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USA 2010 105 Min. 劇映画
出演者
George Clooney
(Jack, Edward - 武器の専門家)
Violante Placido
(Clara - 売春婦)
Thekla Reuten
(Mathilde - 武器の依頼人、スナイパー)
Paolo Bonacelli
(Benedetto - 神父)
Johan Leysen
(Pavel - 殺しの依頼人、元締め)
Irina Björklund
(Ingrid - ジャックのスウェーデンの恋人)
Filippo Timi
(Fabio - 機械工、神父の息子)
見た時期:2012年5月
原作はマーティン・ブースの暗闇の蝶。原作とかなり違っているようです。
監督はドキュメンタリー作品が多く、撮影の方がストーリー・テリングより得意な人のようです。
★ あての外れたクルーニー
4本まとめて借りた DVD の中で上位の2作として期待していた作品です。ところが見終わってがっかり。クルーニーはケーリー・グラントの路線で大スターへの道が期待できた俳優ですが、硬派、インテリ派を目指し、本人はその方向である程度満足しているようです。時々おちゃらかコメディーに出演し、ギャラを稼いでは地味な作品につぎ込んでいるのかも知れません。俳優、監督仲間ができており、必要とあらば大スターも動員でき、クルーニー・コミュニティーが成立しているようです。イタリアに別荘を持っているとかで、以前オーシャンの仲間を招待したりしていたようです。
クルーニーは父親を尊敬しているのか、仲がいいのか、行きがかり上硬派、社会派の俳優を目指したらしく、監督業にも手を染めています。私の目にはかなりドイツの映画作りの影響を受けている、あるいは好んでドイツ式にしているような面も見えます。その悪影響が出てしまったのかも知れません。ドイツの映画人はテーマをやたら深刻にする傾向があり、音楽をあまり目立つように使わず、メッセージ性が高く、見た観客はげんなりしてしまう傾向があります。言わんとしているテーマは理解できる場合もあるのですが、観客に理解してもらうためにもう少しサービス精神を発揮してはどうだろうと思うことが多いです。無論補助金を思い切りもらえて、後に残すことだけを考えて映画が製作できる間はいいですが、自分で収益をあげないと行けない時代には通用しないアプローチの仕方でもあります。ドイツにはあまり商業ベースに乗る作品はありません。ま、クルーニーが自分のお金を出して作るのなら何を作ってもいいので、これ以上文句は言いません。タラタラ・・・。
★ あらすじ
深刻なトーンを強調し過ぎた作品ですが、イタリアがこんなに暗い国だとは知りませんでした。主人公のジャックは本名なのか偽名なのか不明。エドワードという名前もありますが、どちらも職業上本名でない可能性があります。
職業は職人。専門はライフルなど火器。普通の武器をさらに使い易くする事もでき、ライフルにサイレンサーをつけたりもできます。ヒットマンでもあります。仕事の依頼主は裏の社会。スパイやギャングご用達の専門職で、実行犯の場合と、実行犯のサポートをする場合があります。
冒頭スウェーデンの田舎に暮らしていて、恋人もいます。ところがある日雪の中をジャックを殺しに来た者がいます。ジャックはすぐ気づいてヒットマンを仕留めますが、即座に危険を察知し、恋人を殺してすぐスウェーデンを去ります。恋人は単にジャックの存在を知っていたからということで殺されてしまいます。
私はジャックは身勝手だ、女性がかわいそうだと思いますが、職業柄この措置はパラノイアではなく、正しいです。理由の如何を問わず、狙われたらすぐトンズラ。
逃げた先はイタリア。ローマで組織の元締めパーヴェルに連絡し、小さな町に身を隠します。その時も元締めの言った事を全て聞くのではなく、自分で状況判断をします。私の目から見るとこんな小さな町に来て彼のような暮らし方をすると却って目立つのですが、同じように不審に思ったのが土地の神父。あんな態度ではドイツでも大都市以外では目立ちます。原作のミスなのか、アメリカ人クルーニーに欧州の田舎が理解できなかったのか分かりません。この事は全体のプロットの中で大きなミスです。
