かネコ和子の
今日は3時に五月会派室に集合。昨年と同様、逢野議員、井坂議員、柏議長、辻議員と5人で戸棚の整理(実は私はお客様があり、部屋に戻ったら終わっていた!)を済ませたのち、市役所内の部長クラスの方々その他の方々に年末のご挨拶に回った。 1年の経つのは早いもの。この4月に去られた方、昇進なさった方さまざまで、やっとそのお顔ぶれに慣れたと思ったら、もう来年の4月の機構改編に向けて庁舎は動き出している。そして、定年退職あるいは早期退職で何人もの方のお顔が見えなくなってしまう。「会うは別れの始めなり」とはよく言ったもの。とっても寂しいことデス! 9月からこちらは、本当に忙しかった。連日夜の会合が続き、合間に原稿書いたり英訳したり連絡したり、そして議会の準備などなど。9月議会でのテロ反対意見書に端を発した10・8和泉市民ピースウォークも、23日の街頭カンパ活動で今年はおしまい。考えれば、ピースウォークの呼びかけ・実施から講演会、意見広告掲載、署名運動、国会請願、カンパ活動など3ヶ月の間にみんなよく頑張ったと思う。どれだけ多くの市民に私たちの訴えが届いたかはわかりにくいが、やるだけはやった。 和泉女性100人委員会主催(中でも私もメンバーに加わらせていただいている交流部主催)の、新屋英子ひとり芝居「ヒミコ伝説」も素晴らしかった。脚本を読んだ時点で感動したが、実際の舞台はやはりまぶたの裏に焼き付いている。この上なく悲惨、とも言える逆境の中に生きてなお、歌を歌って力強く笑いながら生き抜くヒミコさんの強さは忘れられないものになりそう・・・。 ワールドフェスティバルも「北川潔ジャズコンサート」も、すべて大変だったけれど、すべて多くの方の力の結集で大成功と言える成果を収めることができた。和泉市民の底力を感じる! 市民レベルの仕事だったから余計に感動が深いのかもしれない。皆様のおかげ。 来年の抱負は? 女性センター問題、あおば会館建築、まちづくり、ICIX、ワールドフェスティバル、ジャズコンサート、保育所・幼稚園統廃合、教育改革、介護保険見直しなどなど一年があっという間に過ぎてしまいそうなほど問題が山積している。 ん、頑張るワ!! |
この秋は、メチャ忙しくて、先日来更新ができていずちょっとあせり気味。議会、北海道視察、ピースウォーク、それの原稿や英文や連絡やら、ワールドフェスティバル・100人委員会・ジャズコンサート・ICIXの実行委員会などなど、決算委員会、わお! 和らぎを早く発行しなければいけないし。今日は、みんなで平井医院駐車場前の花壇の植え込み。どれだけの方が来て下さるかなあ。 |
昨日の16日の昼休み、《10・8和泉市民ピースウォーク》の方々と一緒に、当日採択されたアピールを持って、市長さん、正副議長さんのところへお届けした。ブッシュ大統領へのアピールは、私が英訳をしてEメールでアメリカの2箇所に送付した。17日付で、アメリカより返事がメールで返ってきている。更に,夜ブリッジに集まり、今後について話し合った。新聞では、今冬アフガンの子ども達の10万人が飢えと寒さで耐えられない、と伝えている。カンパも、そして勉強会もとアイディアが出てきた。 今日は、朝から和泉市女性100人委員会の12月1日に行われるフェスタ実行委員会が開かれた。フェスタでは、有名な新屋英子さんのひとり芝居『ヒミコ伝説』が上演されるが、池田先生が作られた、ヒミコの生涯にあわせた世の中の出来事のプリントについて、私が説明するようにと仰せつかった。苦手な日本史の話なので、また一昨晩についで昨晩寝られず。でもどんな参考書よりも、やはりインターネットは頼りになる。いろいろ調べて、自分自身とても面白かった。でもそれもさることながら、『ヒミコ伝説』の脚本が本当に、面白いなんて!、ごっつい面白い大阪弁で明るく強く生き抜く、大阪のおばあちゃんが登場。暗い世情の中で、決して恵まれない、どころか悲惨とも言える人生を送ったおばあちゃんだが、それをも笑い飛ばす強さとユーモアはきっと皆を元気づける。1000円は安い。実際大阪で見ればこんな値段では無い。昼からは、交流部で放送劇《百俵の米》の練習。放送部出身、とは大声でいいまくってるが、実は遊んでいたほうが多くてあまりアナウンスの練習はしなかった。でもこの脚本がよくて、すっかり感情移入してしまった感じ・・・。 12月10日には、青葉台の横野さんと和泉市ジャズコンサートを計画している。アメリカで超有名な《世界の小曽根》といわれたジャズピアニスト小曽根真とトリオを組んでいた、ベースの北川潔さんが帰ってこられるのに合わせ、過密なスケジュールを縫って、ぜひ和泉市でも、と実現するコンサート。教育委員会の応援も貰って、頑張る! |
今日平成13年度第3回定例会(和泉市議会)が終了。昨年の選挙から丸1年が経過したわけだ。今回の私の一般質問は、@和泉市内各駅前駐輪場の時間延長についてA消防署の防災態勢についてB2002年に始まる総合教育について/市内各小・中学校の取り組みを尋ねる、の3点。今回も1日目は多くの傍聴者がおられた。ほとんどが知っているお顔だった。《フレッシュ和泉》の会長さんが来て下さったのは、ほんとうに嬉しかった。今回で3回目? お仕事の間を縫って、来てくださる。 質問と答弁の要旨は別枠で作るつもりなんだけど、ホントにホントに毎日寝る暇もないくらい忙しくて、ゆっくりホームページに向かえない。 毎年10月議会では役員選挙が行われる。一番の関心事は議長選挙で、随分早くから裏ではいろいろな動きが見られていた。結局選挙で、私が属する五月会派の柏冨久蔵議員が選ばれた。よかったよかった。だけど議場では1年間左隣がいらっしゃらないということで、寂しくなる。でも右隣の辻宏康議員が「座席に物置くこともできますよお」と慰めて?くださった。そして副議長には田代一男議員。それから、各種委員会所属議員、さらにその委員長・副委員長が選ばれた。私は、常任委員会は産業建設委員会、特別委員会は決算審査特別委員会、そして議会運営委員会に所属することになり、さらに産業建設委員会の副委員長ということになった。新米でなにもわからないが、逆に勉強させていただける機会をいただいたと有り難く思い、頑張るワ! 今回の議案で一番目を引くことは、いずみ霊園と北部コミュニティセンターの工事着工だろうか。このたび33億750万円をかけて全く新築工事がなされる。鉄筋コンクリート2階建て、敷地面積約2万8千平方メートル、延べ床面積約6200平方メートル、工期は平成15年3月20日までとなっている。施工業者は、大阪市西区江戸堀の前田建設工業kk関西支店で一般競争入札によって決められた。 いままであったのは霊園とは言え斎場だけであって、新しい建物では葬祭ができる。かつては葬儀場から車を連ねて斎場へと向かっていたが、これからはいずみ霊園でお通夜からお骨上げまでが一貫してできるわけである。他の民間の葬儀場が戦々恐々かも知れないが、民間はとても混むこともあったし、市民にとっては安価に葬儀ができることはありがたい。あと問題は、葬儀社の委託と霊園へのアクセスだろうか。 |
