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アラン・パーカーに物言い − 
ライフ・オブ・デビッド・ゲイル /
The Life of David Gale /
Das Leben des David Gale

Alan Parker

2003 USA 130 Min. 劇映画

見た時期:2003年前8月

要注意: このページだけですとネタはばれませんが、深みにはまるとネタばれあり!

近年珍しくできのいいミステリー・クラブ向きのプロットなので、筋は別なページに書きます。先に筋を読んでしまうとおもしろさがゼロになってしまいます。見る暇がないと諦めている人や、この手の映画を見る気はないという人はこの先読んでもかまいませんが、この作品を見る予定にしている人には退散をお薦めします。このページでは文句たらたら書きますが本筋はばらしません。目次へ。映画のリストへ。

やたらおもしろい筋を今すぐ知りたい人はこちら

アラン・パーカーはザ・コミットメンツなどというおもしろい作品を作ったり、エヴィータなどというミュージカルを撮ったりもするのですが、時々問題ありの作品も作るようです。「こういう身勝手な考え方ってあるだろうか」と思ってしまったのがミッドナイト・エクスプレス。この類の映画は時々あるのですが、「ドラッグを生産するのはけしからん、きつく取り締まれ」と大国でない国に強く要求して、政治の取引の条件にしたりする一方で、その国が本当にドラッグ犯罪者を厳しく取り締まるようになり、たまたま欧米の大国出身の運び屋がつかまったりすると、すぐ「釈放せい」と言い出し、それがだめとなるとその国を悪く見せるような映画を作ったりすることがあります。一種のいじめではないかと思うような時もあります。ドイツではまだそういう事件が起きた時には、あからさまな圧力をかけるのではなく、政治家がお願いに行って引き取り、ドイツの刑務所に移すぐらい。(誰が悪いかちゃんと分かっているのでしょうか)相手の国を批判するような映画を作ったりはしませんが、相手側の国の刑務所は自国民には耐えがたいという認識はあるようです。

今回問題ありだと思ったのは、死刑反対というマジなテーマを使ってできのいい推理物を撮った結果、死刑反対についての意見がプロットの鮮やかさにお株を奪われてカーブしてしまうことです。欧米にはこの作品に出るような究極の死刑反対運動家がいるようです。日本では国民の間にコンセンサスがあって、あまりにもひどい事件を起こした場合に備え一応死刑という制度を取っておくという考え方が一般的なようです。ドイツでは割に反対論者が多く、欧州では廃止されている国が多いです。私見ですが人口が減っていることに関係があるのかも知れません。まだ騎士だの、侯国だのという制度もしっかりしていない中世の頃、過疎の地域では死刑などという贅沢ができない状態で、殺人、過失致死などという事件を起こしてしまった人は追放の刑になったという時代がありました。

またキリスト教の国では、人間が神でもないのに人を裁いて命を取っていいものかという考え方もあるようです。私は宗教的な人間ではないので、あまりにひどい事をした人に対しては死刑という言わば脅かしを社会の規則の中に組み込んでおいて、実行する時は用心深くという考え方も理解できるのですが。そして冤罪、誤認という事が十分あり得るので、捜査、検査、検討にはたくさん時間をかける・・・DNAなど新しい技術が現われたら、明日死刑という人でも一応ストップして検査してみる等というのが普通の考え方でしょう。日本にもまだまだ直さなければ行けない部分は多々あるでしょうが、作品の舞台となったアメリカの州よりはましに見えます。アメリカからは無実だと判明した人でも手続きが遅れたから死刑、ドイツ人の2人の囚人などはアメリカ側が手続きの法律を守っていなかったのに死刑といった話が聞こえて来ます。

死刑を完全に廃止した場合、じゃ重犯罪者をどうしたらいいのか、一生国が食べさせてやるのかという考え方も政治家にはあるのかも知れません。政治、社会制度が上手く行っていない時には犯罪者の数も増えます。その結果安易に死刑論に走ってしまうのかも知れません。これは多面的で奥深い問題なのでそう簡単に結論が出るわけはありません。

死刑全面廃止の国から来たアラン・パーカーがそういう層の厚い問題を扱って問題化するというのならいいのですが、ライフ・オブ・デビッド・ゲイルではどうもそういう風には思えなかったのです。見事なプロットで何度かうっちゃりをかます、そのたびにもう事件は解決かと思わせる腕は大したものですが、この結末を見て観客が死刑廃止を唱えるようになるとちょっと方向違いのように思えるのです。上手にすり替えられてしまいます。

そして事件が起こる前にもう1つ事件があるのですが、そちらに関しても物言い。ゲイルが死刑判決を受ける直接の理由は殺人事件。しかしその前に殺人の裁判で彼を不利にするような事件が起きています。彼は大学教授で、若い魅力的な女学生から誘惑されます。彼女は勉強をせず色仕掛けで試験に合格しようと試み、彼は断わっています。するとパーティーでセックスを持ちかけ、その直後にレイプで訴えています。そのためゲイルは休職。