元締めの指示に従わず、指定された町ではなく、別な町に住み、言われた電話は使わず公衆電話を使います。しかしそれでも元締めの言いつけ通りほとぼりを冷ますまでの間小さな仕事を引き受けます。この町ではエドワードと名乗ります。
人に会うのが商売の神父はジャックが普通の人物でないことはお見通し。色々詮索をします。一応写真家だということにしてありますが、嘘は見抜かれています。パーヴェルから依頼された仕事は殺し用のライフルを作り、顧客の好みに合わせて調整すること。コンタクトを取って来るのはマチルダという女性で、ライフルを使うのも彼女。1人暮らしのジャックは娼婦クララを買い、やがて魔が差したのか彼女を恋人のように扱い始めます。銃のテストのためにマチルダと会い、完成が近くなります。
ある夜ジャックは後をつけられたため、その男を殺します。最近スウェーデンで3人の射殺死体が発見されたという報道記事が匿名で送られて来たこともあり、猜疑心の塊になったジャックは護身用のピストルを持ち歩くクララを疑います。しかし彼女にはピストルを携帯するれっきとした理由があり、彼女に時々話しかける2人組の男たちは警官。最近町で娼婦が2人殺されているため、警察が娼婦と協力して犯人を捜しているところでした。クララが怪しくないとなると、別な理由があるはず。
マチルダの銃が完成するのにあとわずか時間が要るとパーヴェルに言い、ジャックは最後の仕上げをします。そしてマチルダと食堂で会い、アタッシュケースに入れた銃を手渡します。その時何となく自分を狙っているのはマチルダではないかと感じ、彼女に目をつけ始めます。
実際にジャックを狙っていたマチルダは子供が大勢食堂に到着したためそこでジャックを殺せず、パーヴェルと連絡を取りながら、ジャックを車で追います。この日はキリスト教のお祭りで、人に紛れてお祭りの最中に射殺しようとするマチルダは高台の建物の屋根に登り、ジャックを狙います。
ジャックはクララと一緒にお祭りに行くことにしていましたが、クララに会うと封筒に入った札束を手渡し、2人で町を離れる打ち合わせ。マチルダはジャックに照準を合わせ撃ちますが、倒れたのは彼女の方。屋根から転げ落ち、瀕死。そこへ駆けつけたジャックは死にかけているマチルダから依頼人はパーヴェルだと聞き出します。ジャックはクララとピクニックをした場所でもあり、マチルダと銃のテストをした場所に向かいますが、追って来たパーヴェルと撃ち合いになり、パーヴェルを倒したものの自分も被弾します。
その後はクルーニーらしくない大メロドラマ。大昔のイタリア映画を見ているような気がしました。大量出血をし、息絶え絶えになりながらも約束の場所にたどり着き、彼女を一目見てこと切れます。彼女は約束どおりジャックが来たので大喜びしたのもつかの間、ジャックは昇天。娼婦稼業から足が洗える上に、恋人ができたと大喜びだったのでしょうが、この先どうするんだろう・・・、と思わせながらのラスト。このあたりはビットリオ・デ・シーカかフェデリコ・フェリーニかという終わり方。きっとクルーニーは自分は欧州映画の理解者だと言いたかったのでしょう。その欧州は大分前から違う路線なのですが。
★ ちぐはぐ
スリラーとしては謎がうまく隠れておらず、メロドラマとしても盛り上がっていません。何よりもぴったり来ないのがクルーニーの欝っぽい表情。顔がこわばったままです。
「何もかもお見通しだ!」という神父を登場させているのに、そのキャラクターを使いこなしていません。カソリックの神父でありながら息子がいるという設定になっていますが、そこも上手く生きていません。世の中には色々あるよという論調のつもりだったのかも知れませんが、湿った花火のようです。演じている俳優には十分ややこしい人生を語る力があるように見えたのですが。
娼婦の役のクララが気立てが良過ぎ、健康的過ぎるのも変で、こんな小さな町で娼婦をやっていたら町中に知れ渡っているだろうに、何となく辻褄が合っていません。
パーヴェルにせよ、マチルダにせよ、こんな小さな町によそ者が来るとかなり目立ちます。その辺を見事に無視して話が進行するので、いいんだろうかという印象がぬぐえませんでした。
クルーニーには何かしらの才能があるのかも知れませんが、本人に合ったジャンルや役を選んでいない気がします。大して好きでも無いトム・クルーズの方が、「今度はこういう映画をやってみたい」という意欲があり、1作作るたびにそこから何かを学んでいるように思えます。
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