白い部屋で

「白薔薇さまっ大丈夫ですか?」
 祐巳は病院の個室のドアを開けるなりそう言った。

「あら?祐巳ちゃん。ごきげんよう」
 白薔薇さまはパジャマのまま、のんきに笑って答えた。
「ごきげんよう。・・・ってそうじゃなくて、一体どうしたんですか?三奈子さまから白薔薇さまが入院したって聞いて来たんですけど」
「うれしいなあ♪祐巳ちゃんに心配してもらえるなんて」
 相変わらずおちゃらけている白薔薇さまに、祐巳はちょっとふくれて
「ちゃかさないで下さい!もう・・・で、本当にどうしたんですか?」
「祐巳ちゃん、三奈子さんから聞いてないんだ?」
「詳しく聞く前に飛び出てきちゃったもので」
 バツの悪そうな顔で可愛らしく舌を出す祐巳を見て、
 白薔薇さまはしばらく考え込んだ後
「ちょっとね・・・。祐巳ちゃん、これから話すことは皆には秘密にしてくれる?」
 真面目な顔でそう言った。
 不吉な予感がする。しかし聞いてはいけないと思いつつも、白薔薇さまのあまりにも真面目な顔に祐巳は只、はいとしか言えなかった。

「誰にも言ってないんだけど実はね・・・私、もう手遅れだったの・・・」
「え?」
 祐巳は白薔薇さまの突然の告白に頭が真っ白になった。
「そしてこの病室に居られるのもあと数日・・・だけど最後に祐巳ちゃんの顔が見れてよかったよ」
「白薔薇さま・・・」
 祐巳は言葉が出なかった。この飄々としたセクハラ親父の白薔薇さまが・・・。とぼけた態度の裏で親身に祐巳の悩みを聞いてくれていた白薔薇さまが・・・
 あと数日の命だなんて・・・
「そんな・・・またいつもの冗談ですよね?また私をからかっているだけですよね?」
 笑顔にならない笑顔で聞く祐巳に
「信じられないかもしれないけど、事実なんだよ・・・」
 白薔薇さまはそう言って寂しげに笑っている。しかし、祐巳にはその笑顔を真っ直ぐ見ることはとても出来なかった。
 知らず知らずの内に涙が出ていた。
   ──白薔薇さまの為に何かしたい・・・──
「白薔薇さまっ!何か私に出来ることはありませんか?」
「無いよ。祐巳ちゃんの顔を見れただけで満足だから」
「でもっ!何でもいいんですっ」
   ──大好きな白薔薇さまの為に何か・・・──
「ん〜だったら・・・冥土の土産にチューして欲しいな・・・」
「・・・え?」
 祐巳は戸惑った。しかし、今まで白薔薇さまには言葉に出来ない位お世話になっている。それに自分にはまだ未来がある。しかし白薔薇さまには・・・
 祐巳は決心した。単に白薔薇さまの願いだからというだけでなく、それ以上に自分自身に白薔薇さまの想い出を刻み付けたかったから・・・

「判りました。白薔薇さまの為ですもの」
「いいよ祐巳ちゃん、無理しなくても」
   ──無理じゃない・・・無理をしてるんじゃない・・・──
「違います!わたし・・・」
 祐巳は涙に詰まり、その先を言うことは出来なかった。
「いいの?」
「はい・・・」
 祐巳は涙のあふれた瞳をそっと閉じた。
 白薔薇さまは祐巳の頬に手を添え、その涙を唇で拭う。
 白薔薇さまの吐息がかかる・・・気持ちいい・・・
 祐巳の体から緊張が消え、そしてゆっくりと唇が触れ合った・・・



 しばらくして唇を離すと
「祐巳ちゃん・・・聞いてくれる?」
 白薔薇さまは申し訳なさそうな顔をして、そう祐巳に聞く。
「なんですか?」
「実は・・・私の病気・・・」
 祐巳は白薔薇さまの遺言になるかもしれないその言葉を食い入るように聞いた。

「ただの盲腸なの・・・」
「・・・・・・・・・え?でも手遅れ・・・って・・・」
「薬で散らすつもりだったんだけど、それはもう手遅れって・・・だから手術したの♪」
「でもでも、この病室に居られるのもあと数日って・・・」
「だって、盲腸の入院はせいぜい十日でしょ?それに私、すぐ退院するつもりだもん♪」
「・・・じゃ、じゃあ・・・・・・・・・」
「ごめんっ!祐巳ちゃん」
 祐巳は俯いたまま、わなわなと震えていた。