古い話になるが、やっぱり書こう。10月2日〜7日まで、久保惣記念美術館市民ギャラリーで、和泉野文化会写真部による第1回写真展が開かれていた。私は友人と7日に寄せてもらって、初めて写真の奥深さを知り、未だに余韻が残っている。 それまで写真といえば、報道写真や記録写真の感覚しかなかった私だった。でもあそこに並んでいた写真の数々…! たとえば、流れる川の水を一瞬の写真で捉えるのでなく、また長時間の露出で捉えるのでなく、そのタイミングの妙味というか技術なのだが、微妙なところで美しい水の流れと速さを表現する。あるいは、空中高く沸き立つ雲を瞬間にシャッターでつかまえ、同時に逆光で、何本もの向日葵の透ける花びらと仲良く連れ立つ子ども達を画面に配置する。それは私の考える“写真”をまったく超えたものだった。寸分の隙もなく完全に美しく映し出された幾枚かの蓮の花には、涙が出そうになった。あとで完全な花を撮影するご苦労についてお聞きした。 わざわざ外国へ題材を探しに、または何時間もかけてその瞬間を待つ、などその1枚にかける情熱も鑑賞するに充分だ。大きな賞を得ている作品が何枚もある、とも聞いている。あとで友人と、「もう一度行きたいねえ」「もっとゆっくりと見たかったねえ」と話し合ったことだった。もう今から来年が楽しみ・・・・! |
今日は、光明池自動車教習所で和泉市・和泉警察署等々で構成されている「交通事故をなくす運動」和泉市推進協議会主催の『交通安全市民のつどい』が開かれ、10時からの式典に参加。小さい子どもさん連れの若い家族など、想像以上に沢山の方々が来場され,にぎやかにぎやか!! 思うに、だんじりや幼稚園鼓笛隊、警察・自衛隊音楽隊、落語などの催しがスケジュールいっぱいにある上、野菜・園芸などの特売コーナーや遊びのコーナー、体験コーナーなど楽しめる仕掛けが揃っているからなのだ。『つどい』自体は3年目とか。私は初めて・・・。私もかつて光明池試験場の免停講習講師・・・。事故が,死傷者がひとりでも減りますように。和泉市民がマナーを守って思いやりある運転をしてくださるように、 1時間で会場をあとに、10時半から始まっているICIX例会に出席するため、コミセンへ。今日は長年高校の国語の先生をしておられたICIXメンバーの和田さんの講演。和田さんは釈超空(折口信夫)の愛弟子さんでもあった。題して『短歌の歴史』。以前『俳句の歴史』を講演いただいたが、面白くて素晴らしくて・・・。見慣れた俳句も、和田先生のご説明を聞くと、句の背景が10倍くらいも広がって、みんな唖然としてしまったものだ。今日も本当に面白かった。1年間毎月のシリーズで講演いただくことになっている。 午後は、天理市に車を走らせ自治体議員勉強会。基調講演はある市の職員さんの「役所(議会)は変われるか…分権時代の政策形成に向けて」と別の市の元助役さんの補足。(情報をもっている優位性でなく、想像力・創造力の優位性で)(人との出会いが人を変える)(着眼大局、着手小局)(妥協はしても決して軸足はぶれない)(グローカルに展開)(@情報公開A市民参画B協働,この3点が大切)(居眠り自治体は居眠り市長、居眠り議員、居眠り職員,居眠り市民からできている)等々、面白い議論が山ほど出ていて興味深かった。あと、3代続いた汚職市長のあとの市長選に、勉強会メンバーの諸井英二議員が出馬するとの事で、ご本人の話があり、終わってからも天理駅に繰り出して応援をしたことだった。帰りは、青葉台在住で桃大経営学大学院生のTさんがたまたま隣に座っておられたことから、車で送りがてら色々レクチャーをしてもらった。イスラム教が通貨経済で利益を生むことをよしとしない宗教だとか、西洋史から今回の対アメリカテロを分析したり。 |
今朝はテレビを見る間もなく、上田さんから電話。『空爆はじまったよお」。さあ大変。上田さんの指示で、文面打ち変えるやら、テレビ・新聞社に片っ端から電話してfax入れるやら。結局来てくださったのは朝日新聞と毎日新聞だけだったけど。カンさんがギターで伴奏してくれて「上を向いて歩こう』『花][imagine」を大声で歌って歩いた。中塚カーペットさんで研修しているインドネシア人、岸和田のインドネシア・日本人ご夫婦など、様々な方が駆けつけてくださって,総勢91人! 50人と警察には届けたものの,20人ぐらいだったらどうしよう、と思っていたら、少しずつ少しずつ来てくださるのが、なんとありがたく思えることか。超党派で、市民レベルで、仲良くやれたことがとても良かったのじゃない? アピールは次のとおり。これから署名をお願いしてまわらなければ。命の大切さは無条件、正義や法を上回るものだと思っているので、これからの戦局を注視しながら、必要とあらば又しっかり意思表示をしていこうと考えている。 「テロも、戦争も、いややなあ!」 10・8和泉市民ピースウォーク 集会アピール 9月11日に発生した「アメリカ同時多発テロ」は、多くの人たちの命を一瞬にして奪い去ってしまいました。犠牲者の方々に、心から哀悼の意を表したいと思います。 「報復」の名のもと、戦争準備に走るアメリカ。そしてその支援のため、法律まで作って自衛隊を派遣しようとしている日本。そして本日ついに、空爆が開始されました。すべてが「新しい戦争」の道に流されていくのではないかと心配しています。 武力の積み重ねは、新たな犠牲を増やすだけ。和解のための努力こそが、平和への道筋。もうこれ以上、平和を願う世界中の市民の命を「新しい戦争」に巻き込んでほしくない。そのために何かをしたい。犠牲となった人たちに思いをはせ、貧しさや飢餓にあえいでいる大人や子どもたちに思いをはせ・・・。 今日、この集会に集まった私たちは,ひとりひとりの平和への願いを束ねて、和泉の街を歩きながら,この地球上で戦争によってひとつの命も消えないように,心をこめてアピールしていきます。『テロも、戦争も、いややなあ!』と。 2001年10月8日 『10・8和泉市民ピースウォーク』 集会参加者一同 |
