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子熊物語 /
L'ours /
The Bear /
O Urso /
El oso /
Der Bär /
L'orso

Jean-Jacques Annaud

F/USA 1988 85 Min. 劇映画

出演者

Bart
(コディアックヒグマ - 雌熊)

Youk
(他の種類の子供の熊)

Tchéky Karyo
(Tom - 猟師)

Jack Wallace
(Bill - 猟師)

Andre Lacombe
(猟犬を連れた猟師)

(事故で死ぬ母熊)

(雄熊)

(山猫)

(猟犬数匹)

見た時期:2013年6月

要注意: ネタばれあり!

推理物ではありませんが、物語の展開は書きます。
見る予定の人は退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

★ 大捏造映画 - ブリジッド・バルドーは何と言うだろう

この映画に感動した人は多いのですが、ひどい心理操作作品です。一見カナダのブリティッシュ・コロンビアの大自然の中で繰り広げられる子熊の冒険と成長の物語風なのですが、トンデモやらせ捏造映画です。熊が大好きな日本人ならころっと引っかかって、涙ぽろぽろ流してしまいます。

主演は母親を事故で失ってしまった子熊。一応作品中動物は1匹も怪我をしたり苦しんだりしていないそうです。それでも動物をこういう風に使って人間を騙したら、あのブリジット・バルドーが黙っていないのではないかと思えるような作り方をしています。制作国はバルドーと同じフランス。

何となく植物の具合が変だと思えたのですが、ロケはカナダではなくイタリアとオーストリーでやっています。恐らくはパッチワークのようにあちらこちらで取ったシーンを貼り付けたのでしょう。それで私には何となく変に感じられたのではないかと思います。私は1度アラスカに上陸したことがあります。滞在はほんの数時間でしたが、アラスカの土地をごく僅かですが見たことがあります。カナダはその延長。そこと植物の具合がやや違うという印象でした。オーストリーにはちゃんと行った事があります。山の方にも行った事があり、多少その辺の植物は見ました。

アメリカもお金を出しているので、カナダに行かないまでも、アメリカの北部ぐらいならロケに行ってもいいじゃないかと思えるのですが、それができない理由があったようです。監督はフランス人なので根拠地はフランス。恐らくは事務所などを置いているのでしょう。そして当時薔薇の名前バラバラの名前ではありません)と同時進行で制作、撮影しており、薔薇の名前の撮影がイタリアと西ドイツで行われていたため、そこからあまり遠い所へ行けなかったのかもしれません。

★ 学術派監督

監督は凝り性で、映画を作る時にその時代の現実を取り入れようとする姿勢が見えるなど、個性があります。私はかなり昔ですが人類創世を見たことがあります。絶世の美男、世紀のイケメン、ローン・パールマンが重要な役で出ていることは知りませんでした。監督はパールマンに類人猿よりちょっと進化した人間の役を与えていましたが、これは不公平ではありません。登場するのは動物か、原始人だけ。人類が未知との遭遇、初めて火と言う物を知るというストーリーです。

5年の間を置いて作られた薔薇の名前も見ました。パールマンは間に SF コメディーを1本撮っただけですぐアノー監督の薔薇の名前に出演しています。この作品は原作が記号学者のウンベルト・エコー。言語学をやっていると記号学にぶつかるのが運命で、私たちもエコーを無視して通ることができないというほどの大学者ですが、趣味で小説も書く人。ドイツで文献学をやっていると現代の言語学、現代のドイツ文学、中世のドイツ言語・文学の3種類から2つを選ぶ必要があり、中世を選び、おもしろい先生に当たると、中世の人たちがどんな所で、どんな紙を使って、どんな風に写経(とは言っても、お経ではなく聖書)をやっていたか、どの階層の人たちがどの言語の読み書きができたかなども一緒に知ることができます。その上で薔薇の名前を見ると、監督が当時の事情をできるだけそれらしく表現しようとしていたことが見て取れます。

パールマンの出番は主演に比べれば短いですが、鍵になるシーンに出て来ます。

子熊物語は監督に取ってはその次の作品で、企画は薔薇の名前と同時進行していたそうです。制作から25年も経って見たわけですが、薔薇の名前の次の作品だというので、動物界でも現実を重んじた作品なのかと期待しました。人類創世で、石器時代の人類が言語らしい言語をしゃべらない作品を撮っているので、人類の言語を使わない動物界に横滑りすることはさほど大変ではないだろうと予想していました。

