「どうしたのイッちゃん?」

「……」

雲ひとつ無い夜空を真剣に仰ぐ樹の姿を見て、
星座にも、夜空にもそんなに感傷を抱かないハズなのにといぶかしがる。
それはそうだろう。いつか、沖縄に旅行に行った時のこと。
水平線ギリギリに何とか見ることが出来た南十字星。
由紀子は「すっご〜い!」と感激していたのに、
樹はそれよりも「ゴーヤチャンプル」「ソーキそば」と言った、
沖縄の地元料理にのみ感動していた。

「人が想像力を働かせて星同士を線でつなぐことで像をイメージしたのには感服するけれど、
それを固定させるのはどうかな?私達が生きている間は星座の形が変わることは
あまり無いと思うけれど、それこそ、北極星だって時間の流れと共に変わるんだよ。
星座なんて…意味ないよ。星座占いなんて、気休めさ」

密かに好物の「ちんすこう」をお茶菓子にしながら、
ホテルの窓から星々の煌めきに瞳を輝かせる由紀子にいつものトークをした樹。
本当は夜空の美しさに心を動かされているのに、それを表に出そうとはしない。
由紀子はいつものように反論したけど…そのやりとりをしたいがために、
樹が由紀子の行動や話に難癖をつけているのはわかっている。
単に「星よりも、由紀子」なのだと、わかっているから、口論には至らない。

「イッちゃんにとっては腹のたしにならない星よりも、
味もおいしい長寿料理なんでしょうけど、心は満たされるわよ」

そう言いながら、樹の背後から抱きついて、
無理矢理顔を夜空に向ける由紀子。
実は樹は「オリオン座」ぐらいしか星座を描くことが出来ない。
宝石がちりばめられたような夜空を仰ぎ見ても、
次々と星座を見つける由紀子ほど胸が弾む楽しみとはならないのだった。
そんな樹が、夜空を見ている。それも、星を凝視している。

「何か見つけたの?」

「…見つける?肉眼で見ることのできる星にはすでに名前がつけられ、
それこそ、宝くじで高額が当たる確率でも未発見の星は見つけられないんだよ。
それなら、近くの山で土器でも探すほうが見つける喜びを味わえると思うけど」

普段ならここで何を言っているのと反論する由紀子も、
今夜はそんな気持ちにはなれなかった。
樹の目がいつもと違っている。由紀子の方を何とか見せているものの、
光が失せていた。まるで、ロウ人形のような目。
何を考えているのかがわからない…不安が募る。

「…夜空に何を見ているの?」

無表情に近い樹に、由紀子は不安を何とか隠して聞いてみる。
由紀子のほうに一度向けた顔を再び窓の外へと移すと、
まるで全ての光を失ったかの様な顔を夜空に見せた。

「由紀子…」

「なあに?」

生気の無い声。
何がそうさせているのか由紀子には見当がつかない。
始めてみた樹の絶望感漂わせる表情に、ただならぬものを感じる。
前回会ったときはいつもと変わらなかった。何かがあったに違いない。
…でも、それは何?由紀子は心の中で叫んでいた。

「死せる孔明生ける仲達を走らす…って言葉は知ってる?」


正確には三国志演義という、中国4大奇書の一つ。
残りの3つは、西遊記・水滸伝・封神演義といわれている。

中国三国時代の末。名軍師と後の世では呼ばれる蜀の国の諸葛孔明が、
自国の存続を賭け、五丈原と呼ばれる地に陣地を築き戦っていた。
しかし、肺を患っていた孔明は、志半ばにしてその地で死すのである。

三国志演義では、孔明は自らの命が尽きる直前に幕外に緒将を集め、
「あれが我が星である。みていよ、いずれ落ちるであろう…」
と、鶴掌で指しながら告げる。皆が一斉に指された星を見ると、
果たして、星は地に落ち、孔明は息を引き取るのである。

好敵手の死を望み、常に天の動きを見守りっていたものがいた。
戦の相手、魏国の司馬仲達であった。孔明の死を天文で知った
仲達は敵を殲滅させる好機と、敵陣を急撃する。

しかし、敵陣には木像の孔明像が蜀陣中に引き出されていた。
それは、生前孔明が作らせていたものであった。
それを見た仲達は、孔明は生きていると思いこみ、
それまで戦うたびに痛い目に合っていたから今度もと、慌てて味方を退却させた。

演義では孔明は仲達を手の上で躍らせるがのごとく扱っている。
死んでもなを、仲達に勝ったことをこの話で知らせたかったのだろうが、
それはここでは関係のない話である。


「イッちゃんは実際には無かったかもって言っていたわよね」

「宿星…ってあるのかな?」

「え?」

話の流れが読めない。
樹の考え方がいつもと違いすぎる。
今わかるのは…いつもの樹ではない、ただそれだけ。

「人の人生が夜空に描かれている…。
生死も、定められし運命もほんの少しだけれど、星から読むことができる」

自分の宿星を探しているのか。ゆっくりと顔を動かす樹。
床に足を投げ出す形で座り、窓枠に左腕を乗せている。
二人の間に沈黙が横たわる。ただ、不思議と重苦しくない。
むしろ…澄み切っている気がする。身が剃刀で切られるような感じがする。

「もし、私の宿星があるとすれば…」

ゆっくりと話す樹の言葉を、由紀子が繋いだ。
樹がいつもと違うとわかっているけれど、
自分までもいつもと違う態度をとってしまうことにある種の恐怖を感じ、
いつもと同じ調子で、いつもと同じような軽口を叩く。

「その隣にはもちろん私の宿星があるわよ」

「……」

樹の答えはすぐになかった。

「双子星のようになっているか、そうね、イッちゃんは私の衛星になっているかしら?」

由紀子の言葉は樹の耳に届いているのだろうか。
樹の目は相変わらず虚脱感のようなものが漂っている。
いや、むしろ…絶望感か…。

「私の宿星はきっと今、光輝いているはず」

「あら、すごいわ!きっと…」

きっと、キラキラと一等星のように光っているのねと続けたかったが、
樹がそれを遮った…暗い…

「最後の輝き…星は…恒星は巨大化してから爆発するというからね」

「い…イッちゃん?」

窓枠から腕を下ろすと、上半身を由紀子のほうに向けた。
樹の目を見る由紀子…吸い込まれそうになる。
惹かれるのとは違う。恐怖…闇…光さえも吸い込むブラックホールのよう。
怖い…今の樹は由紀子の存在を無くそうとしている…直感でそう感じた。

あの時…告白してくれた時のことを思い出す。

「由紀子とはもう会えない…」

全ての感情を押し殺した声で告げられた由紀子。
樹は由紀子が樹を好きだということを知らなかった。
ただ、自分が由紀子を好きになることは彼女の望むことではないと信じ、
全てを打ち明け、そのまま二度と会わないつもりだった。
結局、お互いがお互いを必要としていることがわかったのだが。

「今の私には輝きが無いでしょ?」

「そんな…」

なんと言葉を続けて言いかわからない由紀子は、
テーブルの脇にずっと立ったまま、生気の無い樹の行動を見守る。
まるで、全てに疲れ、投げやりになる気力さえない、そんな樹を。

「由紀子…もう私にはあなたを愛せる自信がない」

「…………い、いきなりなによ?」

樹の目が語っている。
「さようなら」と。



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