10・8和泉市民ピースウォーク! いよいよ明日は10・8和泉市民ピースウォーク! 「テロも、戦争も、いややなあ!」というみんなの気持ちが集まって、あれよあれよという間に実行することになった。和泉市は非核平和都市宣言を他市よりも早く宣言している町だから、難しいことを抜きにしても、人の命を大切に思い、平和を願うこころさえあれば、ぜひ和泉市民の思いを広く伝えるためにも、多くの方に参加していただきたい! 当日は、2時から市役所前で30分の集会。2時半から行進。国府小学校前から小栗街道に入り、“岡巳之”さんの横を曲がり、“フルーツ門林”の横を曲がり、美光堂の前を通って、三井住友銀行横で流れ解散、というスケジュール。歩いてもせいぜい20分、と警察で言われている。ギターを抱えて、サンフランシスコ出身のカンさんも加わってくださるし、ぜひ楽しい有意義な会にしたいよね。 《下は呼掛け文から》 日時:10月8日(月・振替休日) 午後2時〜 ★雨天決行(雨模様の場合は、しっかりと雨具を) 集合場所:和泉市役所玄関前 ★参加スタイルは自由です。自分の気持ちを書いたプラカードを持ったり、カスタ ネットやギターで気持ちを表したり、一輪の花や風船を持ったり。もちろん何も持 たないで行進に参加するのも大歓迎です。 お友達にも呼びかけて、ご一緒にご参加ください。 |
《大型英語紙芝居・葛の葉物語》上演! 今日は、高石市役所で3市1町が共催の《泉北ボランティアまつり》。ICIXも、アイ・あいロビー運営委員会から参加し、《大型英語紙芝居・葛の葉物語》をした。ナレーター英語は金児、ナレーター日本語は大平さん、安倍保名はアメリカ人のカンさん、葛の葉(白狐)は丹羽さん、悪者は前田さん、童子丸は東さん、紙芝居引き手は田口さん。富永さん製作の被り物を初めてつけ、観客の目の前に立ったら俄然志気が高まってしまった。それまでに3,4回は練習したけれど、いつもの倍くらい真剣に芝居をしてしまったおかげでその熱意が効を奏してか、「とてもよかった」「感動した」「小さな子ども達も芝居に見入っていた」などの声が聞かれてとても嬉しかった。英語と日本語の台本を下さい、と申し出た方もあったよ。今を時めく安倍晴明の話でもあり、葛の葉神社、聖神社も登場して、和泉市のアッピールになったのでは、というのは我田引水? これからこれを引っさげて全国巡業に行くわ、と私は事あるごとに叫んでいる・・・! |
ワーイ! やっとのことで“和らぎ”完成。1週間かかってしまった。あれもこれもトピックはあるのだけど、果たして読んで面白いかどうか。掲載がOKか当該課にデンワで確認したものもある。地元の記事に偏らないか、気を遣う(少しは仕方がないよね)。 しかし、その間にニューヨークではとんでもない事件。10時半に帰宅して、ご飯食べようとTVをつけたら、ビルの煙モクモクのシーン! 誰かが、映画やってると思った、と言った。映画『タワーリング・インフェルノ』を地で行く、どころか数倍恐ろしい体験だっただろう。 アメリカでは報復路線を行くようだ。私は反対。かつての日本のように歯止めなく戦争へ突入していく様子が目に見えるみたい。報復といっても、テロリストは深く潜行し、爆撃を受けるのは間違いなく一般市民。そこには正義はない。テロを力で押さえ込むことなど不可能と思う。テロを起こす憎悪をこそ無くす方策を考えることだ。アメリカの《報復》が、戦争行為を伴わない単なる戦略の一つであってほしい。 アメリカでは星条旗が売り切れという。アメリカ人は根っから愛国者なのだ。 アメリカにいた1987年、7月4日の独立記念日の集会に誘われた。カンザス州ローレンスという町に住んでいたが、その町の集会ではなく、カンザスシティの大公園の集会に行った。どこにいたの、というくらい大勢の人がびっしりと公園を埋め尽くす。私達家族も缶ジュースを手に場所をとった。はるか向こうのステージではオーケストラとコーラスの演奏。なんだかミュージカル曲とかマーチ、フォスターの曲とかやってるな、とうきうきしていたら突然全員が立ち上がり歌いだした。あわてて我々も立つ。つまり最初からアメリカ賛美の曲を演奏していたのだが、その時多分“アメリカ、ザ・ビューティフル”の歌ではなかったか。その後国歌など数曲続いて歌い、すごい花火があり集会が進んでいく。どんな小さな町でも独立記念日の集会は中央公園で必ずやるし、多分住民ほとんどが出かけていく。実は、その素地は小学校にある。 アメリカの小学校では、6年間毎日毎日、授業が始まる前に各教室で儀式をやる。教壇横にある星条旗に対して“プレッジ(国旗への忠誠の誓い)”のことばを右手を心臓に当てて言わされる。そして国歌を歌う。英語のわからなかった当時小4の娘もプレッジをすぐ覚え、いまだにすらすらと自然にでてくる。見事なばかりの刷り込みである。中学校や高校になると週1くらいになるらしいが、小学校6年間の毎日が大きい。 日本のように自国の国旗や国歌を嫌悪するのも病理的だが、度を超えた愛国心も社会病理ではある。 |
今日は全市的に美化キャンペーン。私は、アイ・あいロビーのボランティアグループの一員として、10時から和泉中央駅周辺のお掃除に気持ちの良い汗を流してきた。いつも車を走らせながら、緑地帯に捨てられた大量の空き缶や路上のタバコの吸殻、不法広告など悲しく見ていたので、いざ今日こそはと詰みバサミと箒を車に積んで勇んで出かけた次第。多くのボランティアさんに交じって市からもたくさんの職員さんが出ておられた。7日夜の南池田中・交通安全講習会にも市の職員さんが何人も出ておられたもんね。夜も休日もご苦労さん、と思ってしまう。前から目をつけていた和泉中央公園前の緑地帯めがけて、ICIXの辻本さんを誘ってゴミを拾いながらまっしぐら。電柱によじのぼって「バイ●グラ」の張り紙をとっていたら、背の高い人が来て手伝いましょか、と。親切に出会って、町もきれいになって、よかった、よかった。吸殻だって、いつまでたっても消えてなくならないのだからね、とまあどこかのおっちゃんに言いたい! でもこのようなお掃除は、なかなか一人では出来ないことだから、月に一遍くらい美化キャンペーンがあればいいのにね。 昼からお客さん二人。青葉会館建て替えについての話や、青葉台自治会分割の話などをいろいろさせてもらった。月曜は、光明池・春木線に交通標識をつける予定。和らぎもつくらなければ、議会の一般質問も準備しなければ、と心はあせるんだけど、いろいろなところに足を突っ込んでいるもので、忙しくて。 |
