あの時は嬉しかったな・・・
何年か前のことを思い出した後、
「ハ〜ッ」と大きな溜息をつく自分。
今の私は幸せを感じていないから、
幸せが逃げようとどうでもいいこと。
「ん?由紀子どうしたの?」
私の隣でのんきにゲームをしている溜息の原因が尋ねてくる。
バカ。誰のせいで大きな(しかもわざと)溜息をついたと思っているのかしら。
人の顔も見ようとせず、それこそお義理で聞いているような感じ。
ああ、ゲンコツの一つででも殴りたい・・・えい、なぐっちゃえ!!
「ゴッン!!」
「い、痛いよ由紀子!いきなり殴るなんてひどいじゃない」
つむじの所をグーの突き出たところで殴ったから痛かったみたいね。
ふ〜んだ!私の心の痛みに比べたら、それくらいじゃ痛みに入らないわよ。
「イッちゃんって、私のこと大事だと思ってる?」
「もちろん。今更何を言ってる?」
後頭部を右手で抑え、左手でコントローラーを持つイッちゃん。
少し涙目になっているけど、少しの罪悪感も感じない。
だって殴った原因も、溜息をついた理由でさえも、
今のイッちゃんわかってくれない。
「バカ!!!」
リビングを飛び出すと寝室によってハンガーに掛けてあった茶色のハーフコートを手にすると、
部屋の扉を思いっきり開け、そのまま外に飛び出した。
春一番もすでに吹き、昼間は暖かい今の時期でも、
暗くなるとまだまだ寒い。
特に今日は風が強く、そんなに熱くなるなとばかりに吹き付けてくる。
・・・それが今の私にはよけい腹立たしい。
「お代わり!!」
「由紀子さ〜ん、飲みすぎですよ〜」
「いいの、もう一本ちょうだい!」
「由紀子、もう止めておいたら?」
「美樹も朱ちゃんも何で止めるのよ」
「そりゃ止めますよ〜。
いきなりお店に飛び込んでくるなり『ビールー!』
なんて叫ばれて、続けて4本も空けてるんですよ」
カウンターの向こうにたつ和服姿の二人。
一人は高校のときの同級生の美樹。
もう一人は元会社の同僚の朱ちゃん。
もう二年も前になるのかな、朱ちゃんが会社を辞めて。
初めてここに連れてきた時は、まさかこうなるなんて思わなかった・・・。
でも、こうして二人でお店をやっているのを見ると、連れてきて良かったと思う。
ほんと、私は二人のキューピッド役をしたわけだし・・・って、そのキューピッドが
何で不幸せなのよ・・・もう、無性に腹が立つわね・・・
「いいじゃない!二人の幸せ資金の元になるんだもの」
「お気持ちは嬉しいですけど、自棄酒飲まれるのは困りますよ〜」
「・・・また樹さんとケンカ?」
困り顔の朱ちゃんに洗い物をお願いしてその場を離れさせると、
美樹は私の前にウーロン茶を置いた。
「美樹、ビールちょうだい」
「ダメよ。話を聞くつもりなんだから、これ以上酔わせるわけにはいかないわ」
「幸せな美樹には不幸せな私の気持ちなんてわからないわよ」
「ええ、わからないわよ。でも・・・いつものことでしょ?」
「・・・そうよ、いつものことよ。わかってはいるのよ、わかってはいるの」
そう、頭では理解しているつもり。
二人で住み始めて3年。付き合い始めてからならもう8年になるのかしら。
別にいつまでもアツアツのべたべたでいるつもりはないけれど、
あのニブチンがこっちの気持ちを考えてくれていないのが頭に来る。
「原因はバレンタインデーね」
「・・・当たり」
せっかくだから置いてくれたウーロン茶を一口飲む。
「去年の今日もここに来たものね」
「あれ?そうでしたっけ?」
洗い物を続けている朱ちゃん。
どうやらこっちが気になるらしく、
耳をそばだてていたらしい。
「ふ〜っ。別にいいのよ。イッちゃんからチョコレートが欲しい訳じゃないし」
「そうですか?私、美樹さんからチョコレート欲しかったですよ」
「朱ちゃん・・・」
メッと美樹にされて、洗い物に専念する朱ちゃん。
でも残りが少ないから、またすぐにこっちの話に加わってくるだろう。
「しかも、ここ数年、バレンタインどころか、他のイベントすら無視なのよ」
「樹さん、仕事で外に出てるものね」
「別にいいのよ。仕事を優先するのは。
だけど、せっかく珍しくバレンタインに家にいるのに、
私よりもゲームを選ぶのはひどくない?」
それからしばらく、最近溜まっていた愚痴を全部美樹に話した。
一つ一つは他愛のないこと。何をしてくれないとか、
言うことを聞いてくれないとか、すぐにふて腐れるとか。
途中で美樹に「樹さんのこと信じてないの?」なんて言われても、
その愚痴を止める事は出来なかった。
「・・・でも、好きなんですよね?樹さんのこと」
洗い物を終えた後、やっぱりこっちに来た朱ちゃん。
「ちょっとお願い」なんて後ろに下がった美樹に代わって、
私の愚痴を聞いてくれた。
「好きよ。大好きよ。だからよけいに腹が立つのよ。
自分だけイッちゃんを好きになる努力をしていることに」
「樹さんもしてますよ・・・きっと・・・」
「きっとがつくのね・・・」
さすが正直者の朱ちゃん。
イッちゃんの性格をさすがにわかっているらしく、語尾をにごらせた。
「あ〜っ、もう。最近はイッちゃん何を考えてるかわからないし、イライラする!」
「由紀子、もう帰りなさい。樹さん、心配しているわよ」
「心配なんかしていないわよ、あのニブチン」
「そのニブチンさんが、由紀子が来てからずっと外に待っていても?」
「えっ?」
「美樹さん?」
