トップ追悼:臼井儀人先生


ファンの方々から寄せられたメッセージ経緯

2009年9月11日午後、誰にも看取られることなく、ある一人の漫画家が山からの滑落事故によりこの世を去りました。その漫画家の名前は臼井儀人、享年51歳という若さでした。
臼井先生の代表作といえば、誰もが知っている「クレヨンしんちゃん」です(もちろん、他にも数々の作品を世に出されています)。1990年から双葉社の週刊誌「Weekly漫画アクション」への連載が開始されました。この時点での作品の知名度は決して高くなかったとのことでしたが、1992年にアニメ化されると一躍人気作品となり、臼井先生も人気漫画家としての地位を不動のものとされました。以降、アニメでは次第にオリジナルの作品が多く作られるようになりましたが、「アクション」から「まんがタウン」へと掲載誌は移ったものの原作はずっと描かれ続けていました。単行本が49巻まで発売され、5000万部もの発行部数を誇っているとのことです。海外展開も盛んで、これまでに45か国で楽しまれているとのことです。
近年はまつざか先生の悲恋編といった「鬱展開」が話題になることもありましたが、変わらずファンを魅了し続け、連載20周年と単行本50巻突入を目前にされたこの時期に命を落とす、その無念さは計りしれません。

臼井先生は、亡くなる直前に荒船山の絶壁から身を乗り出すようなアングルで写真を撮られていたそうです。おそらくその写真を資料として、新たな作品を生み出そうというお考えだったのだろうと思います。それが世に出て、多くのファンを大いに笑わせ、感動させ続けてくださるはずだった…。そう思うと、一ファンとして大いに心が痛みます。臼井先生も大切な家族を残したまま、突然に旅立たれることとなったのは悔しいことと思います。常日頃からクレヨンしんちゃんを通して、家族の大切さ、絆の強さというメッセージを受けていましたから。
もし臼井先生がいらっしゃらなかったら、今の運営者はここにいません。運営者はウェブサイトを通して多くの人と交流を持つことができ、また社会勉強にもなっています。臼井先生は運営者にとって、第二の親のような存在でした。実のところ運営者はアニメ版が専門で、原作はほとんど読んだことがございません。しかしながら、いつもアニメ作品を楽しむことができるのは原作者の臼井先生なくしてはあり得なかったことに違いありません。臼井先生を失ったことは運営者にとっても痛恨の極みであり、信じられないし信じたくない気持ちもまだ拭い去ることはできません。しかし、現実として受け止めなければならないことだと自分に言い聞かせている次第です。
今後臼井先生による新たな作品は生み出されませんが、これまでに描かれた作品は残り続けますし、臼井先生の存在もファンの心の中にはずっと生き続けます。
これからはどうか安らかに、ゆっくりとお休みください。そして今後のクレヨンしんちゃんを温かく見守ってください。20年もの長きにわたり、ファンに多くの笑いや感動を与え続けてくださりまして本当にありがとうございました。

2009年9月21日
「クレヨンしんちゃん的ページ」運営者 Mr.K


当サイトを訪れてくださっているファンの方々から、臼井先生に向けて寄せられたメッセージをここに掲載いたします。なお、個々のメッセージの投降者名は掲載しておりません。

今日の夜の臨時ニュースでクレヨンしんちゃんの作者が亡くなった事が流れてましたね、失踪からずっと 無事を祈る思いでしたが、願いは届かず 臼井さんのご冥福をお祈りいたします。こんな形で区切りがつくのが 凄くショックです。僕が中学校の時からよく見てたので、何か放心状態でした でも今までの話は単行本とした形で残るので、今まで以上にクレヨンしんちゃんを愛し、読者として視聴者として楽しもうと思います これが夢であれば良いのに


残念です、全く実感が湧きません。
何故こんな事になってしまったのか・・・現実として受け入れなければならないのでしょうか。
藤本弘(藤子・F・不二雄)先生が亡くなられた時の様な衝撃です・・・。
読者を楽しませる事だけを追求されてきた臼井先生、ありがとうございました。


突然の訃報で心にぽっかり穴が開いた気持ちです・・・。
私はクレヨンしんちゃんファンになったのは数年前ですが、それでも子供の頃しんちゃんを見て大笑いしました。
とても悩んでいたときにまんがタウンのクレしんを立ち読みして癒されました。
臼井先生、天国でゆっくり休んでください。