8月19日、IT講習に使用されたパソコンについて市民さんからお尋ねがあり、翌日市生涯学習課に確かめました。このほどもう一度確認した結果をここにご報告しましょう。 『IT講習と言うのはもちろん国のIT革命に則った事業であって、各市町村自治体にIT講習を何名(人口に比例して割り当てられる。和泉市の場合は5500人)対象に実施する義務とともに、事業補助金が交付される。和泉市では1286万何がしかが下りてきて、それに少し足してデスクトップ型パソコン20台、ノートパソコン59台を購入。それを市民会館、青少年センター、図書館、青少年の家などを保管場所として届けている。IT講習事業は1年が期限なので、市は来年3月までに5500人に講習を完了し、その名簿をつくらなければならない。そして、その後が問題なのだが、少なくとも3年以内には備品チェックが入るので、保管をきちっとしておかねばならず、貸し出しも難しい。壊れれば利用者負担になるから。目的に沿った利用をするために今市民に還元する方法、市民サービスも考えているが、今現在はIT講習の実施で手一杯で、その後については全く白紙。言われるような、市庁舎でパソコンを取り込むというような話はまったくないしあり得ないが、ただ職員研修のために利用ということはあるかもしれない。いずれにしろ、詳細はまだである。来年中には市民サービス(もしかしたら市民貸し出しも?)が実現する予定』との回答でした。 明日は月一回の市政報告会が2時〜4時まである。この1ヶ月議会はなかったけれど、いろいろ調べたことなどをご報告。午前中は大阪体育大学短大の補講がクラス合同で2コマあり準備しなきゃ。午後はICIX主催の『第3回いずみ暗唱コンテスト』があるのだけれど、報告会があるため私は行けなくて残念。 |
2日の文章で「日本人のDNAのことを書いたら、すぐその夜NHKスペシャル『日本人はるかな旅』の番組があり(再放送と思う)、日本人はどこから来たかというくだりがあった。それによると、日本最古の骨、縄文人の骨20数体からDNAを取り出すことが出来、そのDNAと各国民族と照合したところ、一体は台湾、一体は韓国、一体はタイ、そして残り全てはシベリア・バイカル湖近くにあるブリヤート共和国のブリヤート人だと判明したという。 以下は、NHKスペシャルのHPからコピーした文章。『近年の人類学や遺伝子研究の進展によって、実は日本人は均一ではなく、アジア各地の人々の特徴をあわせもつ多様な集団であることが明らかになってきました。日本列島がまだ大陸とつながっていた3万年前ごろより、列島の北や南から人々が幾重にもわたって渡来し、複雑に交じり合って“原日本人”が生まれたと考えられます。また、このプロセスが氷河時代から温暖化へと向かう地球環境の大変動の中で進行していたこともわかってきました。わたしたちの遠い祖先は、たびたび生存の危機に直面しながらも、その都度新たな知恵を獲得し、苦難を生き抜いてきたのです。』 さらに言うなら、アフリカで20万年前に出現した、人間種「ホモサピエンス」は、10万年前にアジア・ヨーロッパへ移動し、今のように細かく民族が分かれていった。その後の長い時間を経て、気候や生活風土の違いにより、各民族の身体的特徴その他の典型が出現してきたのだろう。 NHKスペシャル『日本人はるかな旅』の今後の放送予定は次の通り。
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今日は1:30〜4:30まで、岸和田市立女性センターで皇甫康子(ファンポカンジャ)さんの講演とビデオ『ナヌムの家No.2』の上映があり、出かけていった。堺以南の9市で作る《泉州女性グループの集い》主催で、私も交流部で加わっている《和泉女性100人委員会》も参加している。映画は、元朝鮮人従軍慰安婦の方数名が共同生活している様子と、彼女達を引き出して賠償運動をすすめている人たちとの関わりを描いている。元慰安婦の方々は既に70歳代の後半になっており、体調も良くなく生活苦もあるようだが、それでも互いに声掛け合い時には冗談も言い合い、支えあって生きておられる。若い人たちが相手になってビデオを撮っているせいか、非常に饒舌で含蓄のある言葉が随所に出てくる。しかし、辛そうである。最後の方で一人が言った言葉、「名乗って出なければ、今頃はもっと幸せだったろう。過去を知られることは恥ずかしい」というのも真実だと思う。毎週水曜日には大使館前でデモをしている。いまではもう500回を超えているそうだ。過去を隠して、それなりに生活してきた彼女達。女性教授が言っていたように、戦争から男性は帰ってこなかったので、帰ってきている女性がいるとは考えもしなかった、とか。日本から賠償金を、謝罪を、という運動家達に励まされ後押しされて出てきたものだろう。それだけに、なおさらお気の毒だ。 一体何人の方が元慰安婦と認定されるのかは知らないが、余命幾ばくもない方々に、少しでも賠償金か年金を払うことはそれほど難しいのだろうか。彼女達(というよりは支援者?)は、「見舞金は要らない。謝罪金を求める」という。日本人側が、戦争だから仕方がない、戦争責任は既に果たしている、などといろいろ言うのは卑怯。どんなに弁解しようと、したことが善でなければ悪である、悪いことは悪い、それが正義だと思う。 ともあれ、皇甫さんの講演は非常にアグレッシブなものでびっくりした。気持ちはわかるが、いかに好んで住んでいないとは言え、「私達が(朝鮮に?)帰ってあげたとしても、まだ部落差別があり、こんな国は誰にとっても住みよい国ではない」「国旗国歌法やら教科書問題やら、最右翼の小泉さんが政権を取ってる限り、石原慎太郎など、日本はまた神の国に戻っている」「いろいろ批判すると、帰化すれば、と言われるが、私達は国に帰るつもりだから国籍を変えない」のように、非常に強い口調で主張しておられたのが気になった。 