秋。
食欲の秋。
読書の秋。
運動の秋。
そして、芸術の秋…。

秋って、色んな言葉が前に付くことが多い。
それだけ、皆、秋という季節に思い入れがあるのだろう。
かくいう私も、秋の味覚に目がない。
桃、ブドウ、梨といった、秋の果物や、
焼き秋刀魚、松茸ごはんといった料理も、大好物。
一年で一番大好きな季節…のはずだった。


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「はっ〜、どうしちゃったんだろう、私…」

部員の少ない美術部の部室で、一人、下書きまで終えた、
大きなキャンパスを前に、ため息をつく。
木の椅子に浅く腰掛け、両腕を、背もたれからぶら下げる形をとる。
顔は、なんとなく色がくすんでいる天井に向けている。

私は今、3週間後に開催される、文化祭に出展する作品を描いている。
…いや、実際は描いていたというべきかもしれない。
どうしてなのか。自分でもわからず、ただ戸惑っている。
描く題材はすぐ決まり、スケッチをして、
下書きまでは順調に進んでいた。

―が、突然、「拒否症」に襲われた。
描きたくない。
筆も持ちたくない。
そんな気持ちが、私の心を占領してしまったのだ。

もう、今の時点で完成していてもおかしくないはずのその絵は、
色が塗られることなく、私のほうを見つめている。
「早く完成させて欲しいよ…」
そんな声が聞こえてくるようだ。

「なんで、こうなっちゃったんだろう…」

両手を頭の後ろに回し、天井を見つづけながらつぶやく。
もう、時間的余裕などない。他の部員は皆、完成させているか、完成間近なのだ。
後は、私だけ。遅くとも、後、1週間で完成させなければいけない。
…でも、今の私には、絵の具の色を混ぜることさえ苦痛だ。
とても、完成までこぎつけれそうもない。

(ごめんなさい、みなさん…)

目を閉じ、心の中で、残りの6人の部員一人一人の顔を思い浮かべて謝る。
ちょっと、涙が滲んできた。片手を、涙が出てきたところに持っていった。

「ガラガラガラッ…」

扉が開けられる音が聞こえる。
私はびっくりして、立ち上がり、扉の方に体を向けた。

「春日部長…」
「宮城さん、どうしたのこんな遅くまで?」
「部長、すみません。私、絵を期日までに仕上げられそうもありません」

私は、思いっきり体を90度近くに曲げて、まず謝った。
部長は、私に目をかけてくれていて、何かとアドバイスをくれる。
今回も、私の得意な風景画にすればいいといってくれたのも、部長だった。
その部長を裏切ってしまう結果を招いてしまった私。謝りたかった。

足音が近づいてくる。
なぜか、私は体をすくめてしまった。
そんな私に部長はゆっくりと近づくと、
両手をそれぞれ私の肩の上にのせた。
温かい部長の手…。

「宮城さん、絵、描けなくなったの?」
「はい、すみません」
「謝らなくたっていいの」

部長は、そういい終えると、私の頭を、
その手でなでてくれた。思わず、涙がでそうになる。

「そっか、描けなくなっちゃったんだ…」
小さな声で、部長が言った。
きっと、私のことを失望したに違いない。
私は、このまま、この場から消えたい気持ちになった。

「よし!宮城さん、これからしばらく、放課後、私に付き合いなさい!」
「部長?」

いきなり言われて、何のことか把握が出来ていない私。
付き合えって、どこをどう付き合えばいいのか…。

「部長命令よ。いい?」
「で、でも絵が…」
「絵のことは今は忘れなさい。で、私と出かけよう!」

そういうと、部長は、勝手にどんどん予定を立てしまった。
私が口をはさむ暇など、どこにもなかった。

そして、本当にそれから数日、部長と私は一緒にいた。
今も、ウインドウショッピングと、駅ビル内を歩いていた。

「良いんでしょうか?部活休んじゃって?」
「大丈夫よ。顧問の先生には許可をとってあるから」

その言葉を聞いても、私は不安と戸惑いで胸が一杯だった。

「でも、絵が…」
「ストップ、妙ちゃん!」

部長は立ち止まると、私の顔に、顔を近づけ、明るい笑顔と一緒にこう言った。

「いい、これからしばらく絵のことは忘れること。
妙ちゃんから絵の話はしないこと。
これも部長命令…いえ、あなたと、私との約束。できる?」
「はい、わかりました…」

