〜旅館での夜〜


「さっ、もう消化もしてきたでしょ?お風呂に行こうよイッちゃん!」
「そうだね」
「準備、準備っと!」

楽しそうにお風呂に行く準備をする由紀子とは対照的に、
黙々と必要なものだけまとめる樹。
早々と仕度を済ますと、まだ、何かやっている由紀子を、
半ばあきれながら待っている。

「お・ま・た・せ!」
「遅い…」
「女のお風呂の仕度は時間がかかるものよ」
「それって嫌味?」
「そう取ってくれる?化粧っけの無いイッちゃん?」
「…行こう」

別に怒ってはいない樹。
普段の二人の会話って、こんな感じなんだろうな〜。
…って、書いてる私が知らないのか?

「どんなお風呂なんだろう?」
「温泉じゃないんだよね」
「そうよ。でも、こういう旅館だから、雰囲気はあるんじゃないかしらね」
そんな会話をしながら、階段をゆっくりと下りていくと、
一階で仲居さんが二人を待ってくれていた。

「お風呂の方ですが、2種類ありまして、
岩風呂と、ヒノキ風呂とになります。両方ともあいておりますので、
どちらでもお好きなほうをお選びいただけますが?」
「どうするイッちゃん?」
「由紀子はどっちがいい?」
「う〜ん、ヒノキ風呂かな?」
「ヒノキ風呂のほうでいいです」

相変わらず無愛想にだけど、由紀子の意見も取り入れる樹。
まぁ、樹にしてみたら、どっちのお風呂でも良かっただけだろうけど。

「わ〜ぁ、二人で貸切の銭湯みたい!」
「そこまで湯船広くないよ」
「…気分よ、気分。もう、イッちゃんてば!」
「先に入ってるよ」
「はいはい、どうぞごゆっくり」

脱衣所で雰囲気に浸る由紀子は放っておき、
さっさと服を脱ぎ、浴室へと入っていく樹。
由紀子も、後を追うように、
手早く脱いだものをたたんでいく。

(お風呂の写真はナシです)

いい色を出しているヒノキの浴槽。
いかにも旅館のお風呂という感じ。
温泉じゃなくても、広いお風呂というだけで、
その日の旅の疲れが癒されていくようだった。

由紀子が入ると、樹は頭を洗っていた。
その脇に、座ると、シャワーを体にかけはじめた。

「ねぇ、体の洗いっこしようよ」
「こども」
「子供じゃなくたって、体の洗いっこはするわよ」
「わかってる」
「待ってて、私も先に頭を洗うから」

実は二人、たまに銭湯に行っているのだ。
当然、背中の洗いっこなんかも、樹は照れながらだけどしているんだな。
体の洗いっこは、さすがに公衆の面前だからしないけど…。
そんなこんなで、(えっ?)楽しい入浴タイムが過ぎていく。

「わーっ、お風呂が気持ちいい!」
「もう少し静かに入れない?…お湯が溢れてく」
「人が一人入ったんだから、お湯は溢れるでしょう?
せっかくイッちゃんと入れて嬉しいんだから…いいじゃない」
「いいけどね」

顔をお風呂のお湯で洗う樹。君はおやじか!
お風呂の温度は、どちらかといえばぬるめ。
蛇口から、熱いお湯が出ていた。

「イッちゃん…」
「なに?」
「この後はどうするの?」
「部屋でゆっくりする」
「それだけでいいの?」

樹の近くに寄っていく由紀子。
そんな由紀子の行動を見守る樹。

「なんで?疲れてるでしょ由紀子」
「せっかくの旅行の夜だよ」
「そうだよ」
「旅の記念…作ろうよ」
「……」

お風呂にのぼせている訳ではないのに、
顔が赤くなっていく樹。
たまらなくなったのか、立ち上がり、
浴槽から出て行ってしまった。

「も〜っ、イッちゃんて、積極性にかけるんだらか…」

…君が積極過ぎなんと違うか?ねぇ、由紀子君?
まぁ、確かに樹は照れ屋さんだけどね。

由紀子も樹を追いかけるように、浴槽から出ると、
脱衣所にいる樹に声を掛ける。

「イッちゃん」
「……」
「大好きだよ」
「…私も」

結局、脱衣所ではその後二人とも何も話すことなく浴衣に着替えていった。
そのまま、荷物を持って、二階の部屋へと戻っていく。

部屋に戻っても、相変わらず無言のまま、歯を磨き、髪の毛を乾かしてと、
布団に入る準備に集中をしているようにみせている。
先に樹が全てをやり終え、敷かれた布団の上に体育座りの形で
座り込む。TVをつけ、画面を食い入るように見つめている。
何かを、考えているようにも見える。

由紀子もしばらくすると髪の毛を乾かし終え、
樹のすぐ脇へと腰を下ろした。
隣に座る樹と同じようにTVの画面をみる。
と、部屋のドアをノックする音が聞こえる。

「失礼いたします」
仲居さんの声がする。
ドアの近くに座っていた樹が立ち上がると、
鍵を開け、仲居さんに部屋の中に入ってもらう。

「冷たいお飲み物でございます」
そういって、お盆にのせたコップと、ポットとを
テーブルの上にのせてくれた。中身は冷たい麦茶とのこと。
「あと、明日の朝食ですが、何時ごろがよろしいでしょうか?」
「この辺のお店が開くのは何時くらいですか?」
「お店や、美術館は、朝9時ぐらいに開く所ばかりですね」
「それでしたら、8時半ぐらいにお願いできますか?」
「はい、かしこまりました。それではごゆっくりお休み下さいませ」

そういって仲居さんは部屋を出て行った。
樹が再びドアの所まで行き、鍵を閉める。
これで、明日の朝まで二人の部屋に訪れる人はいない。
ゆっくりと由紀子のそばまで近づく樹。
さっきまで難しい顔で考えていたとは思えないほど、
優しい表情をみせていた。

「由紀子、ごめん」
そういいながら、由紀子の背後にひざをつくと、
由紀子の体をゆっくりと抱きしめる。
「何でイッちゃんが謝るの?」
体の前にまわってきた樹の腕を手で握る。
「照れ臭くって…」
顔が再び赤くなる樹。由紀子は体を樹のほうに向ける。
「イッちゃん…」
由紀子が何かを言おうとしていたが、
樹の唇が由紀子の唇を塞ぎ、それを妨げた。

すぐに樹は唇を由紀子から離す。
そしてお互いに正面に向き合うと、目を瞑り、
再び唇をあわせた。そして、樹はそのまま由紀子を
布団の上にゆっくりと押し倒すと、上に覆い被さるような形をとる。

「由紀子、愛してる…」
「私も…イッちゃん…」
樹は由紀子の浴衣の帯に手をやると、
ゆっくりとほどいていった…。

二人の夜はこれからのようだ。


次に進む 戻る