 2009年9月20日のニュースで、僕自身も臼井儀人先生が亡くなられたことを聞きました。
 1993年、僕が小学二年生の三学期だった頃に初めて、「クレヨンしんちゃん」というアニメの存在を知りました。
 それ以来、漫画でも「クレしん」を読むようになりました。
 1996年9月23日では、「ドラえもん」というアニメの原作者の一人が亡くなられましたが、漫画の連載は打ち切られてしまったものの、その後のアニメ放送、映画化、商品化などは継続出来ています。
 ですので、「クレしん」でも同じように、いつまでも継続出来るように心掛けて欲しいです。
 臼井先生の訃報を聞き、「架空の世界」でも、徳郎先生がテロで命を落としてしまったこと(原作47巻参照。)を思い出しました。
 「架空の世界」では徳郎先生、「現実の世界」では臼井先生、どちらの方も若くして亡くなられてしまい、僕は大変、残念でなりません。
 以上を持ちまして、お二方のご冥福を、改めて謹み申し上げます。
 そして、どうか、安らかにお眠り下さい。

心よりご冥福をお祈りします。


この度の出来事がショックです。
漫画の連載が始まったのが1990年夏で、私が生まれる1年前(1991年生まれなので)のことでした。そしてアニメ放映は私が1歳の頃ですから、幼少期から現在までクレしんの思い出が詰まっています。

人生の大半をクレしんと過ごし、漫画も読んでいた私にとっては心苦しい出来事でした。正直、今もあんまり現実味がありません。(不謹慎な話だと、臼井先生がネタにしていた「死体ごっこ」が思い出してしまい)夢なのかな…と受け止められない部分がありますが、これはそこまでクレヨンしんちゃんという漫画・アニメが自分の日常に深く浸透しているのだと思います。

これから自分が成人してからもずっと末永く続いていくと思っていたので、心残りです。臼井先生もきっともっと描き続けたかったと思いますが、不慮の出来事のために亡くなったことが心残りだったのかな…と思います。

最後に、いつも笑い、そして時には「家族愛」、「命と友情の大切さ」、「未来へ向かって希望を失わず生きること」という幅広い感動をくれたこの作品に出会えて本当に光栄でした。そしてこれからもずっとその思い出を胸に刻み、生きていきます。

そしてアニメ・クレヨンしんちゃんの継続と、このサイトの繁栄を願い、またクレしんを知っていたことによりこのサイトに出会えたことを感謝しつつ、臼井儀人先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

最後に19年以上の間、本当にお疲れ様でした。臼井先生、ありがとうございました。


突然の訃報に今呆然としています、目が曇っています。

遭難したとニュースで報じられてからというもの臼井さんの無事を
連日祈っていましたがその祈りは通じませんでした。

臼井さん、今まで本当にありがとう。
愛と勇気、そして感動と希望を与えてくれてありがとう。
これからも「クレしん」のファンでいます、応援し続けます。
世界中に笑いと涙をありがとう!


そして謹んでご冥福をお祈りします


臼井先生が亡くなった事は私にとっても、ショックでした。
かなり尊敬していた人物ですから・・・・。臼井先生の冥福を祈るばかりです。
アニメも続いて欲しいです。


臼井さん・・・やっぱりお亡くなりになられてしまったのですね。
私はこれからどうしたらいいんでしょうか・・・。

私は人生のすべてをクレヨンしんちゃんと共に過ごしてきたいわゆる「クレしん世代」です。当時、教育に厳しかった親に内緒で買った初めての漫画が臼井さんのクレヨンしんちゃんの3巻でした。それが見つかって取りあげられてもめげることなく見つけ出しては笑いをこらえながら読んでいたのはいい思い出です。
そして、小学生になりアニメも欠かさず見ていました。

学校で嫌なことがあったり、大切な試合で負けてしまったり、気分が落ち込んだ時そばにいてくれたのはクレヨンしんちゃんの原作&アニメです。
見ると自然に笑える、嫌なことをすべて忘れさせてくれたんです。

