テレビのページ

Jon Provost

副題: 名犬ラッシー

1950 Los Angeles/Cal., USA


Lassie

1954から1974年中1958年から1964年

1958年−1964年の主な出演者

Lassie
(ラッシー)

Jon Provost
(Timmy Martin)

Hugh Reilly
(Paul Martin - ティミーの父親)

June Lockhart
(Ruth Martin - ティミーの母親)

George Chandler
(ピートリーおじさん)

Florence Lake
(Jennie)

Arthur Space
(ウィーヴァーさん)

Andy Clyde
(Cully Wilson)

見た時期:放映期間の途中から最終回まで

《あの人は今》などというコラムが時々雑誌にありますが、ドイツもご同様。そういう記事を載せている雑誌があります。たいていはドイツ人、欧州の人などが扱われていますが、時にはハリウッド・スターも登場します。珍しい人が目に飛び込んで来たのでご紹介します。

子供の頃に見た映画やテレビでは出演者の名前で記憶せず、役名で記憶している場合が多いです。私の家はテレビを買ったのが比較的遅く、その上毎日の生活はテレビ中心でなかったので、見る番組は限られていました。まだ家族揃って見たりする時代です。

そんな時期に見ていた作品の1つが名犬ラッシー。俳優の顔は今でも良く覚えていますが、俳優の名前はまだ全然頭に入って来ませんでした。あの時のティミー少年が雑誌に載っていたのです。

★ ラッシー・ファミリー

今では年も取り、ティミーおじさんですが、意外と若く、まだ54歳。当時の日本は必ずしもできたてのハリウッド映画がアメリカ公開と同時に入って来る時代ではなかったので、私はテレビも日本は遅れているのだと思っていました。ですからティミー坊やも自分よりずっと年を取っているのだと思っていたら、ちょっとしか違いませんでした。番組自体は1954年から1974年に制作され、ティミー坊やは1958年から1964年までの間出演していました。ティミーのお母さんは2人いますが、ジョン・プロヴォーストと一緒に出演していたジューン・ロックハートは2代目です。お父さんのポール・マーティンをやっていたのはヒュー・ライリー(死亡)で、親子3人、全く同じ期間出演しています。

他に記憶に残っているのはウィーヴァーさん(アーサー・スペース、死亡)やピートリーおじさん(ジョージ・チャンドラー、死亡)。おもしろいことにプロヴォーストと、その前のトミー・レッティング(死亡)はともに身長が163センチ。ティミーやジェフの役をやっている間は子供ですが、やめてからもあまり背が伸びなかったようです。死亡した人が多いですが、ジェフ役のトミー・レッティング以外は高齢で死亡。チャンドラーなどは前々世紀の生まれですから今生きていたら奇跡。

★ 14歳までに上り詰めた - 出会った有名人

私がなぜプロヴォーストに注目したかというと、うまく大人になったからです。名子役というのは大人の有名俳優になるのも難しいですが、それだけでなく、普通の大人になるのも難しいらしく、大変なことになった人の名前を挙げる方が簡単です。せっかく何とか大女優になったかと思えば、演技でなく妙な事で話題になってばかりという人も時々います。それに比べプロヴォーストはなんと普通の大人になったことでしょう。私は偉く感銘を受けました。

本人の言によると、初舞台は3歳頃。両親は芸能人ではなく、単に当時有名だった女優のファンだったのだそうです。ある日新聞広告にその女優の共演者、ブロンドの少年募集とあったので200人ほどの候補者の1人として応募したのだそうです。それがうまく行き、女優と共演。その後ラッシーの主演の話が舞い込んだのだそうです。御年7歳。俳優だった頃の共演者にはロナルド・リーガン夫人のジェーン・ワイマン、ビング・クロスビー、アニタ・エクバーグ、今年またオスカーを2つも取っただけでなく、出演者2人にも取らせたクリント・イーストウッドなどという捨て置けない名前がぞろぞろ。ドイツのインタビューではカート・ラッセル、ナタリー・ウッド、ロバート・レッドフォードの名前も挙がっています。

★ 普通の人になれた

ティミーの役はプロヴォーストが14歳になるまで続き、さらに契約更新の話があったのですが、犬より女の子を追いかけている方がいいということで断わっています。それでマーティン家はオーストラリアへ移住したということにして番組は終了。その後も1970年頃まであちらこちらに出演し、その後映画界からは消えています。

干されたのではなく、大学に入ったからです。卒業後暫くして友人の薦めで普通のビジネスに入り、その後はずっとそれで暮らしています。1度新ラッシーというのに出演していますが、その前もその後もビジネスで生計を立てています。長い間結婚していた女性との間には2人子供がいて、その後別れ、大分してから再婚、現在に至っています。この普通さが芸能人スターとしては珍しいような印象を受けます。

両親が普通の人だったのでしょうか、小学校時代のほとんど全部をティミー坊やとして過ごしたにも関わらず、しかも大スターだったにも関わらず、普通の生活を選び、ハリウッドを去ることに成功した珍しい人です。未成年だったので仕事中は母親が付き添い、恐らくはハリウッドによくある家庭教師の元で、義務教育を受けていたのでしょう。エリザベス・テイラーにも、マイケル・ジャクソンにもドリュー・バリモアにもならずに済んだプロヴォースト氏。尊敬してしまいます。

この後どこへいきますか?     次の記事へ     前の記事へ     目次     映画のリスト     映画以外の話題     暴走機関車映画の表紙     暴走機関車のホームページ