奇術のページ

謎の奇術師イゴール・イェドリン

Ca. 120 Min. 舞台

出演者

Igor Jedlin

鳩1

鳩2

見た時期:2008年12月

とまあ、フィクションのイリュージョニストの話をした後で、今日は普段と違う話をしましょう。今月マジックを見に行ったのですが、その時に見た劇場にえらく感心したので、その話を。

先ほどご紹介した幻影師アイゼンハイムは常設の劇場を持っていましたが、ベルリンにそういう奇術師がいるという話です。

「謎の」などと書きましたが、単にこの人物の来歴がはっきり分からないからで、深い意味はありません。出演中の本人の話ですとソビエトの国立のサーカスかマジックの機関に属していたことがあるようです。恐らくは若い時に国の職業訓練を受け、試験に通って認定されたのでしょう。ボリショイ・バレーやボリショイ・サーカスのような所に属している人と同じかなと考えているところです。東ドイツもそうでしたが、芸能関係の仕事をする人はきっちり国の学校に行き、みっちり訓練を受け(恐らく理論の授業も)、その後試験を受けて世に羽ばたくのでしょう。東ではロック・バンドでもきちんとクラシックの訓練を受けています。西側のような自由業風なシステムではなく、きちんと免許を貰った芸人は国がちゃんと働く場所の世話もしてくれていたようです。このあたりは推測の域を出ませんが、イェドリン氏も免許の類はきっちりしているようです。

ベルリンに来てからは25年ほど活躍しているようです。それは所々に出ていました。ということは壁が開く前から西側に出ているということです。亡命でもしたのかも知れませんが、そのあたりはさっぱり分かりません。東には元から国に認められて海外で活躍する人もいました。ジャーナリストや外交官もそうですが、サーカスやバレーの人も結構出ています。ただ、西ベルリンに定住していたとなると当然ながら亡命した可能性もあります。知り合いには大変な目に遭って西に出た人もいます。イェドリン氏の事情は分かりませんでした。

かなりの高齢、小柄で、一頃のジーン・ワイルダーに似た顔の人物。ドイツ語は達者で、ショーはドイツ語で行います。後で覚えたのかも知れませんが、所々にイディッシュ語によく出る言葉が挟まるのでロシアの少数派でイディッシュ語を話すコミュニティーに属していたのかも知れません。ベルリンでは一応名の通った人で、観光ガイドなどにも載るようです。

会場は Zaubertheater といい、直訳するとマジック・シアター、奇術劇場です。急に招待され出かけて行ったのですが、私は最初このマジック・シアターというのは催し物の呼び名だと思っていました。行ってみると、本当に劇場でした。どうやらイゴール・イェドリン氏の所有のようです。経営はイェドリン氏と夫人でやっているらしく、ご主人が舞台、夫人が後ろにあるバーと入り口の入場券の世話をしているようです。


¦——————¦————————————————¦———————————
¦ 舞   ¦                ¦
¦      ¦客席            ¦    ______入り口
¦      ¦                ¦    ⁄       ¦
¦ 台   ¦                ¦    ¦バー   ¦  道路
¦——————¦————————————————¦    ¦       ¦

この図はブラウザーによって多少ズレが出るかも知れません。簡単に言うと、正面が舞台、その後ろが映画館のような客席、後ろ正面半分がバーです。バーの反対側が切符売り場で、外が見えます。

大まかな見取り図はこういう感じですが、舞台はいくらか丸くなっています。客席は中央に通路があり左右に4つ、5つの座席が並んでいます。全体で90人ほど入るそうです。

劇場があるのは西ベルリンの目抜き通りのちょっとはずれで、観光客が来るのに良い立地条件。井上さんが滞在した古いベルリンの住居を使ったホテルがありますが(幻影師アイゼンハイムにもああいう感じの住居が主人公の家として登場)、そこから少し西に行った所です。徒歩でもそれほど長くかかりません。そこに小さな劇場を構えています。世界を70カ国前後訪ね歩いた人の晩年としてはとても恵まれた環境です。稼いだお金を無駄に使わず、人生設計をしたのでしょうか。

カパーフィールドやジークフリード&ロイのように大掛かりなイリュージョニストやサーカスショーの所有者になってしまうと、引き際が難しくなることもあります。ちょうど今のように金融クラッシュが起き、一般市民が最初に節約するのがエンターテイメント部門という時代に入ってしまうと、恐ろしくお金のかかるショーを続けることは無理。若い時は世界中を回っていても、60を過ぎるとやはりきついです。イェドリン氏はそのあたりをよく考えたのでしょうか。

昔の栄光にかじりついて晩年を送るというのはみっともないでしょう。しかし小奇麗な自分の劇場を持ち、そこに1つ大きな絵がかかっていて、それが若い頃の自分となると、別な効果が生まれます。今私たちが見ている老人がかつてはこういう奇術師だったのだと分かり、いくらか尊敬の念がわいて来ます。派手な生活でない、余計な見栄を張らないという賢明さも、劇場の作りからよく見えます。人にバカにされないような、しかし必要以上の名声を求めない、ちょうどいい所を狙っています。

劇場には90人ちょっと入れ、後ろにバーがあります。そこで飲み物を注文し、席につくと始まり始まり。午後8時が成人用で、昼間は子供劇場もやるそうです。成人用だからと言って特別なわけではなく、マギー審司系の奇術です。見せられるマジックはマギー系の非常にオーソドックスなネタで、特に新味はありません。おしゃべりはマギー系の人たちの方がとぼけていておもしろいです。マギーの2人に来てもらって演じてもらいたいと思うような素敵な舞台です。

そして時たま観客を巻き込みます。私は前の端に座っていて、巻き込まれまいと努力していたのですが、巻き込まれてしまいました。ショーが終わった後アンコールがあって、その時にカモにされてしまいました。非常に単純な奇術なのですが、そして種の見当もつくのですが、それでもばれないのです。小さなノートから取ったような紙を漏斗のように巻いて、そこに絹のハンカチを押し込みます。ふと気付くとハンカチが消えています。当然片方の手に隠しているのでしょう。そうに決まっています。しかし今までふわふわとその辺にあった真っ赤な(目立つ色の)ハンカチが白い紙の漏斗に押し込まれているうちに消えてしまい、両手は空のように見えます。要は手際がいいのでしょう。

アンコールになる前の手品ではチラッとボールを隠しているらしいところが見えたり、いくら注いでも水が出て来る壺が二重底になっているらしいことが見えたりしました。私の予想が外れているのかも知れませんし、老奇術師の実力が衰えているのかも知れません。しかしそんな事はどうでもいいのです。感じのいい劇場で、ビール・グラスを片手に夜の一時をゆったり楽しめばいいのです。こういう劇場を持ったイェドリン氏は幸せだなあと思いました。ざこば師匠が最近自分の寄席を作りましたが、師匠も同じ事を考えたのでしょうか。

ちなみにイェドリン氏のファースト・ネームがイゴールなのかアイゴールなのかを聞く勇気は私にはありませんでした。(ヤング・フランケン)

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