高校受験の時も大学受験の時も、志望校への学力がなかなか届かず自暴自棄になっていた私をリラックスさせてくれたのもクレヨンしんちゃんでした。
それから晴れて志望校に合格し、大学では趣味の一環としてクレヨンしんちゃんの研究やしんのすけの心理について調べたり、現代アニメ文化の中心として研究題材にしてきました。
恋愛に強くなることができたのも、もちろんクレヨンしんちゃんのおかげです。

とにかく親や友達に呆れられるほどクレヨンしんちゃんが大好きです。
今でもアニメは欠かさず見ますし、原作はもちろん全巻集めました。
噂の巻も含めてとにかく臼井さんの描く原作は大好きです。

そんな中、臼井さん死亡のニュースを聞いた時本当にショックでした。捜索時から心配はしていたものの「まさか臼井さんが死ぬわけないよな・・・」と自分言い聞かせ
仕事もろくに手がつかない状態で何とか自分の感情を周りに出さないようにふるまっていましたが、死亡報道を聞いた時、号泣しました。
周りの友達たちは「大げさすぎ」「悲しいがそこまででは・・・」という反応でしたが、もうあの原作を見ることができないとなると生きる望みすら失った気分です・・・。


たくさんの人々の願いも空しく、臼井先生の死亡が確認されました。
私は今、ショックで何も考えられません。
しかし何かしたいと思い投稿させていただく事にしました。
優しいしんちゃん、かわいいしんちゃん、かっこいいしんちゃん、おませなしんちゃん、
いろんなしんちゃんをこの世に生み出してくれた臼井先生に心からの感謝とご冥福をお祈り致します。
臼井先生、お疲れ様でした。
安らかにお休みください。


クレヨンしんちゃんはずっとずっと大好きで、発売されるのを毎回楽しみにしていました。

今回とても残念な事件があって今でもまだ信じられません。
いろいろな人に愛された「クレヨンしんちゃん」。
あんなにステキな作品が描けるのは臼井先生以外にいないと私は思います。
本当に本当に悲しいです。


この度は非常に残念な結果となってしまい正直もう泣きそうです。
臼井さんは落ちていくわずか10秒間何を考えたのでしょうか......
最期に何をそうったのでしょうか......
それを思うと本当に辛いです。

私が初めてクレしんと出会ったのは小1のこと。
恥ずかしながら中1までしっかり見てましたね。
中2になって忙しくなりとうとう見なくなってしまいました。
わずか8年間の間でしたがいろんなしんちゃんを楽しませていただきました。
あんな痛快な面白さはしんちゃんでしか楽しめませんよね。
このギャグは臼井さんにしか表現できないと(勝手に)思っています。
そして臼井さんは漫画家の光のような存在だと(勝手に)思っていました。
しかしそんな方が.....51で亡くなられたなんて.....
まさに晴天の霹靂でした。
51......若すぎます。臼井さんの死が今でも受け止められません......
でもやはり受けとめなければならないのですよね......

自殺の可能性が低くて、本当にほっとしております。
臼井さん、約20年間もの間お疲れ様でした......
こんな自分に素晴らしい娯楽を8年間も与えてくださって本当にありがとうございます。
安らかにお眠りください......

謹 ん で 冥 福 を お 祈 り い た し ま す。


このたび臼井氏の転落事故と死亡は我々ファンにとってショッキングなものであると同時に非常に残念なものです。
クレしんはもう既に国民的アニメとして認知されており、私も幼少の頃より毎週のアニメを楽しみにしていたものでした。
今回のことは東スポで覚せい剤で捕まった某女優の記事の上に見出しガセかもしれないと思いあわててネットで検索し他の記事を見て確証を得たところで一大事に築いた次第です。
もうびっくりしてその後のシルバーウィークはほとんど元気がありませんでした。
死亡が確認された翌々日にバラッドの映画を見てエンドロールでまた涙が流れました。
それは原案クレヨンしんちゃん アッパレ戦国大合戦・原作 臼井儀人・監督 
原恵一という一文でした
ああクレヨンしんちゃんは偉大だ、すごいなと思いました。
この偉大なる作品を生んだ臼井先生ありがとう、作品は我々ファンがしっかり守っていきます。