以前NHKの遺伝子の番組で、日本人のDNAを調べたところ純日本人と呼べる人は(どんな人なのか知りたいと思っているが・・・)全体の3〜4%くらいで、中国や韓国・朝鮮では純粋な国民は約90%くらいいる、というような話だった。つまり日本は本来寄せ集めの国であることは間違いなさそうだ。だから、今の日本に生まれ育った人がみんな、何のこだわりもなく日本人になってもらえるような、そんな寛容な社会や国になることが必要なのだ 岸和田女性センターについて言えば、登録している30ほどの女性グループは、大会議室や和室など、どの部屋を使うにも無料とか。それからついでに、岸和田市では、生涯学習出前講座と称して、各課から合計63ほどのメニューを用意している。10人集まればどこへでも出前してくれるらしい。すべて市の職員が講師。いわく「みんなで語ろう!岸和田市のまちづくり」「身近な税を理解しましょう!」「生活廃水と水環境」「年金の話」「芸は身を助く〜公民館で一芸を求めて」「岸和田市の歴史と文化財」等々。なかなかいいよね。和泉市も考えて! |
8月29日付『奥さまもしもし新聞』に、《さをり織り》で有名な城(じょう)みさをさんが一面の記事にお写真とともに出ておられた。私が和泉市に来た26年前に、すでにさをり織り教室が府中にあり、折々の情報の中で、どんな織り方かは知らないけれど、障害者の方々に役に立ち海外にも普及してきているとは知っていた。そしてたまたま城さんとお知り合いになり招待状を貰われた友達に誘われて、8月6日神戸ファッション美術館へ講演を聴きに出かけたのだった。 それはとても驚きの講演会だった。@講演は一週間ほど続く、さをり織りの一大イベントの一環としてあり、当日は日本各地のみならずアメリカやフィリッピンなど多くの海外からも参加を得たファッションショーもあった。Aその規模の大きさと、手織りだからこその力強さを持つ、カラフルでおしゃれな衣装に圧倒された。B障害児たちと支援者が、ファッションショーをしながら楽器演奏と歌を披露。楽しく自由なさをり織りが非常にマッチしていて、人間を開放的にしてくれる魔法の衣装のように思われた。C城みさをさんが、すでに88歳の高齢であることと、まだ和泉市弥生町に住んでおられる事を知り驚いた。これだけの方が、あまり現在の和泉市で知られていない。D講演は、岡本太郎記念館の館長で養女の岡本?さんとの対談だった。城さんは、ちょっと破天荒ではあるが、とても自由な発想で生き生きと話され、面白かった。フィナーレでは、足取りかろやかに踊られてとても88歳のお年とは思えないお元気さ。 あとで、城さんを支えておられる息子さんお二人とお話をさせていただいた。息子さんは、お母さんをもっと和泉市で活かしてほしい、とおっしゃり私もそう思ったので、必ずその為のお手伝いをします、とお約束した。私は翌日さっそく女性政策課へ行き、女性としての生き方あるいは有意義なお話をお伺いできる機会を作っていただけるようにお願いしたことだった。一方、誘ってくれたお友達は『奥さまもしもし新聞』に掲載をお願いして、このほど実現したのだった。 |
今日は忙しかった。 午前10時から光明池・春木線開通記念式典。これで光明池から和泉中央線、和泉中央駅を経て和泉府中駅まで一直線に道路が伸びたことになる。問題はまだまだ残っているけど、青葉台内の狭い道路を車が犇(ひし)(すごい字よね)めいていた状況は解消される。 2時から高石市民会館で、南部市議会議員研修会あり。講師:朝日新聞社友 田中豊蔵氏。演題:『どうなる日本の政治--小泉内閣の光と影--』。小泉さんと知己の間柄らしいが、《自民党は、同じ遺伝子をもった人の集まり》《人材底をついた感ある中での小泉人気》《小泉改革の成否は四分六》など辛口の話のあと、結論として、「政権交代のシステム作りの必要性」と「日本という国のトータルイメージを作る必要性」を強調しておられた。どちらも大賛成。 いつでも政権が取れる野党を育てる必要があると思う。反対のための反対党ばかりでは無責任で、政治がうまく機能しない。イギリスの「影の内閣(Shadow Cabinet)」や、アメリカの民主党・共和党の関係が大切なんじゃない? 影の内閣では、実際の内閣と同じ大臣を作って同時進行で模擬政治をやっていると聞いた。いつでも政権を代われるということが大切なのだ。いうなれば、真の政権にとってのオンブズマン的役割も果たすだろう。つまり牽制。田中氏もおっしゃるように、私も民主党がしっかり育って欲しい、そのためには一度政権をとらせてみたいとも思うわけだ。 また、ブッシュ共和党にしろブレア労働党にしろ自分の国のイメージ作りに成功しているが、かつて日本にトータルイメージがあったか、と田中氏は問う。私もそう思う。日本人自身が自分の国に誇りも持てないでいる。誰もそんなこと批判していないのに、自分の国の旗や国歌を自ら否定するんだから・・・。外国から日本を見れば、かつてはワーカホリック、今や車とカメラの成金国くらいのイメージしかないことだろう。何度か外国に出ているけど、日本にあこがれる、とか日本に行ってみたい、とかいうような欧米人にあまりお目にかかったことがない。ことほど魅力がないといってもいいかも。これって間違いなくアッピール不足といえる。 ある日本の歴史学者のところに外国から客が来て、「紫式部のお墓に行きたい」と言ったそうだ。知らない、と言うと逆に当の外国人が、「1千年も前にあれだけの文学を書いた女性は世界中どこにもいないのに、お墓を知らないなんて」とびっくりしたとか。この話は面白かった。 日本は、もっとジャパネスクに、もっと魅力的に。やっぱり新府中駅は神殿よりもお城だなあ。 夜は、人権啓発推進協議会多文化共生部会とボランティアプラザ《アイ・あいロビー》国際交流部会が呼掛け人となって進行中の、「12/2いずみワールド・フェスティバル」実行委員会があった。和泉市在住の26カ国2000人の外国の方々のネットワークを作るのがねらい。大阪国際交流センター主催のワン・ワールドフェスティバルは毎年あるけど、和泉市では初のイベント。ICIXとしても、これまでの7年間の活動を基に、強力に協力しますよ! |
