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2011 USA 138 Min. 劇映画
出演者
Brad Pitt
(O'Brien - 発明家、工場長)
Sean Penn
(Jack - オブライエンの長男)
Hunter McCracken
(Jack O'Brien - オブライエンの長男、少年時代)
Laramie Eppler
(R.L. O'Brien - オブライエンの次男)
Tye Sheridan
(Steve O'Brien - オブライエンの三男)
Jessica Chastain
(オブライエンの妻)
Fiona Shaw
(子供たちの祖母)
Joanna Going
(ジャックの妻)
Zach Irsik
(ジャックの息子)
見た時期:2011年6月
★ 一流どころを揃えて・・・
監督が一流と思われているテレンス・マリック、スタッフもキャストも一流、ブラッド・ピットの所有する会社が深く首を突っ込んでいる作品で、カンヌ映画祭ではパルムドール受賞の作品なのですが、ベルリンの公開初日、映画館はまず満員になった後、前半で退席者続出、後半でも退席者が出た上、後半の後半では失笑も。
私もあまりのことにわざわざ足を運んだことを後悔しました。久しぶりにただ券に当たったのですが、この懸賞はいつもその時トップの作品を出して来ます。確かにカンヌで最高の賞を取っているし、主演がブラッド・ピットとショーン・ペンという現在考えられる最高の人たちなので、懸賞に出した側もそれなりの意気込みはあったのだと思います。
私にこういう作品を理解する繊細さが欠けているのかも知れないという前提でご紹介しますが(とは言っても、私は2001年宇宙の旅を見た時には大感激して、その後何度も見てしまいましたから多少は繊細さも持っているつもりでしたが)、これまでベルリン映画祭を始め有名、無名の映画祭にも顔を出し、結構色々な実験映画も見て来た者としては、これが一流監督の作品かと唖然。
★ 私映画
私自身の好みではないのですが、私小説というジャンルが確立しています。映画にも私映画と名付けていいような作品があります。監督か脚本家が自分の主観に基づいて作った作品で、自分の生い立ち、体験、私的な考え方などを作品の背骨にして作り上げる作品です。創作の世界ですから時々そういう作品があっても全く構いません。
また、実験映画という分野もあります。商業的な利益を考えず、映画というメディアを使って、自分の好奇心、興味を満たすために新しい手法や、商業映画では使わない手法を使って何かを表現する作品です。ドイツは比較的そういう方面にも力を入れている国で、映画学校の学生や、非商業映画系の映画祭などで見ることができます。一定数の観客もそういう機会に足を運びます。
ですからテレンス・マリックという有名な監督が「今回は私映画を作ってやろう」とか、「実験映画をやって見よう」と思い立ち、たまたま監督が既に名を成していたため超有名な俳優が協力する気になったとしても何ら不思議はありません。さらに監督がかなり前からぼんやりとこういう企画を温めていたと聞くと、「たまにはそういうの作ってもいいよ」と言いたくもなります。
驚いたのはその結果と世間の反応です。あれだけの観客が初日の上映の途中で逃げ出したのを見ると、私の感想もそれほど的を外していなかったのだと思います。前半の前半に主人公の家族が紹介され、冒頭に大事な息子を1人戦争で失ったため、家族が悲しみに暮れているシーンがあります。
その後延々とそこに至るまでの家族の生活が描かれます。父親の性格、母親の性格、兄弟関係と住んでいる地域の自然、環境が続きます。前半の後半(とは言っても半分ずつではなく、後半の方がやたら長く感じます。観客が逃げ出したのもここから)妙なイメージ画面が延々と続きます。使われているのは活火山、死の谷、海中の生物など自然のシーンと、コンピューターで合成したようなイメージ画像。
別に何でこんなシーンを入れたのか説明してくれなくてもいいですが、全体のバランスは求めたくなってしまいます。例えば2001年宇宙の旅にも滑走路の着陸シーンを使って色を変えたような画像が出たかと思うと、 突然宇宙飛行士が高級な骨董品のような家具のある部屋に現われ、そこから長々と妙なシーンが登場しました。しかしそれが上手くストーリーに合っていて、違和感がありませんでした。普通の劇映画を見慣れた観客に戸惑いはあったと思いますが、映画全体をよく考えて挿入されていたと思います。
似たようなイメージ・シーンは無間道のタイトルにもありましたが、あれは地獄を表わしているようでしたし、タイトル・シーンに限られ、延々と続くわけではありませんでした。ツリー・オブ・ライフでは成人した主人公ジャック役のショーン・ペンがシンボル的なドアの枠をくぐり、その先の海岸でこれまでに出会った全ての人と再会するシーンがありますが、それも含め抽象的なシーンの作りはかなり稚拙です。
