GLORIES
ほとんど化石の高1中2自作機
どうする?手作りラジオ

私が作った真空管式の40歳近いラジオ。今も、昔と同じ目的でなら使えますが、しかし、この機械にそんな出番はもうありません。 2003年8月7日 マリオ



写真のラジオは高一中二という通信型の受信機です。高校生の時私が作りました。真空管式の40歳近い受信機。今も、昔と同じ目的でなら使えますが、しかし、この機械にそんな出番はもうありません。

高校1年の時、免許を取って、アマチュア無線局を開局しました。1965年。東京オリンピックの翌年です。

当時の日本は、戦後復興を終わり、東海道新幹線や高速道路もできて、ものが豊になり、、ちまたには種々の家電製品があふれ、8ミリカメラやクルマ、エアコン等が、庶民の家庭に、普通に入ってくる時代になっていました、

しかし、無線設備ということになると、アマチュア向けのものは少なく、また高価で、そんな物を親におねだりというわけにもゆかず、すねかじりの高校生無線マニアは、こつこつとお小遣いをためるなどして、新旧の部品を少しずつ買い集め、手作りで、必要な機械をそろえるというのがごく標準的な姿だったように思います。

無線局は、その基本設備として、受信機と送信機、それにアンテナが必要です。短波を中心に活動していた当時の日本のアマチュア局の標準的な設備が、この高一中二の通信型受信機と、807(ハチマルナナ)6146などの小電力送信管を用いた、出力10ワットの送信機。それに竹竿と銅線を用いたダブレット・アンテナであったことから、16歳の私もそれにならい、高一中二に807。それに竹竿のダブレットという、まさに絵に描いたような<ジャパニーズ・スタンダード>を目標とし、また実現したのでした。
たとえばこんな真空管
呼び名の高一中二というのは、高周波増幅1段、中間周波増幅2段のシングル・スーパー・ヘテロダイン方式のラジオという意味です、同時代の、短波も聴ける真空管式家庭用ツーバンド・ラジオが別名<5球スーパー>と呼ばれ、高周波増幅の無い、中間周波増幅1段だけのシングル・スーパー・ヘテロダイン方式だったと言えば、細かいことは分からなくても、「なるほど。それなら感度がよさそうだ。」とは思っていただけるのではないかと思います。

アマチュア無線のラジオは、普通の放送受信用のラジオとは違います。短波という、普通の放送周波数の30倍ほどもある広い周波数帯の、そのなかのあちこちに法律によってごく小さく割り当てられた、いわゆるハム・バンドを使って交信するわけですし、放送局の500から一万分の1ぐらいの小さな送信電力で、それこそ貧弱な、竹竿に張った直径2ミリぐらいの針金をアンテナとして電波を送り、また受けようというのですから、相応の機能が備わっていなければ実用にはならず、私たちハム(アマチュア無線家)が、この機械を、ただラジオとは呼ばず、「(通信型)受信機,。」「(コミュニケーション)・レシーバー。」と呼びたくなる気持ちは、きっとおわかりいただけるだろうと思います。

当時のラジオ作りは、決して楽な作業ではありませんでした。何をどう作るかが決まり、必要な部品を調達したら、それらの配置を決めて、鉄やアルミでできたシャーシーと呼ばれる土台に下書きをし、ハンド・ドリルや金ノコ。ヤスリ。パンチやリーマーなどの工具を用いて、それ等の部品が取り付けられるよう、適当な加工を施さなければなりません。ラジオの操作面となるフロント・パネルにも、音量調節やスイッチだけでなく、微動ダイヤルやメーターといった、高価な部品を取り付けます。補強板も必要です。部品を買うのも大変なのに、とても道具を買うところまでは資金がまわらず、アマチュア無線家は、同好相寄って、工具を、時には部品ですら融通し合うのが常でした。

こうやって無事金属加工を終わり、必要な部品を取り付けて、すべての配線が終わっても、しかしそれでラジオができたわけではありません。受信周波数の校正は当然必要ですし、ラジオの性能を十分引き出すためには、補助的な実験や調整が不可欠です。時には、期待通りの性能が得られなかったり、思いがけない不具合のため、部品の配置や回路の変更を余儀なくされることすら起こります。

「私の用いた真空管は、1本をのぞいて、そのすべてが中古品だった。」と申し上げれば、あるいは多少想像できるかも知れません。何様、手作り部品や改造部品、中古や代用品がところかまわず使われているのですから、そんなラジオが、最初から万全であるはずがないのです。
これでハム再開。TS-120V。
さて、そんな苦労をして作る機械です。できあがれば喜びはひとしお。またそれを使ってする交信はまったく最高の気分です。誰もが自分の機械の話をし、「ああすれば・・・。」「こうすれば・・・。」と向上心あふれる会話が、いつでもどこでも聞けました。