ダイアリーは久しぶり。忙しさにかまけてしまって、ともいえる。気恥ずかしくて、ともいえる。何をしているか、何を考えているかを知っていただく必要はあるが、つい。 先日ドイツ、ハンブルクへ行ったときの話。 ある日、ハンブルク大学のドイツ語夏季講座を受けている学生達のエクスカーションへお誘いいただき同行した。バスで1時間ほどの近くの町リューネブルクへの遠足だった。日本各地から来た男女大学生、台湾から参加した大学生それぞれ40人くらいと、ドイツ人チューター10人くらいいただろうか、共に2台のバスで出かけた。 日本から引率してこられた東京の大学教授がおっしゃるのには、今までいなかった台湾からの参加者が一挙に40人も来て驚いた、とのこと。1ヶ月滞在の講座だから当然費用もかかるのだが、それだけ彼らも裕福になった、と。さらに言うなら、私は短大や大学で留学生を教えていたから知っているが、台湾の学生はよく英語を話す。その上に、ドイツ語にも意欲的なのだ。おまけに、一緒に馬車に乗って話し合った3人の男女台北大学生は少し日本語も話し、私が歌った中国語の歌のお返しに童謡「ももたろうさん」の歌を2番まで間違いなく歌ってくれた。周りにいた日本人学生は、その歌を知らない、と口をそろえて言った。これって? 台湾の学生に、英語教育について尋ねると、5歳くらいから勉強するし授業も英語で教えられるとの答え。また、同行していた琉球大学出身のハンブルク大学院生に聞くと、「沖縄で教育実習しましたが、英語の授業を英語で教えるのは当たり前ですよ」とのこと。またショック。日本の英語の先生、頑張って! 和泉市だけでも何とかしたい・・・。 さらに、福井の女子大学生と話した。彼女は「いままで自分の国が、戦争で悪いことをいっぱいしたということばかり教えられてきたので、日本人であることに自信が無かった。ドイツへ来て、日本はきれい、と聞かされて、ああ日本もいいところがあるんだ、と思いました」とのこと。自虐史観とも言うけど、自虐の割には謝ることをしないで、何とかすりかえようとする態度がよくない。もし仮に自分のおじいさんが近所のおじいさんに殺され、殺した犯人の孫が、祖父の所業について知らぬ振りで仲良くなろうと近づいてきたらどうだろう。それではすまないだろう。はっきり、ごめんなさい、と言えば、いえいえ貴方がしたことではないし、悪いとわかればそれでいいのよ、となるのではなかろうか。 以前運転免許停止者に心理相談をしていたときのこと。若い男の子が、友達の足を車で轢いて人身事故を起こしてやってきた。彼は言う、「最初友達はかまへん、かまへんと言ってたのに、お父さんが出てきて人身事故にしてしまった。小指の骨折ぐらい・・・」。それがあかんのよ、と私。小指ぐらい、とは相手の言うこと。こちらは「大変なことをしてしまって、本当にすみません」と言えば、相手は「いえいえ、小指ぐらい」となるのと違う? それでも許してくださらなかったら、それは仕方がないよね。 |
朝9時前,緑ヶ丘小学校に駆けつける。今日は卒業式。子供たち3人が学び、私も主人もPTAで何年か活動した懐かしい体育館がその会場だ。5年生と卒業生たちが大声で返事をし、きびきびとした動作には感心した。特に緑ヶ丘小学校は,和泉市で唯一難聴児学級のある学校。そのため、彼らの歌も手話付き、PTAのお母さんのお礼の言葉もお母さん3人の手話付きだった。校長先生や来賓の祝辞はパソコンから出力してスクリーンに一行ずつ言葉が繰り出され、とても福祉に対応した卒業式であった。ただ、スクリーンに言葉を映し出すのはよいのだが、スクリーン上の文字が小さくて後方の方に見えないのではという心配と、予め文章を打ち込むために祝辞がすべて原稿を読むことになり、訴える力が弱くなってしまう。それで終わってから教頭先生に、あれよりも手話の方がよいのではありませんか、と余計なお世話を言ってしまった。しかし、先生のお答えはこうだった。難聴児童3人は、それぞれ違った伝達方法を習得していて(手話、指文字、口話法)文字で出すのが一番いいのです、と。それと、子供にもPTAにも福祉についての意識や訓練が広がってきて、そのためにも昨年からこの方法を取っています、とのことだった。ノーマライゼイションの目的がここにこそ発揮されていて、また感心したことだった。 午後は京都で心理の研究会。ここ10年ほど幹事を仰せつかり、毎回吹田にお住まいの95歳の元教授を車でお連れするのだが,足と耳が少々ご不自由でも学問に対する熱意はまったく失われることなく発表もなさるし、積極的に質問もされる。その姿勢には脱帽! |
午前10時、平成13年和泉市議会第1回定例会が始まった。今までだと本会議は一般質問から始まり,議案審議→委員会審議→議案審議と続くのだが,今回から一般質問は日程の最後に移された。議会運営委員会で、議案審議が最重要かつ最初に置くべき、との決定がなされたようだ。この議会では,議案第24号,報告第5号まである。今日の日程は43件。いつものように[会議録署名議員の指名について][会期の決定について]から始まった。進行としては、現年度議案上程→提案説明(市長)→(質疑省略)→委員会付託(常任委員会)→予算・予算関連議案上程→市長市政運営方針披瀝→提案説明(部長)→大綱質疑→委員会付託(予算委員会)→散会、という具合。 新米のせいだろうか、やはり本会議となると緊張する。まして今日は、五月会を代表して大綱質疑をさせていただくことになっている。たまたま回ってきたお役目だが、五月会として恥ずかしくない発表をしなければならぬ(?)。質疑は、提出順に共産党,公明党,五月会と決まっている。ラッキー! だって、全くやり方をしらない大綱質疑だから、前の人の様子を見て真似することができる。私の場合、質問・答弁・要望の順で発表することにしていたが、他の方々は全く要望する気配がない。一往復(つまり質問と答弁)、との声も聞いていたので段々不安になってきて,隣の辻宏康議員に再三確かめる。要望の部分を質問の中に入れれば、要望をしなくてもすむのだが、今ここで急な変更はできない。辻議員の「要望できますよお」とのお言葉で、決行することにする。よし、名前を呼ばれた。心の中はドッキドキ。だけどしっかり落ち着いているフリをしながら、市長、理事者側、議長に挨拶をして、発言席へ歩を進める。文章はそう長くはないので、殊更ゆっくりはっきり大声で読んだ(つもり・・・)。何だか不自然ではなかったかとちょいと心配だったが、席に戻った時井坂議員が「手を叩こうと思ったよ」と笑いながら言ってくださったのでホッとした。 会議は10時から12時、昼食ののち1時に再開、3時に10分ほど休憩、その後5時まで続けられる。会議の前日までは質問の準備や理事者との話し合い、膨大な議案書や予算書などを読むだけでもとても大変。テレビの国会中継で居眠りしている議員がよく批判されているが、自分がその身になってやっと理解することができた。文章を作ったり遅くまで議会対策で話し合っているかもしれないのだ。なかには勿論生活の乱れから、ということもあろうが、大半はやはり疲れておられる。ひょっとしたら、よく仕事をしている人ほど居眠りしているかもしれないのよね。審議は勿論すべてが大切なのだけど,時として大して重要でないところがありうるもんネ。とまあこれは擁護しすぎ? |
