の人はよく笑って元気だ。たとえ経済が下向きでも、笑って元気にしていれば、なぜ、と他府県の人が見に来るよ」「おかげさま、と言える人はボケない。なぜなら、陰で支えてくれている見えない人たちや力を感じることが出来るのだから」などなど。会場全体に歌もいっぱい歌わせて下さり、最後に奥様から『一本の鉛筆』という歌を手話で教わり、楽しいひと時が終わった。他の会合と重なっていて途中で出るつもりだったのに、それどころではなかった。なんたって、笑った笑った・・・!

老いも若きも、幼児でさえ、一日一回は心から笑いたいもの。その意味では、この講演を聴いて笑って、誰もが持っているといういうガン細胞が随分やっつけられたのではないかと思う。「笑う門には福来る」という諺が思い出されるが、最近の子ども達はこんな言葉も親から伝えられていないのでしょうよねえ。

 

トップページへ