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クンドゥン / Kundun

Martin Scorsese

1997 USA 128 Min. 劇映画

出演者

Tenzin Thuthob Tsarong
(ダライ・ラマ14世、青年)

Gyurme Tethong
(Dalai Lama 、10才)

Tulku Jamyang Kunga Tenzin
(Dalai Lama、5才)

Tenzin Yeshi Paichang
(農家の息子ラモ・トゥンドゥプ、後のダライ・ラマ14世、2才)

Tencho Gyalpo
(ダライ・ラマの母親)

Tsewang Migyur Khangsar
(ダライ・ラマの父親)

Geshi Yeshi Gyatso
(ラマ僧)

Sonam Phuntsok
(Reting Rimpoche、13世死後の摂政、14世を見つけ教育する任も負う)

Gyatso Lukhang
(チェンバレン卿)

Jigme Tsarong
(Taktra Rimpoche)

Tenzin Trinley
(Ling Rimpoche)

Robert Lin
(毛沢東)

Melissa Mathison

見た時期:2003年6月

ストーリーの説明あり

・・・ですが、伝記なので、もう話を知っている方もおられるでしょう。

この世代の平均的日本人と同じでおよそ宗教的な人間ではありません。ですからドイツ人がグルだ、ブダだ言っていた80年代、90年代にもそういうのは横目で見てやり過ごしてきました。アホな事やっていると思ったこともあります。ドイツに来たはじめの頃は飲み屋にビールを飲みに行くと、友達に「キミの哲学は何」と聞かれたものですが、やがて「仏教ではこういうのはどういう風に解釈するのか」など宗教的な事を聞かれることが増え、哲学は間もなく退場しました。

哲学もさっぱり分かりませんが、宗教も苦手な私、まともな事を答えられるはずもありません。七五三には神社に行き、正月は寺でも神社でも近い方に行き、旅行中はお寺に泊めてもらい、キリスト教の身内は神社で結婚式を挙げ、キリスト教でない身内は教会で式を挙げるような国から来ているのです。唯一マジな関心が「葬式は寺が1番しっくりする」というぐらいの程度。およそ信心深いとは言えません。

宗教に対する考え方はドイツ人の方が几帳面で、いくつもの宗教をごちゃ混ぜにしたりはしません。敢えて言うなら、キリスト教がドイツに入って来る前、日本で言うなら土着の神道のような多神教のお祭り、習慣がキリスト教にクリスマスなどという形で取り入れられたことぐらいですが、それも随分前の話で、教会に行っている人はクリスマスが異教徒の祭りだなどという感覚は持っていません。

過去20年の間ドイツにはエキゾチックな宗教ブームのようなものがあり、ビートルズの後を追ってインドや中国、チベットなどの方向を向いた人が多かったです。町を歩けばハリクリシュナの赤装束に出会ったり(先週の土曜日また目抜き通りで行列がありました)、表通りで時々催されるお祭りにはインドの物ということになっている線香や数珠を売っていたり、といったレベルから、上はチベットの代表ダライ・ラマを尊敬する有名人が現われたり、仏教徒になってみたりする人も現われました。

ヒンズー教と仏教が違うものだというだけでなく、仏教の中には大きく分けても北の方の仏教と南の方の仏教があり、また国が違うとかなり内容も違います。国教に近いステータスを持っている国もあれば、日本のように自由参加、それも用がある時だけ、お寺の経営は住職さんが知恵を絞って何とかするという国もあります。かと思えば宗教は麻薬だと言ってご法度になっている国もあります。

そんな程度の、昔学校で習った程度の認識でドイツへ来たのです。ドイツ人が目を輝かせマジで「仏教の人はどう考えるのか」などと無宗教の私をまるで仏教大使のように扱って質問した時は戸惑って「いえ、私は全然・・・」と答えることが多かったです。

少し本題に近づきますが、マルチン・スコシージという人は ロバート・デ・ニーロとウマの合うイタリア系の監督だという認識でこれまで映画を見ていました。デ・ニーロとスコシージが組むと、見ごたえのある映画ができます。このスコシージという人は多才で、マフィア映画ばかり作っているのではなかったのですが、うたむらさんの質問を見るまでそういった他の方面にはあまり気づいていませんでした。宗教に対する認識の少なさに加え、スコシージに関しても認識不足でした。

ですからクンドゥンを見た時、最初からスコシージだと分かっていたにも関わらずびっくり。リドリー・スコットがサンダル映画グラディエーターを作ったり、ハリウッドは時々監督に変な仕事を与えます。しかしクンドゥンの出来上がりはかなりなもの。この人こういう事もできるのかと呆気に取られました。どうやら種は脚本にあったらしく、ハリソン・フォードの元夫人メリッサ・マティソンが気合を入れて書いたようです。

成功の秘訣は有名俳優を使わず、アジア人だけを使った点と、セットの完璧さでしょう。筋は現ダライ・ラマの子供時代から、ティーンの頃、インドへの亡命までの実話。今はやりのグル的な扱いでなく、生真面目に人間ダライ・ラマを描いています。チベットという国ではダライ・ラマは宗教の長であるだけでなく、政治にも大きな力があり、戦前の皇室とちょっと共通する点もあります。しかし国民は当時の日本よりずっと信心深く、ダライ・ラマは現人仏と言って良く、世代交代の方法、ダライ・ラマに選ばれた人の教育なども日本とはまた違うようです。(仏という言葉には色々意味があって、分かりにくいですが、ここでは霊妙、並の人間では到達できないほど優れているということです。)そういうチベットの事情が良く分かるようにできていて、128分でその国の事情、歴史が勉強できるような作りになっています。スコシージの功績はその勉強の部分が押し付けがましくないところでしょう。