【同和対策特別委員会】 同日10時から,同和対策特別委員会が開かれ,委員として出席。@個人給付的事業等の見直しについて、A同和対策事業の実施状況について、などが議題として議論された。 同和行政の始まりは,昭和44年の環境改善や整備のための「同和対策特別措置法」であり,その後いくつか同様の法律ができた後、昭和62年「地域改善対策特別措置法」が平成9年までのところ平成14年まで「財特法」として延長、施行されてきたが、同和関連法もいよいよ平成14年3月で期限が切れることとなった。同時に同和対策事業も終了することとなる。実際、個人給付的事業も当初は34事業あったものが、平成6年の見直しで9事業にまで減っているが、現実として環境改善に関わるものや人権センター的色彩など、急には止まらないといった感じで、ある種残っていくのかなあと思える。国際交流をしていて、さまざまな差別や区別が厳然としてあるのを見聞きし、宗教戦争や民族戦争が頻発する現代を思うと、同じ日本人同士で同和差別など本当にナンセンスと思えるのだが,狭い地域の中で暮らしていると、そのような偏見から逃れられないことがあるのだろう。 これまでと同様、公営住宅整備・道路や下水道,上水道の整備、教育施設整備に加え,平成13年度以降実施計画としては、人権文化センター・市民文化ホール整備事業,老人センター・身障会館整備事業・和泉診療所整備事業・共同浴場整備事業などが残されている。 |
≪下水道の赤字が自治体を圧迫している≫ 日付が後先になってしまったが,実は11日に堺で 4年前から参加している自治体議員勉強会に出席。下水道問題について勉強させていただいた。私は,小泉議員、森議員と共に南大阪湾岸北部流域下水道組合の委員をしているので、他市の状況が聞けるとても良い機会。≪下水道の赤字が自治体を圧迫している≫と題して、大阪市職員さんがレクチャーしてくださった。 昨年12月にもマスコミにより、「下水道より浄化槽がお得。厚生省,推進へ本腰」などと大きく取り上げられたが、その背景には次のようなことが考えられるとのこと。 @下水道の赤字が自治体財政を圧迫し始めた。 A大都市向きの下水道を人口密度の低い地域に導入したことが赤字の主な原因であるが,赤字に気づいてからでは軌道修正が困難である。 B汚水処理には下水道以外に浄化槽などいろいろな方式があるのに行政や議会・住民がそれを知らないため(または、比較の方法を誤ったため)不適当なシステムを選択してしまった。 98年度末現在で、供用開始中の公共下水道は全国で1206あるが、そのうち汚水処理経費を下水道使用量でまかなえている黒字事業はわずか1%の14箇所だけ.残り99%が赤字だそう。特に、県内の自治体100%が赤字である滋賀県を例にあげて、種々の表やグラフでその実態を教えてもらった。簡単にいって、大津市では職員(一年間の給料と手当て)にして401人分の赤字が出ており、それを一般会計で赤字補填していることになるとのこと。大阪で言えば、大阪市が298人分、堺市が749人分、岸和田市が203人分、泉大津市22人分、貝塚市75人分、和泉市26人分などとなっており、和泉市は府内自治体の中で良い方から13番目となる。それでも赤字は赤字である。 先日2月7日にも、南大阪湾岸北部流域下水道組合の議会定例会があり,13年度一般会計予算が認証されたところである。忠岡町の湾岸に,堺市の一部と岸和田市・泉大津市・貝塚市・和泉市・高石市・忠岡町の7市町が合同で処理場を持っており、それぞれ人口に応じて分担し運営している。岸和田市が一番人口が多いので原市長が管理者となっており、和泉市は2番目に多いので議長市となっている。組合の歳入予算総額は16億7655万円で、そのうち和泉市分担金は2億9692.6万円である。昨年11月27日の定例会での平成11年度決算書では、和泉市の負担金は2億4129万円ほどであった。この増加分はそのまま人口の増加を示している。和泉市はただいまのところ、170号線より以北は公共下水道が通っているが,以南は計画はなく、浄化槽の補助金がでることになっており、やはり人口密集地でないと赤字が増えることになるだろう。 |
今朝ひとりの支援者から電話が入った。青葉台の信号のこと。ある政党の議員さんが、あれは金児がやったのではない、と言っておられるらしい。事実は小説より奇なり。 道路交通課にいって聞いてください。確かに、多くの人が昔から訴えてきたが全然実現しなくて、もうできないと固まってしまっていた現場だ。かつて右折車線設置の検討もしたらしいが駄目だった。それを時差信号を、と訴えてまず道路交通課、そして信号の両側のモータースと洋服やさんにお話に行き、どちらも時差信号にすることはいいけれど、今となっては難しいのではと言われ、そして、納花町会長さんのところへ行き、お話を。警察にも2度行った(お電話でも)。警察はあの一方通行を逆行させるのならすぐにもやるとおっしゃったけれど、納花町会長さんは25年慣れているし総会で町会員全員に図る必要があり難しい、とおっしゃった。警察に行って、一方通行のままでと強く主張したら、警察のほうでも府警がやることなので調査してもらうとおっしゃってくださり、府警から2度一時間程度ずつ交通量の調査をしてくださった。結果、やはりあの信号は時差信号にしなければ危険だ、ただし一方通行道路は河内長野方面からきた場合は右折禁止にするとの条件。さあ、これが大変。納花町会の方々にご不便をおかけしなければならない。ただその方向に進入する車が滅多にないのが救い。それより町会内に進入するには南北にもっと良い道がある。それに関しては、普段から国際交流で関わっているある市職員の方が、金児さん手伝います、とご親切に言ってくださり町会長さんのご英断もあって実現した次第。