「あ、傘を持っていないのに・・・」

今日は母親に用事を頼まれたので早く帰ることになっていた。
薔薇の館を後にしようと一階の扉を開けたら、
外はさほど暗くなっていないのに、霧雨がサアサアと降っていた。
二階に戻って誰かに傘を借りようかとも思ったけれど、
それだと、その人物がさす傘がなくなってしまう。

もともと朝の天気予報で雨が降るかもしれないと、
大きな温度計を持ったお天気お姉さんが話していたのに、
それを無視して学校にきた結果なのだから、
その報いは自身が受けるべきなのだろう。

「まっ、強く降っている訳でもないし、大丈夫かな?」

そう考えた次の瞬間には私は歩き始めていた。
風はなく、それこそ霧のように私の周りに細粒の水滴がまとわりつく。
梅雨の時期のザアザアとしたうっとうしい雨とは違い、
今日の雨はまるで何かの幻影を思い起こさせる不思議な感じがする。
私の周りはまるで白い煙に包まれているかのようだ。

ただ、煙ではないということは、髪の毛と制服に染みとおることなく、
まるで私にくっついているかのような小さな水滴たちが教えてくれていた。
雨に慌てることもなく、そのままゆっくりと銀杏並木の近くを歩いていると、
反対のほうから紺色の水玉模様らしき傘を持つ人物が歩いてきた。

「あ、蓉子」

その傘はもう何度も見かけているから、持ち主が誰かということは知っていた。
しかも、歩いている方向が薔薇の館なのだから、その人物であると確信が持てた。
まるで白い霧の中を歩いているように見える。
もっとも、本当に霧なら、傘をさす必要がないのだけれど。

「あら?聖じゃない。傘は?」

私はそれに答えず、蓉子のほうへと駆け寄ると、
有無を言わせる前に傘の柄を握ると、蓉子から傘を奪った。

「蓉子、一緒に帰ろっか?」

私のほうを無表情で見ている蓉子に、子供のような無邪気な笑顔を向けた。

「何を馬鹿なことを。私はこれから薔薇の館に向かうのよ」

「蓉子の今日の仕事は私を濡れることから守ること」

「なにを言ってるの?」

蓉子はあきれた顔で私のほうを見ている。
でも、その目にはすでに「あきらめ」の色が浮かんでいる。
蓉子は自己を知る人間。私の願いを断るなんてことができないことを。
そして、私はそれを知っているから、こうして可愛いおねだりを蓉子にする。
「子悪魔」と蓉子が小さな声で囁いたのを私は聞き逃さなかった。

お互い口にして出したことはないが、胸に抱いている気持ちは知っている。
知っているからこそ、あえて言う必要がない。
それこそ、言った時点でこの関係が壊れてしまうと二人が恐れている。
だから、言わない。その代わりに、自分が必要とする時に相手を求める。
相手もそれを受け入れる。・・・無条件でだ。それで気持ちを確かめあう。

「どうせ、館に行ってもお茶会をするだけでしょ?
それより、私のために尽くすほうが有意義だとは思わない?」

「聖に尽くして何かためになるのかしら?」

私はそれに対して満面の笑みを答えとして返した。

「何かが欲しくて誰かに尽くすの?」

「そうよ」

「嘘ばっかり」

「聖こそ何をごまかしているの?」

「ごまかす?」

「わかっているくせに」

蓉子の水玉の傘を持って校門へとゆっくりと歩いていく。
傘を持つ私の腕に蓉子の腕が組まれてきた。
それを拒むことなどしない。


霧とも靄とも見紛う雨の中。
私と蓉子はその白い幻想の中へと消えていった。



あとがき

新刊がそろそろ出る。
でも、まだまだ書きたい卒業メンバー。
そんな想いが湧いてきたら、
また書くでしょう、こんな話を。

2002.06.18


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