提出済みレポート。
(多少オリジナルとは変えています)

フォトジャーナリズムとアート写真 (六枚中一枚目)

0 前章 対話のために

 報道写真というものを考えるとき、その性質をいわゆるアートとしての写真と比べてみることが有効なのではないだろうか。
 報道写真に許される作為性は、アート写真を含む一般的な写真にゆるされる作為性と、自ずから大きく違ってくるのではないか、という議論はしばしば行われている。確かにそれは一つの議題となりうるであろう。自分自身もしばらくその題について思案をめぐらせていた時期もあった。
 しかしその後、その議論に含まれる、いわゆる「やらせ写真」の問題も含め、様々な面からphoto journarismeというものを考え直してみると、まずその根本的な定義自体が曖昧である事に気付いた。今回、提案したい問題は、果たして報道写真とアートとしての写真との間にはっきりとした違いがあるのか、ということである。言い方を変えると、厳密な意味での(すなわち、アートから完全に隔離された)photo journarismeは存在しうるのか、という問題である。一般に、アートとしての写真とphoto journarismeは分離して考えられる傾向にあるが、その考え方は本当に的を得ているのであろうか。
 一般にまかり通っているPhoto journarismeの定義そのものに疑問を投げかけるという試みをしてみたいと思う。

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