反対に家族の登場する、台詞もあるシーンの出来は悪くなく、俳優もベストの演技ではないにしても、手抜きはしておらず、ベストでない理由はそれほど難しい役柄でないため楽勝で演じられるからと思います。ピット、ペン、あまり有名ではないジェシカ・チャスティンは、「やれ」と言われればもっと難しい役でもこなせるでしょう。
★ ストーリー
5人家族で、女性は母親だけ。父親は仕事熱心、教育熱心で、アメリカ南部のウェイコ近くに家を構えています。男の子3人の子供時代を中心に描かれています。冒頭次男か三男の戦死の連絡が手紙で届きます。当時のファッション他を考えると朝鮮戦争なのかとも思いますが、時代ははっきり表現されていません。郵便配達員が気の毒そうな様子なので、悪い話だろうと分かります。両親(ピットとチャスティン)の嘆きは深いです。そこから長男が子供時代を振り返るシーンに移ります。上にも書いた妙なイメージのシーンを除くと、俳優は自分の役割を果たしており、50年代の中産階級の生活も良く表現されています。
父親はエンジニアで発明家の信心深い人物。工場で働いていて、成功しつつあります。自分にも他人にも厳しく、子供にも厳しいですが、その裏には子供たちが将来独り立ちする時に、1人で自分を護る能力をつけさせたいとの願いがこもっています。しかし子供にはそこまで理解できず、独裁的で強引な手法は徐々に子供たちの間に反感を生んで行きます。言わばスパルタ父ちゃん。
母親はそういう夫婦によくあるように父親と反対の自然で優しい女性で、いくらか子供っぽいところも持ち合わせています。なので父親がいなくなると子供と同じ目線に立って一緒に鬼ごっこに興じたりします。
子供3人は同じ部屋に寝起きし、とても仲が良く、遊ぶ時は大抵一緒です。当然ながら長男が1番先に思春期を迎えます。長男は母親の影響で、自分の魂に問いながら物事を判断するように育ちます。なので父親に対して内心「これは変じゃないか」という気持ちが湧いて来るのですが、それを言葉に出しません。
「変じゃないか」という気持ちは強引な行動を取る父親への反感だけではなく、親の愛情を自分が独占するか、他の兄弟と分け合うかという部分でもわいて来て、しかも長男は直接言葉にしない性格なので、動物を苛めたり、空家を壊したりする方向に行きます。次男は長男と同じく「変じゃないか」と思うことがありますが、それを直接その相手に対して言葉で表現します。なので怒った父親に大目玉を食うこともありました。
「変じゃないか」と思っているのは母親も同じで、父親の教育方針に必ずしも同調していません。しかし直接父親と対決する性格ではないため普段は黙って従っています。成長している子供はそういうところを良く見ていて、母親に対しても批判の言葉が出ます。
と言った感じで家族関係の描写はわりときちんとしています。映画の半分近くを妙ちくりんなイメージ・シーンに取られるのですが、残った時間でよく表現しています。ただ、所謂劇映画方式で作られていないので、そういう家族の描写と妙ちくりんなイメージの両方を延々2時間以上見せられ、最後にオトシマイがつくわけでもなく、英語で言えば "So what."、ドイツ語で言えば "Na und."、日本語で言えば「それがどうした」と言いたくなってしまうわけです。
私小説的な作品を作るつもりならどんなに変わっていてもいいですが、これだけのお金と人材をつぎ込むなら アマチュア作品よりは質の高いものを期待してしまいます。
★ 理解はできる
父親は元々は音楽家になりたかった人。ピアノやオルガンが得意です。ブラッド・ピットの手つきを見ているとおよそクラシックの鍵盤楽器をこなす人には見えませんが、作品にはいくつもクラシックの音楽が流れます。しかし職業としては音楽では芽が出ず、技術者としては成功。発明家の素養もあり、何度も特許を取ろうと試みています。
自分が音楽家になりたいのに夢果たせず、他の分野で才能が芽生えても本人はどこか引っかかっていたり、他の人物(大抵は子供)に自分の夢を託し、無理な期待をする人を何度か身近で見ているので、ブラッド・ピットが息子と合奏をしているシーンなどは分かる気がします。ただピットにあまり音楽的要素が漂わないので、このシーンはやや絵空事風になります。
1つの家庭に子供が複数いると、愛情独占の問題が起きることがあります。長男が独り占めしていた愛情を後に他の子供と分けなければ行けなくなり、長男が欲求不満に陥るという話はよく聞きます。私も実際そういう例を見たことがあります。男の子の方が躓く例が多いようです。万一兄弟の間で愛情の取り合いになると、大抵1人はバッド・ボーイ、もう1人はグッド・ボーイになって親の注目を浴びようとします。