ついでに言うなら、警察は信号を変えると同時に、青葉台中央線(1号線2号線全部)を現況に即して10キロ制限速度を上げます、と言われた。確かに現況はスピードが出ているが、青葉台は住宅地で幼児や児童が自転車などであの道を横断するんです、今は高齢化しているけれどまた若い家族が増えています、と必死で抗弁し、何とかその点は回避できて良かったと思っている。信号がついても、そんな変なおまけがついてきたら、何してることやらわからないもの。道路交通課の担当の方から、「金児議員さん、バイタリティありまんなあ」と誉めてもらった。でも、いつもいろいろ聞いていただきお教えいただき、道路交通課のかたがたには感謝してまっせえ!! はっきりと経過を知らせないからこういう事になると周囲に言われたもので、ここに明らかにします。道路交通課で聞いてくださってもそれはわかるはず。しかし、今までほとんど先生と生徒しかいないような環境にあった私にとって、人生終盤に差し掛かった今頃になって、いろいろな社会勉強をさせていただいておりマス。 |
今朝、今福町会長さんからご丁寧にお礼のお電話がはいった。携帯電話アンテナ基地局の設置問題で、やっと解決を見たことのお礼だった。1月25日に近隣の住民の方から初めてメールが入って設置のことを知ったのだが、業者側の説明も不十分だし、電磁波に対する不安も大きく、大きな問題に発展しそうな雰囲気だった。何度かメールのやりとりに加えて、下請け設置業者・設置場所関係者・反対住民のそれぞれの方々の言い分を聞かせていただき意見も申し上げ、何とか調整をやり遂げようと覚悟を決めたところだった。最後は設置場所の方が英断を下されての解決だったが、そちらからもお礼を言われ、頑張った甲斐があったとうれしかった。 午後は堺で議員勉強会。下水道の問題と政務調査費について。 |
青葉台入口、納花町の信号が時差信号に変わったとのお知らせが青葉台住民の方からはいった。お互いに「早かったですねえ」「もっと遅いかと思ってました」と喜び合った次第。一時期に比べ交通量は減ったけれど、いまだに赤信号に変わってから青葉台方向へ右折しなければならないことが多く、青葉台住民の25年の悲願だったから、私も頑張ってよかったとしみじみ感じている。選挙の時もそのことを強く言ってくださった支援者がおられて、改めて感謝している。ある政党の議員さんが、自分たちがそれを実現したかのごとく書いておられて、みんなで呆気にとられたよねえ。(みんな信じるんだろうか?) |
1月30日、民生企業委員会の話し合いの中で、健康福祉部部長さんから嬉しいお知らせをいただく。私が10月の議会で一般質問させていただいた福祉オンブズパーソン制度をいよいよ立ち上げるとの事。金児さんがやった、と言って頂いていいですよ、との事で嬉しい限り。多分当座は高齢者福祉の部分だけになるだろうけれど、福祉に関わるさまざまな声をしっかり受け止めて、ぜひとも市民が誇りに思える和泉の福祉を実現していきたいと思う。市の職員さんも、限られた予算と人材の中で職の範囲を越えて頑張っておられることは日常感じているが、市民の側でもそれをしっかり後押しして、ともに手を携えていこうと思う。 |
市民会館において和泉市主催「防災とボランティア−市民の集い」が開かれ参加した。その中で聴いた「阪神淡路大震災の体験について」観光バスガイドの柳川アケミさんの講演がとても心に残ったので、ご紹介したい。柳川さんはたまたま猫がトイレを要求したため寝床を離れ助かった。布団にはクーラーが落ちていたのだった。家族みんなでしばらく避難所にいたが、どうせ死ぬのなら家で死のう、と家に帰った。何時やって来るかもしれない死に対しての心構えと、家族の結びつきの大切さを何度も何度も強調されていた。震災に遭った経験からいくつかの提言をされた。実体験に根ざしているだけに防災の重要性がひしひしと感じられたことだった。 @いつどこで、震災が起こるとも限らない。そのために家族みんなが身分証明書を身につけていること。そこには名前・住所・電話番号などとともに血液型・身体的特徴・保険証番号・家族の携帯電話番号なども併記すること.柳川さんは「命のパスポート」と呼んでおられる。 A外部と連絡が取れたのは10日たってからだったところから、携帯電話の必要性を痛感したとのこと。 B電気やガスがなくてもいいが、水は必ず必要。ポリタンクに水をいっぱい入れ空気を抜いたのち黒い袋をかぶせて太陽光線を遮断することで一年間飲料水として利用できる。 Cとりあえず2日間は自分で命をつなぐことができる方策と準備が必要である。 |
今日は、テクノステージ和泉にある府立産業技術総合研究所において和泉市新春互礼会が開かれ、国会議員さん、府会議員さん、市会議員さん、市の職員さん、諸団体の長の方々、そして女性の方も大勢参加しておられた。私はもちろん、この会への出席は初めてだが、顔見知りの方がたくさんいらっしゃったので、一時間半会場中を回ってご挨拶をさせていただいた。まったく時間が足りなくて、アッという間にお開きとなり、3000円払ったのに、乾杯のビールをなめただけで(飲めないし)、なあ〜んにも口に入らなかった。皆さん帰りかけられて初めてテーブルを見たら大分残っていたので、まだいいのかしら、とかボーイさんの前でそれとなくつぶやいたら、お開きです、と冷たく言われてしまった。(きゃっ、余計お腹が空いたわ。) ある国会議員さんが挨拶の中で、「和泉市のテクノステージをハイテクの中心に」というようなことをおっしゃり、なんと耳障りのいい、これぞ議員さん、だけどこの閑散としたテクノステージでホンマかいな、と疑ってしまったが、反面、そんなことができれば素晴らしいのにとも思わずにはいられなかった。 昨年は新人として闇雲の活動で終始してしまったが、ようやく新しい年が明け、もう新人というより一個の女性議員として社会と市政の変革の一端をしっかり担わなければならない。新人とて、誰も手取り足取りしてくれない。自分の道は自分で切り開かねばならぬ。女の道も険しいものがあるけれど・・・。 新米は新米だけど新米にしかできないこともあるだろう。あんまり周囲が見えていないかもしれないが、心はまっすぐ。やる気十分。初心は謙虚。この気持ちを忘れずに進んでいきたいものと思っている。 でも、新米はおいしいよ〜! |
やっとホームページを作成する余裕ができた。早く早くと思ってはいたのだけれど。 |