ラジオ作りには夢がありました。たとえ、プロの目から見れば問題にならないような幼稚な技術ではあっても、そこには、計画と努力と達成感、精神的な高揚がありました。

だからでしょう、往年のラジオ少年たちの多くが、未だにその趣味を持ち続け、しばしば、何十年ぶりかの偶然の再会を、電波によって果たすのです。

しかし、機械は機械です。そして時代は変わります。折角努力して作り、少しずつ改善したこのラジオも、やがて、作って3年もすれば時代遅れの感はぬぐえません。帰省した私が再びアマチュア無線に復帰する80年代はじめには、このようなラジオは、すでに遠く実用を離れ、先史の遺物か、個人的な記念品以外の何ものでもなくなっていたのでした。

とはいえ、新しい時代には、新しい時代の無線機が現れます。かつて、送信機と受信機に分かれていた無線機は、その両方を一台で備えたトランシーバになってすでに久しく、マイコンのおかげで、周波数はきびしく安定に管理され、通信に必要かつ便利な多種多様な機能が、昔とは比較にならない、小さな機械に備わります。

「信号はデジタル処理されて、やっかいな雑音や混信も、それでうまくかいくぐる。」なんてこと、一体誰が想像したでしょう。なるほど、手作りは楽しかった。しかし、通信機器メーカーが提供する現代の無線機は、「まったくすごい!」の一言です。

ところで、ご存じですか、同じように個人が電波を使う通信機の一種ではあっても、携帯電話と私たちハムの無線機とでは、まったくそのあり方が違います。
現在のデスクと無線機。
かたや携帯は、<確かに通信できること>を前提にしていて、通信の確かさと安定を保証するあらゆる技術とシステムが介在し、通信の途絶は、許されるべきことではありません。

しかし、アマチュア無線の場合は、送り手と受け手それぞれのシステムのあいだには、太陽や地球。月、人工衛星。電離層。成層圏。対流圏といった、どちらかと言えば宇宙的な意味での空間しか存在せず、そこに、通信の確かさを保証する、人為的な何ものも、存在してはいないのです。

つまり、アマチュア無線は、自然任せの、ある意味で原始的な側面を持つ通信です。たとえば地球上で1万キロ離れてしまえば、普通は、声も電波も届かない。携帯が、確立された中継手段を用いることによって、隣の人と話しているのと同じ状態を、たとえ1万キロ離れていても今確かに実現し、着メロと楽しい会話を届けてくれるのとは対照的に、ハムの通信では、通信できないのが普通であり、好ましい伝搬条件の到来や、伝搬の壁を打ち破る、有効な新方式や新システムがない限り、ハムは、ただひたすら雑音を聞いて、<時>を待つしかありません。

ハムの通信は、自力と幸運によって成り立っている通信です。たとえば、1時間前は雑音でも、今は、ヨーロッパ勢がわいわい聞こえます。

だから、おもしろい。無線機の前でさっきまで、雑音を聞きながらパソコンでなにやらゴソゴソやっていた人が、突然大声を出しはじめ、なにやらわからん外国語混じりの業界用語を、やけに楽しげに叫び出す。ハムのこんな姿を見た人は、きっとアマチュア無線を、ひどく陰気で、凶暴な趣味だと思うに違いありません。

がしかし、たとえば釣り。たとえば職人技のパチンコ。そんなものにたとえられるとしても、なおハムは、科学を基礎にした遊びです。観察し、学習し、実験し、システムを工夫する。そのおもしろさがアマチュア無線の基礎であり、まさか、携帯を使ったからといって、その人に、そのような考えが起こるはずがありません。これで世界と交信。アンテナとタワー。

さて、どうしょうかと思います。古くなったこのラジオ。

高1中2。4バンド(コイルパック・トリオKR-42C使用。BCバンド。3.5〜29.5MHZ3バンド分割) 3連2セクション・バリコン。集中型IFT(トリオT-11×2)。Sメーター。Qマルチプライヤー。オーディオ・フィルターほか・・・。

かつて、高校1年の時、弁論大会でアマチュア無線の話しをしました。「将来は立派なアンテナを立てて、世界のハムと交信したい。」

はたして、その夢は現実のものとなったわけですが、しかし、夢を切り開いてくれたその時のラジオは、今や重くかさばるばかりの化石的存在で、そのままではどうにも使いようがありません。

どうにか息を吹き返してやりたい。『たとえば、トランジスター化して、コイル・パックを中心にした小型機にし、マスコット的にデスクに置いて、BCLラジオとして普段に楽しむ。(これも短波放送が続くあいだだけ。)そして、骨董的な真空管式無線機という特性は、モノ・バンド機で実現し、2.5ワット程度の真空管式送信機と組み合わせて、実用に耐えるTOYマシン・セットを作る。』など考えてみるわけですが、なんにしても、これには資金と時間が必要で、当分は叶いそうになく、弁論大会ではないですが、「将来は・・・・。」実現したい夢の一つになりそうです。

「まあ、いいか。急いでも仕方ない。」マリオ54歳。少し年をとって、悩み多きこのごろです。

2003年8月7日 マリオ 

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