オブライエン家は子供は3人で、年齢もあまり離れておらず、父親はどの子供にも関心を持っており、外から見ているとそれほど問題があるようには見えません。しかし当事者にしてみればそれでも幸福感が得られないのでしょう。その挙句成人したのがショーン・ペンというのはいいキャスティングです。子供はしょっちゅう3人で遊んでおり、元気に飛び回っているので、さほど大きな問題があるようには見えませんが、その辺は男の子でないと分からないのかも知れません。
★ マリック
多彩な人で、生まれはこの作品の舞台にもなっているテキサスのウェイコ。海外に留学もしており、アメリカ一辺倒の考え方の人ではありません。元々はお百姓さんで、次に大学で哲学を勉強。行った先はハーバード。次に行ったのはオックスフォード。ここで学業は中断し、ニューヨークでフリーランスの記者として働き始めます。また、工学系で一流の大学マサチューセッツで授業をするようになり、その頃から映画関係の授業に学生としても出席していたようです。 ここで映画界との関係ができます。
授業料を稼ぎ出すために、冴えない脚本を書き直す仕事に就くようになります(こういう外に名前の出ない黒子のような職業が映画界には多々あるようです)。無事映画学の卒業が決まり、本格的に映画界に乗り出しますが、当初から運が良く、名を成した俳優の出演する作品の脚本を引き受けます。スタジオの大ボスとは相性が悪く、自分がデビュー作を撮る時は小口の資金提供者からお金を集めています。そして出演者選択では運が良かったのか、彼に賛同してか、有名人が参加しています。また、Tak Fujimoto として知られるフジモト・タカシが関わっています。映画歴は長いですがあまりたくさん作りません。作ればどこかの国際映画祭で賞を取ってしまいます。例えばカンヌ、ベルリンなど。
映画界にどっぷりと浸かっていないので、作るとすれば商業的成功を目指しておらず、それでもお金を出してくれる人がいれば作るというスタンスのように伺えます。なので、実験映画のような事をするのは一向に構いませんが、監督なりの起承転結とか、あるいは1つのイメージで通すといった何かしらの筋が見たかったです。
★ キャスト
最終的に採用された俳優にはあまり文句はありません。ショーン・ペンが出ているのはちょっとあほらしいようにも思えますが、それは彼の出ているシーンに殆ど演技の余地が無いからです。しかしそれでもペンが選ばれたのはあの気難しそうな皺だらけの顔のためでしょう。弟を失ったり、難しい父親に育てられた結果、不満を内に秘めたあまり幸福でない中年男を表現しなければならず、にこにこ顔のサニー・ボーイでは困るのです。
ブラッド・ピットは自分の会社が企画に参加しているので、出させろと言えば出る権利はあります。それだけではなく、たまには普通の父親のような役もいいのではと思います。エキセントリックな役の方が易しく、その辺の中産階級のおっさんの役の方が難しいですし、ピットはイケメンという売り方をされてしまって、演技力を披露するチャンスは少なめ。こういう中年のおっさんの役をこれから増やして行って、普通の人間も演じられるんだぞというところを見せたらいいかと思います。
企画のスタッフはオブライエン夫人にはあまり有名でない女優をと考えたそうです。実際名前を聞いたことのない女性が選ばれましたが、演技は達者で、役に良く合っています。不思議な感じがしたのは、彼女をちょっとだけ変えるとアンジェリーナ・ジョリーに化けそうだった点。かなり色白で、赤毛なので、違うと言えば違うのですが、じっと見ているとどことなくジョリーのイメージがダブります。
★ 出なかったキャスト
企画として温められていた期間が長く、キャストには別な人が考えられていました。巷で名前が挙がっているのが、メル・ギブソン。ピットの役かなと想像しています。加えてヒース・レジャー。彼がショーン・ペンの役かとも思われます。コリン・ファレルの名前が挙がったこともありますが、彼も年齢を考えるとショーン・ペンの役だったのかも知れません。
ヒース・レジャーは死んでしまったので役を務めるわけには行きませんが、果たして本人はこの役をやりたがっただろうかと疑問にも思います。チョコレートの孫息子役とダブりそうで、同じような役を2度やりたがるだろうかと思った次第。
メル・ギブソンは最近またトラブルがあり、キャスティングしにくい人物ですが、もし父親役だとしたら、あまりにも巷で言われているイメージと似過ぎていて、俳優としてはうれしくないかも知れません。自分と同じような人物を演じさせるのは芸能界の悪趣味。俳優は自分とは違う役を演じてこそ俳優。
★ 結論
マリックに特に興味のある方にはお薦めしますが、他の人には退屈かも知れません。
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