GLORIES
ほら、大漁だよ。グレ、メバルなど。
やった!大漁だよ。
 (千ちゃんとの釣りの思い出。)

 松山での私たちの釣りは、防波堤や地磯での小物釣りでした。冬はカレイやアイナメ。季節のよいときは、キス、ベラなどの投げ釣り。夏の夕涼みのアナゴ釣り。長めの竿とウキを使う、アジやサバのエサ釣り。電気ウキを用いたチヌの夜釣りなど、レパートリーは豊富です。 2003年8月7日マリオ


「ゆうべ、メバルが入れ食いだったよ。雨が来たからすぐやめたけど。」
「どこ?」
「和気。発電所のほう。一本目の竿を放り込んで、立てかけたまま次準備する間にあたりが来て、あとはバタバタ。風もあったし、誰も来てなかったよ。エサもそのままだし、行く?潮は今日のほうがいいと思うよ。」
「よおーっし。じゃあ、K君も誘うね。」
そうやって改めて雨支度をして、千ちゃん、K君、3人で出漁した釣果が写真です。千ちゃんは、その頃不漁が続いていたから大張り切りでした。

和気は、松山市北部、堀江海水浴場の西にある小さな漁港です。東西に延びる海岸線にある小さな船溜まりの切れ込み。東側から大きな防波堤が港を取り囲むように突き出ていて、西側に火力発電所があり、問題の釣り場は、その大きな防波堤に向かって、10bほどの小さな突堤が岸から斜めに突き出ているだけのところです。沖に向かってないためでしょう、釣り場としての魅力がないらしく、あまり釣り客を見かけることがありません。

「どんなところだろう。」 好奇心もあって、その年の冬にはじめてこの突堤を訪ね、運良くカレイが釣れたのですが、その時、割に岸近くまで澪(ミオ=船を通す溝)が掘ってある事に気が付いて、「ほかの釣りもまんざらでもないのでは。」と期待を持って帰り、それが、前日の出漁となったものでした。

和気。ベラが釣れた。松山での私たちの釣りは、防波堤や地磯での小物釣りでした。冬はカレイやアイナメ。季節のよいときは、キス、ベラなどの投げ釣り。夏の夕涼みはアナゴ釣り。長めの竿とウキを使う、アジやサバのエサ釣り。電気ウキを用いたチヌの夜釣りなど、レパートリーは豊富です。

ミミズを房掛けにして飛ばしウキで釣る、寒ボラ釣りなんていうのもあるし、少しずつ撒き餌をしながら釣る、防波堤のグレ釣りも本当に楽しめる釣りでした。ちなみに、高知でおなじみのグレは松山ではクロとか、クロイオと呼ばれます。

軽装で行ける。市内からバイクで30分ほどで釣り場。そんな好条件もあって、私たちはよく、松山北部にある和気や勝岡に通ったものでした。

さて、防波堤でのメバル釣りは実に簡単な装備です。4.5b程度の渓流竿に、竿いっぱいか少し短めの道糸。引き通しオモリとヨリモドシ。3〜40センチのハリスに少し大きめのハリを結べばできあがり。竿下を釣るから、ウキもいりません。

エサは、ゴカイ1〜2匹のチョン掛けです。アタリはモソーッと重ってきて、少しつきあって合わせます。小型の魚です。問題になるようなファイトなんてありません。掛かりを確認したらそのまま抜きあげて一丁上がり。

魚は、「ヤラレタゼーッ」という感じで上がってきます。大きな口でパクリとやるからなのでしょうか、不思議にエサは傷んでなくて、魚を取り込んだらそのまま仕掛けを投げ込みます。

私たちは突堤の先の電灯の下に陣取りました。連日の不順な天気です。満ち潮に押されて港内より払い出す水はかなり濁っていて、光を受けて白く見えるそれが、黒い港外の潮と目の前で混ざります。

千ちゃんは電気ウキをつかい、突堤の外側をもとのほうから流して先端の払い出しに乗せて釣る路線。K君は同じようにして足場のいい内側を探り、最後は払い出しに乗せて釣るかたちです。

釣り道具食いは悪くありません。次々に大小のメバルが釣れて、気分は上々。しかも、アジやグレも混ざるから、油断してはいられません。

グレが来ると危険です。ウキ釣りではそうでもないのですが、お話ししたような仕掛けの場合、アタリは予告がなく、突然、ジャリッと歯の当たる感触がきて、その瞬間、ググーッと一気に仕掛けを持ち込みます。

グレは足下の岩場に突進します。対応が遅れれば、細いメバルの仕掛けなど、難なく切られてしまいます。

竿を立てれば、岸に寄れるから魚が有利です。逆に下げたままなら、深さがとれて、それもまた魚に有利です。できることと言えば、竿をその中間に構えて、腕を精一杯遠く高く伸ばし、ひたすら<寄せず潜らせず>で魚の疲れを待つだけです。