「・・・祐巳ちゃん・・・?」
 心配した白薔薇さまは、祐巳の顔を覗き込もうとしたが、その途端
「白薔薇さまのバカー────っ!!」
 祐巳はあらん限りの声でそう叫んだ。
 白薔薇さまはその叫びに射抜かれて動けなくなっていた。
「ほんとに・・・ほんとに・・・っく・・・心配した・・・ん・・・ですよ・・・」
 祐巳の瞳から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちていく。
「ひっく・・・もし・・・白薔薇さまが・・・死んだ・・・ら・・・うっく・・・わた・・・わたし・・・っく・・・」
 祐巳自身にも、何故そんなに涙がこぼれるのか判らなかった。騙された事が悔しいのか、死ななくて済む嬉しさの為なのか・・・判らない・・・・・・
 ただただ涙が溢れてくるのだ。
「祐巳ちゃん・・・本当に・・・ごめん・・・」
 白薔薇さまは泣いている祐巳をゆっくりとその胸に抱き締め、しばらくそのまま祐巳の背中を静かに撫でていた。

「大丈夫・・・何があっても私は死なない・・・祐巳ちゃんを置いては逝かないよ・・・」
「それって私も連れて逝くってことですか?」
 祐巳はまだ赤い目で白薔薇さまを見つめた。
 白薔薇さまは一瞬あきれた顔をしたが、クスリと笑って
「違うよ・・・祐巳ちゃんを一人にしない。いつまでも側にいるってことさ」
「じゃ、幽霊になって私に憑りつくんですか・・・?もしや憑り殺すつもりじゃ・・・」
「え〜っと・・・そうじゃなくて・・・」
「冗談です。判っていますよ」
 見ると、祐巳は「してやったり!」な顔で笑っている。
 白薔薇さまは「あはっ一本取られちゃったね」と再び祐巳を抱き締めた。

 白薔薇さまはそのまま祐巳の耳元で
「ねえ、祐巳ちゃん・・・お願いがあるんだけど・・・」
 と囁いた。
「私・・・退院祝いが欲しいな・・・」
「だってまだ退院してないじゃないですか・・・」
 祐巳は、白薔薇さまが囁く度にぞくぞくする、その快感に耐えながら反論した。
 しかし、白薔薇さまは祐巳の反応をお構いなしに、なおも囁く。
「だから・・・退院の前祝いが欲しいの・・・」
「んっ・・・な、何を・・・ですか・・・」
「あのね・・・キス・・・しても・・・いい・・・?」
 祐巳は快感に耐えきれず体を離した。祐巳のその瞳は、さっきとは明らかに違う潤みをみせている。
「NOならそのまま、YESなら目を閉じて・・・」
 祐巳はしばらく何かを考えていたが、やがて静かに目を閉じた・・・・・・



 抱き合った格好のまま、しばらく祐巳はキスの余韻に浸っていたのだが、何かおかしいのに気付いた。
 私の胸に触れているこの暖かい何かは何?うひゃあ、動いたっ!
 びっくりして「それ」を見ると何と、白薔薇さまの手だった。
「白薔薇さまっ何やってるんですかっ!」
「ありゃ、気付いちゃったの?残念」
 白薔薇さまは悪びれもせず、さも残念そうに言った。
「じゃあ、この続きは退院してからね♪」
「えー!さっきのキスが退院祝いって言ったじゃないですか」
 白薔薇さまはニヤニヤしながら
「え〜?そんなこと言ったっけ?あれは前祝い。本祝いはやっぱ祐巳ちゃん自身でしょう。いいよね?」
 その言葉を聞いて祐巳の顔は一瞬にしてトマトよりも真っ赤になった。
「もうっ!知りませんっ私帰りますっ」
「あーっ!うそ、嘘ですー─。祐巳ちゃーん!行かないでー───!!」
 白薔薇さまは祐巳を引き止めようとしたが、祐巳はさくさくと病室を後にした。






 本当はあの時「いいですよ」と言おうと思った事は、しばらく黙っていよう・・・
 騙されたお返しに、それ位はいいよね・・・♪

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