こんにちは。
ここ数週間でクレヨンしんちゃんが大騒ぎだったのは、自分の目で見てきました。
いま、大変にやるせないです。
わたしは、難しい言葉は使えないので、つたなくなってしまいますが
故臼井 儀人先生がつくられた世界は、私の哲学的な部分のいしずえであります。

先生、ありがとう
どうぞ安らかに


経緯をまとめました。

日付時間帯出来事
2009年
9月11日(金)
午前 臼井先生が「荒船山に行く。夕方には戻る」と家族に言い残し、春日部市の自宅を出発。電車で上信電鉄下仁田駅へ移動し、そこからタクシーで荒船山登山口へ。
午後 臼井先生が荒船山の名所・艫岩(ともいわ)へ到着。途中30枚ほど、デジタルカメラで風景を撮影。最後の写真を艫岩の上から撮影直後、誤って120m下へ滑落したものと思われる。全身強打による肺挫滅により、即死だったものと思われる。なお、最後の写真が撮影されたのは午後0時20分ごろと推測される。
9月12日(土) 早朝 臼井先生が帰宅しないため、先生の妻が警察に捜索願を提出。
9月16日(水) 未明 インターネットのニュース系サイトで、臼井先生が先週末より失踪しているとの第一報が入る。
午後 臼井先生は普段からよく一人で山に登っていたらしい。14日頃までは臼井先生の携帯電話がつながる状態だったものの応答がなかったとのこと。軽井沢付近で電波をとらえていたとの報道も。
9月19日(土) 午前 一般の登山客が、荒船山のがけ下に臼井先生の服装に似た感じの遺体があるのを発見する。警察も遺体を確認するも、険しい斜面のためこの日は収容できず。
9月20日(日) 午前 群馬県警が遺体の収容作業へ向かう。
午後 遺体を収容し、下仁田署にて検視作業が行われる。また、臼井先生の家族も下仁田署へと向かっている。
21時過ぎ 歯型などが決め手となり、遺体の身元が臼井先生と確認されたと発表される。
9月21日(月) 原作を連載している「まんがタウン」の出版社・双葉社によると、11月5日発売予定の12月号の分まではすでに原稿が入稿しており、12月号までは従来通り掲載すると発表。それ以降のことは未定。
アニメを放送しているテレビ朝日は、今後のことは関係者と相談して決めるとのこと。ただ、テレビ朝日としては何としても続けたいとの報道も。
映画に関しては、来年の第18作公開は決まっているとのこと。ただしアニメの動き次第と報道されている。
※アニメ・映画の件は「クレヨンしんちゃん:“サザエ方式”で存続か」(毎日新聞)より
9月22日(火) 春日部市内の斎場にて、密葬での葬儀が営まれた。参列者は親族と出版社の関係者など約30人のみ。マスコミは完全シャットアウトで、遺影や位牌といったものも飾られなかった模様。
10月2日(金) テレビ朝日は、原作の世界観を維持したままでアニメオリジナル作品を制作し、今後もアニメの放送を継続していくことを発表。映画についても来年春の新作公開へ向け準備中と発表される。これにあわせ、双葉社、テレビ朝日、映画の各公式サイトにメッセージが掲載された。
11月5日(木) この日発売の「まんがタウン」12月号をもって連載終了の予定のところ、新たに遺稿が見つかったために3か月の連載延長が発表される。同時に、お別れ会を11月下旬に開催することも明らかに。
11月30日(月) この日、東京・青山葬儀所においてお別れ会「臼井儀人先生の思い出を語る会」が開催された。午前11時から12時までの関係者向けの時間に430人、午後1時から6時までの一般のファン向けの時間も合わせると、3600人が足を運んだとのこと(当サイトの運営者も参列)。
2010年
2月5日(金)
この日発売の「まんがタウン」3月号に最後の作品が掲載された。第1126話、野原一家と隣のおばさんが登場するいかにもクレしんらしい話で締められ、さらに編集部から臼井先生と読者へのメッセージも掲載された。
7月16日(金) この日発売のアクションコミックス50巻が、臼井先生の描かれた作品が掲載される最後の巻となる。また8月から、まんがタウンで臼井先生のアシスタントを中心に「臼井儀人&UYスタジオ」による「新クレヨンしんちゃん」の連載が始まるとの発表も。


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