本当は、わかっていない。
けど、部長が私のことを思ってくれているのが
痛いくらい感じられるから、ただただうなずいた。
そして、この後の数日間、私は本当に部長と出かけまくったのだ。


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週末。秋晴れの土曜日の午後。私は、部長と駅で待ち合わせていた。
待ち合せ場所に約束の時間より早く着いたが、
それよりも早く先輩は来ていて、私を待ってくれていた。
謝ろうとする私を手で止め、さっそく電車に乗ろうと歩き始めた。

「あの、部長、どこに行くんですか?」

どこかに泊りがけで行くというのは聞いていたが、
どこに行くかは教えてもらっていない。
近くのカラオケや、お店めぐりをした、ここ数日とは違い、
少し遠くに行くとは聞いていたので、親にお願いして、小遣いを前借してきた。

「T海岸よ。行ったことある?」
「いいえ、ないです」
「そう。じゃぁ、行きましょうか」

そういって、私の腕をとる。すでに切符は買ってくれてあったらしく、
2枚分の切符をもう片方のてに握っている。

電車を乗り継ぎ、バスに乗っていた2時間以上の間、
私と、部長の間には、私の絵のことが会話に上ることはなかった。

T海岸についたときにはすでに夕刻に近い時間だった。
夏の間は、海水浴場として人気のある場所だが、
今の時期は、とうぜんそれほど人気があるわけではない。
波で遊んでいる家族が数組と、犬の散歩をしている人ぐらい。
そんな中を海岸の波際を私は部長とともに歩いていった。

部長は、話題を豊富に提供してくれたさっきまでとは違い、無言で歩いていた。
後ろから付いていくように歩いているので確信は持てないが、
考えごとをしている感じにも見える。
そんな部長に私は話し掛けることができず、
そのまま、砂浜に二人の足跡を残していった。

しばらく歩くと、岩場がみえてきた。

「あそこに座って話そうか」

促されるまま、私たちは岩場に向かい、
二人が座れるくらいの岩に、
海の方を向きながら、腰を下ろした。

「私ね、たまにここに来るんだ」
「そうなんですか。素敵な景色ですから」
「うん、景色が気に入っているからもあるんだけど…、
私も、絵でつまづいたりするとね」
「部長がですか?」

驚いた。部長にも、描けなくなることがあるんだ。
とてもそんな風には見えない。

「あるわよ、私にだって」
そういうと、私のほうを見て軽く微笑む。
「だから、妙ちゃんにもここ、知ってもらいたくって。
あと少しかな…。水平線の方を見てて」
「はい、見ています」

少しずつ太陽が水平線へと降りてくる。

「あっ…」

なんて、すばらしい景色なんだろう。
上手く言葉で表現が出来ないけれど。
大海原が夕日の色に染まっている。
わずかに浮かんでいる雲も、その上にある空も、
そして、岩場にいる私達も。

その瞬間は、私は完全に何もかも忘れていた。
絵のことも含めて。それくらい心に入ってくる眺めだった。

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その晩、私は部長の親戚が経営している民宿にお邪魔していた。
もう、シーズンが過ぎているから、私達以外に、一組しか泊り客はいなかった。

「よく、お願いして泊めさせてもらってるんだ。あっ、宿泊費は、良いからね。
私がじゃなくて、伯父夫婦がも『もらわないから、その分楽しんでいってくれ』だって。
もちろんそのつもりだったけどね、最初から」