★ ロン・パールマンと仲のいい監督

ロン・パールマンというのはアメリカ人俳優ですが、80年代のパールマンはまだ駆け出しで、テレビに出たりしていました。で、外国映画でも口がかかったら飛んで行き、その国の言葉が分からなくても音で台詞を覚えて参加するといった事をしました。彼のほぼ長編映画デビューい近いのがジャン・ジャック・アノーの人類創生(ドイツ語では《最初は火だった》、フランス語の原題は《火の戦い》という意味のタイトル)。この作品では原始人の役なので、まともなフランス語、英語などをしゃべる必要がありませんでした。

アノー監督はパールマンが気に入ったのか、5年後すぐ次の作品になる薔薇の名前でも重要な役を与えています。薔薇の名前は英語の作品なのでパールマンは個性ある修道僧を問題なく演じていました。そして薔薇の名前から間を置いてスターリングラードにも出演しています。スターリングラードはバベルスベルク(ブランデンブルク州ポツダムの町。ベルリンの中心地からすぐの場所)で撮影されているので、もしかしたらパールマンもベルリンに滞在していたのかも知れません。知らなかった!

もう1人パールマンと仲のいい監督がギレルモ・デル・トロ。まだハリウッドに進出前の監督がメキシコで俳優を必要としている時アメリカから駆けつけたのがパールマンだったようで、デル・トロは長編劇映画デビュー。その後ハリウッドに出てからもブレード2 で使い、さらにパールマンを史上最年長のスーパーヒーローにして長年の夢をかなえています。ちなみにデル・トロと言う人は自分が使った俳優を大切にして、使える時は別な映画でも使うようです。

★ 日本人は熊が好きなのでころっと参る

去年、一昨年目立ったのが熊に関する国内の報道。人家に現われ人を襲ったとか、家に入って来て食べ物を漁ったといったニュースが続きました。報道のトーンを見ていると、襲われた人はあまり怒った様子が無く、ニュース全体も天候異変の山で食べる物が無くなって仕方なく人家を襲ったといった感じ。まるで怪我をした被害者までが熊に同情しているような報道ぶりでした。

これが北海道だけなら何となく分かるのですが、日本中の人が熊に腹を立てていないのです。私も熊が市の旗になっている町に住んでいるので、熊は大好きなのですが、日本人が国を挙げて熊に対していい感情を抱いているのだなと知ったのはこれが初めてでした。しかし日本人の熊好きという性格は長い間続いていたようなのです。私が熊が好きなのは私だけと1人で思い込んでいたわけで、他の日本人もきっとみんな1人1人別々にそう思い込んでいたのでしょう。

そういう日本人がこの作品を見るところっと騙されてしまいます。よく考えると「アリエネー」というシーンがたくさん出て来ます。たとえ子熊でもこんな声をこういう時に出すはずは無いだろうと思える、小さな女の子のような、悲しそうな声が聞こえたりもします。そこに気がついてしまうと腹の立てっぱなしになります。そこに目をつぶることができれば、ハンカチと洗濯の絞り機が必要で、泣きっぱなしになります。

アノー監督はまじめな人で、人類創生の時はちゃんと学者に原始人の生活ぶりを聞いてから作ったようですし、薔薇の名前の修道院の様子も私が大学で勉強した中世の様子と似ていました。それなりに時代考証はやったのでしょう。

なので動物学もちゃんと勉強したのかと思ったのですが、子熊物語はちょっと冗談がきついように思います。至る所で片目、時には両目をつぶらなければなりません。「野生の熊がそんな事をするか!」「アリエネー」というシーンが多いです。ま、以下のストーリーは人間が都合のいいように勝手に思いついた話と考えて下さい。

★ 気の毒な子熊

本当に気の毒です。涙が出ます。冒頭クマのプーさんのようにミツバチの巣を襲い、我が子に蜂蜜を食べさせようと思った母親熊が蜂の巣を襲っている間に事故死のようにして間の抜けた死に方をします。まだ幼い子熊は死ということがちゃんと理解できず、動かなくなった母親の元で一夜を明かします。ここで涙を一絞り。失った塩分はおかきでも食べて補給して下さい。

翌日一人ぽっちで泣いている子熊。熊に人間と同じ感情があって泣くなんて信じられないですが、しょげかえった後一人旅立ちます。

途中蛙を追いかけてみますが、水の中に逃げられてしまいます。食べることもできず、友達になることもできない。そしてまだ水も良く知らない子熊。その夜には悪夢の中にたくさんの蛙が出て来ます。熊は夢を見るのか?知らなかった!