すごい糸鳴りです。竿は弓なりにひん曲がり、ギシギシと今にも折れんばかりにきしみます。耐える間にもガクガクッ、ガクガクッと執拗なアタック。リールもない、長さ2軒半の渓流竿でグレをあげるのはチョッとした格闘です。

上がってみれば30センチにも満たない魚体。高知じゃ普通の、<グレ45センチ>。なんてまるで夢のような話しです。

「しまった。バラした。」千ちゃんが叫びます。アジです。かなりのやつが掛かっていたはずなのにそこまで寄せてバラします。

アジは口が柔らかく、折角掛けても口が切れてはずれます。努力して、型のいいのをうまく掛けて寄せても、高さのある防波堤に抜き上げようとしたら、その瞬間、ズルリ、サヨナラ。

太くてあごの深い針を用い、ジワッとかけて、流れに逆らわずに寄せて、タモでも使わないことには、今のような型のいいのは到底無理という感じです。いわんやこちらは上流にいて、細身の針でメバル釣り。切れやすい上、魚が流れを利して抵抗するのだから、うまく行く道理がありません。夏の夜の花火。同じアパートの子らと。

「しまったー。アジが来ると分かっていたら、それなりに構えてくるんだったねぇ。」
「そう。せめてタモぐらいは持ってきておけばよかったなぁ。」
それもこれも、お目当てのメバルが釣れていればの後悔です。楽しい一夜。終わってみれば、釣果は写真のとおりです。


さて、和気でのこの経験は、千ちゃんの釣りを大きく変えたようでした。はじめはしつこく和気のメバルを追求していたのですが、やがて、夏が来て、台風接近でひどく風が吹き雨の降る真夜中、ビビビビビ、とアパートの下で千ちゃんのバイクの音がして、「どうしたんだろう。」と思ううち、やがてずぶぬれの千ちゃんが戸口に現れて、差し出したのは、クーラーいっぱいの、何匹もの立派なチヌでした。

「どうしたのこれ?」
「やったんだヨーッ。」
「えーっ。行ったのー?こんな日に。」

「そう。和気。一番奥のボートつないでるあたり。」
「あの辺浅いよねえ。」
「ウン。杭が打ってあって、どぶ板みたいなのが渡してあって・・・・・。」興奮気味に語る千ちゃん。この大釣りをした台風の夜が、釣り師千ちゃんにとって記念すべき夜になったことは、間違いないと思います。 

千ちゃん
当時の千ちゃんは、もと学生運動の活動家。運動の終息とともに行き場を失ってしまったのですが、汚れのない繊細な感性の持ち主で、したり顔の嘘つきどもが大嫌いな人でした。

釣りとバイクが好きでした。事故にも遭い、死ぬかと思う経験をしたその後も、そのために不自由な足と一生つきあうことになってはいても、やっぱりバイクに乗り、釣りに出かける人でした。

私たちは、そんな彼とみようにウマがあって、一緒に食事をしたり酒を飲んだりして過ごしました。しかし、やがて、私たち夫婦は自分の店を出すために高知に帰り、千ちゃんも結婚して、<平凡な家庭>を作ります。

先年、彼の訃報を受け取りました。クリスマス前の12月。嵐の夜に出漁した釣り船が転覆し、その時船室にいた彼だけが、運悪くその事故の犠牲者になったものでした。

千ちゃんは口癖のように言っていました。
「今の心境を言うとねえ。子供の時一生懸命遊んでいて、やがて日が暮れて、友達がそれぞれの家から、<誰々ちゃんごはんですよー。>なんて呼ばれて。次第に人数が減ってきて。とうとう自分一人になってしまったような感じ。まだまだ遊んでいたいのに、自分一人なんだ。自分一人だけなんだ。そんな感じって、きっと誰でもあるよねえ。でも、すごくイヤだよねー。」

受け入れがたい齟齬の感覚。取り残された孤立感。学生運動以降の千ちゃんの人生は、そのような感覚なしには考えることができません。

彼にとって釣りやバイクは、もっとも自然にありのままの自分を体感でき、熱中できる、かけがえのない事柄だったに相違なく、彼は、擬制を呼び込むことなしには決して成り立ち得ない己の人生を、そうすることによって確かめ、励まし、さらには真実なものに変えて、生きたのだろうと思います。

皮肉なことに、千ちゃんは、同世代の仲間たちの多くがまだゲームを続けているというのに、誰かに「ごはんですよ。」と呼ばれて、早々とグラウンドを去ってゆきました。
「こんなはずじゃない。」
やはり私も言いたいような気持ちです。「ゲームはこれから。」「人生はこれから。」そう叫んで、それを、彼への送る言葉としたいと思います。

2003年8月7日マリオ 

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