宗教の長で、いわゆる王様でないところは世襲をしないという点ではっきりします。日本は世襲で、この点が違いますが、関係者が内輪で後継者を選ぶローマ法王ともまた違います。前の代のダライ・ラマが亡くなるにあたり、次のダライ・ラマ探しが始まるのです。49日の法要というのがありますが、死後49日以内に再び生まれ変わると信じられています。それで宗教界のトップが全国を行脚し、次のダライ・ラマにふさわしい子供を見つけ出して来て、お寺に引き取り、集中教育を行います。ですから普通の農家の次男坊が選ばれることがあり、この辺非常に民主的だったりします。選ばれてしまったらその後は大変です。家族は子供をお寺に差し出さなければならず、小さい子供を絶対的な上の存在として敬わなければなりません。面会は可能なようですが、小さな坊やには四六時中両親とは違うお目付け役がつき、いろいろな事を学びます。このあたりの様子が映画では詳しく描写されていました。13世が亡くなったのは1933年、14世が生まれたのは1935年、2才ちょっとで摂政に発見されています。49日という期限からは少し外れていますが、ダライ・ラマとしての条件を全て満たしていたそうです。

映画はそういう事にかなりの時間を割いた後、政治問題に移って行きます。変わらざるを得ない事情が中国の方からやって来ます。チベットは独立国家だったのですが、ある日中国に国土を掠め取られてしまいます。チベット人は平和で、軍備もあまり整っていなかったため、あっという間に赤子の手をひねるように簡単に乗っ取られてしまいます。中国がチベットを中国の省の1つだと宣言してからもダライ・ラマは国民を見捨てることができず、暫くチベットに残り、北京へ出かけたりします。が、結局1959年軍が侵攻し、ダライ・ラマは最終選択を迫られ、生き残らなければ何もできないということでインドへ亡命します。映画はここまでです。

チベットの事情はその後も良くならず、インド、中国、アメリカの思惑で利用されたり放り出されたり。暫くインドと中国が張り合っていたため亡命チベット人はインドで保護されていましたが、最近その事情も変わり、亡命を希望するチベット人が中国へ送還されるなどという事も起きています。映画ができた後の6年の間にも政治は激変しています。

ダライ・ラマはアメリカの映画界にも進出しています。有名俳優などにもダライ・ラマと親交を持つ人がいたりして、PR 作戦はある程度成功しています。ダライ・ラマは非暴力主義なため、武力でなく、政治、PR などで国を取り戻したいと考え、それを実行していたようです。ドイツの上層部とも親交があり、暴力は避け続けています。最近はチベットを独立させるという言い方でなく、大幅な自治を認めた場合中国と事を構える意思はないという言い方に傾いているようです。しかしネパール事情とも絡んで、事はそう簡単ではないように見えます。(後記: その後の中国は相変わらず全然譲る気がないようで、その上ネパールにもちょっかいを出しているようです。)

後記の後記: 話はさらに進んで、現ダライ・ラマは政治の世界から足を洗いました。

ドイツでは多少生臭い話も聞こえて来るので、ダライ・ラマという人物をどういう風に受け取っていいのか戸惑うこともあります。日本からも後で未曾有の大きな問題を起こした団体から巨額のお布施を貰っていたりするので、こういった行動をどう解釈したらいいのか迷います。スコシージの映画はまだ若い青年ダライ・ラマだけを描いています。先月、今月とベルリンの地下鉄の駅やバス停にはダライ・ラマの大きな写真が出ています。インドに亡命したのが1959年。 この年にダライ・ラマは6歳から始まった僧侶としての修行や仏教哲学の学業を終え、博士号を取っています。ところが同じ年に中国軍が侵攻したため、インドへ亡命。波乱の年でした。その頃の映画シーンのダライ・ラマとは全然違う感じです。所々で言われている言葉を信じるなら、この人は自分を王、法王、君主、国家元首などという風にはとらえておらず、ただの男、職務は僧侶と考えているようです。そして僧侶だから自分の幸せではなく、人の幸せを考える、僧侶だから手段として武力は使わない、といった原則的な考え方をする人のようです。偉い仏だという言い方をするより偉い男、偉い僧侶だといった言い方の方がいいのでしょうか。日本にずっと住んでいると亡命とか祖国が無いというのがどういうことか全然理解できずに過ごしたと思いますが、ベルリンに来てから20年あまり、昨日まであった国が急に戦争になり、隣の知り合いが敵になってしまったなどという話を身近で聞きます。国はあるけれど政権と対立しているから30年もドイツに住んでいて帰れないなどという人も近所に住んでいたりします。ダライ・ラマももう40年以上亡命しています。

1989年ノーベル平和賞まで貰った人ですが、故郷に帰れない、故郷にいる人のためにダライ・ラマとして何もしてあげられないというのは僧侶としては苦しいことだと思います。今時非暴力というのは現実的でないという考え方もありますが、逆に非暴力の国だから独立させてておいても中国を攻めて来ることはないという考え方も成り立つわけです。チベット人は静かに放っておいてもらいたいだけなのではないでしょうか。

参考になりそうな作品: ザ・カップ 夢のアンテナ、ブータン映画

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