次に登場するのは恐ろしい狩人。1人は後にフランスで名高い悪徳警官(ドーベルマン参照)になるチェイキー・カイリヨ。この時はまだデビューして5年ほどです。2人の猟師はあの子熊の母親の死体も発見し、皮をはいで、肉は火にくべています。翌日2人は大きな熊の足跡を発見。実際近くに大きな熊がいました。丘の上でベリーを食べている最中の大熊を発見した猟師は発砲。玉が命中。しかし大怪我をしたまま逃げ出します。これは成人した雌熊で、あの子熊とは違う種類です。

猟師がキャンプしていた場所に戻って見ると荒らされていて、馬が重症を負っています。猟師は復讐を誓いこの熊を追い始めます。

食べ物を母親から貰っていた子熊はまだ自分で餌を見つける方法を学んでおらず、路頭に迷います。そんな時撃たれて血を流している雌熊に出会います。自分とは種族の違う熊。自分を産んだわけではないので最初相手にしてもらえません。

あからさまに「帰れ」と追っ払われ、川の向こう側で雌熊は去って行きます。ついて行くには子熊は川を渡らなければなりません。まだ水、川と言うものを良く知らない子熊に取っては川を渡るのは命がけの大変な仕事。

どうにか川を渡り、ずっとその雌熊について来た子熊は、沼で水の中に横になっている雌熊の傷をなめてあげます。そのあたりから2頭の関係は少しずつ母子に近くなって行き、雌熊は子熊に魚の取り方や鹿の襲い方を教えて行きます。2頭の思いやりシーンでまた涙。

アリエネー: 後で話題になったのですが、この2種類の熊は生息地が全然違うので、出会うはずは無いそうです。

傷ついた雌熊は泥沼で寝転び、傷を癒そうとします。この沼に何かしらの薬用効果があるのかは分かりません。

アルカモー: 日本なら温泉に浸かるところです。私は紀伊を旅行中自転車事故で足に大怪我をしたことがあります。傷が深く血が止まらないので、予定を変更してその日その地に留まる決心をしました。血を流しながら自転車を引っ張ってとぼとぼ山道を歩いていると、村の人が来て「あそこを行くと○○の温泉があるよ、そこに足をつけると傷はすぐ治るよ」と言うのです。ついでに「その反対側の温泉はだめだよ。傷が悪化するよ」とも言いました。行って見ると外に池のようなものがあって、湯気が出ています。そんな所に血の出ている足を入れたら痛むだろうと覚悟しながら足を突っ込むと、スーッと痛みが引いたのです。今でも信じられないのですが、まずずきんずきん痛んでいたのが引いて行きました。そして普通のお風呂ぐらいの温度だったと思うのですが、足がとても楽に感じました。湯から足を出すと血は止まっていました。

ユースホステルの人ももう1日ぐらいはゆっくりして行けというので、滞在延長。そして翌日もそこへ行って足を湯につけました。何しろびっくりしたのは人差し指ぐらいの太さ、長さ、深さの傷だったのですが、傷がその日からふさがり始めたこと。包帯や絆創膏は使いませんでした。後から聞いてこちらが勝手に想像したのは、こちら側の湯とあちら側の湯には酸性とアルカリ性のような違いがあって、使い道が逆だろうということ。作用が反対なので、片方に入れると治り、もう一方に入れると悪化するのではないかと思いました。恐らくは科学的根拠があっての事と思いますが、大昔の人は経験からそういう事を知っていたのでしょう。そして人間が初めてそれに気づく時は往々にして動物がやっているのを見たためです。もしかして猿か熊がそうやって傷を治しているのを見た人がいたのではないかと勝手に想像しています。

そんな経験があったのでこのシーンでもそんな話かも知れないと思ったりしました。

猟師の1人は弾丸の頭に切り込みを入れ、弾が当たったらできるだけ傷口を広げる工夫をし、雌熊を追いかけます。

傷があってもどうにか普通の生活ができるまでに回復した雌熊の所に雄の熊登場。熊に取ってはイケメンだったのか、間もなくルンルン。子熊は大人の事情を理解できず???

