F-1ミニカーコレクション!

最終更新05/02/15:2004年ウィリアムズFW26(ラルフ・シューマッハ)

1986年ブラバムBT55(リカルド・パトレーゼ)

1979年アロウズA2(リカルド・パトレーゼ)

1977年ウルフWR1(ジョディ・シェクター)追加) 

特に7〜80年代のものを集めています。今の洗練され過ぎたマシンと違って味があるんです。

今は1/43スケールの物を集めています。大きさ約10cmで場所もとらないし。

メガネと比べてみました。小さいけどすごく精密にできています。

   

年代が新しいもの上に載せています

 

・2004年ウィリアムズFW26(ラルフ・シューマッハ)

2004年ウィリアムズが発表した新車FW26は近年のF1デザインからは考えられない短く太いノーズに太く長いウィングステイを持っていた。不格好だがマニアの心をくすぐった。しかし肝心の性能は表彰台争いをするのがやっとの状況。第9戦のアメリカGPではラルフがクラッシュ・脊椎損傷で6戦の欠場を強いられる。しかし、シーズン中休み明けの第13戦でテストもせずにウイリアムズは従来の細いウィングに戻してきた。結果は上々、最終戦ブラジルGPでは僚友モントーヤが優勝を飾った。

   

・2003年B・A・Rホンダ005(佐藤琢磨)

2003年B・A・Rのテストドライバー兼リザーブドライバーを勤めた佐藤は2004年はレースドライバーとして契約を結んだ。その直後、2003年度で契約の切れたジャック・ヴィルヌーブがやる気を無くして、2003年最終戦日本GPをキャンセル。

急遽佐藤琢磨が参戦。見事6位入賞を果たした!(ミニカーは鈴鹿限定仕様!)

   

 

・2002年ジョーダンEJ12(佐藤琢磨)

イギリスF3、マカオF3等チャンピオンを獲り、日本人初のF-1チャンピオンを期待される佐藤琢磨。

02年は最終戦日本GPでやっと5位入賞を果たした。

03年はBARホンダに移籍しテストドライバーとなるが、04年にレースドライバーとなる予定。

このミニカーは実はラジコン(デジQフォーミュラ)で操作できる!しかもホンダ別注品!

    

・2000年フェラーリF2000(ミハエル・シューマッハ)

フェラーリが21年ぶりにチャンピオンを取り、復活を果たしたマシン。以後3年連続チャンピオン獲得中!

    

・1999年アロウズA20(高木虎之介)

特にたいしたマシンではないが日本人だからということで購入。現在はアメリカのIRLで活躍中。

   

・1999年ホンダプロトRA099(ヨス・フェルスタッペン)

第三期F1参戦に備えてイタリアのダラーラで製作された。

オールホンダのチームとして参戦する計画で、テストカーを開発・製作して、シーズン序盤はテストにも参加。

ところが、2000年から新興チームのBARと組み、エンジン供給だけのプロジェクトに突然の変更。

RA099は幻のホンダF1カーとなってしまった。

   

・1995年フェラーリ412T2(ジャン・アレジ)

アグレッシブな走りで人々を魅了したジャン・アレジのF1での最初で最後の優勝(カナダGP)を果たしたマシン。

1991年にデビュー3年目にしてフェラーリへ移籍したが、フェラーリは不振のまっただ中に飛び込んで行った。

1994年のドイツGP(ゲルハルト・ベルガー)までチャンピオン争いはおろか、3年間優勝にさえ見放された。

95年にはげんをかついで車名をかつての名車312T2にあやかってつけるほどだった。

2000年のシューマッハが21年ぶりにチャンピオンをもたらすことになる。

    

・1994年ウィリアムズFW16(アイルトン・セナ)

6年過ごしたマクラーレンから再びチャンピオンを獲るべくウィリアムズに移籍したセナだったが、

第3戦サンマリノGPで大クラッシュ。帰らぬ人となる。

このGPではシムテックのラッツェンバーガーも予選中に大クラッシュし死亡した。

以後安全性のレギュレーションが大幅に変更された。

   

・1993年マクラーレンMP4/8(アイルトン・セナ)

セナがF1で最後に優勝した1993年最終戦オーストラリアGP仕様。

   

・ウィリアムズワールドチャンピオンセット

・左:1992年ウィリアムズFW14B(ナイジェル・マンセル)

前年チャンピオン争いをするほど力をつけていたウイリアムズのマシンに、リアクティブサスペンションやトラクションコントロール等のハイテクが加わり鬼に金棒!前年のセナ開幕4連勝を上回る、マンセル開幕5連勝!シーズン史上最多の9勝をあげて”無冠の帝王”と呼ばれたマンセルは念願のワールドチャンピオンを獲得!しかし契約金で折り合いがつかず、翌年アメリカのCARTへ移籍した。(デビュー1年目でチャンピオンに!)

・右:1993年ウィリアムズFW15C(アラン・プロスト)

前年休養していたプロストが復帰。前年チャンピオンのマンセルが引退したため、プロストのチームメイトとなったデイモン・ヒルのカーナンバーは”0”!

マクラーレンのセナが良い勝負(5勝)をしたが、クルマの性能はウィリアムズに歩があり、プロスト(7勝)が4度目のチャンピオンを獲得し、引退した。

   

・1991年ジョーダン191(ミハエル・シューマッハ)

ジョーダンチームは1991年にF1に参戦した。1年目のチームとは思えないほどオリジナリティに富み、美しいマシン。

ドライバーはアンドレア・デ・チェザリスとベルトラン・ガショーだったが、ガショーが傷害容疑で逮捕されてしまったためミハエル・シューマッハが代役としてベルギーGPでデビューした。次戦のイタリアGPからベネトンチームへ電撃移籍!よってジョーダンでは1戦しか走っていない。

ちなみにベルギーGPでは予選は7位でチームメイトより上を行き才能を示したが、決勝はギヤトラブルで1周目でリタイヤした。

   

 

・1990年ティレル019(中嶋 悟)

現在全てのチームが採用しているハイノーズを最初に採用した革新的なマシン。中嶋曰く「ナマズみたいだ。」と。バランスの良いマシンで、非力なエンジン、タイヤだったが3戦ポイントを獲得した。

チームメイトのデビュー間もない、ジャン・アレジは2度表彰台に登った。(翌1991年からフェラーリへ!)