美樹が後ろに下がったのは樹に電話をしていたから。
それはわかってた。この前のクリスマスもそうだったから。
・・・まさか
「ほら、考える前に行きなさい」
そう言われるのと同時に席を立ち、外に出た。
暖簾がすでに下げられた扉のそばに・・・いた。
カーキー色のジャケットのポケットに両手を入れて、
下にうつむいて何か考えているような姿のイッちゃんが。
イッちゃんの目の前に何も言わずに立った。
すぐに私のことに気がついて顔を上げた。
「はい」
そう言って輪にした右腕を突き出してきた。
腕組したいの?私はまだ怒っているのに・・・
そうしたらイッちゃんにしたら珍しく、強引に私の左腕を掴むと腕組をした。
そのままお互い何も言わずしばらく人通りの多い大通りを歩いていく。
重苦しい空気の中、脚だけは二人ともいつもと変わらず動かしている。
イッちゃんは何を考えているかわからないけれど、私は最後にもらったチョコのことを考えていた。
あれはもう5年も前の大学を卒業する年。
お互い就職も決まっていたし、卒論も提出していたから、
バレンタインの時期はヒマな時間、バイトに勤しんでいた。
イッちゃんはコンビニ。私はケーキ屋。
私はあの日は夕方に普通に帰っていたのだけど、
イッちゃんはその前の年となぜか同じく・・・と言う訳ではないが、
数日前から店のバイトの子が何人かインフルエンザと風邪で寝込んでしまい、
その日は休みのはずだったのが、急に出勤になってしまったのだった。
そのことのメールが携帯に入っていたのが午後の4時。
シフトが5時から0時までとあったから、きっと今日中にはチョコを渡せないと思った。
・・・でも、イッちゃんは来てくれた。
バスに乗って、市販だったけれどチョコレートを持って。
急な休みでの代役だったから、休憩の時間がいつもと違い2時間あった。
電話で「今から行くからいて!」とだけ言って切ると、すぐにバスに乗って来てくれた。
部屋でイッちゃんが買ってきたトリフチョコと私のシューガナッシュを交換して・・・
あの時「今度のバレンタインこそは手作りで渡す」なんて言ってくれた・・・のにな。
次の年も、その次の年も平日で仕事が入り、会うことすら出来なかった。
バレンタインデー以外のイベントデーだって一緒に過ごすことがほとんどなかった。
一緒に住んでも・・・変わらなかった。今年こそ、二人とも仕事が休みでと思ってた。
約束を忘れてくれていないと思ってた。だから、急に会社に呼ばれてお昼から出かけて帰ってきた時、
ものすごく期待をしてた。「手作りのチョコ」とかそんなことじゃなくて、
イッちゃんと久しぶりに過ごせる甘いバレンタインデーのひと時を。
それなのに、帰ってくるなりゲームを始めるんだもの。
私じゃなくたって怒ると思うでしょ?
まぁ、こうして私をすぐに追いかけて来てくれたから、
それに免じて一言謝ってくれたら許すつもりでいるのだけど・・・
いつまで無言でいる気かしら?
「きゃっ!」
何も言わずに立ち止まるイッちゃんのせいで、私は体勢を崩してしまった。
思わず小さな声だけれど叫び声をだしてしまい、恥かしさで周りを見渡したら、
幸い道路には私達以外の人影は見当たらなかった。
ホッとした後、何事かと思ってイッちゃんの方を見ると、
いきなりピンク色の包装紙で包まれたものを取り出して、
私の目の前に突き出してきた。
「約束・・・だいぶ遅れてごめん」
「・・・イッちゃん・・・忘れてなかったんだ・・・」
「本当は夕飯の後渡すつもりだったんだけど・・・ごめん」
なんでも、今年こそはバレンタインに一緒に過ごせそうだったからと、
手作りのチョコレートケーキを美樹の所で焼いて、それを夕飯後のデザート代わりに
いきなり渡して驚かせるつもりだったらしい。
ところが、私がいきなり訳も言わずに殴って飛び出したから、さぁ大変。
しかも、行き先はここしばらくケンカすると必ず行く美樹の所とわかっていたから、
すぐに追いかけてはみたものの、中に入ることも出来ず、
美樹さんからケーキの話が出るんじゃないかとなぜかハラハラしていたとか。
私からしてみれば店に入ってきてケーキを渡してくれれば良かったのにと思ったのだけど、
イッちゃんにしてみれば、二人きりの場所で渡したかったらしい。・・・変に照れ屋なのよね。
そんなことを話しているうちにマンションにたどり着く。
部屋に入ると、夕飯がそのままテーブルの上に並べられていたから、
レンジで温めて、二人で食べ始めた。
「ごめん・・・イッちゃん早とちりしちゃって」
「ん、私が悪いんだよ。変に驚かせようとしたからこうなっちゃって・・・反省」
「頭、痛かったでしょ?」
「そりゃゲンコツで殴られたんですから」
「ごめんなさい・・・」
知らなかったとはいえ、力をこめて殴ってしまった事実は事実な訳で、
首をすくめてイッちゃんに謝った。
「ま、いいよ。こうして誤解も解けたし、二人でゆっくりバレンタインを過ごせるし・・・」
「過ごせるし・・・なに?」
「今夜は早く寝ないからね♪」
「ば・・・バカッ!」
久しぶりに二人で過ごせるバレンタインが甘くないはずがないわけで、
その日がイッちゃんの期待通りになったと言うことは言うまでもないこと・・・ですよね。
あとがき
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