2頭が恋愛活動に忙しい間、子熊は散歩に出てきのこを食べます。赤い所に白い斑点のある毒きのこ。 LSD のような作用があり目を回します。きのこは全く同じに見えて、毒のある種類と無い種類があるので、普通のしいたけのように見えても要注意。現代の人類でも騙されます。なのでこの子熊にそんな事が見分けられるはずも無く、グロッキーになってしまいます。

雌熊の所へ戻って見ると雄熊は去っており、また雌熊と子熊の旅が始まります。

馬を襲われ頭に来た猟師の所へ猟犬数匹を連れた応援が来ます。

猟師だけでなく猟犬にも追われる2頭。追い詰められて岩山を登って行きます。洞穴の近くで決闘になり、犬の負け。2匹が突き落とされます。

アリエネー: 犬をやっつけてから先に洞穴に入って隠れていた子熊の所へ来る雌熊。子熊の手が震えているシーンが出て来ます。人間がこうあって欲しいと思う典型的なシーンで、さすがにこれには涙ではなく、笑いが出てしまいます。

猟師は瀕死の犬を見つけ安楽死させます。1頭は骨折。ますます復讐心がメラメラ。その直後子熊が見つかってしまい生け捕りにされてしまいます。キャンプに連れ帰り、紐をつけて逃げられないようにします。猟師の1人が缶詰のミルクを与え、子熊は人間社会と言うものの一端を知ります。

アリエルカナー: 映画の時代は1880年代後半。場所はカナダ。缶詰のミルクがこの時代に本当にあったのかは不明。缶詰自体は1800年代の初期に発明されています。試行錯誤があり、1860年代からは軍などで大量に使われていたようです。ただ、ミルクのような液状の物をこの時代から缶詰にできたかは不明。ミルクは特別に殺菌しないと腐るし、旅行に缶詰を携帯する場合冷蔵庫持参というわけには行きません。冷蔵庫もまだ初期の段階。

ま、このシーンで監督が表現したかったのは、野生の子熊が人間からミルクを貰うことで、人間社会に溶け込むかどうかの境目に来たということのようです。ベルリンのクヌートのように生まれてすぐ親に無視されてしまうと、人間が育てなければならず、一定期間人間になつくことはあるようですが、動物は種類によってなつきの度合いがかなり違うようです。そして飼い主をいつまでも恩人として覚えていられない動物も多々あります。

2人の猟師は雌熊を探し続け、1人は岩の上で監視を続けます。

子熊は紐につながれたままキャンプ地に残されますが、お腹を空かしたのか、猟師の荷物から缶入りのミルクを探し、飲みます。その他の荷物を漁っているうちに猟犬と追いかけっこになり大混乱。

山の上で見張りをしていた猟師は水を切らし、岩場の洞窟の方へ行きます。

アリエネー: この時なぜか猟師は装備を外し、丸腰で水のある場所に行きます。ただ水筒に水を入れるだけのためだからとは言え、ちょっと距離がある上、追っているのは獰猛な成人した熊。しかも怪我をしているはずの熊です。猟師というのは元来用心深いもの。この不自然さはアリエネー です。

この不自然さは無理やり押し込まなければならなかったのです。というのは洞窟からその雌熊が現われ、その場で猟師が熊を撃たないためには丸腰でなければならなかったのです。でなければここで話は終わり。

映画は更に続くので、ここでは丸腰の猟師と被害熊が対決。雌熊は猟師を片手でひょいっと叩けば殺せる状況。でもやらない。「あっちへ行け、帰れ!」と前足で示すだけ。猟師はまるで反省でもしているかのようにひざまづいて殴るために手にした岩も放棄。熊は噛むこともできるのに噛まない。あのドーベルマンの悪徳刑事カリヨ氏は泣きじゃくり、熊は悠々と去って行きます。ここで猟師と熊の間に何がしかの精神的な交流があったことにするという筋。

我に帰り、銃の置いてある場所に戻るとダムダム効果を生む弾丸を込めて熊を狙う猟師。射程にばっちり入っています。結局撃つのは止めてわざと的を外し、熊に「あっちへ行け、帰れ!」と叫びます。熊は恐れもせずゆっくり歩きます。同僚の猟師が駆けつけ、撃とうとしますが、ドーベルマン猟師が止めます。

犬を連れた猟師は去り、子熊は解放。また独りぼっちになってしまった子熊。ところが帰って行く2人の猟師を子熊は追って来ます。ドーベルマン猟師は「ついて来るな、自然に帰れ」と追い払います。

この頃には子熊は少し成長し大柄になっています。なので以前ほど危険ではありませんが、そこに現われるのが怖そうな山猫。まだ子熊はそれほど大きくないので必死に逃げます

アリエネー: この時の泣き声がなぜか人間の子供、それも女の子のよう。

山猫に追いかけられ、川に落ちてしまいます。多少水という物を知ったとは言え、滝もあるので絶体絶命。山猫に前足で叩かれて怪我。その時この子熊は初めて大声で叫びます。絶望の大絶叫。すると大チャンスなのに山猫がすごすごと去って行きます。子熊の真後ろに雌熊が立ち、用心棒のように一緒に大声で叫んだため、2対1ではかなわない山猫が撤退。