このあたり映画では当然といった感じで筋が流れて行くのですが、アジアから来た私はここですでに引っかかってしまうのです。欧米ではレイプ事件が起きた場合、必ずと言っていいほど女性が誘惑したという論調が出て、被害者が裁判に負けてしまうこともあります。被告側の弁護士が原告の女性がセックス目的で近づいて来たとか、誘惑したとか、相手があまりにも美しかったので被告は我を忘れてしまった(だから許されるべきだ)といった話に持って行くのです。そして男性一般も女性というのは常に自分とセックスしたがっているものだと思いたがる傾向があります。要するに女性が積極的で男性が消極的な立場だと主張するのです。

中学だか高校だかで男性の教師に授業中逆の事を言われたことがあります。「日本の社会では男性が優位に立っている。優位に立って権力を持っている者は下の人間よりもっと規律を守る強さを持っていなければ行けない。たとえ女性に誘惑されても断わるだけの強さが必要だ」と言ったのです。何か乙姫様のような妖艶な女性が出て来る文学だか歴史だかの授業中だったように思います。

この話を聞いた時は単に「なるほどそういうものなのか」と思っただけなのですが、欧米でこれとは反対の論がまかり通っているのを見て驚いたことを覚えています。というのは日本では当時女性が周囲に説得されて泣き寝入りすることが多く、意を決して訴えた場合、男性が刑を受けるのがほとんどだったからです。そして男性の側にも「お前男のくせにそういういう事をするとはけしからん(=ちゃんと我慢できなかったお前が悪い)」といった見方がありました。そして家族の反対まで押し切って告訴する女性がいんちきを言っているケースというのはほとんどありませんでした。最近は時代も変わり、冤罪というのもあるようですが、このアジア的な考え方はもしかしたら儒教に基づいているのかも知れません。男尊女卑で女性は不利な立場にいる代わりに、上に立っている男性は社会の手本とならなければ行けないみたいな考え方が背後にあるのでしょう。

欧米では男性は女性を「レディー・ファースト」などと言っておだてていますが、実際は女性解放運動が進んだ現在でも男女平等とは程遠い状態です。リップ・サービスばかりが発達したと言っていいでしょう。失業が増えると最初にうちに戻されるのは女性、多少手伝う男性が出たとはいえ家事・育児の負担は現在でも女性中心。マネージャー・クラスの地位についている女性はまだ少なく、国会議員の数も日本よりは多いかも知れませんが、50%には至っていません。スカンジナビアとオランダは多少良い状態ですが。

ですからそういう現実を見ると却って東洋のように現在は男が上だという事実を認めてしまって、その代わり男は社会の手本になるような暮らし方をするという風に割り切った方が早いのではないかと思うことがあります。そして、女性が進出するたびにその人にも同じ規律を要求する。女性の進出が進んで行くと結局は「男女に関係なく上に立つ者は社会の手本になるような暮らし方をする」という風になって行く・・・。どこかの何百万とういう住民を代表する知事が車の中で女性に悪さをするなどという事はあり得ない、どこかの党首が議員の起こした問題でトンズラというのもだめというような風潮が必要です。

といったわけでかなり古い儒教的な考え方を持っていたので、アラン・パーカーが話の前半でゲイルを誘惑する女性を登場させた時は「またか」と思いました。そして離婚を要求しスペインへ発った夫人を冷たい女性として描き、子供に会えないためにゲイルは絶望して・・・という展開にも物言い。この辺はプロットに関係があり、動機作りをしているので仕方ありませんが、そういう形で観客に伝わって来るメッセージには夫人側の立場への理解が欠けています。

彼女が結婚したゲイルは女たらしではなく、子供のいい手本になる父親のはずでした。それがこのスキャンダル。小さい子供がジャーナリストの餌食になっては行けないし、これまでの家庭的ないいイメージをまだ10才ぐらいの子供から奪っては行けないというのが彼女の側の言い分でしょう。それで記者が追って来ないスペインへ避難した。そしてレイプでなくてもよその女性と関係を持ったという事は夫人にとっては裏切り行為に映るわけです。その辺の事情はゲイルの側からしか描写されていません。

アラン・パーカーはザ・コミットメンツを撮っている最中も女性出演者をやたら持ち上げて、男性はシャイだと解説していますが、そうやって責任を自分以外の人間に横滑りさせているという印象を受けました。相手の責任を要求するのはかまいませんが、自分の責任の方もきっちりして・・・と思ってしまいます。結局はこの問題は男女ではなく、上下の問題になるわけですが。

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