夕飯を食べた後、部屋でお茶を飲んでいると、先輩がそんな話をしてきた。

「でも、十分楽しめたかな?さっきの妙ちゃんの表情からすると」
「そうですね。私、さっき、時間も忘れるくらい景色に自分が溶け込んだ気がしました」

本当にそうだった。「この景色を描きたい」なんて気持ちも起きなかった。
ただ、今目の前に見える全てに、自分を同化したい、そんな感じだった。

「あの景色を見せたくて連れてきたんですね」
「それもある」
「も…ですか?」
「そう。あのね、妙ちゃんに聞いてもらいたいことがあってね」

そういって、もう一度お茶をすする部長。

「スランプに陥るのはもっと上手いものか、プロがなるものだ」

湯飲みを両手で抱えながら部長は言った。

「あなたのはスランプじゃなくて、単なる迷い―これ大島先生の言葉」
「え、大島先生の?」

大島先生は、美術部の顧問をしている、女性教諭のこと。

「2年前の文化祭の展示の絵を、やっぱり私も途中で描くことが出来なくなったの、
今のあなたと同じように。その時、大島先生が心配してくれたんだけど、
先生に、『私、スランプです』って言ったら、さっきの言葉が返ってきた」

そういって、私のほうを見てくる。

「妙ちゃん、もし妙ちゃんが同じ言葉を掛けられたらどう?」
「…反発するかもしれないです。『先生がスランプに陥っていないからわからないんです』って」
「うんうん。その時の私もそう言った。そうしたらね」
「そうしたら?」
「絵を描くことを禁止されちゃった。もちろん、考えることも」
「今の私みたいにですか?」
「そう。だから、私もまったく同じことを経験しているの」

そういって、ニコニコと笑顔を見せてくれる部長。
とても、描けなくなったとは、その表情からはわからない。

「私、また描けるようになりますか?」
「さぁ。それはあなた次第よ。でも、描けなくたって良いんじゃない?」
「ぶ、部長!」
「あなたは絵を何の為に描いているの?」
「えっ?」

「さて、もう一つ約束の追加。今、言ったことを考えること。
答えが出るまで絵は描かかせないし、部活にも参加させません」
「でも、文化祭…」
「大丈夫よ。もう、大島先生には『宮城さんは絵、出さないですけど良いですよね?』って伝えてあるの。
あっさり、『良いよ』って言ってた」
「そんな…」
「だから、文化祭のことも忘れて、ゆっくりと考えなさい。いいわね?」


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文化祭の美術部の展示室に、他の部員の彫刻や、油絵などに混じって、
私の風景画が混ざっていた。最後はほとんど寝ずに書き上げた小さな風景画。
そこにはあの日、先輩と見た夕日の景色が描かれていた。

「答えが出せたようね」
「はい、春日部長。ありがとうございました」

自分の絵の前で立っていた私に、部長が声を掛けてきてくれた。

「文化祭には間に合わないと思っていたんだけど、よくがんばったね」
「なんとかですが。大きさも、始めのより小さくなってしまいましたし」
「でも、あなたがこれを本当に描きたかったっていう気持ちが、絵から伝わってくる」
「描きたくなったんです。無性にこれを」

何の為に絵を描いているのか。それは好きだから。
絵を描くことが純粋に好きだから。
そう、部長からの問いの答えはすぐにでた。

それでも、私はすぐに絵を描き始めなかった。
部長が希望した答えは、言葉じゃないと思ったから。
私は文化祭のことももうあきらめ、ただ部長の為に
答えを導き出したかった。

その時、私は自分が何か捕われていることに気づいた。
文化祭に出展するということ。部長に風景画を描くと宣言したこと。
時間に、目的に捕われて、私は本当に描きたいという気持ちを失っていた。

そう思った瞬間、私の頭の中に、あの、T海岸の景色が浮かんだ。
(描きたい、あの景色を…)
そう思った瞬間から、私は、授業以外の時間を絵に費やした。
そして、完成させた。本当に描きたくなった絵を。

「お節介焼いたかいがあったね。さすが妙ちゃん、私が気にしているだけの子だけある」
「えっ、何ですか部長?」

最後の方が良く聞き取れなかったので、もう一度言ってもらいたかった。

「ん、なんでもない。そうだ、妙ちゃん、一緒に他の部の展示を見に行かない?」
「良いんですか?」
「よし、行こうか!!」

そういって私の手を取る部長。
やっぱり、部長の手は温かかった。

私は決めていた。
もしまた、絵を描けなくなることがあったら、
T海岸に夕日を見に行こうと。



あとがき

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