後ろの雌熊に気づいた子熊。雌熊は「来い!」というように首を振ります。ここで涙の再会シーン。ハンカチじゃ足りない、バスタオル持って来〜い。

2頭は仲良く連れ立って、雪のちらつく山へ。前のような禿山ではなく、森の中の洞穴へ。やがて外は雪。中でゆっくり冬眠する2頭。その前に十分食べたのかいと突っ込むのは止めておきましょう。来春目が覚めたら子供が1頭生まれるかも知れませんねえ。

★ 監督に引っかかった

っとまあ、こんな筋なのですが、前の2作がわりと当時の現実を研究して作られたようだったので、見終わって「あれっ」と思いました。

とにかく動物学も猟師の習慣も無視。全編メルヘンです。何が言いたかったのだろうと無い知恵を絞って必死に考えたのですが、無理にこじつけるとしたら種族の違う熊でも親子関係が持てるということかなあと思いました。しかしちょっと擬人化が過ぎるような気がします。また、猟師と雌熊の対決シーンも過ぎたるは何とかで、こっけい。

普段は自然と共に暮らし、生きるためだけに動物を殺す人間と、元から自然に対決を挑む人間がおり、登場する猟師は対決型の人たち。監督はその対決型の猟師に共存型との接点を作ろうとしたのかとも思いましたが、猟師は結局人間社会に戻って行き、ついて来る子熊を自然界に追い返しています。君は君、僕は僕の世界で生きようという結論。

私は日本に生息する熊以外はあまり知らないのですが、子熊物語に出て来る熊は頻繁に2本足で立ち上がります。不思議な感じがしたのはよく仰向けに寝転ぶこと。私が見た熊は四足で腹が下になるような姿勢を取ることがほとんど。なので私は熊には仰向けになる習慣が無いと思っていました。子熊物語の熊は毛が日本の熊より荒い感じがします。

★ クマの好きな日本人

自分の好みでは日本のツキノワグマやヒグマの方が好きで、北米の熊はからは怖い、獰猛という印象を受けます。それは私が幼稚園の頃から雑誌などで日本の熊を見て育っていたからだと思います。

クマのプーさんを小学校の頃初めて読んだのですが、プーさんのモデルになった熊は実在し、子熊物語同様カナダ産で孤児でした。軍人に拾われ、軍のマスコットになっています。軍は移動するので暫く軍と行動を共にし、やがてロンドンの動物園に引き取られます。作者のミルンの息子と会うのはこの動物園。この熊は色が黒く、日本人が想像しているクマのイメージを持っています。ただ、クマのプーさんの挿絵とはちょっと違うイメージです。ディズニー版とは全く違います。

ミルンの息子が持っていたぬいぐるみの熊はミルン夫人が作ったもので、この実在の熊とも、クマのプーさんの挿絵とも姿形が違います。ちなみに実在のカナダ産の熊は二本足で立っている写真が残っており、私が知る以上に熊が二本足で立つことはあるようです。

熊と人間の交流はほほえましいですが、実際は危険も伴います。ベルリンでクヌートを育てていた飼育員は途中から暖かい季節でも長袖のヤッケを着用し、爪で引っかかれないように、噛みつかれないように防御しています。いくら子熊の方から愛情表現をされても、成長すると馬鹿力がつくので、人間に取っては危険です。私はまだとても小さい時に子供用の雑誌で国内の小学校で飼われていたクマの話を読みましたが、子供になついていた子熊が悪気が無いのに子供に怪我をさせてしまったという筋でした。最後は動物園送りになるのですが、描写が上手で、たとえどんなに双方愛情を持って接しても怪我という結果になってしまうことがあるという話にうまくまとまっていました。

今改めて考えて見ると、クマのプーさんは日本でずっと売れ続けていますし、私が幼児だった頃から熊を題材にした話が子供雑誌に載っていましたし、クマのぬいぐるみは売られ続けていますし、その上熊が話題になるニュースが頻繁に出ていることを考えると、熊が好きな日本人は私1人ではなかったようです。

私は熊が好きだからベルリンに来たわけではないのですが、町の旗が熊で、町の人が熊大好きというメンタリティーだったのは幸いです。

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